写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

戸定邸と梅

2010-02-28 14:21:11 | 四季の彩り
戸定邸と梅の花

東京都葛飾区から江戸川を渡ると千葉県松戸市です、古くは徳川氏の旗本知行地で水戸街道の宿場として栄えました。
今日では全くその面影を留めていませんが、かってこの地にあった松戸城の跡が戸定が丘歴史公園となっていました、園内には第15代将軍徳川慶喜の弟で水戸藩最後の藩主 徳川昭武の別邸として明治17年(1884年)に建てられた戸定邸が残されております。
大政奉還により将軍職を引いた慶喜も何度かこの地を訪れていたそうです、心ならずも徳川幕府の幕引きをせざるを得なかった最後の将軍は同じく水戸徳川家最後の藩主となった実弟とどの様な話をしたのでしょうか。

現在、国の重要文化財にも指定されている邸内は一般に解放されており見学することが可能です、建物内は華美さがなく簡素なもので大名の別邸(下屋敷)らしくない佇まいでした。
昨年は天皇、皇后陛下も邸を訪れています。

公園内にはこじんまりとした梅園があって、訪れたこの日は梅の花が満開でした。

戸定が丘歴史公園の園内案内                                                  趣のある茅葺の正門
     

戸定邸                                簡素な造りの玄関                          松戸市戸定歴史館
       

                                     
          梅園の梅が見ごろでした

                                    

                

                                   

     
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梅小路蒸気機関車区

2010-02-14 13:29:34 | 懐かしい記憶

梅小路蒸気機関車館(京都)

効率が優先される現代社会、移動・輸送手段としては新幹線など高速鉄道が主流となっていますが、一方においてスローライフもトレンドとして定着してきており、その象徴の一つとして蒸気機関車(SL)による旅が見直されています。
これらの動きにJR各社や地方の民鉄では眠っていた蒸気機関車を整備、期間限定など条件付きながら復活の動きが出てきています。
SLでの移動が当たり前であった1960〰80年代に青春を過ごした団塊以前の世代がノスタルジアを感じているのも事実です。

過日、多数のSLが動態保存されているJR西日本梅小路蒸気機関車館に行って来ました。
釜に石炭をくべる機関助手、蒸気圧、スピードを調整する機関士、SLは人間との呼吸で動くロウテクの代名詞とも言えましょう。

機関車の前面にはD51xxx等のナンバープレートが付けられています。
最初のアルファベットのAは動輪が1個、Bは2個、Cは3個、Dは4個、Eは5個の意味です、その後の数字は炭水車を付けていない機関車の場合は10~49、炭水車をつけている機関車が50~99となります、以下の数字は製造順につけられているそうです、有名なD51は動輪が4個でで炭水車付き車両となります、なお形式が決まる前の車両には9633、9630のプレートが付いています。

蒸気機関車の駆動機関

ワルシャート式弁装置の動作機構アニメーション。赤色は吸気を、青色は排気を表す。
(Wikipediaより抜粋)

大正3年に建設された機関車の車庫(20の引き込み線があり、現在19輌が保存されており、うち7両が動態保存されています)  車庫内に保管されているD51の1号機関車
     

広い構内に停車していたC55                                構内には見学者を乗せて走る為の短いレールが敷かれおりC62が往復していました
     

燃料である石炭が積み込まれています                     転車台で向きをかえます                      車庫に戻るC62
     

懐かしい汽笛が構内に響きました                信号機の前で止まるC62                                     主動輪           
     

車庫に保存されていた蒸気機関車群

C11形                 D51形                9633形             9630形              C55形                C58形(お召し列車用)
              

D50形               D52形               C59形               C53形                C51形
           
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お茶の水界隈

2010-02-02 14:10:14 | 大江戸の風景

お茶の水界隈

この日は普段通り過ごしているお茶の水界隈を歩きました。

ニコライ堂(東京復活大聖堂)

JRお茶の水駅から歩くこと数分、ロシア正教会「ニコライ堂」はビルの谷間にひっそりと佇んでいました。
1884年から7年の歳月をかけて建設されたビザンチン様式の教会で1962年に国の重要文化財に指定されています。
教会内はおごそかな雰囲気で聖母マリアなど多くのイコンが掲げられていました。
ちなみに教会の案内では「正教会(Orthodox Church)はハリストス(キリストのギリシャ語発音読み)に始まる初代教会の信仰を今日に至るまで正しくそのまま継承してきた唯一の教会」とありました。

ニコライ堂全景                       正面
     



昌平坂学問所・湯島聖堂

五代将軍綱吉により建てられた儒学学祖孔子の廟、朱子学者林羅山の私塾内にあった孔子廟「先聖殿」をこの地に移築して「大成殿」に改称、付属する施設を含めて「聖堂」と称しました、また林家の私塾も移転されましたが1797年に「寛政異学の禁」により林家の手から離れて幕府直轄の「昌平坂学問所」となりました。
昌平は孔子の生まれた村昌平郷からとった名前です。

聖橋から聖堂をのぞむ                        聖堂の案内板                              聖堂正門
     

孔子を祀る大成殿                            魔除けの屋根飾り(鬼ぎん頭、鬼龍子)              台湾のライオンズクラブから送られた孔子像                
      

古色然とした聖堂を囲む塀                                                   聖堂脇に残されていました  
     

昌平坂の由来が書かれていました                聖堂の向かいにある東京医科歯科大学内にある昌平坂学問所跡の案内版
  

神田明神

創建は天平2年(730年)正式名は神田神社。江戸時代に江戸城増築により現在の地に移されました、江戸の総鎮守として賑わいを見せていた様です、2年に一度行われます神田祭りは江戸の三大祭りの一つとされています、神田祭の山車が江戸城に入り将軍の拝謁を受けたと言う事で別名「天下祭」とも言われています。
1923年の関東大震災で社殿が焼失していますが、1945年の東京大空襲では難を逃れました。
なお明神の境内には歴史を裏づける様に江戸神社など日本橋、神田の青果市場、築地の魚市場など108ケ町の総氏神様11社が本殿を囲むように鎮座しています。

鳥居                                随神門
     

随神門脇の御神燈                   隋神門の色鮮やかな装飾               境内から見た随神門
     

明神本殿                         神社由来の大祓神事の茅の輪が飾られていました
     

青物市場の守護神 江戸神社                                            国学発祥の碑
     

野村胡堂が書いた銭形平次は明神下に居を構えおり、その碑が境内に建っていました
  

江戸時代に造られた数少ない石造りの獅子像
  

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