東武伊勢崎線世良田駅(無人駅)で下車して徒歩20分程で到着します。
無人の世良田駅 午後2時、電車は1時間に2本だけ 線路際にあった「徳川氏発祥の地」の標示
世良田東照宮
由来書によると徳川家の祖先は当地の豪族新田氏の始祖から派生した義季とあり、徳川郷を治めていた9代親氏の時代に北朝の猛勢により、この地を追われ三河国松平郷に移ったそうです。
元和3年(1617)に久能山から日光に徳川家康公を改葬した際、二代将軍秀忠が創立した日光東照宮の拝殿、唐門、多宝塔を、三代将軍家光の命により寛永21年(1644)に徳川家の遠祖である世良田義季の墓所があり、家康公の信任が篤かった天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に移築「世良田東照宮」として勧請されました、一方、日光東照宮は尊敬する家康公の為に家光公が、今日見られる様な豪華絢爛な廟を建立し家康公を祀りました。
長楽寺勅使門、東照宮創建(1644年)と同時期の建築物と言われており、勅使や幕府の上使が来た時に使われました
長楽寺総門 勅使門から続く太鼓橋
境内は歴史公園となっています 三代将軍家光が再建した長楽寺三仏堂
三仏門裏に建つ太鼓門 開祖栄朝禅師が起した堂 境内の案内
徳川義季ほか徳川家累代の墓所
長楽寺の境内内にあった東照宮の案内図
黒門
黒門を入ると鳥居、拝殿(重文)がありました
二代将軍秀忠が日光東照宮奥社拝殿として元和年間に造営した古宮
参拝料(¥300.-)を払って拝殿に入りました
拝殿上部に家康公が好んだ「鷹狩り」の鷹が彫られていた 石灯籠に彫られた葵の紋
狩野探幽作と言われる装飾画、天女等が画かれていますが、剥げかけた塗料が時代を感じさせました
本殿を造ったのは江戸城、二条城などを築城した中井大和守世清とありました
拝殿内部には三十六歌仙図や代108代後水尾天皇が下賜した勅額が掲げられています
唐門(重文)と本殿(重文) 老中阿部多忠秋が寄贈した石灯籠
本殿
本殿に彫られた彫刻、左甚五郎作と伝えられています
本殿正面上部の模様と彫刻類、360年経ています
拝殿奥にある唐門・本殿 植樹記念「皇太子妃殿下 御印 浜梨」とありました
元和4年総社藩主秋元長朝が寄贈した大鉄灯籠(重文) 簡素な造りの宝物保管陳列所
戸定邸
水戸藩主徳川斉昭の18男で最後の徳川将軍(第十五代)となった慶喜の実弟である昭武の邸宅です、1892年、昭武の子、武定が子爵となったことで新たな華族家として「松戸徳川家」が創設されました。
邸宅は1884年に造られた日本様式の木造建築物で国の需要文化財の指定を受けています。
1867年に大政奉還を行い将軍を辞した後、慶喜もしばしば来ていたそうで、2011年10月には天皇・皇后陛下も訪れました。
松戸市戸定が丘歴史公園内にある戸定邸の茅葺きの門 邸の入口
起伏のある芝と樹木の苅込みのある庭園と平屋造り一部二階建の邸
この時期には見るべき花はありませんでした、春には庭のツツジが見事です
手入れされた樹木
客間(和室)から庭に出る事ができます、市のボランティアガイドが常駐しており説明を聞くことが出来ます
書斎 客間
八重の間から内庭が見える丸窓 内庭
邸は江戸川沿いにあり、眼下には常磐線が走っています 東京スカイツリーも見えました
邸に隣接して公園、茶室、歴史館があります、公園の先は千葉大園芸学部の敷地
梅園に続く歩道
公園内にある歴史館、この日は徳川慶喜展(没後100年)が開催されており、慶喜が使っていた品々、書、写真などが展示されていました
歴史館脇には実をつけた飯桐の木があった、これから実が真っ赤になるそうです
徳川家の家紋になっているフタバアオイの葉
歴史館の案内 園内のススキが秋を感じさせました
『向島百花園』
江戸文化が花開いた文化・文政期(1804~1830)、季節の草花を愛でる庭園として造られました、都内でも数少ない江戸時代の名残を残す庭園でもあります。
面積10,885㎡の園内は決して広くはなくコンパクトにまとまった趣で、園内に入ると魯山人の扁額や芭蕉の句碑など29の句碑、石柱が各所に立っていました。
ロケーション的に都心部から離れている為、多くの観光客が訪れる名所では無く、知る人ぞ知る庭園と言えましょう。
現在は都が運営する国指定・名勝・史跡となっています
残念ながら萩は見ごろを過ぎていました
萩のトンネルから見た東京スカイツリー
満開の時期は見事であったと思われる「萩のトンネル」
キキョウ 数株あった曼珠沙華も盛りを過ぎていた
園内にはススキが目立つ ザクロの実が何故か1個残っていた
園内には秋を感じさせる景色が随所に見られます
ススキ越しに見たスカイツリー
散った萩の花が水面を彩っていました
墨堤
白髭神社ー桜橋―言問橋ー浅草と隅田川沿いに歩きました、昼食は勿論、「並木藪」で天ざる蕎麦です。
浅草では人力車が観光客を乗せて名所めぐり
浅草寺・雷門、大提灯はパナソニック創業者である松下幸之助翁の寄進
10年に一度化粧直しをする為、雷門の大提灯が外され、布に描かれた大提灯が掲げられていました