令和元年の三社祭
5月15日の本社神輿神霊入れの儀式に始まり、19日の本社神輿の宮出し~宮入まで、浅草界隈には150万人の人が集まって祭りを盛り上げます、三社祭と言えば以前は各町内神輿連合会をヤクザが仕切り、荒っぽいく、危険な祭りのイメージがあったが、自治会、警察の浄化運動によって下町の賑わいを楽しめる祭りとなった。
期間中は町神輿100基が各町内を練り歩き、最終日の19日には午前6時に浅草神社の3基の「本社神輿」が宮出しを行い、午後7時の宮入まで各町内を分担して渡御、浅草地区を盛り上げます。
私は最終日の19日午後1時から裏浅草の象潟地区を練る「二の宮」神輿を追いました。
浅草神社(三社様)
社伝によると推古天皇36年(628)に地元の漁師の檜前浜成・檜前竹成の兄弟が隅田川から引き揚げられた「人形像」を土地の物知りだった土師真中知に相談した所、これは聖観音菩薩像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりと言われる。土師真中知の没後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神として祀ったのが三社の起源と言われるが、平安末期から鎌倉時代の創建が実体と言われます。
徳川三代将軍家光が寄進した社殿は350年間、焼失を免れて現在は国の重文となって残されています。
花川戸の町神輿
二天門を入ると浅草神社(三社)
浅草寺脇に鎮座する浅草神社
江戸時代・寛永期に建てられた社殿
3基の本社神輿は町内渡御中、午後7時に戻ります
馬二町会の神輿
特別御朱印はトラブルが多く今年は中止、一般の御朱印には長蛇の列が出来ていた
裏浅草の象潟町神輿
若い女性の担ぎ手の記念写真を横からパチリ
浅草見番
象潟町神輿3基
「本社二の宮神輿」
馬道ー猿若町を巡った神輿は機動隊の車両が先導して浅草六丁目の交差点で象潟で担ぎ手が引き継がれました、なお神輿の重量は約1トンあります。
神輿を先導
各町内を練り歩く神輿を機動隊の車両が先導
浅草六丁目交差点で二の宮神輿の町内引継ぎが行われます、象潟町会の担ぎ手が神輿を待っています
神輿が到着
二の宮本社神輿の引継ぎ、双方口上を述べて担ぎ手が代わりました
駅に戻る途中で出会った子供神輿
根津権現のツツジ
徳川家康の江戸入府以前の文明年間期(1469~1486)に関東管領扇谷上杉家の重臣太田道灌が社殿を造営したと言われる根津権現(根津神社)、その後、徳川幕府の篤い庇護を受け、5代将軍綱吉時代の宝永3年(1706)に権現造りの社殿7棟が再建・整備され、現在は国の重要文化財に指定されています。
境内の2,000坪の「つつじ苑」には100種、3,000株のツツジが植えられ、都内屈指の名所になっています、連休中の5月4日に出かけて来ました。
入苑料¥200.-を払えば「つつじ苑」に入れるが、入苑待ちの人が行列しており、入苑を断念して外から撮影
楼門越しに見た「つつじ苑」
本殿で参拝と「御朱印」を貰う為に並ぶ行列が続く
2019(令和1年)5.1 亀戸天神社の藤
あいにくの曇り空でしたが、今年も藤をが盛りとなった天神様に出かけて来ました、連休中の為もあってか人手がすごかった。
神楽殿では巫女舞が行われていました
撮影終了、近くにある文化2年(1805)創業のくず餅の名店「船橋屋」でくず餅を購入