ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

海の中

2011-06-30 | 雑記
休みだったので、家賃を払いに行くついでに、「和」に行ってきた。

この店はつい先日、スタンプカードを始めた。ポイントがいくつかたまるごと、もしくは全部押された時点で商品券やら引換券に変わるようで、全部押すと琉球グラスと交換できるという。

最初はひとつにつき千円だったのだが、ランチのみで千円もいかない人のために、五百円につき一回押すようになっていた。

自分にとってはたまに、のつもりだが、飲食店というのは大体三ヶ月に一度来てくれた常連さん、ということだそうで、超常連だそうな。じゃあホテルは?考えた事もない。


というわけで、琉球グラスと交換してきた。




いくつか種類があったのだが、中に気泡が含まれた「たまゆら」だったか、そういうグラスが好きなので、こいつにした。色は緑もあったが、やはり青だろうと、即断した。


海の中にもぐったことはないのだが、とても海の感じを覚える、なんとも涼しげなグラスである。手作りなのかどうかは分からないが、微妙にゆがんでいるようにも見える。これは飲んだせいだ、ということにしておいて構わない。

真ん中あたりがちょっと腰に肉がついたみたいに膨らんでいる。これが横から持った場合に丁度よい刺激になる。単にまっすぐ規格どおりに(これも規格どおりかしらんが)作られたものよりは持っていて飽きがこない。


茶の湯も、現代で言う綺麗、いわゆる均整の取れた茶碗よりも、ザックリとした無骨ともいえる楽茶碗を好む。そこまでの個性はなかろうが、少し気に入った。


気に入ったとはいうものの、最近はまったく家では飲まなくなってしまった。だからせめて「和」で飲むか、というわけである。まあ、麦茶とか水出し緑茶を作って、こいつに注いでみるというところだろう。

ついでに、写真のグラスの裏手に写っているのは「さーたーあんだぎー」である。今日は久しぶりに売っているのを見かけた。あまり甘くなくて、茶と共に(作ったおばちゃんがいうにはコーヒーに合うとかいうが)いただいた。


今日はちょっと珍しいものも食べた。珍しい、といっても沖縄では普通というやつだ。

発音を何回も確認して聞いたところ「ぽちぎ」という、辛味のあるソーセージ。ゆでてスライスして、特製のドレッシングに浸けて食べる。

店のおねえさん曰く、沖縄では子供のころから食べていたそうで、実家から何か送ってもらうときは必ずいれてもらうのだそうな。

辛いことは辛いのだが、しつこい辛さはない。肉の味を引き立てるくらいの辛さで作っているのだろうと思う。


ちなみに、おねえさんもよく分からないようだが、商品名ではなく、会社名だった気がするといっていた。セビルローで仕立てたスーツだからセビロというのと同じである。


添加物やらなんやらが気になるし、肉を食べるのも家ではやめているが、時折飲むときは気にしないことにする。いちいち気にしてストレスになるくらいなら、添加物で病気になる前に、ストレスで死ぬだろう。食べ過ぎてもいずれ病気になるだろうが、その時はその時である。だから、なるべく摂取量自体を控えるのである。

しかし、そろそろウヰスキーのある風景じゃなくて、ウヰスキーのあった風景にでもしないと、看板が嘘をついている。だが、ブログのテーマとやらにウヰスキーが写っているのだから、これで問題ないということにする。では、また。

彼方から

2011-06-29 | 雑記
長ったらしくて読んでいない、もしくは仮に読んでいても反応を見ることの出来る人がいないので、わからなかったりするので、改めて言うと、最近タバコを始めた。

しかも、キセルで吸うという。理由は簡単で、恐らく「あんたらしい」といわれるのを見越したのと、使うタバコ(刻みタバコと呼ばれる専用のもの)は無添加らしい、ということである。


世界的に、特にアメリカあたりからだろうが、禁煙が大きな流れになっているのだが、心ある人はちゃんと指摘している。


タバコの害は確かにあるのだが、大きくはない。

タバコを吸うことはつまり、大体はシガレット(紙巻タバコというやつ)を吸う事を指す。これを意図的に混同して、喫煙は害毒だとキャンペーンを張られているというのである。


タバコ自体は単なる植物である。落ち葉集めて焚き火すると癌になる、というのは最近なら言うかもしれないが、そんな話はなかっただろう。それなら昔の人は皆癌で死んでいる。今なら二酸化炭素やダイオキシンが、といって悉く禁止になっているが、実際これも眉唾物である。


シガレットには、日本のならJTのページに書いてあるそうだが、膨大な量の添加剤や化学物質が混ぜ込まれているそうだ。そして、巻紙には助燃剤といって、紙の燃焼を補助する物質も塗布されており、これまた体に悪い。ここに書いてあるそうな。

他に入っているものといえば、JTのものにもアメリカのタバコ葉が使われているのだが、なんでかしらんが放射性物質が入っているそうだ。まあ、核実験よくやってたし。原因はタバコ自体より、添加した物質と放射能のほうが原因といえるだろう。


癌の原因なら、例えばベーコンに入っている添加剤も癌の原因になる。しかし、タバコのように「癌になります」などとは注意をされない。


癌やら諸々の病気の原因から目を逸らすのが目的ではないか、とすら言われている。

詳しい話はこちらの記事を。上はかいつまんだ話。元記事はもっと長いのでご注意を。


そして、タバコ自体は実際は薬効のほうが高いという話が、最近の臨床結果で出てきているそうだ。

ニコチンは確かに常習性があり、血管の収縮を引き起こすので、心臓が悪い人やら高血圧の人は忌避すべき物質だが、脳内の伝達物質の原料だかそのものだという。

アルツハイマーやら痴呆の改善にかなりの効果があるとのこと。予防効果も期待できる。それらの特効薬といわれたものが霞んでしまうほどだという。

殺菌効果もあるらしく、インフルエンザのウイルスなんかも殺してしまう。これは想像だが、梅雨時期の室内干しの洗濯物の匂いも抑えてしまうかもしれないな、と思ったが、そこは分からない。タバコ自体の匂いでごまかしているといえばそうかもしれない。


それをわざわざマッチで点火して、ゆったり(どちらかといえば吸いなれていないのもあってせかせかしているかもしれないが)と吸う。三口ほどで終わるが、何かやった後に一服するだとか、気分転換にちょっと、という形で十分満喫できる。


マッチで点火する、というのにも実は理由があるのだが、飽くまで仮説レベルである。

自然のもの、例えば木や草、木綿などを燃やすと、独特の構造の分子が激しく回りだす、という話がある。C60だとかなんとかいうもので、ノーベル賞を受賞した研究があるのだとか。

これが人体だけでなく、自然にも大きな影響を与えるらしい、という。


学者がそういうのを発見する以前から、古代の人はよく分かっていたらしく、身近に火を置き、火と共に生活をしてきた。古代インドの儀式みたいなもので、「アグニホートラ」というものが、海外でよく行われているそうだ。

興味があれば、次の記事を読んでいただければ幸いである。またもタバコの時の人のページである。上部の「訳者メモ」はちと上級者向けなので、下の方の翻訳された記事をお読みいただきたい。こちら

そのアグニホートラについては、上記のページの下にもリンクが貼られているが、こちらをご覧戴こう。


チェルノブイリで放射性物質による汚染を受けた地域であるにも関わらず、ある畜産農家の牛乳は平常レベルに留まっていた、などと、信じられないような話が出ているそうだ。その家がやっていたのがアグニホートラなのだとか。

昔、インドの化学物質工場で、史上最大とも言われる公害があったのだが、そこの汚染地域でありながら、平然と暮らしている家があるという。事故から二十年近く経つが、健在だそうで、やはりアグニホートラを行っていたという。


すぐ上のアグニホートラを紹介しているページ内を見ていると、「科学的根拠はないが、タバコからもC60フラーレン分子が少量出ているようだ」というような話もある。

どうやら、大なり小なり、自然のものを燃やす、ということになんらかの効果があるといえそうだ。


 Eさん「これ(キセル始めたこと)どうよ?」

 おこわさん「安生は宇宙人だからわからない」


と、いう会話が今朝交わされたのだが、どうやら宇宙人ではなく、本来の意味での地球人、もしくは日本人に少しだけ戻ったのかもしれないな、と思った次第である。


いつものように長々と書いたが、心身の健康にどうやら寄与するところがあるので、素材を選んだ結果、キセルに落ち着いた、という話である。

JTも油断ならないから、実は化学物質てんこ盛りの可能性もあるが、今まで紙巻タバコを愛煙していた人間が、刻みタバコ『小粋』を吸い始めて言うには、「毎回うまいと感じる」とブログに書き記しているのを見た覚えがある。

経験者の言葉には重みがある。傾聴に価するといえよう。



さて、長い冗談はさておき、動画を三つほど掲載する事にする。

更新をサボったのと、サボっておきながら動画だけは出したせいである。

まずは続き。そもそも誰が続きを待っているのか、見ている内で、ブログ閲覧者は皆無じゃないのか、と度々書くのだが、なんてことはない。見せたいなら上に載せればいい。今ようやく気づいたが、習慣は律儀に守る。


第十五夜



第十六夜


ここで撮影分は終了。次の撮影に入るまで動く事がない。もうすぐ七月だが大丈夫だろうか。


そしてもうひとつ。書くと長くなるから、かいつまんで話すと、Crysis2のDX11アップデートが来たので、ついでにマルチプレイの動画を撮影してきたよ、というわけである。わけが分からない?分からなくても結構。

おまけとして、すぐ上の動画の説明文にリンクを貼ったモノである。撮影用に調整してないので、動きが少々悪いのと、画像を無理やり縮めたものなので、画質も少々荒い。

OMAKE



よくわからん、と思った人は正直でよろしい。が、実際走り回ってきた人間からすると「何か違う」とは感じるところがある。まあ、ガレキの具合がリアルになったと言われても「はあ、そうですか」としかならんだろうけど。


久しぶりのマルチプレイも、散々やられたが、楽しくもあった。これでは動画が進まなくなるのだろうが、一服してからこの先を考えようと思う。では、また。

脂肪の塊

2011-06-25 | 雑記
もうかなり前。地震が来る前で、寒くはあったが、話の内容から、去年のことだったと覚えている。

たまにここに出てくる、通称アザラシ。その子と話をしていた。


なんでも、年末の宴会芸か何かで、AなんとかBよんぱちの曲と踊り?をやるのだとかなんとか言っていたような気がするが、詳細は忘れた。


「あんなもの、TVでごり押ししてるだけで馬鹿馬鹿しいじゃないか、某たまねぎ頭のおばはんも、然るグミ菓子のCMで使われた曲のPVを見て(昼のアレにゲストで出たのだ)こういったぞ。「あなたたち、あんな格好をして恥ずかしくないの?」と。ろくなもんじゃないだろう」云々と。


そうするとこう返ってくるのだ。「あれだけ宣伝できるんだから、資本があるんじゃない?」と。


その資本がなんなのか、当時はいまいち分かっていなかったので、それ以上何も言わなかったが、資本云々よりもっと根本的な問題を、呆気にとられたのもあって見落としていた。

それはそもそも、音楽(一応は)であるなら、それを評価されて世間(といってもTVとその周りだが)に出てきたものだったか、という話。まったく、わしも思考が甘かった。


毎日TVやらコンビニやらで流されていて、話題から出来上がったのではなく、作り上げた話題でもって宣伝しているとは考える気はないと自ら告白している、というわけだ。要するに、TVで流れているから流行っていると言っている。

この子はこんな子だったか?と考えてみたが、やはりこんな子だった覚えのほうが多かった気がする。思い違いだとしても、評価は覆さない。


そして地震の後のある日。休みの日に停電があったので、電話してみたら、意外と近くまで出てきていたらしく、会うことになった。


占い師ぶった口ぶりで、当たったような当たってないような評価をしてきた。ついでに、「別に恋人とかそういう感覚はない」とも言っていた。


ただ一つ、その口ぶりから納得したことがある。それはこちらが「本来やるべきことを見ないように生きているのではないか」という話だった。


本来やるべきこと、というのは、向こうが思っていることとはまた違う(実際に言いたくない具体的な話もある)だろうが、今まで持っていた違和感を振り返り、そして思い至ったのは、「この子と話をしても、最早どうしようもない」だった。Aなんとかよんぱちに対する、たった一言でもう決まったも同然だったようだ。


「本来やるべきことを見ない」のは、空っぽの頭で空っぽに生きている、あちらだったのだろう、と。



では、人のことを貶せるほど充実した頭も生もないゴイムらしい動画でもどうぞ。

第十四夜



予定より遅くなっている。これでは秋まで続くだろう。問題は、この日本が、秋まで持つのか、ということだが。なるべく、カタストロフィの日までには終わらせたいところである。では、また。


体に聞くこともある

2011-06-22 | 雑記
さて前回の混乱した更新から一晩経って、ついでにチャットでしゃべりつつ思いついたのがコレ。




押し麦といって、麦の粒を押して平たくした、要するに麦飯の素。

こういうのは色々種類が置いてあるところにはあって、例えば胚芽押し麦だとか、粒を米粒の大きさにそろえたものなんてのもある。

一時期はテレビなどで雑穀米が取りざたされたり、アマランサスとかいう稗や粟の仲間の栄養素がすごいと話題になったりした。伝統というほど古いのかわからないが、麦とろご飯なんかに使うのがこれ。


つい白米にしてしまって、そして夕べはなんだかしっかり炊けたのに物足りなさをひどく感じてしまった。だからこれを使う事にする。

せっかくだから長いもを買ってきた。少量切って使えば一杯用にも出来るだろう。


それにしても今日は暑かった。近所の秋田県もヘッヘッというような感じで寝ていたが、駐車場で寝ている秋田県のアンちゃんはいつも寝ている気がするので変わりなしといえばなし。


その斜向かいのほうに前からある家は、縁側のあたりがごちゃごちゃして見通せないが、柴犬らしいのがたまにソファーのようなものに座り込んでいるのを見かける。

今日は飼い主らしい男の人が首輪を引きつつ水をかけて洗おうとしていた。が、犬は逃げるので縁側の突き当たりのほうまで「こら!まて!」と追いかけて、その奥のほうで洗い始めた。


暑くて休みなのに出かけたのはわけがある。そう、刻み煙草が切れかけて、なんということはなくて、髪の毛を切りに行くことにしたからだ。


長くなってきた髪を耳にかけたりかけなかったりするのだが、かけていたらある日こういわれたのだった。「そうしていると、まるで韓国人みたいだよ」

さる筋からの情報で、自分の血筋に疑惑の眼を持ち始めていたが、別に気にかけなかったので、笑って済ました。

韓国云々は髪型のせいだろうが、若いころ髪の毛を束ねていたころがあって、その上もう少しやつれていたころは「フィリピン系」といわれたものだった、と美容室の担当者と笑い話にしていたりした。


結局、「韓国人みたい」の話から韓国の話ばっかりになってしまった。いやぁ、担当のお兄さんどう受けるかねぇと思ったが、ああ、知ってたんだという感じで困ることはなかった。



帰りも四時になったというのに、蒸し暑さが激しかった。歩く道の舗装のせいなのか、日差しが強いのか。小腹が空いたので、ちょっと西海にお邪魔する事にした。

ミニラーメンというのがあるので、それとおにぎり一つを頼む。ここのラーメンはいつもアオサトッピングを頼むのだが、面白い事になった。

カウンター席で厨房の様子を見ていたりするのだが、おにぎりを乗せる皿に何故かアオサを敷いている。

おや、と思ったらラーメンと一緒に出てきた。取り敢えず、皿の上のものをひっくり返してみたら、アオサしか見えなくなった。


アオサは嫌いじゃないが、ここまでアオサが過ぎるとスープまで少なくなる。次回からはミニを頼むならトッピングは無しにするか、皿から少しずつ掬っては丼に入れる形がいいだろう。それほどミニは小さい。


帰り道は、家に近づくとなんだか涼しくなってきた。高尾山に向かって緩やかな傾斜を描く地形で、高尾方面から東へは、自転車のペダルを漕がなくても勝手に転がるほどという。かつて銀行に勤めていたEさんが語っていた。

時間のせいでなければ、こちらは少々涼しくなるのかもしれない。それでも少々だろうが。住宅街で車の通りもないのも原因か。なんにせよ涼しくなってよかったよかった。


とはいえ、まだ暑さが残る。西に向いて歩くわけで、見上げた先には太陽がこっちを睨み付けている。こちらは睨みたくない。


たまに猫がいる家の敷地に、自転車が入っていく。もしかしたら、例の猫がいるかなと見てみたら、日陰で丸くなっていた。

呼ぶわけにもいかないし、猫は基本休んでいる生き物だという。語源を調べたわけじゃないが、聞きかじりだが「寝子」からきている、なんて話があったような気がする。


お笑い芸人のダウンタウンのコンビの番組だったか浜田だけの番組か忘れたが、猫は一日の多くを休んでいるので、放り出せば心地のよい日陰に案内してくれるはずだ、などとやってみたら、目の前で動かなかったというのがあった。

猫に寄り添ってしかめっ面で「きもちいー!」だか「すずしー!」と叫んで終わり、のミニコントだった。しかも真昼の暑そうなロケ。ちょっと笑えた。


普段から猫みたいな生活だが、猫にはとてもあこがれる。子供のころ、テレビを見ながら「動物っていいなー」といっていたら、まるでお約束のように父親が、「動物は人間みたいに悩まんからダメなんよ」という。

人間が悩んで、乗り越えるならまだしも、振り回されてバカなことをする事がほとんどのような(殺したり盗んだり金の亡者になったり)気がするのだが、と今さらだが突っ込むのであった。

人間らしく悩ませて戴くなら、父親は開けた扉をほぼ閉めないのが、我らの悩みでした。(弟もよく怒っていたものだった)


ちょっと前に、タレントや俳優の自殺があった。某俳優は、悩みがあった、とブログに書き残した。女性タレントはよくわからん。

アングラ的な情報からだと、もしかしたらもしかして、殺された可能性があるのでは?という。女性タレントは、某ロックバンドからソロになった人の自殺と同じ状況だったそうな。


彼らの悩みは、我が父がかつて口にした「人間の悩み」どころではなかったのかもしれない。まったくもって猫にあこがれるしだいである。では、また。


本来の食事

2011-06-21 | 雑記
インドはコーカサス地方というところの住民たちは、毎日、岩塩を混ぜて焼いたナンとお茶だけの食事をしている。

肉は、年に一回だか二回ののお祭りの時に食べるだけだ。

それでいて、九十だか百くらいまで平然と畑仕事に出かけるという。高山地帯の農業は平地よりも過酷になるというのに。


そんなもの(ナンとお茶)しか食べてないのに、彼らは世界でも有数の長寿国である。しかも寝たきりではなく、上記の年齢ぐらいまで畑仕事が出来る健康体として。


これが日本のマスゴミやら医療機関なんかはこういうのではなかろうか。

「ナンの素材かお茶が健康の秘訣に違いない」「コーカサスのお茶には日本のそれとは違う成分が含まれている事がわかった」

そして、コーカサスの岩塩だとか小麦粉とかお茶を紹介するんじゃなかろうか。そしてこういう。「我々の食卓にももっと取り入れよう」


コーカサスの人たちが上記の食事で健康なのは、ナンとお茶のせいであるのはある意味本当である。

だからといって、現代日本において、それが所謂「健康食品」として使える、という代物ではない。


つまり、「ナンとお茶しか食べていないから健康」なのである。


日本の栄養学とやらは、あれを食えこれを食え、おかずを増やせ、生野菜を食え、果物を食え、と、食卓を食べ物で満たすよう指示し続けている。

具体的には、一日三十品目を目安に食べましょう、とTVのCMなどで謳われているのを聞いた人もいることだろう。


現代日本の栄養学の基礎となっているのは、戦後主流になった欧米のものであるようだ。

欧米の食事も岩塩を使う。岩塩は実は、含まれているミネラルは精製塩よりも少ないという。

そして彼らが食べるものは肉。足りないミネラルを野菜やら海藻類を多く取り込んだりする必要があって、その土壌で発展したものである。


戦後、日本人の食事が欧米化するにつれて、「生活習慣病」と呼ばれるものが年々増えた。

逆にアメリカは、日本の伝統的な食事が素晴らしいと切り替えていったそうだ。皆が実践している、というわけじゃないが、色々試して行ったら、ガンなどが減っていったそうな。


ならば、日本式のおかずをたくさん食べれば問題ないね、と思うだろうが、これがその戦後の栄養学の金科玉条であって、これが返って体を蝕んでいるという。


体を蝕む一つは、にがり。自然塩だとか謳われている塩に多く含まれている、古来からの豆腐の凝固剤としても使われている素材。

もう一つは野菜の灰汁。これは野菜の防衛反応による毒素なので、抜いて食べないと、毒を体から追い出す際にミネラルを使うため、体がミネラル不足に陥るという。


にがりは体を硬くしてしまう。

古代大和民族のコロポックル(女神転生知っているやつはあの敵悪魔を思い浮かべるか)は、海水そのままを生活に利用していたそうだ。

彼らの身長は九十cm程度で、平均寿命も二十歳そこそこだったという。

西部開拓時代が終わり、用済みになった馬たちは、沿岸やら中州みたいな海の島に追いやられて、海水の多い草を食べていたら、子孫は先祖より小さい子馬になっているという。


別に塩は精製塩使ってるから問題ないや、と思うかもしれないが、一般的な味噌や醤油に使われている塩は、原料費が安い、自然塩を使っているという。


野菜の灰汁などについては、玄米菜食が実は体に悪いという話がある。

確かに、体に劇的な反応を起こして、悪いものを外に追い出す作用があることはある。強烈なので病気が治ったりもする。それはもちろん、強烈なミネラル排出作用を指している。

十年、玄米食を指導していた人が、その間甘いものを食べなかったのに虫歯になったと、通っている歯医者に聞くと、玄米のフィチン酸が強烈なミネラル排出作用を促す物質だそうで、歯のカルシウムが抜けたわけだ。

長く続けても何故か体を壊す人が続出して、一体どうなっているんだろうとずっと悩んでいたりしたとか。

やるなら、三ヶ月から長くて半年の短期間にとどめておくべきだ、という。


そして理想の食事としては、「ご飯に味噌汁、おかずはあるならほんのちょっとかなしでもよい」、所謂粗食を推奨している。

味噌汁の具は、本当に少しで、具がほとんど入っていないと形容してもいいような状態。

それとご飯だけ。ご飯はもちろん白米。昼飯なんかはコンビニおにぎり二個程度で済ましたほうが健康になるとも。



どこの誰の主張なのか書き損なって、主語がまるで自分からのように語ってしまったが、そういう主張をされている医者がいる。ページはこちら「間違いだらけの健康常識


昔ならそんな馬鹿な、と思ったのだが、今は腑に落ちるところがあった。


以前、精進料理を始めたなどといっては、おかずをやたら作っていたのだが、色々食べるうちにしんどくなってきた。

味噌汁を一杯だけ作ると、具があんまり入らない。ご飯は一杯だけにするので、おかずも減らそうと、考え始めたときはまだサラダを食べていたりした。それと、現在は農薬やら胡散臭い添加物やらが充満している。小食にしようと考えてもいたので、量は元から減らしていた。

その考えで、仕事の晩飯は握り飯を持っていって食べていたら、こっちはなんというか変な気分がない。朝のお粥も、沢庵の量を減らしたほうが、胃に変な感じがあまりない。


極めつけ、というほどではないが、体調にも変化があった。

よく、寝ながらネットをやっていて、左半身は布団の上、左腕で頭を支え、右手でマウスを動かす。マウスは机の上にあるので、上に手を伸ばしている状態だった。

左の首筋や肩が異常に凝る。凝らないほうがおかしいのだが、やった次の日からおかしくなる。


ところが最近は、まったくそういうことがない。そりゃ多少違和感が出るが、以前ほど首やら肩をいじりたくなるようなことがない。しばらくそんな感覚がなくて「そういえば肩こりどうしたっけ?」と思い出して気づいたくらいすっかりなくなっていた。


たまには飲みに行くし(実際、昨日は飲んできた)肉もそこでは食べる(またらふてぃを食べていた)ことにはしているが、家では、あと仕事場などの持っていける状態では握り飯、家ではご飯と味噌汁だけの生活をやっていこうかなと考えている。

がしかし、味噌は実家製でどの塩を使ったのかわからんし、醤油はそこらのもの。毎日三食なら、塩を切り替えたほうがよいようだが、あいにく、三食は稀である。そこはまあ、適当に。


しかし、その医者(かどうかはプロフィールが見えないのだが)の名前を検索してみると、去る歯科医師のページが出てきた。浅井説に対する反論が載せられていた。


よく読むと、「玄米で虫歯になるとかないし、ニガリ(は豆腐の時にだけ使われる俗称だそうな)で硬化した腎臓の標本も見当たらないし、そんな結果もでてない。アクが毒ってのも物による。フィチン酸の働きについてもおかしい。これは素人の妄説だ」と断罪していた。


一読してこりゃどうしたものかと思ってしまった。白米五キロ買ってしまったなぁ。まあいい。食べきったら次は五分搗きにくらいにしよう。実際、体調が変わってきたと思った最近は、白米食べてたわけでもないし。(六分搗きだった)


何か読んでころっと騙されるというかなんというか。わしも何も考えていないようだ。参った参った。ただし、一つだけわかったのは、今までは食べすぎだという事だ。少なめにしていくのと、家では肉を食べない、外食も減らして肉自体も減らす方向で行くのは決定する。

こちらも色々と興味深い話が載っていた。参考までに。「くじらBOOKS ホームページ


詰まるところ、変な話を聞いて動くんじゃなくて、体がどう反応しているか、そっちに耳目を向けるのが一番なのだろうが、そういうのが実は簡単なようでいて一番難しいのかもしれないな。では、また。


余は如何にして拝火教徒となりし乎

2011-06-20 | 雑記
ドイツの哲学者、フリードリッヒ・ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』というのがある。まだ読んだ事はない。最近の翻訳では『ツァラトゥストラ』だけになっているようだ。

ツァラトゥストラとは「ゾロアスター」のドイツ語読みで、古代ペルシャあたりで発生した宗教。どれくらい古いかというと、ユダヤ教の元になったといわれている。

ユダヤ教はそれぞれキリスト教とイスラム教を生んだので、世界宗教の母親といえるかもしれない。

仏教と融合した、マニ教というのもあったようだ。現在はしらない。それじゃ無責任だと思って検索してみたら、現在は消えたそうだ。仏教以外にもゾロアスターの子供たちと関係を結んで出来上がったようだ。

別名「拝火教」という。某嘘っぱち辞典では、喫煙者をそう呼んでいたりする。別に試験にも出ないので覚えなくてよい。


というわけで、宗旨を変えて、拝火教徒となり申した。




前回の長ったらしい文章の最後にちらっと書いたが、たぶんうんざりして見ていない人だらけだろうが、昨日の今日で買ってきてしまった。


キセルというのは、紙巻タバコとくらべると、すぐ終わってしまう。三服くらいだという。『花の慶次』みたいにずっと吸っていられるような感じはない。続けて吸うならタバコを追加したりするのがいいが、上手に出来そうになかったので一から詰めなおして二回ほど吸ってみたりした。


買いに行ったお店の人がいうには、長いほうが美味いらしい。それほど高くない長キセルを出してもらったので、そいつを購入してきた。


タバコ自体は、「刻みタバコ」というやつで、日本独特のものだという。日本産は写真に写っている「小粋」しかない。海外産の刻みタバコが一つあるので、キセル用は二種類しかないことになる。


十グラムしか入っていないのだが、全く減った気がしない。紙巻タバコより経済的かもしれない。

大学にいた時、アメリカ人の日本文学(江戸時代の)専攻の教授が来て、しばらく授業を受けた事がある。その人も似たようなことを言っていた覚えがあった。


飽きっぽいので長くは続かないかもしれないが、しばらく試してみようかと思う。


これで終わりなので、動画を掲載して閉めることにする。

第十三夜



ちょっと飲み過ぎたので、気分が悪くなってきた。サッサと寝ようかと思う。では、また。


敬煙

2011-06-19 | 雑記
続けて読んでいないとなんのこっちゃわからんが、それは前回参照というやつにしておこうかと思ったが、要約するとこうだろう。

「何ゆえそのように魂のこもっていない言葉をためらわずに吐くことができるのか」

コメントの書き込み時にちょっとしたためらい(照れ程度)はあったかしらんが、なんのことはない。

テレビだかそこらのネットニュースだかで飛び込んできた程度の話をまるで電波を受信したかのように書き込んでいるから魂がないというのだ。

大手ポータルの記事提携先は大手新聞。たとえば、MSNだと産経だったりする。テレビと根っこはまったく同じだ。

日本のマスメディアは電通の支配下にあって、さらに海外からはAP通信だとか共同通信だとか、これもまた根っこが同じやつらからの話しか流れない。話したいことはそこにないからここで終わりにする。


その程度の話を気取って書き込んできたのだ。しかも脈絡もなく。


さて、その気取って書き込んできたコメントの内容はタバコの増税の話だった。その話をしようと思う。

「値段があがれば欲しくなくなるものだろうか」などと言っていたが、そういうならまず自分の生活を価値観の違う他者としてその目で一度眺めればおのずと見えてくるだろう。

酒を嫌悪する人間なら、小さい缶ビールですら高く思うだろうが、好きな人間ならばよっぽど生活が傾かない限りは飲むだろうよ。


そもそも前提からして間違えている。増税するのは税金が欲しいからであってタバコを本当にやめさせる意図などないのだから。


一昔前、テレビや映画で俳優が喫煙するシーンを流したり、タバコ自体のCM多かったのではなかろうか。別に見てきたわけじゃないが、メディアが喫煙=かっこいいというイメージを流布していた、という批判を聞いたことがある。といっても、高校の担任が言ってたのだが。


ひるがえって現在はというと、「世界的に」禁煙の方向になっているという。理由は、「体に悪いから」。子供のころに、喫煙が過ぎて末端の血流が悪くなり、つま先が壊死したとかいうグロ写真を見せられたりしたものだ。体に悪い悪いと。タバコ自体に悪い成分があるからなど等。

ただ、学校で言ってるから、テレビ新聞で言うから、というくらいで、実際に因果関係を調べたりしている人は皆無だと思われる。


余談だが、政府だかが原発推進のイメージムービーをかつて流していた。東電か何かのページにあったらしい。動画サイトなどで見つかる。

海外からも批判が相次いで、公開はしなくなったのだが、そのすさまじい内容は「ある意味真実」を取り出してそれ以外は無視するものであった。

具体的にはこうである。「プルトニウムは飲んでも安全」。これを現在聞いて信じるやつはいない。いないのだがある意味は正しいのである。

なぜなら、プルトニウム自体は例えば青酸カリを飲んだらその毒性で死ぬ、というような物質ではない。「プルトニウムは飲んでも安全」は真実ではある。

お分かりだろうか。本来はこうまで述べてこそなのだ。プルトニウムは強烈な放射性物質で、体内に一度入れば内部被曝を延々引き起こし、そして半減期は人類の歴史より遥かに長い。だから猛毒なのである。これを詐欺といわずしてなんといおうか。


タバコにもどうやらそういう話があるようだが、それは後述する。


そんな流れ(記事の流れじゃなくて禁煙の流れ)だから、政府は増税しやすそうだとタバコに目をつけた。まあ、たびたび狙われていたが。今までは緩やかなほうだったのだが、この前のは急に上がったので騒ぎになったわけだ。

TASPOとかいう免許証までその前に出ていたので、自動販売機は売り上げが減り、今まで置かなかったコンビニで販売が始まったりと、悲喜交々のようではある。


増税=税収増量が狙いなのだから、タバコを本気でやめさせるつもりがあるだろうか?やめる人は辞めればいいのだが、要するに金が入れば文句などないのである。TASPOもおかしい。タバコを吸う人を監視する気だとしか思えない。それでも半端で、あのカードがあれば実際は子供でも買えるのだから、お遣いなんぞやり放題だろう。そのくせ、コンビにではあっという間にタバコを置き始めた。辞めさせるならコンビニにすぐ置き始めるとは思えない。新しく販売を始めるなら規制もする(新たな販売拠点を増やさない)、というなら筋も通る。だが、そんな話が出た覚えはない。

それに、禁煙医療だとか医薬品などとやたらCMされていただろう。タバコのお化けに追いかけらるCM、といえば頭に浮かぶだろう。税金そのもの以外に、別のところに金を流して、結果的に税収アップと同じ状況になっているのだと思われる。

ニコなんとかを製品として売り出すのだから、「効果が高くては困る」だろうし、禁煙外来で数回来てはい終わり、なんてバカなことは銭ゲバの巣窟たる医療機関でやるわけはなかろうよ。こんなところでよろしいか?


さてこのタバコというもの。散々発がん性物質だ成人病の原因だと騒がれてきた。実際にそういう成分はある。だが、内容はちょっと違うが上のプルトニウムの話を思い出して欲しい。

タバコの発ガン性物質というものは、タールだとか、発ガンについてはそういえばよく分からんニコチンだとかが槍玉に上がる。タールは恐らく悪いが、葉っぱ焼いたらタールが出るのか?煤の間違いか?


タールの話は措くとして、タバコといえば一般に紙巻タバコというやつが思い浮かぶだろう。刻んだタバコの葉を紙で巻いて、フィルターをつけてあるものである。

フィルターのほうを咥えて、反対側に着火し、煙を吸い込む。茶を飲むのを喫茶という。煙を喫するから喫煙というわけだ。だから、タバコをのむ、という表現もなされていたことがある。

フィルターのないタバコもあるし、刻んでないタバコの葉を巻いた葉巻など、色々ある。


この紙巻タバコなのだが、一度火を着けると、最後までどんどん燃えていくそうだ。実際に試したわけではないが、本来は吸わないと燃えないものなのだが、そいつはちと慣れないと吸いづらい。

そこで、紙に助燃剤というものが塗られている。寝タバコが家事の原因になるというのは、この助燃剤で勝手に燃えるから、という。そして、体にも有害な物質である。

それと、アメリカ製のタバコ。こいつには何故かポロニウムが入っているそうだ。混ぜてるのではないのだろうが(恐らく・・・)名前から推測される方もいるだろうが、放射性物質である。


以前、プーチンが大統領の座にいたとき、ある亡命者がヨーロッパにいた。

ある日変死した。暗殺されたのだろうとはずっと言われているが、ポロニウムが出たとかなんとか。

嘘か真かプーチンは「私なら直接やる!」と言ったとか。なんせ、放射性物質を微量に(持ち運ぶほうも死なない程度の量である)人に食わせてゆっくり死なせるってのはバカらしいくらいに回りくどい。

しかも相手は亡命者。本当に危ない相手なら直接確実に殺すだろう。それ自体が目くらましだともいえるが。


と、余談が過ぎた。というわけで、これまた発ガン性物質になるわけだ。


こういう辺りの話を伏せて、ニコチンは依存性があるから危険だ、などと話をして、大いに禁煙運動を広めている。まさに「プルトニウムは飲んでも安全」を地で行く。


さてそのニコチンはというと、なんと、脳神経学か何かでは、脳内伝達物質の必須原料がニコチンだったというのが常識だそうな。そのものだったっけ?ちょっと忘れた。

アルツハイマーやらに絶大な治療効果を見せたりと、その手の特効薬がかすんで見えてしまう、本当の意味でのお薬であるという。

依存性はあるのはこれは本当である。それ以外は薬でしかないというわけだ。


詳しくはここを読んでいただきたい。以前、一度読んだのをうろ覚えで書いたので間違えているかもしれないが、恐らく大意は間違えていない。


Beyond 5 Sences 「禁煙はあなたの健康を害する恐れがあります

上のページでも書いてあるリンクが見れない(パス認証制)そこを読んだという人のブログページ。風の通る道・・・「喫煙の薦め


最初のページは他の記事も読むと、ちょっと面食らうかもしれない。でも、読んで何か思うなら(拒絶じゃなくて)「物を考える」とはなんだったか感じてみてよいと思う。
その際はこちらの記事も面白いので、気になる人はご一読を。「知能の囚人


そのページでも紹介されているのだが、こういうわけでタバコに少々興味が出てきたのである。手巻きタバコの動画をここにも掲載しておくことにする。


手巻き煙草のつくりかた-How to make your own cigarette-TSUGE




で、タバコの通販ショップを見てみたのだが、キセルなんかも扱っていた。いいねキセル。やるからにはそれくらいやらんと面白くないね。

もし買ったとしたらここに乗ることは間違いない。流石に仕事場に持って行って吸うのは恥ずかしいこと極まりないが。来月までには決めたいと思う。では、また。

妄言

2011-06-15 | 雑記
以前、Aなんとかよんぱちの「総選挙」とかいうものに絡めてなにやら書いた。

あの日の前後か、自分は直接見てはいないのだが、郵政民営化をやっちまった首相の息子が国会の廊下だろうか、そこでTVのインタビューを受けたそうな。


リポーターはこう質問した。キャプチャ画像のテロップだが

「Aなんとかよんぱちの総選挙が行われているが、関心は?」と。

「とんでもないところから弾撃ちますねぇ」「政治家がそんなことでコメントしたらね」と、コメントしている。


2chのコピペブログというやつで見たものだが、一応リンクも貼っておく。ただ、アニメやらエロゲーやらの広告がたっぷりサイドに貼られているので、そういうのがいやな人は注意する事。こちら


さすが元首相の息子。バカな話をさらっと回避している。あのリポーターはきっと頭が腐っているに違いない。


リポーターの脳が腐敗しているのはいいとして(ああいうのしかいないから)、上記の質問を振られた小泉さんが仮にこんな風に答えだしたら、どう思うだろうか。

「カンは引き摺り下ろさねばならんのです」だとか「被災地救援を優先しなきゃならんのです」と、質問を聞いた上でいきなりこう言い出したとしたら。

こりゃどうかしてる、と思うだろう。発言の内容はともかくとして。


こういう話を引っ張ってきて、何をか言わんと思われるだろう。身に覚えのある奴がまだ見てるかは知らないが、改めて言おうか。


かなり前に、「フランス料理店に行ってランチ頼んでワイン飲んだ」という話を書いたら、見慣れない名前でコメントがあった。

コメントの内容はこうだった。

「ラーメン屋の六厘舎が閉店する事になったそうだ云々」


自分もバカ正直に「まあ、不景気だからしょうがないね」といったコメントを書いておいた。


しばらくして、「サンシャイン水族館が営業を一度止めて、一年かけて改装する」という話をしたら、また同じやつからコメントが来た。

今度のコメントはこうだ。

「煙草が増税になる。これで禁煙する人が増えるのだろうか」といった風に。


さすがに呆れたので「コメントとは一体何なのか書き込む前に一度考えろ」と厳しくコメントしておいたら、これっきりこなくなった。

やり取りは(というほど何もないが)コメントを消してなければ、記事も健在なので確認することが出来るだろう。


前回の最後にも書いたOもそうだし、上記のやつもそうだが、「お前はコメントをするな」とは書いていない。厳しく非難はしたが。

上記で触れたコメントの内容は至極普通のもので、別に非難するべきものではない。まったく面白くもないが。


腐れ脳リポーターの質問もそうだし、例えで作った上記の「架空小泉くん」の返答例もそうだ。


自分の頭で浮かんだ言葉をただ流すのは辞めないか?そんなことはないちゃんと考えたというなら、「架空小泉くん」の例を当てはめて見たらどうだ?

リ「水族館がが閉館して、改装するんです。私も昔行ったもので、しばらく寂しく思います。何か一言を」(前提として、別に記事で質問したわけでもないが)
C「煙草が値上がりする。値段が上がれば欲しくなくなるものだろうか」

さて、振り返ってどう思われるか。そもそも記事が質問したわけじゃないし、何をコメントしようが自由だろう、と思っているだろうと考えて、当時もこう書いた。

「何かを訴えたいのであればブログやツイッターを開設して陳述なさるのが良策かと」


当時、反論がなかった。ないと議論にならないわけで、これでは自分ひとりが狂乱しているように見える。だが、見えて結構だ。実際に狂乱しているようなものなのだから。


ひざ小僧を叩くと勝手に膝から下の足が動く。動かなかったら脚気だがそれは関係ない。脊髄反射とかいうのだが、少なくとも言葉やら意識を伴った行動は脊髄反射ではないはずだろう。

脊髄反射的に言葉やら行動が出るというなら、そこを一度せき止めるのが意思ってものじゃあなかろうか。「自分は意思を持って行動している」というのは思い込みではなかろうか、と一度意識してみてはいただけないだろうか。

コメントしなくてよいが、コメントする前にまずそこから考え直せ。無意識であんな受け答えが出たというならなおの事。普段の生活からお気をつけ願いたい。



さて、余計な話をしてしまったが、そもそも生活に余計なブログなわけで、余計な話をしないことには存在意義を疑われる。そもそも意義なぞない、と言ってしまえばそれまでではある。

本来は早朝に出しておいた動画を掲載するだけの話だったが、余計な気持ちが余計な記事を余計な言葉遣いで余計に長く書いて余計に読む人を減らしていく。元々多くもない。では、余計な動画をどうぞ。


第十二夜



ここしばらく、ゲームをする気もなく、酒も飲まなくなった。余計なことを考えると、余計な事がしたくなくなるのである。とはいいつつ、お付き合いのゲームはこれからやろうかというところである。では、さようなら。

三ヶ月

2011-06-12 | 雑記
あれから三ヶ月が経った。沖縄は梅雨が明けてしまったが、あの時はまだ寒かった。

あの日は休みで、前の日に飲んでいたのもあって寝ていた。そして揺さぶられる。

これはおかしい、今までにない長さだと不安になり、寝起きのまま外に出た。本来は出るべきではないのかどうなのか、その点は今となってはどうでもよいが、こちらはまだ歩けるほどの揺れではあった。生まれて初めて、地震で殺されるかとは思ったが。


その後の状況については、テレビやら新聞が色々流している。特にテレビは品性を疑う、いや疑うまでもなく、腐った内容の「報道」を繰り返していたものだった。


政治については、その直前で取りざたされていた重大な話(外国人献金問題など)が有耶無耶にされかけたり、ドサクサにまぎれたとしか言いようのない隣国との約束やらの決議を腰砕けの内閣とは思えない速度でやったり、人権擁護法案やらデマ規制法が議論してたっけ?というような状況で決まったような決まってないようなそんな話になっている。


アメリカの情報戦略研究所の、ダヴィストックだったか、名前はよく覚えてないが、たとえば上記の情報やら人権やらを取り締まる法案に対する反対意見を封じ、なおかつすんなり通すには、まず擾乱を起こして、不安に駆られた人々がそういう規制を受け入れられるように「仕向ける」ようにするという。見た目はご立派な民主的な可決が出来上がるわけだ。

リビアだったか、先日、革命が起きて、政府が打倒されたという話を覚えている人も多いだろう。騒乱のきっかけはFacebook。Made in U.S.A.である。

嘘か真か、CIAの工作員がしかけていたという話が出ている。嘘か真か、などと日和見でいうのは辞めておく。やったのは非合法工作員である。


日本にもたくさん非合法工作員がいる。なんせ国のトップからしてそうなっている。(法律、また慣例上、元首は「天皇」なのだが、そっちの話ではない。)


地震直後、こんな話があったという。その記事の写真を載せるので、読んでいただきたい。

サムネイルをクリック

読めといいつつ言ってしまうと、カンに「冷却装置の設置、やるかやらんのか決めろ!」と強く要請しすると、カッとなったようで「日本語でもフランス語でもないような言葉を、早口で延々とわめいているんです」だとか。

さてさて、分かる人にはこれが何をさしているのかいうまでもなかろう。そして、先日追求されて、しどろもどろになっていた献金についての内容もご存知だろうか。

もらった相手は在日朝鮮人。そしてあのおでこスイッチも帰化三世だという。

民主党は外国人参政権付与を推進している。そしてテレビでは誰も知らないK-POPアイドルが日本で大人気!とおかしな日本語(そうは語ってないが)で宣伝中。

そういえば電通の社長さん、朝鮮人でしたっけ。いやあ、やり手ですなぁ。

こういう権力者(マスコミは第三の権力などとマッカーサーにおだてられて今にいたる)が手を組んで工作やってる、といっても別に飛躍してるとは思わない。


だが、やればやるほど馬脚を現しているようだ。TVや大手新聞は何もなかったかのように無視しているが、無駄だろう。


昨日は、反原発デモがあり、正確な数は忘れたが、二千六百人ほど集まったという。このデモは全国各地とリンクしてやっているものだったとかなんとか。さらに、それを受けて海外でも動き出したという。俳優の山本太郎さんも参加していたが、恐らくTVなどでは映らない。と、思ったらTBSは流していたようだ。

新宿の人だかりがすごいことになっていた。





今朝、その山本太郎さんが参加したというニュースを見たとき、「日本は変わる!変われる!」と強く感じたものだった。我々は座して死を待つものではない。ましてや奴隷でもない。


然る有名な占い師が生前、予言を残した。「日本は二千十二年に滅びる」と。マヤ文明と絡めてそういう終末思想のような話が最近見受けられるのだが、その占い師は引き続きこう言い残している。「だが、再び蘇り、世界を救うだろう」云々と。

初めて聞いたときは大げさな、と思った。しかし、日本は、日本人は立ち上がり始めた。己を救おうとしない者は他者を救えず、いずれ己をも滅ぼすだろう。だが、立ち上がり始めた。それが見えただけで日本は大丈夫だ、と感じた次第である。


なんというか、演技がかったような話を書いてしまったが、数行上の気持ちはまぎれもないものだった。その証拠に嬉しくなったのか、帰りに蕎麦屋で一杯やってきた。


本当は三ヶ月を振り返って、たとえば地震直後に電話してきたやつが「こんな時にいうのもなんやけど、また連絡とりあおうや」などとたわ言を抜かし、特に連絡を取り合う様子がなく、およそ三ヶ月近く経ったがどうなんだ?などと突っ込もうかと思ったが(言ってるし)、最初から逸れてしまった。

あー、O君。これを見たからといってコメントしたり電話したりしないように。以前、コメントで注意した内容をまったく理解しなかった君だから、やめてもらいたい。さらにいうと、誰もコメントするな、とは言っていないのに勝手にコメント自粛して連絡を断ったのは君なのだから。注意の内容に対して、斜め上の理解でもって火に油を注いだ自業自得なのだ。(こちらが腹を立ててコメントを消したり記事を立てて非難したこと。大人気ないが別に構わない)


ついでに「たわ言」について一つ。

然る後輩部員の証言。

某食堂で色々なクラブが新入生と面談して勧誘するイベントがあっただろう。君はそこにいた。

ある子が(後に入部する)、「日舞もやりたいんですが」とどうしたものか、このまま茶道がよいかどうしようかと相談したという。

かつて我が茶道部は、日本伝統文化研究会という名で、日舞も華道もやっていたが、今はそれぞれが独立している。独立しているので別個のものである。


数年に一度、偽善事業として、海外交流茶会と称する文化交流もやっていて、我々はその数ヶ月前にそれに参加していた。

その時は、「付け焼刃で日舞を習って」、米国で披露したものだったな?


「日舞もやりたいんです」、を受けて君は即座にこういったそうだな?「うちでもやるから!」

それでその子は茶道部に入部した。だが、我々は、普段、日舞を、たしなんで、おりましたか?答えは否。

その子は騙された、とは言ったかもう定かではないが、入部してしばらくして、辛そうに話をしていたぞ?「いつやるんだろう?」と。

君の言ったことは詐欺とは言わない。実際に日舞をやって披露したのだから。だが、そんなものは年末の宴会芸みたいなものだ。

君はこういわなければならなかった。「数年に一度の海外交流で日舞は練習したけど、普段はやってないんだ」と。

だから当時、代わりにしっかりと伝えておいた。安心したまえ。


その子の話からもそうだ。そしてあの電話(取り上げた言辞を聞いて)から今にいたるまでもそうだ。


よって、君にこう告げる。

どこかの首相のようによく考えもしないで思いつきで言葉を吐くな、と。では、さようなら。

箸にも棒にも

2011-06-10 | 雑記
先日、遅めに出る夜勤で、のんびり着替えていたら、先に来ているSさんがやってきて一言「一位はマエダアツコだよ」と。そしてそのまま戻っていった。財布でも取りに来たような覚えがあるが、やってきていきなりそれだったのでよく覚えていない。

ああ、そういえばアレがやってるんだったな、という認識以上になんの感慨もなかったので、ポカンとしてしまった。

アー・カー・ベーよんぱち(わざと伏せてある)のセンキョがどうこうで、前の一位と二位が入れ替わったとかなんとか。


普段家ではテレビを見ないので、仕事場でつけられているTVを見ながらあーだこーだ言うのを聞いていたり、質問したりはしていた。勿論だがTVにじゃなくてSさんに。

それは彼女らに興味があるからではなく、単なるその場に出ている話題への興味、相槌以上の意味合いはなかった。


と、思っていたら上記の話である。


もっと正直に言おう。TVを見ないのではなく、TVを見たくないのが本当のところである。



Sさん個人を非難するわけじゃないのだが、以前、放映されているものを見ながらこんな事を言っていた。

その番組は、確か某国営放送もどきの局だったか、どこかの地方で綱渡りみたいなスポーツだかが流行っている、というような内容だったと思う。

それを見ながら「こんなもの、流行らせようと画策してるんじゃないのか?」といった風のことを。


ああ、よくご存知で。と、こちらは前からそう思っていたのでそうですねぇみたいに応えていた。なんとか流ブームというのよりは遥かに他愛もないので、地域振興的に流行っていたのかもしれないが、よくはわからない。



さてその同一人物がアー・カー・ベーがどうこうと毎回のように曰う。同じ四角い箱に映される光にまったく正反対の感情を抱いているのである。


TVをつければアー・カー・ベーかなんとか流のグループの話しかしないTVこそ「何か流行らせようと画策している」と本来突っ込まねばならないだろう。

「TVつけたらアー・カー・ベー・かなんとか流の話しかせんTVに見る価値なぞなかろうよ」と友人に言うと「Yahoo!ニュースのコメント欄のようなことを」と苦笑いしていた。気にしない人は恐らくその程度の認識である。



さてその後の朝。情報番組とかいうお粗末なものを見ていたら(起きてきたSさんがつけた)、ファストフード三社の新商品の紹介をしていた。その三社は以下。M、K、そしてL。

一通り商品の内容やらインタビューをやっていたような気がする。目を離さずみていたわけではないのなんともいえないが、ふと目をやったときはLに「自信の程は?」などとやっている。右上のテロップも「L、目指すはナンバー1」とかなんとか。

そしてスタジオにはそのLの商品だけ並んでいる。辛さが三段階選べる商品なのだが、そんなことはどうでもいい。スタジオのバカ女も三人である。三人ともに同じものを食わせてコメントさせる意味は?そして何故Lだけ押すような構成に?


という具合で、見てて気分が悪くなったのでそっぽを向いた。気にしなければどうということはないだろうが、気にならないほうが異常だといえまいか。そもそもその「L」がどういった出自なのか知っていればなお更。その辺りはご自身でお調べいただきたい。

これがここ数年、四角い箱に映されている光の状況である。どれもこれも好むに値しない。その上「嗜好せよ」と命令してくるのだから、こちらは一層の「否!」を持ってお答えするしかあるまい。

追伸:SさんならびにMさんへ。別にアー・カー・ベーを見るなとも言ってもいないし、そのご趣味を否定する気もありません。重ねて言いますが、別にアー・カー・ベーを見る人や応援する人を否定するわけではありません。



さて、話題は変わって、最近ちょっと気分が変である。飲んでもいないのに腰が痛かったりする。

そっちの話のほうが重要な気がするのだが、簡略すると、どうもフッ素がよくないのではないかと。フッ素中毒に近いような感じが見受けられる。特にぐったりする辺りが。夜勤してるから、というのもあるかもしれないが。

フライパンがフッ素加工で、最近頻繁に使う。こうなったら取り替えようと早速帰り道に購入した。




鉄製で、しかも打ち出しもの。かなり小さくなったがこれくらいでいいだろう。

店の人曰く「したい料理にもよるけど、打ち出しのほうが万能」と。なにやりたいか、で「てんぷら」と浮かぶあたりが妙な気がするが、早速スパゲッティをやってみると、やたら火が通るのが早い。

こりゃいい。体にも安心だろうたぶん。というわけでどんどん活用していこうと思う。てんぷらやるときはちと気をつけたほうがよさそうだが。


というわけで、動画を掲載して終了。出した日は別のことをしていて、ここに載せずに寝てしまった。

第十夜



もう一つ作ってあるのだが、こちらはまた後日。これも予定より出すのが遅くなってしまった。きっとこれもフッ素の仕業に違いない。では、また。

先入観

2011-06-07 | 雑記
夜勤中の晩飯前、何を食べようかなどという話をしていたら、Eさんがぽつりと「最近、揚げ物を食べてないんだよねぇ」という。

揚げ物といえば、以前食べたゴーヤのてんぷらが美味かった。てんつゆ等はなく、塩のみの味付けで、一口かめば苦味が少し出た後、ゴーヤの苦味以外の味わいが出て、塩がそれを引き立てる。


夜勤明けにまた飲みに行こうか、などと思ったのだが、あんまり金を使いたくない。それならば家で作ればよい、と、調理器具が鍋と浅いフライパンしかないのに即断、といいたいがどっかの総理のように優柔不断に悩みながら、自宅前のスーパーに入った。

もちろん調理器具(揚げ物に向いた深さの中華鍋だとか)も買わない。時間は昼飯時だから、てんぷら定食にしようというわけだ。


ゴーヤの旬は、沖縄では先月末から始まったところだが、こちらで採れる分はまだちょっと先だったという風に記憶している。

旬ではないのかもしれないが、気にしないで買った。それと、酢の物でも作ろうかと思って(結局作らなかったが)きゅうりも買う。

あとは味噌汁に入れる野菜を見繕って、小麦粉のコーナーに向かう。


子供のころだったか、テレビのCMで「コツのいらないてんぷら粉」だとかそういうCMがあった。母親はたまにてんぷらを作るときは小麦粉と卵を混ぜて、自前のてんぷら衣を作っていたものだった。

TVの料理番組で、衣を冷やすだのなんだのと言っていたのを受けて、冷やすんだー衣は混ぜすぎるなー(といいつつ自分が混ぜまくったり)とちょっと賑やかな晩飯の風景になったりする。

何でもかんでも口に入れる癖があったので、衣を指で掬ってなめては怒られたものだった。食べるから一緒じゃないか、と感じたものだった。ホットケーキなどを作ってくれるときも同じような事をやっていた気がする。


話が脱線したが、小麦粉に卵を混ぜるはず、ちょっと邪魔かなと思いつつ、目に付いた「てんぷら粉」を手にとって見ると、パッケージには「水不要」とある。

首を傾げつつ小麦粉を見てみたら、てんぷら衣の作り方にはやはり卵があった。

世の中便利になったものだなぁと、てんぷら粉の成分表を見ると、卵は入っていなかった。


何が言いたいのかというと、さかのぼること数ヶ月前。曹洞宗は永平寺の精進料理の話をTVで見ていたら、彼らはてんぷらは食べる(もしくは戒律上食べる事が出来る)らしく、時代に合わせて、新しく食べるものを追加していっているのだとかいいつつ、料理長が試作していた料理が「アボカドのてんぷら」。

見てるときは「へー」程度だった。しかしてんぷら?あれって衣に卵使ってないか?と後々、気づいた。仏教では肉食が禁じられている。日本国内の宗派によっては魚はいいだとかやっているようだ。某トーク番組で妙なお坊さんが「魚は食べるけど・・・」などと言っていた。

精進料理は徹底している。出汁にもカツオなどの魚は使わない。なら、衣に卵は使ってないよな?と思ったのだが、いまだによく分からない。どっちにしても普段卵を使わないので、気にしないことにした。


というわけで、行き当たりばったりでてんぷらをやってみた。




左はにんじん。衣はさくっと言うよりはさらに硬い感じだったが、悪くなかった。

浅いフライパンに油を、炒めるのよりはずっと多い量を注ぎ、炒めるように揚げる方法でやってみたのだが、意外と問題なく揚がるものだった。フライヤーを買うのとどっちがいいかは保留する。

ただ、ちょっと作りすぎた。次からはもう少し量を調整したいと思う。しかし、こんな簡単で味もいいのに、今までどうして作ろうとしなかったのか、不思議でならない。かぼちゃのてんぷらなんか甘くて美味い。そのうち試したい。


さて、辞める辞める詐欺とかいう話を以前書いたのだが、どこかの首相も同じことを言われている。別にあっちの話を見てやってたわけじゃないのだが、ネタが被ったがゆえ、ひどく後悔している。

だから、本当に辞めるときは黙って辞める事にする。しかし、そういうことも言わないほうがいい。結局それもなんとか詐欺に堕するから。


その辞める辞める詐欺動画を掲載して、いつものように終了とする。まだ「辞める辞める」という前に撮影した分である。この先の分も撮影したとは前回で書いたのだが、調子に乗って次回予告風のおまけを作る始末。

第九夜



どこかの2ちゃんねる風しゃべりをする、女性タレントみたいな口調のコメントで一言「画質よすなぁ~」と。売りは・・・そこじゃないと自負しているが、バーゲンやってるわけでもないので安売りはしないのである(負け惜しみ)。では、また。

柔弱な

2011-06-05 | 雑記
ずっと自分の声で解説やらくだらないおしゃべりを吹き込んだ、いわゆる実況動画というのをやってきた。およそ二年ほどになるか。

前にもいったか知らないが、ばかばかしいもので、動画は出せば多くの人が見てくれる、敢えていえばチヤホヤしてもらえるという夢想を抱いたものだった。

だが、実際は「誰も」見ていないという気分にさせられるものだった。


それから一年近く。「誰も」見ないなら、そういうのは気にせずにやろうと思い直して続けていた。そもそも、知り合いに、こういうゲームがあってこういう感じでやってるよ、と見せようと思ったのが最初で、その延長が実況だったのだから。


さらに一年が経ち、現在。先月から始めた動画はこれまた人気がない。恐らく前から見ている人はいるのだろうが、再生だけしたのだろうか?と思うような状態。要するにコメントがない。コメントのしようもないのだろうが、それは措く。


というわけで、病気が再発した。「どうでもよくなってきたから、これが終わったら辞める」と言い出したのだ。

見かねたのだろう「自分の声でやるのはどうしても生理的に受け付けられないという人がでるだろうから、音声ソフトでやったらいい」などと忠告も受けたが「人気は関係ない」と突っぱねた。

まったく関係ないとは言わんが、やる気がなくなっていたのは事実ではある。元々血迷っているが、地震の直後も血迷って辞意が脳裏をかすめたものだった。辞めた方が血迷ってないだろうという突っ込みは好きなように。


などと夜中にゲームでチャットしつつプレイしていたら、普段お目にかからないお宝が出土したり、「天災は忘れたころにやってくる」というほど時間は経っていないが、福島で震度5弱の揺れが起こって、自宅も微かだが揺れた。

「やめるやめる詐欺の力は半端じゃないな」といわれる始末。じゃあもう一回詐欺(辞意表明)やったらお宝出るかな?となったが、二匹目の泥鰌はいなかった。

下手なことはいうもんじゃないな、と笑いながら、はっきりと進退は告げずに(よく覚えてないが)解散し、ゲームを終了した。



さて、なぜ動画を続けていたのか。単純に動画を作るのが楽しかった時期があった。編集ソフトを使って色々工夫をやっていた時代は、夜通しいじっていたものだった。実況以前の話だが。

そういうのが今はない。やってもいいが、生放送を録画しているような形式でやっているため、編集して遊ぶには向かないというのもある。が、これもあまり大きな意味はないのかもしれない。


しかしそもそも、「誰も見ないなら見ないで気にせずにやろう」と思ったのと、「どうでもよくなってきたから辞める」はどっちにしても「どうでもいい」と考えているからに他ならない。


ああ、そうかなら「どうでもいいから続けよう」と。どっちにしてもばかばかしいので「どうでもいいから続けよう」と。誰かが見た、コメントした、なんておまけなんだから「どうでもいい」のだった。見てコメントしてくれたほうが嬉しいには違いないのだが、やはり「どうでもいい」。


ちょっと前もそんな風に思っていたのかもしれないが、初心というのは確認を怠るとすぐに忘れる。そもそも初心なんぞあった覚えなどない。それすらも「どうでもいい」。


ニコニコ動画自体も最近はおかしい。あれも会社が運営しているわけで、動画のアップロードや再生(再生というのはつまりデータのダウンロードである)にはネット回線を通じ、サーバーへアクセスを行っているのだが、運営している会社がサーバーの維持管理を怠っていれば、動画が見れなくなる。最近はどうやら名前に偽りありという状況で、ニコニコ「動画」をまともに見る事が出来ない状態が多いようだ。

代わりに生放送は元気なようだ。恐らく、あれは儲かっているのだろう。一部のユーザーが熱心だというのもあって、なお更なのだろう。いい話もイメージもまったくない。

出会い系もどきになっていたり、馬鹿な女が裸を見せて人気とりをしたり(金をせびっていたというのもあったような)と、正直つぶれて欲しいと思っている。


メインの動画を蔑ろにしている状況ととられてもおかしくないのに、わけのわからんイベント(しかも赤字)をやっていたりと、本当にそのうち潰れるだろう。もしくは自分が拒絶する。


そういう意味では辞める気満々といえる。今の動画か、今は未定のその次が終わったら、本当に辞めることを考え始めてもいいだろう。それまで向こうが潰れていなければ。潰れていたら、それはそれで「どうでもいい」のだ。


と、長ったらしく書いたが、戯れに動画でもどうぞ。コメントはやはりこうくるのだろうか。「どうでもいい」と。


第八夜




普段は一時間くらいの撮影なのに、やめるやめる詐欺をしておいて考え直した直後の撮影は二時間に近かった。やはり詐欺師か。では、また。


寒気

2011-06-02 | 雑記
昼前に目が覚めて、簡単な食事をする。休みとはいえ、ゴロゴロし続けるのも難しい。簡単だと思えば続けていただろうが、その日は難易度が高く感じられた。

明日は仕事で、その日は伊勢屋も閉まっているし、寄る事もないだろう。では、この日を逃す手はないと思い、三時過ぎに出かける。

その前に晩飯の食材を買って、小銭を作る。バターが余っているので、またスタンポットにしてやろうと思って、じゃがいもやらたまねぎを購入。

それにしてもなんだか寒い。これを書いているこの日も寒い。そのくせ、寒いけど超クールビズを始めたなどという記事を昨日見かけた。地球がひっくり返って八月が真冬になってもクールビズをやるのだろう。


道すがら、寒いなら温まろうじゃないかと思いつく。そうなると飲むしか思いつかない発想の貧困。伊勢屋参りにするかどうしようか悩みつつ、ならば大福を買ってさらに飲めばいいとなった。

しかし、晩に食べようと買ったものがあったり、前日からの残りもあってどうしようかと思ったが、ならば気合で一杯のみにしようと「和」の暖簾を掻き分ける。


それがいけなかった。先日、ゴーヤジュースをもらったので、ゴーヤが旬だろうかと尋ねたら「沖縄では今が丁度旬で、本土だと六月中旬くらいからですね」という。

沖縄モノのゴーヤもあるというので、てんぷらにしてもらった。これがいけなかった。おつまみにはうってつけだが、食欲を刺激する。

それにしても、旬だからというのは別にしても、一口噛んだ直後の少しの苦味が過ぎた後はあっさりした旨みが続く。塩を軽くまぶしてあり、これがさらに引き立ててくれる。しばらくは行くたびに頼むかもしれない。


結局飲み足りない食べたりないとなり、ビールを追加してさらにソーキという、豚のアバラの煮付けも食べてしまった。

なにやら世間話をしていた。沖縄には天皇がまったく来ない上に本土から見捨てられたような状態だから税金安くしてくれてもいいのにだとか、橋下府知事のいうことはまったくその通りで、公務員なら従うのが当然じゃないかなどなど、呼び水はこっちが出したか覚えてないが(飲んでいたから)いつもの兄さんからそんな話が飛び出した。

沖縄が見捨てられた地、という表現は実は自分がやったのは気にしないでおいてもらおう。だが、沖縄の現状を知るならば、過言でもないだろう。


最初に泡盛が最近の日課なのだが(それで終わったりもう一杯いったりと不確定)、二杯目がビールだとなんだか水だか味付け炭酸水を飲んでいるような気分だった。飲みながら、一杯目の酔いが落ち着いた感じである。実にどうかしている。


雨が降りそうな怪しい曇り空の下、もと来た道をなぞっていたら、道端に人が数名かがんでいる。傍らには大きな毛の塊が鎮座していた。

そんなくどい表現はさておき、近所にいる秋田県のアンちゃんだった。

散歩をしている(というか座り込んでいる)アンちゃんは久しぶりに見たので、赤ら顔も気にせず「アンちゃんじゃないか!」と撫でる。

犬好きの近所の人が世間話をしていた。おじさんが「韓国だったらアンちゃんお前くわれてるぞー」などといったりしていた。なにやら自分もしゃべっていたのだが、割愛する。


飼い主の方がアンちゃんを飼う及び買うことになった顛末を語っていた。なんでも、この日地方に送られるというときの発送時間に電話して、電話が通じたがために引き止めて買うことになったのだとか。

それを聞いて思わず「アンちゃんよかったなー!」と強く撫でる。飼い主さんは半ば苦笑気味だったが、まんざらでもなさそうだった気がする。そうでもなければ犬を飼うことはないのだろうから。


アンちゃんは以前会ったときもうそうだったのだが、撫でるのをやめると前脚で催促してくる。このときも数回ほど催促してきた。


他の人が、義務的に犬を飼わざるを得なくなった人の家の犬の状況を語っていたのだが、思うに、犬が可愛そうというのもあるが、そんな苦痛になるような飼育を強いられている飼い主もまた不幸なのだな、と感じた。


アンちゃんはもう五歳になるそうだ。たしか、ラブラドールだかの大型犬は以外と短命で、十年そこそこだという。秋田県はどうだかわからないが、これからもふてぶてしい催促をやっていってもらいたいものである。



というわけで、その勢いのまま動画を撮影、編集そしてアップロードとやっておいた。

第六夜



目立たないようにやってきたおかげで、あほらしい発言もあまり突っ込まれないで済んでいる。これが下手に有名だったら炎上だったろうが、炎上したらしたでそれはそれで構わない。さて、そんな日は来るのだろうか。来ない事を望んでいる。では、また。