文京区の白山神社、鎌倉の明月院、東慶寺、長谷寺と、それぞれ趣のある場所の紫陽花を撮ってきましたが、撮り治めは地元の本土寺の紫陽花です。
本土寺の紫陽花
6月30日の午後、午前中に降った雨のしずくが乗ったアジサイを撮りたくて近くにある千葉・東葛のアジサイの名所・本土寺に出かけてきました。
平日の為か、拝観客が少ない、¥500.-の拝観料を払い境内に入ります
残念ながらアジサイのピークシーズンが過ぎていて枯れて変色した花が目立ってアップに耐えられず
本土寺本堂 創建が文永6年(1269)とも建治3年(1277)とも伝えられる古刹です
人が入らないので思い通りの構図で写真が撮れる
シーズンを過ぎた花菖蒲園には咲き遅れた菖蒲が所々に見える 場所によっては、まだ盛りの花も見受けられた
気温が高い為、午前中に降った雨のしずくは乾燥して残っていない
柴又散歩
月2回軽登山を行っている会社のリタイア組+現役組の集まりであるR隊、このほどリタイア組が平日に町中ウォークを始めました。
初回である今回は首都圏に住んでいながら、まだ行ったことが無いという最長老のM氏の希望で「柴又」散歩に出かけました。
6月20日午前9時30分に京成柴又駅に集合、今回の参加者は5名 駅前の「寅さん」像、奥に「さくら」像
昨年「さくら」像もできました
経栄山題経寺(柴又帝釈天)
寛永6年(1629)に創建された日蓮宗寺院、古刹であるが「男はつらいよ」の車寅次郎ゆかりの寺として知らています
駅から歩いて10分で帝釈天に到着
鐘楼 拝殿前にて
帝釈堂(拝殿)奥に内殿があり、外部前面に彫刻が掘られた彫刻ギャラリーがある(拝観は有料)
本堂裏には池泉式庭園があり、庭には入れませんが回廊から見る事が出来ます
想像したより広かった庭園
帝釈天を観てから米国の日本庭園専門誌のランキングで(2016)で第三位になった日本庭園がある山本亭へ向かうが、この日は休業日、(寅さんミュージアムも休館日)の為、江戸川の土手に出て柴又と対岸の松戸・矢切をつなぐ「矢切の渡し」に乗船することに。
トイレには見えません
船賃は¥200.-(往復¥400.-)、出発時間は不定期、乗客がいれば出航します
若い船頭さん
柴又川の渡し場 松戸側の渡し場
乗船時間は片道15分程、矢切で降りても周りにはゴルフの練習場以外は何もなく、矢切に10分程いて柴又に戻りました
快晴下、川風が気持ちよい
ランチは創業が寛永2年(1790)の川魚料理の老舗「川甚」で「鰻重」のプチ贅沢、夏目漱石、尾崎士郎、谷崎潤一郎、松本清張等のそうそうたる文豪の著書にも登場する「川甚」は「男はつらいよよ」の第一作で寅さんの妹さくらの結婚披露宴の舞台になっていたそうです。
著名人の色紙
我々が入った部屋には「矢切の渡し」を唄った細川たかしの色紙が掲げられていました
鰻重定食+ビールでお疲れ様
ランチ後、門前の商店街を歩く仲間たち
6月19日、午前中は北鎌倉の明月院と東慶寺のアジサイを撮影、午後は江ノ電極楽寺駅で下車して成就院の坂からアジサイと由比ガ浜、その後、御霊神社脇で江ノ電とアジサイを撮ってから長谷寺に移動してアジサイ撮影を予定して、北鎌倉から鎌倉まで一駅を電車で移動しました。
午前11時過ぎの北鎌倉駅、到着した電車から降りた人波は、そのほとんどが円覚寺をスルーして一路、明月院を目指す 鎌倉・小町通り、平日なのに通りは大混雑
昼食は蕎麦と決めて、鎌倉に来たらいつも行く「かまくら山路」に向かいました、店の入口が人通りの多い小町通りに面していて、門から店まで長い通路が通じている為、高級割烹の風情で敷居の高さを感じさせますが、間違いなく旨い会津蕎麦を食べさせる蕎麦屋さんです。
店の前に到着したのは午前11時30分、いつもは11時開店のはずが、何とこの日はまだ門が開いておらず、12時開店の張り紙が、30分間待てずに断念してほかの店を探すことにしました、若宮大路の「段葛こ寿々」も考えたが、この店はいつも行列が出来ているのであきらめて、鶴岡八幡宮近くにある「一茶庵」に向かったが、何と店が無くなっており、代わって「季節料理あら珠」と言う店に変身、迷ったが蕎麦が有るので入店しました。
鎌倉の蕎麦屋さん https://www.rankingshare.jp/rank/vdkiisuzcj
「山路」(以前の写真です)
奥が小町通りに面した入口の門、長い通路が続き蕎麦屋とは思えない店の佇まい 入口
店内 前回、私が食べた天ざる
一茶庵の跡に出来た「季節料理あら珠」https://hitosara.com/0006081268/?cid=aws_yg_ss_0218597
昼前に入店出来たので、10分待って席に着けた しらすのかき揚げと大海老、旬菜の天ぷら十割そば『雪ノ下』
鎌倉駅に戻り江ノ電で長谷の次の駅、極楽寺で下車 極楽寺
極楽寺駅停車中の江ノ電 駅から5分歩くと成就院
成就院境内は狭く、見るものは無いが、恋愛成就のパワースポットがあった 成就院から坂を下ると由比ガ浜海岸、以前は坂の左手にアジサイの群生があったが、今年は刈り取られていた
坂を下り、アジサイと江ノ電が撮れる御霊神社に向かう途中で出会ったリスちゃん 江ノ電の踏切を渡ると御霊神社
踏切脇を走る江ノ電
江ノ電沿線に咲くアジサイ 御霊神社
長谷寺(通称は長谷観音)
浄土宗単独の寺院、創建は天平8年(736)、奈良県桜井市にある真言宗豊山派総本山の長谷寺の開基である徳道を藤原房前が招請して開山したと言われます、寺伝によると本尊は十一面観音像で奈良の長谷寺の本尊である十一面観音と同木で彫られたと言われているそうです。
寺院内は上境内とい下境内に分かれており、上境内はアジサイの名所としても有名で、観音山と言われる丘の中腹に約40種、2,500株が咲き誇っています。
長谷寺に到着、門前はものすごい人出
本殿前も人で一杯、裏山の「アジサイ散策路」に入るのに70分待ち、あきらめて下から撮ることにしました
経蔵横にある竹林
竹林からアジサイ散策路を撮る
経蔵から見たアジサイ
観音ミュージアム
山門
長谷寺で命名されたアジサイ
下境内には妙智池と放生池の二つの池があり、回遊式庭園になっています
シャッタースピード1/1000で撮った水の流れ
和み地蔵
江ノ電鎌倉駅、電車の行先表示にもアジサイが描かれていた
東慶寺
山号は松岡山、弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が創建、女性の側から離婚が出来なかった封建時代、群馬県の満徳寺と共に、この寺に駆け込めば離縁が出来る女性救済の寺として明治まで約600年間、縁切寺法が守られてきたが明治4年(1871)に廃仏毀釈により、この寺法は廃止されて明治35年(1902)に尼寺としての歴史を閉じた。
現在は臨済宗円覚寺派の男僧寺院。
寺伝によると大阪城が落城した翌年の元和2年(1616)、豊臣秀頼の娘の天秀尼が千姫の養女として寺に入り20世住持となり、それ以降、寺は幕府寺社奉行直轄の寺となった。
鈴木大拙、西田幾太郎、和辻哲郎、小林秀雄、前田青扽、高見順、谷川徹三等の画家、文化人の墓所が境内奥にありました。
明月院のアジサイをカメラで切り取ってから、歩いて15分で到着。
北鎌倉駅から数分の距離にある
明月院ほどではないが多くの観光客が訪れていた、近くにクラブツーリズムの大型ツアーバスがと止まっていたので境内はツアー客で一杯か?
この時期に訪れたのは久しぶり、想像上にアジサイや他の花々が咲いていて撮影意欲が満々、境内にツアー客もいたが混雑する程ではい
大正五年に建てられた鐘楼、梵鐘は南北朝時代の1350年に鋳造されたそうです
キキョウとアジサイの競演
ガクアジサイと山吹のコラボレーション
大正末期に建てられた書院(非公開)
震災にあって焼失した本堂が昭和10年(1935)に再建された
金仏、背後に花菖蒲が咲いている
苔むした野仏
株数は少ないが。 アジサイの種類は明月院以上でした
まだ花菖蒲が咲いていた 境内にあった手押し水道ポンプ
これから鎌倉に移動してランチ、その後、極楽寺の成就院、長谷寺に向かいます。
明月院
臨済宗建長寺派の寺院、由来によると永歴元年(1160)に明月庵として首藤刑部大夫山ノ内経俊により創建され、鎌倉幕府時代に明月院と改められた古刹です。
長谷寺と並んで関東屈指のヒメアジサイ(2,500株)の名所として知られており、6月になると多くの人が訪れます。
私も明月院は何度か訪れていますが、以前、アジサイの咲く時期に来た時は時間も遅かったこともあり、境内は大混雑で満足な写真が撮れなかった記憶があります。
梅雨の合間の晴れた6月19日、思い立って山仲間で写真仲間でもあるK君と懲りずに出かけてきました。
午前7時50分、JR横須賀線北鎌倉駅でK君と合流、徒歩で10分程の明月院に向かいました。
開門は午前8時30分、すでに明月院通りは観光客で長蛇の列、電車が着くたびに行列が長くなっていく 開門前に撮影を終えたNHKの中継車が通る
時間通りに開門
拝観料は300円と良心的
時間が早いためか、大きな混雑はまだありません
山門前の階段の両側に咲くアジサイがこの寺のシンボル、観光客がだま少ないこともあり、階段前で通行を止めて写真撮影タイム
TVカメラが境内を撮影中
境内には圧倒的にブルーのヒメアジサイが多い(明月院ブルーと呼ばれています)
境内は起伏のある地形に階段や通路が数筋通っていて、平地より写真的には絵になります
境内のアクセント
方丈内の座敷越しに円窓から庭が眺められます、その写真を撮る為に順番を待っています
ユニセフ基金に募金すると中に入れますが写真を撮ることは出来ません、残念ながら円窓前には庭を観る人が絶え無いため、イメージ通りの写真が撮れず
方丈前の枯山水庭園 何故か岩の上に陶器製の蛙が
開山堂脇のやぐら
竹林
午前10時、園内のアジサイを撮ってから次の目的地の東慶寺に向かうが、明月院に向かう人が引きも切らず、これから園内は混雑の予感
白山神社
社伝によると天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を本郷一丁目に勧請、元和年間(1615~1624)に二代将軍秀忠の命で巣鴨原(小石川植物園)に移転、更に明暦元年(1655)に同地に館林藩主綱吉(後の五代将軍)の屋敷を造営する事となって、現在の地に移されたと言われています。
神社及び隣接する白山公園には約3,000株のアジサイが植えられており、この時期には「文京あじさいまつり」が開催されて多くの人が訪れます。
6月12日、梅雨の合間にカメラを担いで出かけて来ました。
江戸時代から「歯」の神様として信仰を集めていた様です
中国革命の父・孫文の碑
http://www.nippon.com/ja/column/g00242/
孫文の碑
皇居・東御苑
6月6日、葛飾区の水元公園の花菖蒲を撮ってから地下鉄千代田線大手町で下車、皇居・旧二の丸跡にある菖蒲園に向かいました、江戸城本丸跡及び二の丸跡が「東御苑」として一般公開されています。
(現在、天皇・皇后陛下がお住いの皇居は江戸時代、隠居した将軍や次期将軍が住む西の丸と言われた地域です)
大手町のビジネス街を背景にした百人番所 明暦の大火で焼失した天守閣に代わり一時期、天守の役割をした富士見櫓
江戸城跡、表、中奥、大奥があった地域、その中でも大奥が約半分の面積を占めていた 御影石の石積が見事な天守台、加賀藩主前田綱紀により築かれた
天守台から見た大手町ビル群
本丸から二の丸に続く汐見坂、江戸の町並みと海が見えたそうです 二の丸公園にある「諏訪の茶屋」
大手町のビジネス街の騒音もここまでは届かず、規模は小さいが手入れが行き届いた二の丸庭園の菖蒲園、外国人を含めて多くの人が訪れていた
可憐なコウホネの花
水元公園
水郷の景観を残して都内最大の面積を持つ葛飾区の水元公園、100種、14,000株の花菖蒲が色鮮やかな花を咲かせます。
この日、山仲間の集まりであるR隊の「平日写真クラブ」のH氏、K氏と出かけてきました、JR常磐線金町駅に集合、バスに乗り約10分で到着です。
広大な公園の一分に過ぎない「菖蒲園」ですが、この時期だけは水元公園の顔となります。
花菖蒲の咲き具合は6~7分咲き、アジサイも咲きだしており週末には多くの人が訪れるでしょう
公園に定住している鷺
保育園の子供達の散歩コースになっているのか、数組の散歩に出会いました
はいポーズ
2時間、園内を回り、退去する途中で出会った枯れた花を摘み取る「乙女隊?」
マスクをしているので年齢不詳の女性たち チビちゃん達が菖蒲鑑賞中?
園内にあった休憩所、平日の為か、人出も少なく、ゆったりと園内を回る事が出来た
園内を結ぶ水元大橋、橋を渡るとレストランや多目的広場、メタセコイア並木、野鳥観察舎などがあります
撮影会終了、これからランチ 水元公園バス停近くの蕎麦屋に入りました、私が注文したのは蕎麦と天丼のセット