写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

2012歳の瀬都内ウォーク・築地市場

2012-12-29 21:38:32 | 四季の彩り

築地場外市場
地下鉄日比谷線築地駅で降りると築地市場は目の前です、昼ごろに着いたのですが、場外市場はすでに買い出しの人で市場内は通るのもやっとです。

    

           
        交差点を渡ると場外市場です

     場外市場内のスナップです

           
      

                                                                           


      


        

       
                                          「味の浜藤」で食べたモロコシ天              

波除稲荷神社
場外市場と場内市場の境にあります、漁師をはじめとした漁業関係者の信仰が篤い神社です

          


      


場内市場
イメージとして場内市場は業者専用で一般人は入れないと思われがちですが、時間などの制限があるが立ち入り自由です、私も知人から教えてもらうまで知りませんでした。
と言うことで昼食を場内で食べる事にしました。
市場は早朝が営業のピーク、私達が市場に入ったのは午後1時を過ぎていて多くの卸売の店は店仕舞い中でした。

市場の移転問題がまだ解決していないが、確かに市場内は迷路の様に入り組んでいて効率的とは言えず、建物も老朽化していました。

          
          市場奥の建物は朝日新聞本社                                   卸売りの店が並んでいますが店仕舞い中

          


           

  
          青果物のエリ                      九州など遠距離トラックが多い                    

           

場内市場奥にある「魚がし横丁」はお鮨屋さんなどの飲食店が入った建物が並んでいます 

           

           
          魚がし横丁にある鮨屋にはどこも行列が出来ていた  

       
               奥のビルは国立がんセンター                          

       

  
私達が入った海鮮丼の店「大江戸」、メニューは60種類とか、30分程順番待ちで並んでから店に入りました

          
                            営業時間は午前4時半から午後2時までだそうです。

   
                                                新鮮なネタとリーズナブルな価格に納得です           

奥に「魚河岸水神社」がありました
          

          
 

          
       晴海通りに面した歩道も荷物で一杯               昨日、中村勘三郎の葬儀が行われた築地本願寺はすぐそばです 


          
       東銀座まで一駅歩くと建て替え工事中の歌舞伎座です、外観は以前のままですが背後の高層ビルとはアンマッチ。
    

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2012歳の瀬都内ウォーク・イルミネーション

2012-12-26 16:06:53 | 日々の景色

渋谷ヒカリエ http://www.hikarie.jp/
時間が早かったので渋谷の新名所となっている「渋谷ヒカリエ」をのぞきました。
永く渋谷のシンボルであった東急文化会館が取り壊されて出来たビル、商業施設、劇場、オフイスが入っています。


    
   渋谷ヒカリエ  午後4時          午後5時30分               渋谷駅前は東急東横線の地下化の工事中でした


              
                来年3月に東横線は地下化されて新宿ー池袋までつながる予定、見慣れた東横線渋谷駅の見納めも間近です



           
       渋谷ヒカリエから見た風景、高層ビルはセルリアンタワー東急ホテル               東横線渋谷駅のホーム下を走るR246

                       
                   渋谷ヒカリエは物販、レストラン街の他にフリーなスペースが多くあって猥雑感を感じません

           
         11階のオペラ劇場「東急シアターオーブ」                                   レストラン街は混んでいました

   
          
        フリーなスペースが多い                                       11階に飾られたクリスマスツリー(?)                                  

          
              渋谷駅と結ぶ通路、昔のイメージが一新されました                     3フロアーの眺め  

東京ミッドタウンのイルミネーション
防衛庁の市ヶ谷移転に伴なって再開発されたホテル、商業施設、オフイスが入る六本木の大型施設「東京ミッドタウン」の芝生広場が11/15-12/24の間、約28万個のLED電球で彩られました。

クリスマスイブのこの日、イルミネーションを見る人が押し寄せて、入園はロープで規制され広場に入るまで30分程かかりました。

           
                                          広場に向かう途中の電飾

  
              
                 3分単位でイルミネーションが繰り返され、電飾は音楽により様々な形に変化します 
 
            
 
       

                                                   
             
   
           
             イルミネーションを見る人が広場を囲んでいます                             


       
                                                                     遊覧バスのコースに入っている? 


       
       向かいのビルから見る人                          東京ミッドタウンビル前のイルミネーション


有楽町ー仲通りー丸の内(東京駅)
地下鉄千代田線乃木坂から日比谷で下車、外堀通りと山手線の間の「仲通り」を有楽町から丸の内まで歩きました。
                                                    
       

          
            仲通りは高級ブティックが並ぶ通りで、ここにも多くの人がイルミネーションを見ながら歩いていました


             
           丸ビル1Fのクリスマスツリー              紫色の東京駅南口          丸の内から見た仲通り


              
                 行幸通りから見た東京駅丸の内駅舎、八重洲側の二つのビルが電飾で彩られています 
           

    
                  行幸通りに飾られたイルミネーション                          東京駅が名所?観光バスが数台止まっています

  


     

    

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日光ウォーク (3)東照宮

2012-12-20 15:01:24 | 歴史散歩

日光東照宮
徳川家康は元和2年4月17日(1616)駿府城において75歳で死去、遺命により久能山に埋葬され、同年中に久能山東照宮も完成したのですが、翌年には日光に改葬されています、藤堂高虎が作事奉行となって翌年に社殿を完成させました、その際に朝廷から「東照大権現」と言う神号を受け神格化されましたが、廟は現在見る様な華麗な建物ではありませんでした。
寛永11年(1634)、三代将軍家光が参拝した後、尊敬する祖父家康を祀るにふさわしい廟をという事で、家光の命により「寛永の大改修」が行われて荘厳な社殿にとなりました。
更に正保2年(1645)に朝廷から官号が授与され、東照社から東照宮に改称されて現在に至っています。

なお家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言によるものです、家康は遺言に「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること、そして自ら「日本の平和の守り神である八州の鎮守となろう」と言ったと伝えられています。

その後、明治政府の神仏分離策により神社の東照宮・二荒山神社と寺院の輪王寺の二社一寺の分離されました。
東照宮は第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社となっていたが昭和60年に神社本庁を離れ単立の神社となりました。

日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受けています、本殿前に設けられた陽明門と、その前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られていると言われています、また、その線を真南に行けば江戸に着くとされ、さらに、主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているそうです。

     境内案内図


石鳥居 元和4年(1618)、九州筑前藩主黒田長政によって奉納されました。石材は九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれています(重要文化財)

           
                                                                    社号標
          

表門 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれます(重要文化財)

           
                         
         

              
                            内側から見た表門                              葵の紋が至る所に見られます

       
                                       下神庫                             神厩舎の案内

神厩舎(神馬をつなぐ厩)、東照宮で漆を塗っていない唯一の素木造り、長押の上には「三猿」で有名な猿の彫刻が掲げられています、昔から猿は馬を病気から守るとされており、室町時代までは猿を馬屋で飼う習慣があったそうです。
猿の彫刻には人間の一生が風刺されており、中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。(重要文化財)
  

              

               
                「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿 

     

上神庫 側面に2頭の大きな象の彫刻があるが、耳の付き方や尻尾の形が実際とは異なっています、東照宮建立時に幕府お抱え絵師狩野探幽が実物を見ずに想像で彫刻の下絵を描いたことから、「想像の象」と呼ばれています。(重要文化財)


                     
                                                                   2頭の象

手水舎 九州鍋島藩主が奉納しています、屋根の下には逆巻く波と飛竜の彫刻があります、飛竜は翼のある竜で水をつかさどる霊獣とされています。(重要文化財)

                

五重塔 慶安3年(1648)若狭国小浜藩主酒井忠勝公によって奉納。文化12年火災で焼失していますが、文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。(重要文化財)
                                

                     
                    陽明門下の左右に鐘楼と共に並ぶ鼓楼

    
                   
                                    陽明門の前には石灯籠など、時代を感じさせる建造物を多数ありました         

陽明門 宮中(現在の京都御所)の十二門中、東の正門が陽明門、朝廷からその名を賜ったと伝えられています、江戸時代初期の彫刻・錺金具・彩色など工芸・装飾技術のすべてがこの門に集約されていると言えます、一日中眺めていても飽きないので「日暮らし門」とも言われます。
門に飾られた彫刻の数は508体で、貝をすり潰して作った胡粉を塗った12本の柱にはグリ紋と呼ばれる渦巻状に地紋が彫られています。(国宝)
 
 

              

             

     

              

               

        

             門には様々な表情をした中国の賢人の像が彫られています

       
 

      

              
           


            
                              内側から見た陽明門、表同様に華麗な装飾が施されています
 

              

回廊  陽明門の左右に延びる建造物、外壁には花鳥の彫刻が飾られており、いずれも一枚板で極彩色のすかし彫りです。(国宝)


           

唐門  建物全体が貝を砕いて造った胡粉で白く塗られ、細かいい彫刻がほどこされています(国宝)

    
           

     
              

                 
              
                                      唐門内部から見た陽明門


            
                   本殿は改修工事中でした 


            
                                                左が祈祷殿、右が神楽殿、間を抜けると坂下門です


眠り猫 左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています(国宝)

       
        祈祷殿                       坂下門に入るには有料です           坂下門前の回廊上に「眠り猫」が彫られています       

      
         


              


奥宮 坂下門を入ると200段の階段が続きます、拝殿・鋳抜門・御宝塔からなる東照宮の祭神・徳川家康公の墓所
坂下門から始まる奥社参道の石段は、柱で浮き上がってこないように重く大きな石が必要だった踏み石に1枚石が使われている。
 
             
              

                 
              坂下門の内側の装飾                                    坂下門から階段が続きます


              
                                           東照宮本殿の甍

           
                                                                         
          古色蒼然とした墓所に続く道                                   家康公遺訓
         

         
          奥院の拝殿                  承応年(1654)創建の青銅製の宝蔵庫           寛永期に寄進された狛犬 


    
          
                              拝殿は青銅の上にに黒漆を塗った重厚な造りです


            
          唐銅で屋根・柱・壁を鋳造して組み立てた鋳抜門、江戸時代は将軍以外立ち入る事が出来なかった領域です


              
                                          徳川家康公の墓碑(宝塔)


           
      墓碑を一周できる様に歩道が整備されていました                墓前の鋳抜門、江戸時代には歴代将軍がこの門から墓参しています   
    

   





          



   

         

  

  

  

        

 

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日光ウォーク (2)日光山輪王寺

2012-12-20 13:56:32 | 歴史散歩



神橋
二荒山神社の構造物(国の重要文化財)、奈良時代末期に架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてからは永く神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向の時のみ使用されていたそうです。
山間の峡谷に架けられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋と言われ、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つだそうです。


            
                   現在は渡橋料を払えば渡ることが可能です
    
日光山輪王寺
天平神護2年(766)に勝道上人によって開山され、鎌倉期になると源頼朝の寄進により日光山伏の修験道場が開かれています。
鎌倉から江戸期には朝廷・幕府の信仰が篤く朝廷の庇護の元、法親王の宮が座主についていましたが、何と言っても元和期に入ってから家康から信任を受け、幕府内で大きな力を持っていた天海大僧正が家康の遺言によって墓所を久能山東照宮から日光東照宮に移し、その後、第三代将軍家光の霊廟が日光山に建立された事により隆盛を極めるに至っています。


         
        神橋手前に建てられた天海大僧正の像               入口に置かれた世界遺産「日光の社寺」のモニュメント


           
                                      二社一寺の参道入り口  


                   
          開山の祖、勝道上人の像              輪王寺本堂(三仏堂)、現在改修中ですが、見学は可能です                 

                   
             宝物殿入口                          宝物殿内から庭園(逍遥園)が眺めれます

     
                                             逍遥園入口

     
  3日前に降った雪が残っていました                     小堀遠州作と言われる回遊式庭園
      

    
  
           
     相輪橖、家光の発願により天海大僧正が建てた青銅の供養塔          修験道場 

      
        護法天堂                         光明院稲荷社の小さな祠                  輪王寺から東照宮に続く参道

家光公墓所(大猷院)
第二代将軍秀忠の長男として生まれた家光は生母ではなくお福(春日局)に育てられた、その後、弟の国松が生まれて秀忠の寵愛を受ける様になった結果、後継者争いとなり、家康が「長幼の序」を明確に表明して家光が世継ぎに決まったと言う説もありますが真偽は不明です、しかしながら家光の祖父家康に対する尊敬・感謝の念は深く、華麗な東照宮の建立と10回を数えると言われる東照宮詣で、そして慶安4年(1651)に家光が死去後、遺言であった「死後も東照大権現(家康)にお仕えする」に従って東照宮に近接する場所に墓所を設ける事になりました。
4代将軍家綱は老中酒井忠勝に命じて承応元年(1652)2月16日から承応2年(1653)4月4日までの1年2か月という短い期間で大猷院を造営しています。
東照宮と比べると規模的には小規模で、建築に施されている彫刻や色調も抑え気味で、色彩も東照宮が白と金を基調としているのに対し大猷院では赤と金を基調とした造りになっています。


             
           大猷院入口                    境内には朱塗りの建物が人目を引きました
                                  
水盤舎 承応2年(1653)に建てられた切妻、銅瓦葺き、唐破風の建物、4隅に各3本の御影石の柱が屋根を支える独特な構造で、柱の白色と上屋の極彩色の対比が際立つ、天井には狩野永真安信が描いた竜の墨絵があり水盤に写し出すといったな工夫が凝らされています。(国指定重要文化財)

            
                                                                  天井に墨絵で描かれた龍
       

    
         仁王門                                                           改修工事中の二天門

           
                                                持国天像                        広目天像 

 

夜叉門(唐門)
二天門から続く石段を登ると霊廟への最初である夜叉門です、切り妻造りで鮮やかな彩色が目を引く華やかな門です。
正面、背面の左右柵内に「毘陀羅(びだら)」「阿跋摩羅(あばつまら)」「ケン陀羅(けんだら)」「烏摩勒伽(うまろきゃ)」の「四夜叉」を納め、霊廟の鎮護に当たっています。 

                          

            
              階段途中から見た夜叉門   
            

              
               内部から見た夜叉門                                          夜叉門奥に金閣殿が見えます


本殿(国宝)は承応2年(1653)に造られた建物で拝殿と一体となる権現造りです。
建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼っています、彫刻を極彩色、垂木、高欄部を朱塗り、花頭窓周囲を黒に塗るなど色分けして格式と調和を図っています。
内部には三代将軍徳川家光の木像と御霊碑を安置した宮殿が設置されています。


  
           
             拝殿                                                           本殿
     

         
             本殿の側面                                          廟の入口に当たる皇嘉門への回廊

           
         皇嘉門に通じる門                              家光廟がある奥ノ院に通じる皇嘉門、この先は立ち入り禁止でした  

                     
                                        夜叉門に続く階段下の左右にある鼓楼 

                     
                                夜叉門下にあった寄進された石灯籠  

   
           二天門下の展望所(人界庭園)、「天界から人界を眺めてご覧ください」とありました、石灯籠が並んだ眺めでした

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日光ウォーク (1)日光市内

2012-12-20 13:26:08 | 歴史散歩

日光市 http://www.city.nikko.lg.jp/kankou/index.html
北千住から朝一番の東武特急「けごん」に乗り、9時半過ぎに日光駅到着です。


             
        平日で紅葉の時期が過ぎている為、車内はガラガラでした                    初冬の時期、人影もまばらな東武日光駅前  

          
           街を囲む山々は3日前に降った雪で白くくなっていました、気温は3℃く位か

          
                                      クラシックな建物のJR日光駅

     
                  駅舎内もレトロな雰囲気に改造されていました                       駅前のホテル、人影なし

            
      JRと東武日光駅は歩いて5分程の距離            今に残る杉並木          日光市総合支所もクラシックな建造物でした       

          
                   駅から神橋、二社一寺までをのんびり日光街道を歩きました、約30分程の距離です
 


     
                    街道沿いには古い建物が多く残されていました
           

輪王寺・東照宮・二荒山神社を巡り終わったのは午後1時半過ぎ、昼食は写真仲間といつも行く日光蕎麦処「たくみ庵」で摂ろうと決めており、西参道からR120を20分程歩いて店に着くと無情にも「本日休業」の看板、再びR120に戻り、金谷ホテルで摂る事にして神橋を目指しました。

                      
               「本日休業」の看板が立つ「たくみ庵」                 神橋が架かる大谷川を望む高台にある「金谷ホテル」


      
  登録有形文化財に指定されている日光物産商会       日本ロマンチック街道((R120)沿いにある金谷ホテル創業の地  金谷武家屋敷    

日光金谷ホテル http://www.kanayahotel.co.jp/history/index.html
明治6年(1873))に開業、登録有形文化財、近代化産業遺産に指定されている日本最古のリゾートホテルとして有名、アインシュタイン博士やヘレン・ケラーなどの著名人が滞在したそうです。

            
                                         クラシックは宿泊棟              本館

           
                                  クリスマス時季を目前に正面玄関の大きなプレートが目立ちました                            

     
   ランチは「百年カレー」セット+ビール、百年前のレシピ通りにつくられたそうです、奥深い味わいでした

         約3時間かけて二社一寺を巡って、遅いランチをとった後、再び歩いて東武日光駅に戻りました、帰りは浅草行きの区間快速で北千住まで2時間半をかけて帰りました、なお土産は名物「さしみゆば」と「しそ巻トウガラシ」、酒の肴です。

徳川幕府を開いた家康公、三代将軍家光公の墓所を巡り、264年続いた江戸時代の創世記を目の当たりにした一日でした。

 (2)で輪王寺、(3)で東照宮をアップします。

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大川端(隅田川)ウォーク - 柳橋

2012-12-12 19:54:31 | 歴史散歩

昼食は浅草の「並木藪蕎麦」で食べました、時間が遅かった為か、この日は店の前にいつもの行列はありませんでした。
「並木藪蕎麦」は、大正2(1913)年創業の老舗、「かんだ藪蕎麦」、「池之端藪蕎麦」と並ぶ藪御三家のひとつです。
江戸の蕎麦にこだわり、そばの香りを引き立てる辛口のツユが特徴です。
この店は、食にこだわった池波正太郎が贔屓にしていた店で、エッセイ「散歩のとき何か食べたくなって」で(初冬の、鴨なんばんが出はじめるころの、平日の午後の浅草へ行き、ちょっと客足の絶えた時間の並木の「藪」の入れ込みにすわって、ゆっくりと酒をのむ気分はたまらなくよい。)と書いています。


        
       最近、リニューアルされました                                看板は昔のまま
     

                     
      店は上がり座敷とテーブル席のこじんまりとした昔風の造りが粋でした       そば湯が大きな急須で出されるのがうれしい


              
                  天ざるを注文、ざるに付き物の海苔はのっていません、つゆは辛口で、そばを少しつけて食べます


浅草から吾妻橋ー駒形橋ー厩橋ー蔵前橋ー浅草橋までを歩きました、JR総武線浅草橋を挟んだ隅田川と江戸通りの間が柳橋です。
柳橋二丁目にある蔵前工業高校辺りは江戸時代、全国の幕府直轄領から運ばれた米を隅田川から陸揚げして蔵置した米蔵「浅草御蔵」があった場所で、蔵前と言う地名もそれに由来しています。
1934年に江戸時代から続いた下平右衛門町、新森田町、新片町、旅籠町の大部分が浅草区柳橋一丁目、旅籠町二丁目、瓦町東部、須賀町東部、御蔵前片町東部が柳橋二丁目となったそうですが、江戸後期から明治にかけて柳橋一丁目は江戸前の料亭が軒を連ねた花柳界として隆盛を極め、伝統的に江戸芸能に鍛えられたプライドが高い「柳橋芸者」が有名です。
なお柳橋という地名は隅田川にそそぐ神田川に架けられた橋の名前に由来します。


        
                                               石塚稲荷、元禄元年に御蔵前元旅籠町からこの地に移されました

              


                   
         昭和4年に架け替えられた神田川に架かる柳橋        橋のたもとには安政元年創業の料亭「亀清楼」が現在でも営業していました 

  
        
       柳の木が多くあった事から柳橋とつけられたと言う説もあります             大川(隅田川)に流れ込む神田川                          


           
        屋形船乗り場                        篠塚稲荷神社(創建年代不詳)         浅草橋脇にあった「浅草見附跡」の碑


           
      浅草橋駅前の一枚、柳橋二丁目角にある人形の「秀月」、人形店が並んでいます     駅前の宝くじ売り場、当たり券が多く出る事で有名(?)





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富士山遠望・杓子山

2012-12-02 10:21:08 | 登山

この日の天気は午前中晴れ、午後曇りの予報のはずが、午前中は陽がなかなか顔を出しません。

             
      談合坂SAにて                       河口湖ICで高速をおりて凹凸の多い山道を進み登山口にある駐車場を目指しました

        
             今回のハイクは急登があるが高低差300mと楽な行程

                 
         すでに紅葉の季節が終わっており、落葉を踏みながら出発しました

                 
         途中、ハングライダーが滑空する場所を通過                           徐々に空が晴れてきたが雲が多く富士山は望めず

        
        急な斜面をロープをつたって登るとピーク、眼下に山中湖がみえます                        木々には雪が

           
         青空が広がり富士山を隠していた雲が切れてきました、頂上は降った雪が解けてぬかるみ状態       樹氷?                            

        
           R隊のフルメンバーです                                     


                
                               頂上にある2台のテーブルは先客に占領されていて、我々は地面にシートを敷いて昼食

     
           青空が広がるが気温が低い、簡易コンロで湯を沸かして食べたカップめんが体を温めます                   私の昼食             

        
     富士山頂上は流れる雲で、なかなか姿を見せません                               不気味な雲        
 

                  
          頂上で昼食後、しばらく休んで下山開始、時々雪片(あられ?)が舞っていました             R隊隊長のH氏  

              
                              下山途中で、ついに富士山が全容を現しました

        
                         富士山は冬の装いですが、登山道にはまだ秋の気配が残っています

 
           
         無事下山、これから帰路につきます                                          全員集合

        
        車窓からみた富士山、頂上は吹雪いていました                           富士吉田市内から見た富士山

            
       正面の山も幾つかは踏破済み                      談合坂SAで皆さん吉田うどん、ほうとうをお買いもの

       
I君の車に乗車した4名中、愛妻家H氏は自宅に直行、残った「はぐれ者」3名で軽く(?)夕食(+お酒)をする事になり、荻窪のイタリア料理店に向かいました。(勿論、車は車庫に戻しています)

午後6時過ぎ地元で美味しいと評判の店「ラヴォーリャマッタ」(http://r.gnavi.co.jp/a058806/)にはすでに順番待ちの人が十数名、待ち時間は約1時間との事

                 
                    順番を待つ人達

   
  ビール一杯の後はワイン、イタリアワインで美味いと言われる「BAROLO」をオーダー、品種はネッビオーロ、熟した果実の香りと丸みのある味わい

                   
       欲望のサラダ                  馬車に乗ったモッツァレラチーズ あつあつアンチョビソース     ガーリックトースト

                   
                          ビッア2種                                      ラザーニア  
     

                    
                                        ボンゴレビアンコ                        酒豪の二人

            
           チーズ盛り合わせ                                             キャンティクラシコを追加オーダー

「ラヴォーリャマッタ」はイタリア商工会議所が伝統的な調理法、食材、シェフの力量を審査して認証する資格(AIQ)を取得した店で、本格的なイタリア料理をリーズナブルな料金で食べれるとして評判の店だそうです、確かに大満足でした。

今年最後の登山は再来週、忘年山行として山梨県の毛無山(1945m)に登ります、下山後は民宿で忘年会、翌朝は夜明けの精進湖と富士山を撮る予定です。

          


     
  
  

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