写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

2015桜(1) 六義園

2015-03-31 19:34:14 | 四季の彩り

 六義園
元禄期、館林藩藩主から第五代将軍になった徳川綱吉の厚い信任を受けて小納戸―側用人ー老中格ー大老格と、幕閣の出世コースを歩んだ川越藩主柳沢吉保の江戸下屋敷跡です、元々加賀藩の旧下屋敷であった跡地を幕府から拝領して吉保が約7年をかけて造園した回遊式山泉水庭園です、庭園は江戸時代を代表する大名庭園と言われ、将軍綱吉が58回訪れたという記録が残されています。
江戸幕府が崩壊した明治になって三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎が購入、維新で荒廃していた庭園を整備しました、その後、関東大震災時も大きな被害を受けず昭和13年に東京市に寄贈されました。
昭和20年の東京大空襲でも被害を受けず、造園時の姿をそのまま残す貴重な庭園で、国の特別名勝に指定されています。


       
                                       さくらが満開になった3月30日、多くの花見客が訪れていました                                       こぶしの大木


                                  
                                                  吟花亭跡近くの枝垂れ桜

     

                    
                                                           吹上茶屋前の桜が満開でした


               
  


              



       
                         中の島にある築山「妹山・背山」(立ち入り禁止です)


       
                                 千鳥橋越しに見た吹上茶屋                                                  石灯籠も時代を感じさせる

                 


      
                                                                   出汐湊からの眺め
 

         
                                                                  大泉水越しにみた枝垂れ桜                          滝見茶屋脇の水分石と可愛い滝

      
                                                                藤代峠から見た庭園内                                 お化け灯篭

                   
     
                                    大泉水から見た蓬莱島                                                             中の島                                                                   


           
                                                                                  茶室・心泉亭                  竹林に咲くにほんすみれ


                    
                                                  竹林                                                  竹林越しに見た枝垂れ桜


                                  
                                                             竹と桜
                   
六義園の春の顔、樹齢70年の枝垂れ桜
                      
                                                                                             高さ15m、枝幅20mあります



        

     

               

               


                    
                                                           すでに一部の花が散り始めていました
 

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日本橋川・神田川クルージング

2015-03-26 10:55:10 | 大江戸の風景

江戸の水路(日本橋川・神田川)
江戸幕府が開府後の慶長11年(1606)、全国の大名を動員した江戸城総普請が始まりました、本丸と外廓工事によって出た大量の残土で海辺であった日比谷入江が埋め立てられると同時に、西国大名を中心とした外堀運河の開削工事が行われました。
慶長19年(1614)に日本橋川が外堀化され、海上輸送されてきた江戸城築城のための物資の輸送に大きな役割を果たしました、一方、神田川は「平川」と呼ばれ日比谷入江に注ぎ込んでいた川であったが、家康が入府するに際して江戸市中で井戸を掘っても海水しか出なかった為、飲料水確保に迫られた幕府は平川の改修工事に着手、井の頭池、善福寺池、妙正寺池を水源とした「神田上水」を整備して「江戸の水道」として神田台の掘割の西に木製の水道橋を架けて日本橋まで通水しました、「水道橋」の地名は現在でもその名残として残っています。


  
                                 
                                       弘化期(1844~1848)の江戸城を中心として掘削された水路                                    江戸城を囲む外堀、内堀
   

                                 
                                                          江戸時代、日本橋には魚河岸がありました、芝居小屋、吉原と並び一日千両(1億円)動くと言われた


    
                     日本橋の上には無粋な高速道路が塞いでいます                                        大正12年の関東大震災により大きな被害を受けた日本橋は昭和3年に復習工事を終えました

                
                                                   高速道路によって橋の趣は半減です


         
                     クルージングは日本橋脇にある乗り場から出発                               クルージング用の遊覧船、座布団が救命具になっていた、この日のツアー参加者は35名



   
                                                                            汚れていた橋は昨年、ドイツの洗浄器メーカーによりきれいに洗浄されました     
      

              

クルージングは日本橋川を日本橋ー西河岸橋ー一石橋ー常盤橋―新常盤橋―鎌倉橋ー神田橋ー一ツ橋ーキジ橋ー宝田橋ー俎橋ー南堀留橋ー堀留橋ー新川橋ーあいあい橋ー新三崎橋―三崎橋をくぐり神田川に出ます。

      
                                             橋の裏面にも様々な表情があります                       高速道路が川の上に造られた為、ボートからは空が見えない

  


     
                                                                 常盤橋周辺は江戸城外堀の石積みがそのまま残されていた、主に西国大名が工事を担当しています

 
     
                                               江戸時代に造られた外堀石積みがきれいに残されていた      


                
                                                                   鉄道橋にあった旧国鉄の紋章、上を中央線が走ります              三崎橋、間もなく神田川と合流
 

     
                                                            海につながっている為、潮の満ち引きで水量が変化したのが判る             ガイドのおじさんの話しを聞く35人の乗客                          
 

        
                                    水道橋                                                                       船長は女性でした
   
            神田川は後楽橋ー水道橋ーお茶ノ水橋ー聖橋ー昌平橋ー万世橋ーふれあい橋ー和泉橋ー美倉橋ー左衛門橋ー浅草橋ー柳橋をくぐり隅田川に出ます


                           
                                        昭和初期の鉄道橋梁                                                    水道橋―お茶の水間、中央線と並走


         
                                                  御茶ノ水橋                                    御茶ノ水で地下鉄丸ノ内線は地表に出ます


                  
                                                            聖橋と地下鉄丸の内線電車


          
                                                 御茶ノ水で中央線電車と地下鉄丸ノ内線電車が交差


          
                                                                  中央線の高架下を行く船


                                                                                                            御茶ノ水を過ぎてしばらく行くと万世橋です
                    

                           
                                                                煉瓦の建物は旧交通博物館、現在は商業施設になっています

 
 
                                     
                                                         万世橋                          太田道灌が江戸城鬼門除けとして京都・伏見稲荷から勧請した柳森神社                                                                            

            
                                                                                                                                                                          柳橋に係留された和船、現在では造る船大工がすくなくなったそうです
      

             
                                                                                                                              美倉橋                                                              柳橋       



      
                                              旅行会社の推薦という柳橋の佃煮屋「小松屋」横に停船、店主から柳橋の歴史と店の商品の説明  


                 
                                  小松屋のボートから自社製佃煮の販売               店主の知り合いと言う小唄の師匠が三味線でお出迎え
                

            
                                                                                   柳橋を過ぎると大川(墨田川)に出ます



           
                                              神田川から隅田川に出ると川の流れが変わり船の揺れも大きくなった、東京スカイツリーが見えた


               
                           江戸時代、行徳の塩を江戸に運ぶために掘削された江戸川と隅田川を結ぶ運河「小名木川」、左に松尾芭蕉の庵跡が見える                隅田大橋
 

                   
                                               ドイツ・ケルンの吊り橋をモデルにしたといわれる清澄橋                             永代橋
 
     

                
              日本橋水門、奥は霊岸島に架かる霊岸橋                隅田川から日本橋川に向かう豊海橋                                     江戸橋



                                   
                                                      湊橋、橋の壁面に帆船のモニュメントがありました                間もなく日本橋に戻ります

                       

          

                        

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花桃が咲きました

2015-03-22 10:34:48 | 四季の彩り


自宅近くを流れる坂川の右岸に植えられた「花桃」の花が満開となりました、地元の地主さんが植えたそうですが、数年前から花を咲かせて周辺の人々の目を楽しませてくれています。
遅咲きの水仙や菜の花とのコンビネーションが絵になります。


                 



             



      



          



      
 


      



      
    

     



              
                                                               近くの老人ホームからお年寄り達がお花見に来てりました

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室町・春の装い

2015-03-09 14:18:59 | 1019

現在三越本店がある場所は江戸時代に駿河町、コレド室町がある地は瀬戸物町と呼ばれ、商業の中心として栄えました。
慶長8年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開いた後、市中の司法・行政を町奉行に任せましたが、実際に町行政を担ったのは三家(奈良家、樽屋、喜多村)の町年寄でした、三家共に家康に従って江戸に移ったた古町町人で、三家は本町(現在の室町)に幕府から屋敷(町年寄役所)を拝領していました。

慶長8年(1603)に家康が江戸に幕府を開いて以降、慶喜の大政奉還まで265年間、徳川家の統治が続いたが、江戸時代中期には人口は100万(町人50万人、武士・僧侶等50万人)と世界最大の都市でありました。
市中の治安維持は北・南町奉行所の各々与力25人、同心120人がその任に当たったが、月番制であった為、北が担当の月には、南は担当した月に受け付けた業務の内部処理を行い、武士・僧侶を除く町人50万人
を与力25人、同心120人で担当しましたが、実際は町奉行ー町年寄ー名主ー月行事(かちぎょうじ)と系統だった支配・管理体制が確立していて、多くのの案件は奉行所に上げられるまでに処理されていました。
(大名・旗本・御家人は老中、大目付が担当、寺社地は寺社奉行担当)

駿河町
徳川家の出自が駿河であり、富士山と江戸城(千代田城)が望めることからつけられたといわれます。


     
                            葛飾北斎「富岳三十六景」江都駿河町三井見世略図(三井越後屋は現在の三越のことです)


      
                   安藤広重「東都名所図絵」駿河町之図        室町から日本橋を望む、右奥に三越本店が見える


井不動産が開発した「コレド室町1」と「2」の間の通りを2万個の桜色のLEDで覆っていました


    

      
  


         


          


福徳神社
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/02_chuou/2002.html

貞観年間(860~876)にはこの地に鎮座していたといわれますが、永い時代の変遷を経て、社はこじんまりとした佇まいでしたが、三井不動産による街区の再開発に伴って社殿が新築されました。
徳川家康をはじめとする歴代将軍も信仰し、二代将軍・秀忠が1614年の正月に参詣した折には、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛の言葉を残したといわれ、この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから「別名:芽吹稲荷」と命名された。この由緒にちなんで、新しい社殿の横にはお御籤を結び付ける木として、くぬぎの木を植えている。

    
                                          ビルの谷間に鎮座する福徳神社拝殿


        
                    神社周囲は、現在も再開発中でした      
       
         


            


        
        江戸時代、町年寄であった喜多村家の屋敷があった場所                          再建された一里塚

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2015 梅ごよみ(4)+ 歴史散歩 小石川植物園

2015-03-07 20:45:03 | 四季の彩り

小石川植物園(旧小石川養生所)
この地には承応元年(1652)に館林藩下屋敷(白山御殿)が設けられ、まだ幼なかった藩主徳松(後の五代将軍綱吉)が住んでいました。
綱吉が将軍になって間もない貞享元年(1684)、南麻布にあった幕府の薬草園を白山御殿の敷地の一部に移し「白山御薬園」となり、八代将軍吉宗の代になった享保6年(1721)に屋敷全域(4万5千坪)が薬園として拡張されました。

享保7年(1723)将軍吉宗と町奉行大岡越前(忠相)が主導して「享保の改革」の庶民対策の一環として無料の貧民救済医療施設施薬院(養生所)が開設されました。

明治以降は東京府管轄になり大病院付属御薬園ー医学校薬園ー小石川植物園ー東京大学付属植物園となり現在に至っています。



                     
                              地下鉄丸ノ内線茗荷谷から徒歩15分程で植物園に到着


                   
                               植物園本館          周囲は住宅密集地だが、門を入ると別世界


                  
       遺伝学の基礎を築いたチェコの遺伝学者メンデルが在職したケーニギン修道院から譲られた実験に使った葡萄の分株


                             
              ニュートンが「万有引力の法則」を発見するヒントを得たリンゴの木は、接木されてこの地に分譲されていました

                       
        西洋式温室は明治8年に開設され、昭和39年に現在の建物に改築 
                   

                      
            広大な 樹木林には日本以外に中国、朝鮮の樹木も植えられています


                   
       江戸時代の名残をとどめる薬用に供された樹木をはじめ120種の薬草が往時を記念して植えられているそうです


                           
                                                   薬園保存園


小石川養生所
八代将軍吉宗が庶民の声を聞くために設けられた「目安箱」に投書した町医者小川笙舟の貧民対策の提案が吉宗の目に留まり、南町奉行大岡忠相に「養生所」の設置検討を命じ、その後、奉行所直轄の施設として設置されました。
(目安箱に投書された文書は吉宗が直々に目を通したと言われています)



                     
                                                                          享保7年(1722)に掘られた井戸


                     
                          園内に1本だけあったカンザクラの木、満開を過ぎていました


                 
          徳川綱吉幼少期からあったと言われる庭園、造園は小堀遠州派の流れをくむ日本庭園、江戸時代の代表的な庭園のひとつ


                                                  

                            
旧東京医学館本館
東京大学の前身である東京医学校時代の建物、昭和40年に解体されて本郷から移築されています、(昭和45年に国の重要文化財に指定)


                         
                                  明治初期の木造擬洋風建築特有の様相を残している建物です


                       
       


                           
                                               日本庭園から続く梅林


                  
           遊歩道脇にあった太郎稲荷      


                     
                                                                珍しい鳥がいました、鳥名は??

 
                    



                   



                   

          満開の梅の花、訪問者が少なく静かな佇まいでした


                   


                    


 
                             



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小江戸・川越散歩

2015-03-02 22:13:09 | 大江戸の風景

越生での梅の花の撮影会を終えて、撮影場所を小江戸・川越に移動、その前に昼食となりました。
川越は天然「鰻」で有名な地ですが、旨いと言われる店は料金も東京の一流店並の価格、メンバー相談の結果、今回はいつもの「旨い蕎麦」で一致、「ぐるなび」で調べて旨い店と言う「鎌倉」へ。
http://www.kamakura-soba.com/index.html



      
                                       喜多院近くにあります


               
         注文を受けてから蕎麦をゆでるので少し時間がかかります                     酒の友・そば味噌        

                 
                          だし巻き                          私はてんせいろを注文           

            
                           十割そば                     この3名はアルコールを飲みません


           
                                                       飲んべー組


小江戸・川越
http://www.kawagoesansaku.com/
徳川家康が慶長8年(1603)に江戸幕府を開府以降、川越藩には酒井家、堀田家、柳沢家、松平家など 徳川親藩や譜代の有力な大名が配置され、8家21人のうち老中を六人輩出しています、幕府は江戸との距離の近さや、豊富な物資の供給源・政治・経済・北からの攻撃に備える江戸の砦として 軍事面でも川越藩を重要視してました。
また、寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は江戸を結ぶ河川工事を行い、本川(新河岸川)を改修して舟運ルートを開拓しています、客を乗せた早舟は「川越夜船」と呼ばれ、川越城下を午後3時に発って、翌朝8時に千住、昼前に隅田川の花川戸に着いたと言われます。
川越には家康の信任の厚かった天海僧正が開いた古刹・喜多院もあります。

 

                 


                   
 
 蔵造りの町並み


                                  
  

        


        
  

         

 

     



                          天気が良く、土曜日であった為、町中は観光客でにぎわっています
                  


  
                                                        時の鐘

  

 
 


         

                        城下町の商家に見られる「うだつ」が何故か川越には見当たりません

               

      

                                                 
      
                 マンホールの蓋も個性的で
 
菓子屋横丁  
http://www.koedo.or.jp/miru-asobu/115/
   

   

          

        

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2015 梅ごよみ(3)越生梅林

2015-03-01 16:33:06 | 四季の彩り

越生梅林
2月28日午前10時に仲間5人と越生駅に集合、バスで梅林に向かいました。


                                
                          午前10時に越生駅に集合



                                                                                川を渡ると越生梅林、天気は快晴です



   
                     入園料は200円也                                客引きの女の子ではありません


                                 
               
                園内に入ると梅の木が沢山あるが、殆んどがまだ蕾です、代わって福寿草が地表を彩っていました


                      
                                                     福寿草もこれだけ沢山あると圧巻

          
                      


                    
                                園内を奥に進むと梅の種類が違うのか、やっと花が目立つ様になってきた


                   


                        


                      


                     
                 梅まつりの最中と言う事で、ゆるキャラがお出迎え
   

                     
                                                本数が少ないが蝋梅も咲いていました  

  

              


                    
                                            園内をミニSLが走ります


                   

     
                   
                                 しだれ梅はまだ蕾


          



          


           


          


          
                                        丁度、昼時の時間、のんびりとb弁当を食べる人達


           
                                                展望台がありました、そこから見た眺めです

           
                                         
                                            樹齢200年を経た古木があちこちにありました


                     
                         鉢植えの梅の木販売中                              写真仲間になったハイククラブのH隊長

  
                  
                                 イベントも開催中                              三脚を持ってきたが、結局使わずじまいでした


                    
                     本日の参加者、全員集合
                 

  



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