南無煩悩大菩薩

今日是好日也

夢現。

2006-09-20 | つれづれの風景。

あんなに夢中になったことでさえ、醒めてしまえばどうよ?

辛くて堪らなく切なかったことが、何事も無く水洗トイレのように綺麗さっぱり流れてしまうんはなんでさ?


時は流れる。時間という喪失プログラム。かなり有効な薬効だ。

「時は私にめまいだけを残していく」と小椋圭さんは歌ってはったなぁ。


時は流れる。時間という生育プログラム。かなり有効なビジョンだ。

「時の過ぎ行くままにこの身を任せ」とジュリーさんは歌ってはったなぁ。


・・・。


ゼリーは本当にゼリーなのか?
甘ったるいだけの西洋式トコロテンではないか。

現実と夢想との差はなんだろう。

私はゼリーなんぞは口にしないからゼリーは実在しない。あっても無いのである。

トコロテンは実在するけれども、ゼリーはトコロテンではないから、私にとっては、無いものがあるのである。


・・・。


河童は夢想の産物で現実にはいない。とはいえない。

日本全国に河童伝説は存在する。

「しばてん」「えんこう」等等、呼び方は様々だが、プロトタイプはほぼ同じ。

人が何らかの意図を持って作り出したとしても、その姿は具現化され親しまれ、我々の認知の中に存在している。

意識しているということだけで、とりもなおさずありもしないことではなくなる。

それが現実か、夢想かは、意識下の問題でしかない。

忘れてしまう前の苦悩や、出会う喜びまでの不安と同じこと。

あればある。なければない。

道端の2体の河童の石像の現実のたたずまいが、そんなことを夢想させる。

私は強く惹かれた。うつつであった。

ただそのときに私がどんな気持ちを抱いてカメラに収めたかについて、夢のような確信が今はもうない。

ゆめうつつ。

・・・。

ウォントビーロング。

・・・。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
確かに存在すること。 (みゆき生け花教室)
2006-09-21 12:21:23
 こんにちは~



河童の親子さん

子は男の子でしょうか女の子でしょうか。



どちらでも、子供は可愛い。

そして母は、いつでも子供に両手を差し出す。

何年経っても、母は子供が可愛い。



若い頃のボーイフレンド達は、もうとっくに

忘れてしまいました。初恋の人さえも。。。

皆でボーリングに行ったりドライブしたりの

白黒のお写真は埃まみれのアルバムに貼って

ありますのに、すっかり記憶の外に出てしまいました



わたくしの可愛い一人子も、わたくしが

この河童の母のように両手を差し出すと、いつも

嬉しそうにわたくしの胸に飛び込んできた。



柔らかな匂い。確かな感触。

嗚呼、何年経ったとて、あれは現実だった。



無屋先生を心から尊敬しております。その先生が

おっしゃいます。

◎意識しているということだけで、とりもなおさず

 ありもしないことではなくなる。



あの世とかこの世とかのお話は、何も判りませんが

わたくしの一人子は今でも確かに存在している。



先生、いつも有難うございます
返信する
こちらこそ。 (無屋。)
2006-09-21 13:41:19
いつもありがとうございます。



胸が熱くなる。というような感情は誰にもどんなんだか伝えることは出来ないことであります。

お尻を出して収まるようなことではないと、つくづく思う今日この頃です。



やがては人の記憶からも、自分の記憶からさえも零れ落ちてしまうのでありましょうや。

返信する

コメントを投稿