南無煩悩大菩薩

今日是好日也

共有、の曖昧性

2017-01-13 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

共有という言葉はあいまいで、何かあるものを分割し配分することなのか、または何かあるものを共通に持つことなのかわからない。

また、共有された価値観は強引な押し付けからも共同決定の経験からも生まれるので、たとえその言葉自体が明確であるとしても、やはりあいまいである。

「共有する」という言葉は、一見過程を記述しているように見えながら実は結果を記述している。いわば何も説明しないやっかいな達成動詞の一つである。

-切抜/カール・E・ワイク「センスメーキング イン オーガニゼーションズ」より- 
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