道元について、友人に教えてもらう。
鎌倉時代の禅僧で主著は「正法眼蔵」、曹洞宗の開祖。実は、とてつもない知の巨人だ。仏教から〈真の仏教〉を取り出すため、仏教を破壊してしまった。
禅宗はそもそも、仏教のミニマリズム。煩瑣な教学や大乗経典に背を向け、釈尊の直系として、仏性を頼りに成仏を目指す。根拠は「大般涅槃教」。初めて「一切衆生悉有仏性」を説いた経典だ。だから、「正法眼蔵」も、仏性を重点的に論じている。
本分を読むと、手強い。「すなわち悉有は仏性なり。悉有の一番を衆生という」。「悉(ことごとく)有る」と読むはずを「悉有(しつう)」と名詞に読む。道元は中国語が堪能過ぎて、文法をねじ曲げ、思わぬ理解を導き出す。
友人の読解はこうである。仏性とは、衆生の心の中の仏の種ではない。目に見える世界の〈外〉のことだ。それが個々人に現われ、その努力と結びつくことが仏なのだと。人間に限らず、山川草木も、仏性が個別のかたちに現われたもの。仏と言ってよい。
個物は仏性の援けで、成仏する。仏性は個物のはたらきで、作仏する。
目に見える世界と目に見える世界の〈外〉が、こうして交流しているのが、この世の真実の姿だ。
こう読解すると 「仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆえに」 「しかあればこの山河大地みな仏性海なり」 みたいな難解箇所もすぱすぱ説けるよ。悉有=仏性=世界の〈外〉。山河大地も人間も氷山のように、仏性の海に浮いているだけだから。
と教えてくれた友人・齋藤嘉文氏の「跳訳道元」が、ついに出版された。デリダの脱構築を800年も前にやり遂げた道元の、偉業が現代によみがえった。
-切抜/橋爪大三朗「あすへの話題」日経新聞より-