写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

2013早春の小湊・いすみ鉄道

2013-03-31 20:25:15 | 四季の彩り

小湊鉄道飯給駅に午前8時に到着する一番列車を撮る為に、O君の住む最寄駅で午前6時過ぎに待ち合わせて車で出発しました。 
7時50分に飯給駅に到着、この駅は無人駅ですが桜と菜の花、その間を走る列車が絵になる「撮り鉄」にとっては見逃せないロケーションにあります。 

小湊鉄道 http://www.kominato.co.jp/
千葉県市原市の五井駅から大多喜町上総中の駅間39.1mを結ぶ3セク、上総中野ではいすみ鉄道に接続。

飯給駅

          
             菜の花は満開ですが、残念ながら桜は3分咲き、無人のホームに乗客が一人列車を待っています

           
                    小湊鉄道は単線、列車本数は1時間に1~2本、乗り過ごすと30分以上待つことになります          
                    

             
         10~24mmと55~300mmレンズを持って来たが、列車を撮るには中途半端、18~200mmを持ってこなかった事を猛反省


                      
          O君はレンズ3本を用意しており万全の態勢             ホーム脇にある日本一大きいと言われるトイレが、奥は女性用だそうです              
             

          
                3分咲きの桜と通過する列車
             
          

           
                    急カーブにさしかかるキハ200形                                                    

上総大久保駅

          
             無人駅の上総大久保駅                                                               


             
               ホームで列車を待つO君                              地元の人が二人、列車を待っていました      
 

             
                  待合室の壁に「トトロ」のイラストが描かれていて殺風景な空気を和ませます

          
                     待つこと30分、上総中野行きの列車が到着               田園風景が広がる、のどかな駅前の風景


         
            2輌連結のキハ200形が停車中                              ワンマンカーではなく車掌が乗っていました


いすみ鉄道   http://www.isumirail.co.jp/
 大原 - 上総中野間26.8kmを結ぶ3セク、訓練費700万円を採用時に自己負担する事を条件に運転免許が取得で出来ると言う運転士養成プランを発表して話題となりましたが、実際に応募者がいて4名が採用され、その後ディーゼル列車の運転資格試験にも合格したそうです、経営が苦しい3セクは様々なアイデアで生き残りを図っています。

総元駅


               
            総元駅は公共施設と同居していました                                  待合室


                  
               「そと房号」が入線しました

         
               
            満開の水仙と咲きだしたしだれ桜がお出迎え
         

                
                キハ52 125形とキハ28 2346形が連結
        

                                         
                              桜の花がお見送り


                        
                           早春の風景の中を走る列車


             
                                           懐かしい風景


                      
                                         総元駅前でのスナップ



             
                大多喜に向かう途中、多くの撮り鉄がカメラを構えるところに遭遇、我々も車を止めて列車を待ちました


大多喜駅
大多喜は天正18年(1590)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ治領した地です、忠勝は「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」とまで言われた武人でした。
現在、大多喜町はNHKに対して本田忠勝を主人公とした大河ドラマ制作を働きかけているそうです。

             
         いすみ鉄道大多喜駅                                                 待合室

                           
                                    構内   


       
                       懐かしい手動式のポイント交換機                              大原行ホーム                                                   
     

           
                                   菜の花が似合う「ムーミン」車輛 
    

                                                
         下り列車が到着して多くの乗客が乗降していました                               上り列車も入線です 
                      


       

                                     単線の為、上下線が行き違う大多喜駅

        
                                    上り列車が到着後、下りの大原行きが発車しました
 

 車で撮影スポットを何か所か巡りましたが、飯給駅で列車で来たと言う若い撮り鉄君に会いました、話を聞くとこれから上総大久保まで歩くと言うので車に乗せました、歩いたら多分1時間以上かかったのでは、上総大久保で降りた際は感謝されました、他にも何人かの「撮り鉄君」に合いました、この季節の小湊・いすみ鉄道沿線は「絵」になる風景が多くあります。

我々は大多喜の蕎麦屋
で遅い昼食を摂り、帰路に着きました。

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2013春爛漫・昭和記念公園

2013-03-28 10:31:07 | 四季の彩り

国営昭和記念公園
立川市と昭島市にまたがっていた旧米軍立川基地の跡地のうち180haが昭和天皇在位50年を記念して、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに造営され、昭和58年に開園した国営の公園です。
広大な敷地は様々なゾーンに分かれ冬場を除き、年間を通して様々な花々が咲いています。
写真仲間と午前10時にJR西立川駅に集合、午後1時までの約3時間、自由行動として各自公園に散らばりました。



         

          

              


                

                        

    

                 

                

                

                     

                       



                


                 

                

                        

    
午後1時に西立川口に戻り、立川市内で昼食をとる事にして立川口まで歩きました。

           
        参加した5名、                                                     昼食(反省会)は高島屋内の蕎麦屋で


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都電と桜

2013-03-25 20:55:08 | 都会の風景

                 歌川広重が画いた飛鳥山と王子 「名所江戸百景」より


       ファイル:100 views edo 017.jpg      ファイル:100 views edo 019.jpg         ファイル:100 views edo 047.jpg
                   飛鳥山北の眺望                     王子音無川堰棣                                王子不動の滝  


王子神社(王子権現)http://www.genbu.net/data/musasi/ouji_title.htm
飛鳥山近くにある神社、創建は不明、元享2年(1322)に熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を勧請して王子神社を再興しました、王子権現とも言われていました。
                                                          

        

音無親水公園
現在の石神井川(石神井用水)はその昔、音無川と呼ばれ景勝の地として親しまれていたそうです、王子権現と飛鳥山の間に位置しており、現在は旧流路跡に音無親水公園が造られていました。

              

飛鳥山
今日では桜の花と花見はつきもの、享保期以前の江戸では天海大僧正が植えた上野寛永寺の桜が有名でしたが、格式の高い寛永寺で酒盛りをして騒ぐことが許されません、享保期になり八代将軍吉宗は庶民が安心して花見が出来る場所として飛鳥山、隅田川堤、品川の御殿山に桜の苗木を植樹して整備しました、飛鳥山は天文2年(1737)に庶民に開放され、以降花見の名所として今日に至っています。


       


                
                               飛鳥山は山と言うより小高い丘です

              
               山の下から無人のケーブリカーが飛鳥山頂を結んでいます、乗車時間は数秒間でしょう      

              
                ソメイヨシノが満開でした


                   王子駅から大きくカーブして飛鳥山下を走る都電


                

                 

面影橋
神田川に架かる橋、太田道灌の逸話にある山吹の里とされています。


                        



                  ファイル:100 views edo 116.jpg 名所江戸百景に描かれた「高田姿見のはし俤の橋砂利場」

                  手前の神田川をまたぐ橋が「姿見の橋」、奥の小川に架かる橋が「俤(おもかげ)の橋」と言われています


                
                                             
                                         面影橋近くの公園にあったしだれ桜


                 
                                       面影橋から見た神田川と桜   

                


                  

                 
                       都電もカラフルな色の新車が増えました、昔の電車が懐かしい(?)

                  
                 カーブを曲がると面影橋停留所                         学習院下停留所を出た都電、奥はサンシャイン60

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2013春・浜離宮

2013-03-17 11:07:33 | 歴史散歩

浜離宮
承応3年(1654)に四代将軍家綱の弟であった甲府藩主綱重が将軍家の鷹狩場であった、この地を別邸として造営、綱重の子、綱豊(家宣)が六代将軍とになった後は徳川将軍家の別邸となりました、その後、何度か造園、改修が行われ現在の姿になり、江戸時代に発達した典型的な大名庭園(回遊式築山泉水庭)です。
明治に入ってからは皇室の離宮となって「浜離宮」と名前を代えましたが、現在は東京都に移管され国の特別名勝及び史跡に指定されています。

所在地は中央区浜離宮庭園1-1、東京湾に面した広大な庭園は、近年までは
静かな佇まいでしたが、近くの汐留地区に高層ビルが立ち並ぶ様になって周囲の環境は一変しましたが、浜離宮は今でも貴重な都心のオアシスとなって残されています。
なお最後の将軍慶喜が「大政奉還」後、官軍に追われて船で大阪を逃れて着いたのがこの「浜離宮」でした。
          


             
                                 離宮の案内

       
          
        JR新橋駅から歩いて15分程の距離です                                     入園料は¥300.-

      
    正門を入ると、車の騒音、雑踏が途絶えて別世界となる都心の貴重なオアシスです
   

          
     六代将軍家宣が植えた松、三百年の松と呼ばれています

           
     明治2年に外国要人の迎賓館として建てられた我が国初の洋風石造り建造物「延遼館」跡 

菜の花畑
園内のお花畑に咲く「菜の花」が満開でした、銀座・築地からも近い都心部にあって、これだけの菜の花が咲く場所は他にはありません、知る人ぞ知る隠れた名所と言えましょう

      
    近くのホテルで結婚式を挙げたと思われる新婚カップルが記念写真撮影中でした

              
                  可愛いお嫁さんを「前ぼかし」で撮ってみました  


          

          

          

          


              
                      中央右手のビルが電通本社、左がコンラッドホテル


             
               盛りを過ぎた梅の花がまだ残っています                     ピンクの梅の花、背後は菜の花


                
                           山茶花の花のアップ                               名残の梅の花
      

                
            レインボーブリッジが遠望できます                              海岸に造られた樋の口山の松とビル群


              
                                                       庚申堂鴨場


              
      庭園の池は「潮入の池」と言われ、海水を引き入れ潮の干満により趣を変える様式になっているそうです


            
        海に近く松の木が多く植えられています                            池越しに東京タワーが見えます


                        
                     高層ビルを背景とした汐入の池と中島の茶屋


      
                                        芝浦の海                         海越しに見える晴海地区


                
      宝永4年(1707)に建てられてた茶屋跡、将軍、御台所たちが休憩したと言われています、今の建物は昭和58年に建てられたものです


              
                                                                       色鮮やかな山茶花


            
             盛りを過ぎた梅の花がまだ、残っていました                                   カンヒザクラの花
   






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亀戸天神社の梅の花

2013-03-10 14:03:12 | 四季の彩り

亀戸天神社  http://www.kameidotenjin.or.jp/history/index.html

亀戸天神は藤の花が境内を彩ることで有名ですが、古くからから梅の名所でもありました。
天神社の開基は寛文元年(1661))、祭神は菅原道真公、境内には300本ほどの梅の木が植えられており、受験の合格祈願で賑わうこの季節が見頃となります。

江戸時代、天神社から北東300メートル足らずのところに、梅屋舗と呼ばれる梅の名園があり、そこにあった 「臥龍梅」の木が有名で開花の頃になると大勢の人が訪れていた様です、浮世絵師・歌川広重は「東都名所亀戸梅屋舗全図」として画いています。

亀戸梅屋舗の起源は不明ですが、江戸時代の富豪の別荘がこの地にあり、邸内に多くの梅が植えられていたことから「梅屋舗」と呼ばれ、その中の「臥龍梅」が特に有名で、広重の『江戸名所百景』にも描かれています。
『亀戸梅屋舗』は明治43年(1910)の水害で廃園になり、ゴッホが模した広重の 「臥龍梅」と共に幻の名園となっています。

                  東都名所亀戸梅屋舗全図
                                           歌川広重「 東都名所亀戸梅屋舗全図」



                       
             広重が画いた「臥龍梅」                               ゴッホが模写した「臥龍梅」

                
                                                                          JR総武線亀戸駅から10分程歩くと亀戸天神社です

           
                                                   入口の太鼓橋は改修中

                 
          この日も天神社には合格祈願(?)の行列ができていました                      紅梅とスカイツリーのアンテナ

                 
        天神社本殿の左右に咲く紅白の梅、多くの合格祈願の絵馬が吊るされています           紅白の梅の花が青空に映えます


東京スカイツリーと梅の花   

亀戸は東京スカイツリーがある押上地区に近く、どこからでも塔を見ることが出来ますが、梅の花とのコラボもそれなりの絵になりました。

                 
          蝋梅がまだ咲いていました                                         白梅とスカイツリー
 
                   
         石積みの上に咲く梅も絵になります  


                     
         紅白梅の競演                                             紅梅と白いツリーが青空に映えました   


                         

 
                         
                                                       望遠レンズで蕾をアップ


                  
         蕾をアップ                                                 
 
                  
            藤棚越しに見たスカイツリー       

明治26年に歌川国貞達が建てた浮世絵師・歌川豊国の碑、豊国の墓所も近くの光明寺にあります

              
               

              
                                   株数が少ないが池の端に水仙の花が咲いていました

船橋屋
天神社から蔵前橋通りに出て太平方面に歩くと行列が出来ている店がありました
文化2年(1805)創業の「船橋屋」、葛餅専門の店だそうです。     

                                  
                                                 

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旧水戸街道・松戸宿ウォーク

2013-03-05 10:59:15 | 歴史散歩

水戸街道・松戸宿
 

江戸時代、日本橋と徳川御三家のひとつ水戸徳川家とを結んでいたのが水戸街道、日本橋から数えて千住、新宿(葛飾区)の次が松戸宿です、幕府が政治的に重要視した水戸街道は「脇往還」でしたが 、五街道などと共に松戸宿までが道中奉行の支配下に置かれていました。
日本橋から水戸までは20宿(29里31町/117km)、参勤交代時には伊達、相馬、平など二十余藩がこの街道を利用していました。(水戸藩は江戸常勤の為、参勤交代はありません)

松戸宿は江戸川に面しており、江戸から水戸に向かうには金町松戸関所(東京都葛飾区)を通り、舟で渡る必要がありました、松戸宿には本陣、脇本陣、高札場、問屋場が設けられており宿場としての機能が整備されました。

 

        
                     旧水戸街道沿いにある松戸市民劇場前にあった案内

      


戸定邸
http://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/

水戸徳川家11代藩主徳川昭武(15代将軍慶喜の実弟)が明治17年(1884)に松戸に造った別邸です(国の重文)
正式な名称は「旧徳川家住宅松戸戸定邸」、現在は戸定が丘歴史公園として開放されています。

なお、戦国時代にはこの場所には松戸城があり、小金城主高城氏(松戸市大谷口)の出城として用いられたと云われています。

       
      茅葺き屋根の正門                                        広大な邸内には資料館、母屋、庭園があります

           
        紅梅が咲き始めていました                                          白梅はまだつぼみ        

       
            江戸川堤沿いあった本陣跡地の案内板                      本陣跡はマンションになっていました、奥は江戸川の堤

     
     松戸の鎮守である松戸神社                  旧街道沿いにはまだ、古い建物が見受けられます

           
                                       元和元年創建の松龍寺           江戸川に流れ込む坂川に架かるレンガ橋

浅利道場跡
街道沿いの寺院、宝光院と善照寺の間にあった「浅利道場」は小野派一刀流で名を轟かせた浅利又七郎が開いた剣術道場です、当時、陸奥の国から松戸に移り住んだ馬医師の千葉中衛門(浦山寿貞)は息子の周作をこの道場に入門させて研鑚を積ませました、文永8年(1823)に周作は江戸に出て、新しい流派(北辰一刀流)を興し道場「玄武館」を開きます。
周作は従来の剣の伝授12段階を簡素化し、初目録、中目録、大目録皆伝と3段階にしたり、庶民に分かりやすい教え方で、人気を集め、門弟の数も増えて江戸時代後期には「力の斉藤」(練兵館)、「位の桃井」(志学館)と並び「技の千葉」(玄武館)と称される様になります。


司馬遼太郎は著作『北斗の人』で周作の半生を書いていますが、その中で
当時の「松戸宿」を次のように描写しています。

「江戸川の東岸に、松戸というにぎやかな宿場がある。現在は千葉県松戸市になっており、東京の近郊にあたる。いまよりも江戸時代のほうが、松戸は栄えたであろう。すくなくとも重要な聚落だった。」

 
          
          宝光寺入口に立つ「千葉周作修行之地」碑

      
              坂川沿いにある宝光院                              善照寺

           
     旧水戸街道はJR松戸駅から離れた場所を通っており、そのまま進むとR6号と合流して水戸を目指しています。



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