2010夏 花火
今日では夏の風物詩として全国各地で催されている花火大会ですが、鉄砲と共に火薬技術がが日本に伝来してて暫くした永禄元年(1558)が我国の花火の創始と言われています。
史実としては英国公使に同行した中国・明の商人が徳川家康に花火を見せたと言う記録が残されていますが、この時の花火は「二ノ丸立花火」と言う竹筒に黒色火薬を詰めて火の粉を吹き出させるタイプで製造と打ち上げ操作共に外国人が行っていたそうです。
元和9年(1623)、三代将軍・家光が花火を奨励した事によって庶民の間にも花火(鼠花火、線香花火等)が広まり、一方で大川端(隅田川)に多かった各藩の下屋敷で花火打ち上げが定着して花火師の出現にもつながりました。
当時の花火の色は淡いオレンジ色の「和火」のみで、江戸後期になって大輪の花を咲かせる「割物」が一般化しましたが打ち上げられる花火の数はは20発程度であった様です。
8月21日に江戸川を挟んだ埼玉県三郷市と千葉県流山市の花火大会が同時刻に開催され約1万発の花火が夜空を彩りました。
大山千枚田
http://www.senmaida.com/about_senmaida/index.php
日本棚田百選に選ばれ、東京から一番近い棚田である千葉・房総の大山千枚田に写真仲間のO君と出かけました。
夜明けの棚田の写真を撮りたいと8月6日深夜に車で出発、ナビを頼りに午前3時過ぎに現地に到着。
日の出が4時半頃の為、しばし仮眠、夜明けを待つ事にしました。
棚田の写真としては田圃に水がはいった春先や収穫後が絵になりますが、今回は青々とした穂が広がる写真となりました。
大山千枚田は375枚の大小の田が傾斜地に連なっています、千枚に足らなくても千枚田?
棚田を一望出来る丘陵地に「大山千枚田」の標識があります 夜が明けると棚田が全容を見せますが、まだ日が入って来ません
夜が明けてから暫くすると棚田に日が入ってきてました、田と畔のコントラストがはっきりしています
鴨川から山間部に入ったところに位置している大山棚田、青空が広がってきました 棚田上部からみると、起伏がはっきりと見えます
棚田全体に日が差し込んできました、中央にある1本の木が絵になります
大山千枚田には水源が無く、すべて雨水による耕作だそうです、それにしても急斜面での農作業の大変さが偲ばれます、この日も午前6時には除草作業が行われていました
棚田の斜面の一部をアップしました、きれいな模様を見せています 逆にある斜面にはまだ日がさしていません
いすみ鉄道
http://www.isumirail.co.jp/ensen/index.html
いすみ鉄道はJR外房線大原駅といすみ鉄道上総中野駅間の 26.8キロメートルを結ぶローカル鉄道です、国鉄から分離した第三セクターではなく明治に開業した軽便鉄道が起源で、その後幾多の変遷を経て現在に至った様です。
途中駅の大多喜は徳川幕府四天王の一人と言われた本多忠勝の城下町です。
撮り鉄のはしくれとしてレールに並走、たまに来る車輛を追いました。
車で踏切を渡りましたが草深い中にレールが見えました、絵になりそうなので列車を待つことにしました、待つこと40分、草に埋もれた線路に一両のジーゼルカーが来ました
小さな橋梁を渡るジーゼルカー、スローシャッターで撮りました 穀倉地帯をコトコトと走ります
いすみ鉄道の本社兼駅舎、構内に入るには入場券が必要でした、昔ながらの切符でハサミを入れて貰いました
大多喜駅前 以前行った樽見鉄道、長良川鉄道、明智鉄道と共通したのどかなローカル線の雰囲気です
大原行きの車輛、単線の為、ここで上総中野行きを待ちます 大手私鉄の払い下げ車輛ではない様です
駅のホームには何故か「むーみん」の木彫像がありました 大多喜藩主本多忠勝がホームでにらみをきかしています 乗客は学生、中高年者が多い様でした
上下線に車輛が到着しました しばし停車の後、上総中野行きが出発して行きました