南無煩悩大菩薩

今日是好日也

紡ぐ共同体。

2011-03-18 | つれづれの風景。

共同体とは、共にあることによって培われる。

摂取と排泄と我執という、剥き身の生存欲は一旦脇において、それらをスポイルして、共に生きるという意識に目覚めた成員としての成熟度が求められる。

獣と人間との違いは、この生殖的機能を果たす脳以外に「余分な」脳を持っている、つまり自分を見つめるもう一つの自分、「意識」と呼ばれる能力を持ち合わせているところにある。

しかしまたぞろ、剥き出しの自分を恥じない、意識の欠落したおつむの不完全な、火事場泥棒たちが出てきている。

ノータリンそれ自体の悪意識だけではない、無知の連鎖により、本来振り向けられるはずのエネルギーが、その消火に向かい、二重三重の損失と停滞を共同体に与えている。

祖先の世間では、十で禽獣、二十で発狂、三十で失敗、四十で山師、五十で罪人、といって人間の本性を見つめ、自らを戒めつつ自然に立ち向かい、共同体としての、再生と維持と相互恵沢に努めた。



わたしは、あなたがたと、共にある。

その事の意味が、問われている。
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