写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

御岳渓谷・昭和記念公園

2011-11-27 21:39:28 | 四季の彩り


御嶽渓谷
JR青梅線で御嶽駅下車、駅前の急な階段を降りると多摩川の源流で両岸が紅葉の名所になっています。



              
                   モミジの色がイマイチなのは気温が高い日が続いた結果でしょうか 
   
                  
                   食事処脇の建物、丸い窓が茶室風で面白い

                  

                  
                                                       小さな水の流れと溜まった水に紅葉が映っています  

         

         
                                                快晴の空に面白い形の雲が浮かんでいました

                 

           水の流れをシャッター速度を変えて撮ってみました

                   

                 

国立昭和記念公園
http://www.showakinenpark.go.jp/map/index.htm

返還された米軍立川基地跡地180haに昭和58年に昭和天皇在位五十周年記念事業として建設された国営の記念公園です、広大な敷地にはいろいろなゾーンに分けられており全部見て回るには一日がかりになりそうです。
今回は西立川口から入り、イチョウ並木と渓流広場周辺を1時間半程歩いてきました。



         
       ベンチの女の子達、何を話してるのかな?

         

              
                             快晴の空に黄色くなったイチョウの葉が映えます

         
                             色づいたイチョウを背景に皇帝ダリアの花が咲いていました

         
                   小高くなった丘に1本の木とススキ(?)と背後のイチョウの木が絵になっています

         

         



  

  

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本土寺の紅葉 2011・11・23

2011-11-23 20:30:31 | 四季の彩り

今年は暖かい日が続いている事もあり、この日も一部の木は紅葉していましたが、境内の多くを占める楓やイチョウの木はまだ2~3分の色合いでした。寒暖の差が大きくなる来週以降が見頃でしょう。
とりあえず今日は色づいた木々をファインダーで切り取ってみました。

                
                  カメラをぶらし気味に撮ったら面白い写真になりました

                      
                     窓越しの紅葉

           



           

                      

           

                      

             



                     
                    池に映る紅葉①                             池に映る紅葉②

          

 

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目黒散歩 -行人坂ー大円寺ー目黒不動尊ー

2011-11-22 10:03:46 | 歴史散歩

行人坂・大円寺

目黒駅から大円寺前を太鼓橋まで下る急坂を「行人坂」と言います、江戸時代に発刊された『江戸名所』に「行人坂とは白銀台町より西の方目黒に下る坂を言う、寛永のころ羽州(出羽)湯殿山の行者ここに大日如来堂を立てたる所なり、また五百羅漢の石像あり、明和9年の造立とす、明王院の夕日が岡は紅葉多かりしというも、今は名のみなり、太鼓橋は行人坂下に架す」とあります。

                                 ファイル:100 views edo 111.jpg
                                    歌川広重「名所江戸百景」目黒太鼓橋

         
                                         大円寺脇にある案内と祠


        
              目黒駅と太鼓橋の間にある急坂が「行人坂」                           目黒川に架かる現在の「太鼓橋」

          
                   目黒雅叙園は行人坂、大円寺脇にあります                     太鼓橋下を流れる目黒川、建物は目黒雅叙園
      
大円寺
寛永期に創建された天台宗の寺院、明和9年2月29日(1772)放火により、この寺から出た火は折からの強風により、神田、湯島、下谷、浅草まで広範囲におよび、江戸市中934町、大名屋敷169、橋170、寺院382を焼き払う大火となり江戸城(千代田城)の櫓までも延焼させた為、以降76年間再建が許されなかったと言われています。
この行人坂火事(明和の大火)は「明暦の大火」と並び江戸の大火として記録に残されおり、境内にある石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成させました。

         

        
            大円寺本堂                                              五百羅漢

因縁めいた話ですが、この寺は天和の大火(1683)で避難した檀那寺で会った寺小姓に恋慕して再会したさに放火未遂を起こした八百屋お七の恋人吉三ゆかりの寺でもあります、お七が死罪となった後に吉三は出家して西運を名乗り、大円寺の下にあった明王院に身を寄せ、明王院境内に念仏堂を建立するための勧進とお七の菩提(ぼだい)を弔うために、目黒不動と浅草観音に1万日日参の悲願を立て、往復10里の道を念仏を唱えながら日参、27年後に明王院境内に念仏堂が建立されました、明王院は明治初めごろ廃寺となり明王院の仏像などは大円寺に移されています。

西運に深い関心を持っていた大円寺の当時の住職が昭和18年、念仏堂を再建した際に万葉集出画撰を描いた大亦観風画伯に「お七吉三縁起絵巻」を描いてもらい、その一部である「木枯らしが吹きすさぶなかを念仏鉦を力一杯たたき念仏を唱えながら日参する西運」の姿を刻んだ碑が境内に建立しました。

     
                                                          吉三(西運)を刻んだ碑

               
              阿弥陀堂                                            境内にあった石像(お七と吉三?)

成就院(蛸薬師)
http://www.jyoujyuin.jp/


          

          

泰叡山目黒不動尊
寺伝によると大同3年(808)に第三代天台座主の慈覚大師の開基とされます。
天安2年(858)に堂宇を建設、貞観2年(860)に清和天皇より「泰叡」の勅額を下賜され山号を「泰叡山」と称しています。
元和元年(1615)火災により諸堂を焼失しましたが、寛永3年(1625)三代将軍家光により再建され、以後徳川幕府の庇護を受けて繁栄を極めました。

江戸時代は五色不動(目黒、目白、目赤、目黄、目青)の一つとして江戸城守護、江戸城五方の難除け、五街道の守護に当たりました、また文化・文政期には湯島天神、谷中感応寺と共に幕府公認で元富くじを発行、「江戸の三富」として有名でした。

地理的には江戸府内(朱引き線)の外にありましたが、郊外の行楽地として人気があり「江戸名所図絵」にも描かれています。
 
目黒不動尊は関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と共に日本三大不動の一つと言われます。


              
                                                     「江戸名所図絵」

                                      ファイル:100 views edo 025.jpg
                                                 歌川広重「名所江戸百景」より  
  
           
                                             仁王門

  

           

           


堂宇建立の敷地を定めるに当たり、慈覚大師が所持の法具「独鈷」を投じた浄地より湧出した「独鈷の瀧」の流れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく不動行者の洗心浄魂の場となっていましたが、現在は立ち入り禁止でした。
 
        

        

              
                                            本堂

        

3.11の大震災により目黒不動尊も大きな被害を受け、現在数か所で補修作業が行われています。

      


レトロな店
目黒不動から目黒駅に向かう途中にあった店の外観です、昔懐かしいホウロウ製看板が何枚も架けられており、思わずシャッターをきりました。


        

          

                 
        

        







 


 
  
 江戸時代

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本土寺の紅葉 2011・11・8

2011-11-11 14:07:38 | 四季の彩り

                 紅葉が盛りの時期は人でいっぱいになる境内も、この日は人もまばらでした      

                
                 ピーク時には真っ赤に染まったモミジを撮るにアマチュアカメラマンが柵に並びます
                  

                 一部色づいた木々をカメラで切り取ってきました     


          

          

          

                

           

         

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草津白根ハイク

2011-11-07 19:20:33 | 登山

関越道渋川伊香保で一般道におりてから2時間弱、草津温泉市街地を抜けて登山道近くの駐車場を目指しました、すでに周囲の山並みは紅葉の真っ最中でした。

            
         一般道におりて草津に向かいます、周囲の山は紅葉の真っ盛りでした                   標高1500mを過ぎると遠方の眺望が開けてきました                                                             

            
          噴煙を上げる浅間山                                                  白根火山バス停前駐車場に到着

            
        駐車場周辺にはレストハウス、弓池と散策道が整備されています                       駐車場裏の山を登ると「湯釜」があります

            
       登山前のストレッチ                    登山道に向けてスタート                   最初はなだらかな道が続きます
 
           
              本白根山手前の「逢ノ峰」山頂からの眺望、真っ赤に染まった山の麓に草津温泉の町が見えます


         
         本白根山登山口・スキー場のリフト脇から山に入ります                       高山植物保護の為に木道が整備されていました
 

                
                     リフト越しに見た妙義山

          
     登山道から見た浅間山                                遠く山の稜線が霞んでみえます
        

        
    案内板                              (こまくさのイメージ写真)                                   本白根山はこまくさの名所です 
           
        
      道標                                  旧火口原の木道を歩き稜線から頂上を目指しました

          
        稜線から浅間山、左手奥に富士山が霞んで小さく顔を見せていました           富士山をズームアップ              


                
                       幾峰も越えた先に顔を出した富士山、間近に見る富士とは違った趣がありました

                
                      紅葉した山、その奥に雄大な姿を見せた妙義山

        
         旧火口原                                                   本白根山展望所に向かう木道
 
                     
         探索路最高地点                   眼下に万座温泉が見えます                   所々にあった毒ガス注意の標示     

           
         探索路最高地点から見た眺め             最高地点で稲荷ずしとカップ麺で昼食         頂上は硫化ガス発生の為に登れません    

 

<!-- 草津白根山探索路最高地点からの動画 -->

 

 


   
          
              探索路最高地点の集合写真                                  本白根山展望所の集合写真


       
     夏にはコマクサが咲く火口原                                   木道が続く火口原
 
                
                     稜線を歩くハイカー




            
        探索路最高地点から展望所に向かいます、階段が整備されていました             展望所

                
                     稜線と雲

                
                   活火山・浅間山

             
                                               下山途中にあった鏡池、水が殆どありません 

             
        下山途中、沢が土砂崩れの箇所があって暫定的に設けられた階段を上ります

             
              登山口に出ました、戻りは車道を歩きました、道路わきの風景                       弓池、間もなく駐車場です
       
湯釜
直径300m、水深30mの火口湖です
火山ガスに含まれた塩化水素や二酸化硫黄が水に溶けてエメラルドグリーンの色をしています、現在でもガスが発生しており火口から500m離れた地点から近づく事が出来ません。


           
              駐車場脇から整備されたゆるやかな坂を20分登ります  

            
       湖水の色はエメラルドグリーン                                         湯釜の奥に続く山並み、中央が男体山、その左が日光白根山

                

  
               





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竹橋ー北の丸公園―九段散歩

2011-11-01 14:03:49 | 大江戸の風景

一橋徳川家屋敷跡
徳川幕府八代将軍吉宗が四男宗尹(むねただ)を始祖として創建された一橋徳川家(御三卿の1つ)の屋敷跡、現在丸紅本社脇に碑が建っています。

御三卿は徳川御三家(水戸、尾張、紀伊)や諸大名とは違い将軍の身内としての位置づけで家臣は幕臣が夫々の御家付として奉公、独立した領地、家臣団はもっておらず、幕府から賄料として夫々約十万石を貰っていました。

        

北の丸公園
御三卿の田安徳川家、清水徳川家の屋敷跡が公園として整備されています

               


清水門
九代将軍家重の二男重好を祖として創建された清水徳川家(御三卿の一卿)の屋敷にあった門です。
枡形門と高麗門からなっています。

             

       

武道館
1964年、東京オリンピックの柔道競技会場として建設されました、武道を普及奨励し心身鍛錬の場として設立されましたが、現在では大規模なイベント会場としての役割が大きくなっている様です。
建物は法隆寺夢殿をイメージした八角形をしており、屋根の稜線は富士山をイメージしているそうです。
              

田安門
八代将軍吉宗の二男宗武を始祖として創設された御三卿の一つである田安徳川家屋敷の門、枡形門、高麗門からなっています。

        
                                            内側から見た門

            
         外から見た門                                                 高麗門

      

靖国神社

大村益次郎の発案のもと明治天皇の命によって戊辰戦争の戦死者を祀る為に明治2年(1869)東京招魂社として創建、後に靖国神社と改称されました、明治10年(1877)の西南の役以降、国のために亡くなった戦没者を慰霊追悼するシンボル的施設として現在に至っています。
色々な意味で話題となる神社ですが、独立した神社としての位置づけで神社本庁には属していません。
春は桜の名所として知られています。


       
        九段坂を上ると神社の長い参道が続いています

                     
          大村益次郎の像                             中門鳥居から見た拝殿
     

      
        拝殿

    
               神楽殿で沖縄舞踊が舞われていました

               
                                   本殿裏にある庭園
神道無念流斉藤道場跡
千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館と並び幕末の三道場と呼ばれた斉藤弥九郎(神道無念流)の錬兵館がこの地にありました。

     

九段会館
昭和9年に竣工した旧軍人会館、国から委託を受けて日本遺族会が結婚式場や催場として運営していたが、3.11の地震で事故を起こして閉館となりました。
1936年に起きた2.26事件の際は戒厳司令部が置かれました。
建物は昭和初期に流行した鉄筋コンクリート造りの現代建築に和風の瓦屋根を載せた帝冠様式と言う和洋折衷の建築様式です。

                     

       






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