以前勤めていた会社で所属部署、勤務地、年齢がバラバラなリタイアした親父達が集まって月一回、都内・近郊を歩いています、今回から新たに定年退職したT氏が仲間に加わりました。
海外勤務後も海外出張が多かった職場を離れて、第二の人生は畑違いのファイナンシャル プランナーを目指すそうです。
2月21日午前9時過ぎに小田急線片瀬江の島駅に集合、江の島―腰越ー鎌倉高校前を歩き、鎌倉高校前駅から江ノ電で長谷に移動、遠足終了後は藤沢まで戻って新規会員T氏の歓迎会を行いました。
江の島
現在は鎌倉・湘南人気で外国人を含めて江の島は多くの観光客を集めていますが、江戸時代にも信心深い江戸庶民達は隅田川で「みそぎ」を行ってから、矢倉沢往還(大山街道)を歩いて大山阿夫利神社ー江島神社ー鎌倉八幡宮ー川崎大師を参詣、最終日に金沢遊郭や品川遊郭で精進落としをして江戸に帰るコースが出来ていた様です、「お伊勢参り」は難しいが5~6泊で戻って来れる「大山詣で」には多くの江戸庶民が訪れています。
弁天橋を渡り江の島へ 文政4年(1821年)に建てられた「青銅の鳥居」
参道前にて なだらかな上り坂
延宝3年(1675)に建立された江島神社(辺津宮)、江島神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の3宮から構成されている
今まで何度も江島には来ているが、いつも神社を巡るコースだった為、今回は江島神社脇から岩場を巡る「江の島浪漫コース」を歩くことに
奥津宮
龍宮大神
名所「江の島岩屋」のポスター
亀の形をした「亀石」
江の島展望灯台「江の島シーキャンドル」
江の島岩屋に続く道、この日は工事中の為岩屋は立ち入り禁止 相模湾を見下ろす恋人の丘にある「龍恋の鐘」
夕陽がきれいと言われる稚児ケ淵
江の島ヨットハーバー、2020のオリンピックのヨット会場になります
河津桜が満開
江の島を後に腰越から江ノ電鎌倉高校前までを歩く、腰越は「しらす」で有名な為、以前来た時に「しらす丼」を食べた「義経庵」へ向かう
江の島遠望
江ノ電最中販売中 江ノ電には新旧を含めて様々な車両が走ります、これはレトロ調車両
江ノ電は江の島ー腰越間は一般道を車と並走
腰越駅
義経庵に続く通路に「休業中」の看板が、店に電話したところ営業中で看板を「営業中」にするのを忘れたとの事で、仲間のM氏が「営業中」に架け替えた
「義経庵」は源義経が頼朝に許しを願う「腰越状」を書いたと言われる古刹「満福寺」の境内にある
看板が「休業中」であった為か、客は居らず貸し切り状態、看板を「営業中」に代えて我々が入った後、2組が来店
「生しらす」を期待したが、この時期は水温が低い為にしらす漁は中止しており3月に再開との事、残念!
元歴2年(1185)京から戻った義経が兄頼朝から鎌倉入りを拒まれ一時滞在したと言われる「満福寺」 満福寺入口は江ノ電踏切前
本堂 弁慶の腰掛石
ホーム前には湘南の海が広がる鎌倉高校前駅、無人駅ながら人気の駅です、特に駅脇の踏切はアニメ「スラムダンク」の舞台になり中国人に大人気、今でも多くの観光客が訪れる
ホームから見た江の島
長谷寺
開基は奈良時代の天平8年(736)と伝えられる古刹、別名「長谷観音」、春のアジサイ、秋の紅葉が境内を彩ります。
蝋梅と白梅
新装なった本堂
福寿草 ナイスアングル、東南アジアから来た女の子に撮ってもらいました
紅白の梅が満開
新しい仲間になったT氏 おまけ
これから藤沢に戻り、T氏の歓迎会
小田急線で帰る仲間が多い為、藤沢でT氏の歓迎会、長谷から藤沢に戻る江ノ電車中より撮影
上野東照宮
元和2年(1616)に亡くなった徳川幕府の開祖家康は朝廷から「東照大権現」の神号を宣下と正一位を贈位されました、神格化された家康は遺言や天海僧正の進言によって久能山と日光に東照大権現を建立して墓所としましたが、徳川、松平一門に加えて三代将軍家光の進言により、全国各地の譜代、外様を含めた恩顧の大名が大小を含めて500社以上の「東照大権現」を建立しています(その後、東照宮に改称)
特に、上野は家康の信任が篤かった伊賀上野藩主藤堂高虎の敷地であったが寛永4年(1627)に家康の遺言もあって高虎により大権現が建立されました。
慶安4年(1651)に三代将軍家光により社殿が改築され、その後の戦災、大地震にも耐えて往時の姿を現在にとどめています。
社殿は平成21年から25年までお色直しの為、非公開だったが26年に改めて公開されました。(拝観料500円で境内に入れますが建物内部は非公開)
境内には重文に指定された全国の大名が寄進した石灯篭(200基)や銅灯篭(48基)が並んでおります。
なお、現在も各地に東照宮がありますが、その中で特筆される東照宮としては数年前に訪れた「世良田東照宮」があります。
日光東照宮は寛永11年(1634)に三代将軍家光によって大改造が行われ豪華絢爛な現在の姿になりましたが、二代将軍秀忠が建てた初代の日光東照宮社殿は家光により寛永21年(1644)に徳川家発祥の地である群馬県太田市徳川町に「世良田東照宮」として移築されました、今も彩色が残る本殿は訪れる人も少ない田園地帯の中にひっそりと佇んでいました。
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(参考写真:世良田東照宮)
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現在は上野動物園内にある五重塔 大名が寄進した石灯籠
慶安4年(1651)老中阿部重次が奉納した水舎門 上野東照宮入口(午後5時閉門)
拝観料を払い社殿に向かう、慶安4年に造営された透塀、社殿四方を囲んでいる 社殿への入口
黄金に輝く社殿
唐門内部
社殿右手の出口から外へ 徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)が寄進した銅灯篭
唐門正面
ぼたん苑
昭和55年(1980)に日中友好を記念して開苑され今年は冬(40種、200株)、春(110種、600株)が植えられています。
今まで上野東照宮は何度も訪れていたが「ぼたん苑」に入ったのは初めて、苑内は想像以上の広さでした。
垣根越しに江戸時代創業の鰻の名店、割烹「伊豆栄」が見える
「ぼたん苑」と五重塔
塀の向こうは上野東照
入門は午後4時30分
石灯籠が並ぶ参道
第四代将軍家綱時代の大老・酒井雅楽頭が寄進した大石鳥居
午後5時過ぎ、上野東照宮は閉門されています