小石川植物園(旧小石川養生所)
この地には承応元年(1652)に館林藩下屋敷(白山御殿)が設けられ、まだ幼なかった藩主徳松(後の五代将軍綱吉)が住んでいました。
綱吉が将軍になって間もない貞享元年(1684)、南麻布にあった幕府の薬草園を白山御殿の敷地の一部に移し「白山御薬園」となり、八代将軍吉宗の代になった享保6年(1721)に屋敷全域(4万5千坪)が薬園として拡張されました。
享保7年(1723)将軍吉宗と町奉行大岡越前(忠相)が主導して「享保の改革」の庶民対策の一環として無料の貧民救済医療施設施薬院(養生所)が開設されました。
明治以降は東京府管轄になり大病院付属御薬園ー医学校薬園ー小石川植物園ー東京大学付属植物園となり現在に至っています。
地下鉄丸ノ内線茗荷谷から徒歩15分程で植物園に到着
植物園本館 周囲は住宅密集地だが、門を入ると別世界
遺伝学の基礎を築いたチェコの遺伝学者メンデルが在職したケーニギン修道院から譲られた実験に使った葡萄の分株
ニュートンが「万有引力の法則」を発見するヒントを得たリンゴの木は、接木されてこの地に分譲されていました
西洋式温室は明治8年に開設され、昭和39年に現在の建物に改築
広大な 樹木林には日本以外に中国、朝鮮の樹木も植えられています
江戸時代の名残をとどめる薬用に供された樹木をはじめ120種の薬草が往時を記念して植えられているそうです
薬園保存園
小石川養生所
八代将軍吉宗が庶民の声を聞くために設けられた「目安箱」に投書した町医者小川笙舟の貧民対策の提案が吉宗の目に留まり、南町奉行大岡忠相に「養生所」の設置検討を命じ、その後、奉行所直轄の施設として設置されました。
(目安箱に投書された文書は吉宗が直々に目を通したと言われています)
享保7年(1722)に掘られた井戸
園内に1本だけあったカンザクラの木、満開を過ぎていました
徳川綱吉幼少期からあったと言われる庭園、造園は小堀遠州派の流れをくむ日本庭園、江戸時代の代表的な庭園のひとつ
旧東京医学館本館
東京大学の前身である東京医学校時代の建物、昭和40年に解体されて本郷から移築されています、(昭和45年に国の重要文化財に指定)
明治初期の木造擬洋風建築特有の様相を残している建物です
日本庭園から続く梅林
遊歩道脇にあった太郎稲荷
珍しい鳥がいました、鳥名は??
満開の梅の花、訪問者が少なく静かな佇まいでした
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