都電荒川線
東京都営の路面電車は、最盛期には41系統、総延長213kmで都内を網羅していたが、モータリゼーションの発達と地下鉄網が整備されてきた事によって定時運行が難しく、乗客数減少で経営が悪化して1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止され、その後も縮小傾向が続いた結果、現在の荒川線を残すのみとなりました。
なお、都内を走る路面電車は民営では東急世田谷線(三軒茶屋ー下高井戸)があります。
荒川線は荒川ー板橋ー豊島ー新宿の下町を結ぶ、地元の貴重な足として運行しており、カラフルな新型車両も多く導入され往時のイエローの車両を見ることが無くなりました。
今回はレトロなイメージを出したくてモノクロで撮ってみました。
(東京都交通局のHPより抜粋)
現在の路線図
始発駅の三ノ輪橋でもローカル色豊かな乗車風景が見られました
荒川線は荒川区三ノ輪橋と新宿区早稲田間の12.2kmを結ぶ
三ノ輪橋駅 早稲田駅
三ノ輪橋駅近くの商店街、下町風情が残されていた
三ノ輪橋駅(無人) 上り、下りでホームが分かれている
前の車両は左の軌道に入り荒川車庫に向かいました 東京スカイツリーを背景に走る
運転席から見た風景、駅間の距離が短く、2~3分毎に停車 乗客は沿線住民がほとんど
荒川車庫に保存されている初期の都電
王子駅、JR京浜東北線の高架下から一般道を走り、桜の名所「飛鳥山」を大きく迂回して専用軌道に入ります
王子駅ー飛鳥山間は一般道を車と並走
交差点で信号待ちする電車
庚申塚で下車、巣鴨地蔵商店街を歩き「おばあちゃんの原宿」とげぬき地蔵に向かいました。
「とげぬき地蔵」は曹洞宗萬頂山高岩寺の通称、慶長元年(1596)に文京区湯島に建立され、その後、下谷に移り、明治24年にこの地に移築されています。
地蔵商店街、平日の為か予想より人手が少なかった
すべて赤色の衣料を揃えた店、TVで取り上げられて一躍有名に 〝原宿" さすが中高年女性が目立った
江戸時代で最大の火事と言われた「明暦の大火」(1657)により高岩寺の信徒の一人屋根屋喜平次が妻をなくし、その供養のため「聖観世音菩薩」を寄進、その後、菩薩像に水をかけ自分の悪いところを洗うと治るという信仰が生まれたのが「洗い観音」の起源。
病の治癒を「洗い観音」に祈念する人が後を絶たない
明治時代の建物が残されていると言う雑司ヶ谷で下車、駅前から広がる広大な雑司ヶ谷霊園を抜けて雑司ヶ谷旧宣教師館に向かいます、なおこの霊園には江戸時代に漂流して米国に渡り、その後日本に戻ったジョン万次郎、夏目漱石、永井荷風、小泉八雲、島村抱月、竹下夢二、泉鏡花、サトーハチロー、東郷青児、東条英機、大川橋蔵等が眠っています。
雑司ヶ谷旧宣教師館
明治40年に米国人宣教師マッケーレブが居宅として建て昭和16年まで住んでいた豊島区最古の木造洋風建築だそうです。
雑司ヶ谷の法明寺鬼子母神堂
台東区入谷の鬼子母神(真源寺)、市川市の法華寺の鬼子母神と共に江戸三大鬼子母神として江戸時代には多くの信仰を集めました、天正6年(1578)に建立され、寛文4年(1664)に現在の本堂が建てられています。
名物のケヤキ並木通りには茶屋などが並び大いに栄えた様です。
寛文4年に建てられた本堂
学習院下を走る都電、池袋のサンシャイン60が奥に見えた
終点の早稲田駅(無人駅)、早稲田大学キャンパスまでは歩いて5分の距離