南無煩悩大菩薩

今日是好日也

黙想隠棲の人

2021-04-08 | 古今北東西南の切抜

(photo/source)

「我ひとたび筆をとって著述をなし、あるいは自己の発表を企てようとすると、直ちに危険と恐怖の念に襲われて、我が内的生命が棄損破壊されてしまうような怖れを感じて止まない。我はただ思い、感じ、学び、知り、愛し、喜ぶ、これが我が生命であって、事を成さんとすることはもったいなく思うのである」。 ーアンリ・フレデリック・アミエル

アミエルはその生前においては、詩人としても、学者としても、思想家としても、また哲学者としても、何らの印象を残さず何らの感化をも与えず、欧州において彼の名を知るものなく、郷里ジュネーブにおいては凡ての人に失望を与えたのである。彼が大学における講義は人気よろしからず(彼は学生の知的自由を重んじて自分の主観や独断を持って学生の心を感化することを嫌悪し憚り避け、字引か辞典のように無味淡泊に材料を提供し暗示を与えるだけで血なく肉なくただ骸骨ばかりのスタンスで、ゆえに学生たちは彼の真価を知ることなく興味も持てないで)、また彼が出版する数冊の詩集は毫も世に歓迎されなかった。

彼の死後、賞賛に包まれることになる彼の日記を出版するに当たって、資金を出した人々でさえこの書物が後世これほどの評価を得るとは夢にも思っていなかった。しかし出版されるや彼の名は欧州のみならず世界の天地に翻訳されその名響き渡り不朽の書籍となる。これ世界文学界の一大奇跡であった。

参照/村井知至「人生と趣味」より

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