南無煩悩大菩薩

今日是好日也

老年について。

2010-12-09 | つれづれの風景。

哲学者キケロはこう言っている。
「平穏にして温和な老年は、静かに、清く、優雅に送られた生涯の賜物である。」

又、カントはこう言った。
「慎ましやかに又親しく社交に加わり、元気に、解り良くものを言い、自らは加わらないが若いものの喜悦を真面目に庇護し、すべてに気を用いて世話をしながら、自分の周囲の喜びに対して満足と好感とを示す老年の女性は、年はとっても、同年配の男性よりももっと上品であり、而して意味こそ異なれ、恐らく若い女よりももっと親愛すべきものである。」


誰だったか忘れたが、その人は、およそ人生の成熟者とは思われない年寄りに対して、こう例えた。
「彼は、私は長く生きてきた、と言うが、そうではない。彼は長く過ごしてきた、に過ぎない。」

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永続性への変革。

2010-12-08 | つれづれの風景。

不死鳥は、死なないのではない。

不死鳥は、500年に一度自分の巣で自らの火によって燃え尽き灰になる。

不死鳥は、その灰の中から再生復活するのだ。

つまり、不死鳥の永続性は、死によってこそ媒介される。


死の無い生はなく、明けない闇も無く、苦のない楽もないだろう。

そのためには、綺麗に灰になることだと不死鳥伝説は暗示する。

くすぶっているうちは、それもむずかしいとうものだ。

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見出す価値。

2010-12-07 | つれづれの風景。

はかないものと、とどまらないものとは価値を持つ。

それでいい、よりも、それがいい、ほうが価値を持つ。

・・になった、ものよりも、・・となった、ほうが価値を持つ。

珍しいものが喜ばれる。果物も初物ならいっそうよいし、冬の薔薇なぞ、そりゃあ高値を呼ぶ。

どうせなら少しでも価値を高めようとするほうがいい。

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望んで欲せず。

2010-12-04 | つれづれの風景。

我々は我々が欲(ほっ)するものに用心しなければならない。すなわち、悲劇は希望が聞き入れられると起こる。-オスカー・ワイルド-

たしかに、もういっぱい、もういっぱぁい、の欲することの過剰は、よせばいいのにぃ、の悲劇が必ず起きることを僕は知っている。
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枯れ葉よ。

2010-12-02 | 有屋無屋の遍路。

今朝もあいも変わらず便所で新聞を読んでおったら、流行語大賞の記事が出ていた。

ゲゲゲの・・ だという。

後はよう覚えておらんが、「脱小沢」 は、受賞者が辞退したと書いておった。

おおよそ見当をつけてみながら、何かとしゃしゃりでたい、辞退の嫌いな人たちであろうになんでやろ?という疑問が生まれた、ちょうどその時の事情も重なって、つい考える人になって、唸ってしもうた。

「え~ 今回は名誉ある流行語に選ばれ、身も引き締まる思いでありますが、テレビで知る・・という情報収集力の確かさを鑑みても、たとえ1%でも・・全国の小沢君が学校でいじめにあうことになるようなリスクを伴うことも考えられる以上、私は知らなかったということで、いや実は本当に知らないわけでして、政治主導の判断で、今回は辞退したわけであります。」

なんていう、コメントぐらい出せば・・・と思ったところで、わしのが出た。

しっかりしろよ、とだれに声をかけていいかもわからんような今、くもの巣にひっかかって、土にもなれない枯葉と、肥料にもなれず「脱」で流れ行くわしのあれと、ジョークの余裕も無い受賞者とが思わず重なったのであった。

選考基準もようわからんが、なんかすっきりせんのう。
年末の清水寺の貫主さんには、「脱」とかいて欲しいのう。

これはしかし、下(ゲ)の下(ゲ)の下(ゲ)の話じゃがの。

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あまねくほとけ。

2010-12-01 | つれづれの風景。

なんまいだぶつ阿弥陀仏

なんまいだなんまいだ 数え切れぬが落ち葉も成仏。
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