京都の秋と竜馬
なぜ日本人は紅葉に心魅かれるのでしょうか。
春から夏にかけて人の目を和ませた鮮やかな緑の衣が徐々に色ずいて落葉する様が禅の「わび、さび」の心にも通るからなのでしょうか。
日本には紅葉の名所と言われる所が沢山あります、多くは大自然の中の景色ですが、その中にあって寺院、庭園を背景とした京都の紅葉の風情は別格です。
この時期になると、京都の寺社、仏閣には各地からの紅葉観賞の観光客がドット押し寄せ、名所と言われる寺院などは人波であふれます、かく言う私もその風情に魅せられた一人です。
東福寺 京都五山の一つ、通天橋より臥雲橋を望む、2,000本の楓が見事です
嵯峨野
常寂光寺 小倉山山麓に建つ日蓮宗の寺。
祇王寺 真言宗の尼寺、正しくは「往生院祇王寺」です。
落柿舎(芭蕉の弟子向井去来の庵)の庭にある柿の木
南禅寺 臨済宗南禅寺派の大本山( 歌舞伎「桜門五三桐」で石川五右衛門が登り「絶景かな、絶景かな」と見得を切った巨大な三門からの紅葉も見ごたえがあります)
坂本竜馬
維新に大きな影響を与え幕末の動乱の中を駆け抜けた竜馬。
慶応3年11月15日、京都河原町の醤油商近江屋の二階にいたところを何者かに急襲され中岡慎太郎と一緒にその生涯を閉じました、実行者は京都所司代見回組、薩摩藩、新撰組など諸説がありますが特定されていません。
霊山護国神社にある坂本竜馬・中岡慎太郎の墓
河原町にある龍馬寓居跡(木材商酢屋跡酢屋)
伏見寺田屋
竜馬が伏見奉行所に捕縛されそうになった寺田屋、現在の建物は当時の建物ではなく、その後、再建されたと言う説もあります。
伏見は日本酒の生産地としても有名で、寺田屋の前を流れる運河沿いには酒蔵が建っていました。
本土寺の紅葉
11月20日、松戸市にある本土寺の紅葉を撮りに行ってきました。
このお寺は別名「千葉のあじさい寺」として近年有名になりましたが、秋の紅葉の風情も見逃せません。
同寺のHPではまだ見ごろ前との事でしたが、以前、ピーク時に来た時は参拝者、写真愛好家などで混雑して、ゆっくり写真を撮ることが出来なかった為、今年は早めに出かけてきました。
本土寺の山号は長谷山、創建は建治3年(1277年)で池上本門寺、鎌倉妙本寺と共に「朗門の三長三山」と言われるの名刹です。
境内にあるカエデ、大盃、秋山紅など1,000本を超える樹木が色づく様は見事です。
この日は山門から続くカエデはまだ緑々していましたが、境内に入るとピーク時程ではありませんが、かなりの樹木が赤、黄に染まっており、紅葉前の緑葉とのコントラストもそれなりに絵になっていました。
人の数もそれほど多くなくゆっくりカメラを構えることが出来ました。
中山道を歩く
江戸・日本橋から近江(滋賀)・草津宿(距離:129里 69宿)を結ぶ中山道は、草津宿で東海道と合流して京・三条大橋に至る江戸時代の大動脈でした。
中山道と言えば妻籠宿(中山道42番宿)、馬篭宿(43番宿)が宿場町の風情で有名ですが、秋晴れの一日、48番目の宿場である細久手から47宿の大湫を歩いてきました。
木曽路から続く2宿も山間にある宿場でした、街道の途中には琵琶峠など急な登山道もありましたが一日10里を歩いた昔の人の足には大きな負担とならなかったのではと思いを巡らせながら歩きました。
街道の途中には「一里塚」が往時のまま残されており、貴重な文化遺産として現在も岐阜県が保護しておりました、これからも残したい貴重な歴史遺産です。
中山道と言えば文久元年(1861)、「公武合体」により仁孝天皇第8皇女の和宮が14代将軍家茂に降嫁する際に通った道でもあります、10月20日に京を立ち、9日目の28日に大湫宿に宿泊、11月15日に江戸に到着しています。
降嫁の行列は総勢5,000人と言われ、大湫宿での継立には、人員28,000人、馬820頭が招集されたと記録に残されている様です。
大湫宿本陣に宿泊した皇女和宮はこの地で
「遠ざかる都と知れば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり 思いきや雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは」
と心を交わした男性と離別させられて将軍に嫁ぐ不遇と寂しさ、心細さを詠っており読む者の心に迫ります。
なお、この道は別名「姫街道」とも言われています。
細久手にあった中山道宿場案内 道路脇にあった皇女和宮行列の絵 道案内 農家の縁側に柿が干されていた
往時の石畳が残されていた 一里塚
小坂馬頭塚 琵琶峠の馬頭塚、脇に和宮の歌碑 街道に建つ北野神社
街道脇にあった広重の絵の案内 大湫宿入口の高札場 本陣跡に建てられている和宮の歌碑