以前からエーゲ海・地中海クルージングに興味がありました。
季節的には夏場がシーズンなのでしょうが、料金が高くなり混雑が予想される為、旅行会社K社から送られてきたパンフの「MSCメラビリアで行く地中海クルーズ」2月のツアーに参加を決めました。
2月24日出発のコースはキャビンのクラスが(a)内側12㎡、(b)海側15㎡、(c)海側バルコニー付き12㎡~22㎡、(d)ヨットクラブ27㎡と4クラスあり、ゆったりと海旅をしたくて(d)のヨットクラブに申し込みました
この時はヨットクラブとはどの様なクラスなのか気にしていなかったが、乗船の際に初めてツアーコンダクターのA氏から、ヨットクラブは一般客室とは別で、専用エリアにあるワンランク上の客室と言われ、サービス内容も一般とは別と言われました、確かに料金が(a)クラスの倍以上、(b)、(c)の1.7倍の価格でした。
早速ジェノバ港で「MSCメラビリアに乗船時から入口が違っていてバトラーという客室担当者が待機しており、優先的に乗船となりました。
ヨットクラブのHP
https://www.msccruises.jp/jp-jp/Discover-MSC/MSC-Yacht-Club.aspx
MSC MERAVIGLIA(MSCメラビリア) 就航日2017年6月 総トン数:167.600トン 全長315m 乗客定員5,715人 乗組員数1,536人
ヨットクラブの専有エリアは船首部分にあるブリッジの上部
ブリッジの上部がヨットクラブのキャビン、バー、レストラン
ヨットクラブ
専用特典とサービス
(1)優先チェックイン・チェックアウト (2)24時間バトラーサービス (3)24時間コンシェルジェデスク (4)キャビン備え付けのリラクゼーション用アメニティ(バスローブとスリッパ等)
(5)キャビン内のミニバーを含め、ドリンクメニューを用意している船内全てのバー及びレストランでの飲料物が無料 (6)無料サーマルスィートとMSCアウトレア・スパへの直通エレベーター
(7)24時間対応ルームサービス
乗船時にヨットクラブ担当の女性に案内され、順番を待つ他のツアー客とは別の通路を通り、バトラーのサタさんに引き継がれてヨットクラブ乗船受付に案内される
バトラーのMR.SATAMIJORO RALIDERA(通称サタさん)がお出迎え
ヨットクラブ乗船受付にはシャンペンとオードブルが用意されいた
我々は乗船手続きの順番待ちをする客の横をサタさんに先導されヨットクラブの受付へ
ヨットクラブ専用ロビー
ヨットクラブ 、入るにはIDカードが必要
サタさんがエスコート
サタさんのネームカード IDカードのリーダー
船内のどこに行くにも必ずIDカードを携行
16Fの受付、奥がバー(TOP SAIL LOUNGE)
キャビンがある18F、奥がレストラン
顔認証入りのIDカード カードが出来るまで付けるように渡されたバンド
18Fのキャビンに続くドア(外側) 廊下内側から見たロビー
18Fのヨットクラブレストラン (営業時間 朝食 7:00~9:30 ランチ12:00~14:00 ディナー 18:30~21:30)
高級レストラン並みの本格的な料理が提供された(日本語のメニューもあり)
ヨットクラブの乗客は99%が欧米人、アジア系は殆どおらず、まして日本人は我が夫婦だけだったが、途中から乗って来た大阪のS氏 と一緒にディナー、この日はフォーフォーマルデー
16Fのバー(TOP SAIL LOUNGE) 営業時間 06:00~02:00
マルタ島観光ツアーから戻って、軽く一杯
S氏夫妻と乾杯、この日はカジュアルデー
生演奏も入っていました
キャビン番号は18011 IDカードで入室
部屋には毎日新鮮な果物が置かれた
日本語の船内新聞が毎日配られ、その日のイベントが案内される 乗船初日、果物とスパークリングワインが置かれた
キャビン内、27㎡の広さ、ゆったりとくつろげた
ジャワー(バスタブ無し)、トイレ、洗面台のユニット 毎日、ベッドメーキング時にチョコが置かれていた、バトラーの気配り?
ベランダに置かれた2脚の椅子
日替わりで数種類の果物が置かれた エスプレッソコーヒーメーカがあった
果物とお菓子が日替わりで
穏やかな地中海を航行中
ミニバー、飲んだ分は翌日補充
毎日、ナチュラル、スパークリングウォーターが置かれた
TVではNHK国際放送も見れる 階下のバーにジャックダニエルのダブルx2を注文、氷と一緒に届けられた
船内新聞とは別に、毎朝、縮小版の日本の新聞が届けられた
カクテルパーティーの招待状が届け枯れたが、残念ながら私は体調不良(飲みすぎ?)で欠席、奥さんが一人で参加
19Fはヨットクラブ専用のプール、ジャグジー、サンデッキ、バーがありましたが、残念ながら使用できず
予想もしなかったヨットクラブの世界に放り込まれ、 非日常の生活を体験した者の感想として、クルージングツアーは多少無理をしてもワンランク上のクラスを選ぶ事をお勧めします。
旅行10日目(最終日)の3月5日
昨日、ミラノ市内観光を終えてミラノ・マルペンサ空港近くのホテルに一泊して午前中に空港に移動です。
空港まで1.3㎞、車で数分の距離にあるホテル「Crown Plaza Milan-Malpensa」 ホテルロビー
]
チェックアウト
出発前、ロビーにいたツアーの皆さんと記念の一枚
ミラノ市内から43㎞の距離にあるミラノーマルペンサ空港第一ターミナルに到着
バスからおろされたバゲージを持って各自ターミナルに移動です
さすがデザイン大国イタリア、シンプルながら洗練されたターミナル
AZ0786便の搭乗手続き中
成田行きのAZ0786便は満席、来た時も満席だった、ミラノにはJL、NHが乗り入れていないのでAZの占有みたい
全ての手続きを終えてゲートに向かいます
コスメティック免税ショップ、資生堂もナショナルブランドに仲間入り? DUFRYで買ったパスタミックス、明治屋で買ったものより大きいサイズ
ツアー客が全員搭乗の確認中のTCのA氏、最後までご苦労様 AZ0786便に給油中
搭乗ゲートはB58
ミラノー成田間の所要時間は12時間、映画を見たが、残念ながら日本語版は無し
午前11時05分、オンタイムで成田到着(時差は8時間)バゲージの引き取りを待つ バゲージを宅配業者に依頼
旅行8日目の3月3日、前夜スペイン・バルセロナを発った「MSCメラビリア」は午前9時にフランス・マルセイユに港に入港しました。
パリ、リヨンに次いで人口が多いフランス最大の港湾都市です。
歴史的には紀元前600年に古代ギリシャの一民族であるボカイア人が町を築いたと言われ交易都市として栄えたが、その後、内戦や他民族との戦争、支配者の入れ替わり等の変遷を経て、10世紀になりプロヴァンス伯の支配下に入り、1481年にフランス王国に併合された、交易都市としての位置づけは18世紀に始まり、フランス革命、ナポレオン戦争で一時衰退したが、地理的な優位性もあり港湾商工業都市として発展した、第二次世界大戦時にはヒットラーが率いるドイツ軍に占領され大きな損害を受けたが、戦後は再建が進んだ結果、フランス有数の都市に変貌していった。
マルセイユと言えばヨットハーバーに並ん無数のだヨットだが、港にはその様な景色は見えず、下船してからヨットハーバーが内海にあることを知りました
まもなくマルセイユ港入港
入港前、キャビンから見たマルセイユの第一印象は列車でした 下船開始
下船後シャトルバスに乗り換え、そばに軽機関銃で武装した巣人の警官が
改めて船の大きさに驚く 丘陵に建つノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を遠望
マルセイユ観光ではガイドは付かず、港からシャトルバスで町の中心部まで移動、その後は自由時間、帰りも各自シャトルバスで港に戻ることに バス乗り場
バスを降りて数分でマルセイユの代名詞であるヨットハーバーに到着
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院 プチトランは蒸気機関車の形をした観光用のミニ列車
内海に造られた旧港(Le Vieux Port) はヨーロッパで一番初めに開かれ、小型船やヨットが綺麗に並ぶフランスを代表するヨットハーバーです
ハーバーでは「花の市」が開かれていた
花市場からノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を臨む
マルセイユをイメージする写真
尖塔は市庁舎
マルセイユ市役所
自由行動だがTCのA氏が丘の上にあるノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院にプチトランで行く事を推奨、ツアー仲間も往復のチケットを買って乗車 A氏
イフ島監獄 小説『モンテ・クリスト伯』の舞台として知られる牢獄です。政治犯や宗教的犯罪者を収容する牢獄として使われていました。
ミラノ観光名所の人気度17位、地中海を臨む「La Corniche」
ヨットハーバーから丘陵にあるノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を目指すSL風自動車、行きの乗車時間は約1時間
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院
寺院の展望台から見たヨットハーバー
イフ監獄(手前の小島)と要塞
マルセイユ港全景、中央部がヨットハーバー
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院からヨットハーバーに戻る、戻りはショートカットで20分強で到着
ハーバー脇にあったメリーゴーランド
旅行7日目の3月2日はスペイン・バルセロナでの観光です、2月28日にマルタ島ヴァレッタを出港して丸一日、陸地を見ることなく地中海を航行してきました。
船は午前9時に予定通りスペイン・カタロニア州都バルセロナ港に入港。
バルセロナは人口160万人、マドリッドに次いでスペイン第二位の大都会ですが、現在でも民族・歴史的な背景からカタロニア・ナショナリズムが根深く浸透してスペインからの自主独立の機運が強く残っています。
午前9時15分にいつものデッキ6のカウンターバー前に集合して下船
ターミナルを出ると観光バスとガイドさんが待機しており、早速バスに乗車してバルセロナ市内に向かいます
バスの車窓から
カサ・ミラ
アントニ・ガウディが56歳の時に個人の邸宅として設計した建築物、直線部分を全くもたず、外観の波打つ曲線は地中海をイメージしたと言われます。
現在はガウディ建築の博物館となっている(1984年にユネスコの世界遺産に登録)
市内のあちこちにEU、スペイン国旗と並んでカタロニア州旗がひるがえる このビルはカタロニア州旗のみ掲揚
カサ・バトリョ
この建物も1877年にアントニ・ガウディが大富豪の邸宅として手掛けた建築物、異彩を放つ造形には諸説あり、屋根の一部が丸く盛り上がってドラゴンの背中の様に見える事から「竜退治」の伝説になぞっているという解釈があるそうです。(2005年に世界遺産に登録)
サクラダ・ファミリア
スペインを代表するカトリック教会(日本語では聖家族教会)、カタロニア・モダニズム建築の象徴的な建築物、バルセロナの建築家アントニ・ガウディの作品
1882年に着工したが、翌年に前任者が辞任したことにより建設はアントニ・ガウディに引継がれる、大聖堂の建築を構想していたガウディは、これを奇跡として喜び、晩年は他の仕事から手を引き、この建築に専念するも1926年に交通事故で死去、ガウディの設計思想は後継者に引き継がれたが1936年のスペイン内戦で一時中断を余儀なくされる、またガウディの残した設計図も紛失してしまったが、残された模型を基にガウディの意思が引き継がれ、今日まで息の長い作業が続けられている、ガウディの「未完成の建築物」として現在でも世界的な注目を集めているが、完成は2026年を見込んでいるそうです。(1984年に世界遺産登録)
なお、このプロジェクトに日本人の彫刻家外尾悦郎氏が参加している事は広く知られています。
広角レンズで撮影
教会内部は中央の身廊の2辺ないしそれ以上の辺を側廊により取り囲み、身廊と即廊は柱の列によって分けられるバジルカ式という建築方式で造られている
教会内にある記念碑には日本語での表記もあった
外尾氏の作品
あと8年後に完成?
ピカソが描いたデザインの建物 サンタ・エヴラリア大聖堂
昼食前に入ったマーケット ?誰
ツアコンのA氏の案内でピカソが通ったと言われるカフェ「4CATS」へ
4CATS 入口にて
バーも兼ねていた
船に戻るバスの集合場所「Hard rock cafe」前
1992年のバルセロナオリンピック開催に合わせて作られたゴンドラ 中継塔の奥にサクラダ・ファミリアが見える
午後6時、バルセロナから次の寄港地フランス・マルセイユに向けて出港
旅行6日目の3月1日は終日、マルタ島ヴァレッタからスペイン・バルセロナ間、673海里のシチリア海峡を陸を見ることの無い航海が続きます。
今日は当初予定された船のバックヤード見学(有料)が希望者が少なく中止となったのでのんびりと船内を歩きました。
改めて乗船している「MSCメラビリア」を紹介します。
MSCはMediterranean Shipping Companyの頭文字で「地中海船舶」の意味。
MSC社の社歴によると 300年前に創業者であるアポンテ一家がイタリアのソレントで海に関わるビジネスを始め、後にMSCクルーズを創設しています、経営的な本社はスイス・ジュネーブで運行的な本社はイタリア・ナポリに置かれています、非上場企業としては世界最大のクルーズ会社で現在は日本でも航行中です。
MSCメラビリア(総トン数:167,600トン 就航日:2017年6月 乗客定員:5,714名 乗組員:1,536名)
乗船すると下船するまで、毎日キャビンに当日の諸情報を掲載した日本語版「DAILY PROGRAM」が配布されました
DAILY PROGRAMには当日のイベントが時間毎に詳細に記載されており、原則無料で一日が過ごせる様に案内されています
ドレスコードが記載されカジュアル、フォーマル、ホワイトの案内があります 下船時に渡された私への請求書
デッキ6-7の中央部が吹き抜けになったガレッリア・メラビリア、左右にレストラン、ショップが並んでいる
天井のデザイン照明が時間によって変化
デッキ6の中央部分がツアーの集合場所
デッキ5と6が螺旋階段でつながっている
船内のチョコレート工房(JEAN-PHILIPPE-CHOCOLAT & CAFE)
キンキラキンの螺旋階段 デッキ7にある日本料理店、イタリア風日本料理です パブ
デッキ5のシアター・ブロードウェイ
緊急避難の説明会をここでやりました ミーティングルーム
デッキ6にある多目的(?)スペースで軽体操中
レセプション
ステーキハウス
MSCアクアスパ
TCのA氏がデッキ7でツアーメンバーに何か説明?
デッキ15にあるプール
デッキ16のSPORTPLEX
SPORTS BAR F1レーシングカー(MSCがスポンサー)
ツアー仲間が船内探索中 Adult onlyのバー
アミューズメントエリア(デッキ7)にはカジノ、スポーツバーなどがありました
丸窓があるバー 中央プロムナードに乗組員が集まり、シャンペンで乾杯、その後、階下でドームショーが始まった
デッキ15にある24時間営業のマーケットプレイスビュッフェ、まるで学食の雰囲気
シチリア島パレルモを前夜に出港したMSCメラビリアは、旅行5日目の2月28日午前9時にマルタ島ヴァレッタに入港します。
マルタ共和国
イタリア・シチリア島から南93kmにあり、首都であるヴァレッタは世界遺産に指定されています、人口は約40万人の小国ながらカルタゴ、共和制ローマー時代には地中海貿易で繁栄、その後一時イスラム帝国の支配下に入ったが、それに抵抗して戦ったマルタ騎士団が「マルタ」を有名にしました。
1565年にオスマントルコ軍との戦いの経験から市街地全体が難攻不落の城塞都市として1571年に完成させている、なおヴァレッタの名前は当時のマルタ騎士団長で町の建設に尽くしたジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットからきているそうです。
日の出は午前6時33分
早起きをしてキャビンのテラスから撮影 ヴァレッタの街が見えてきた、まさに城塞都市
海から侵攻する敵軍を威圧する石造りの要塞
午前8時30分、間もなく接岸です
ヴァレッタ観光は午後1時から、それまでは自由行動、早速下船して港近くを散策
私のキャビンは船首に近い最上階(18F)
町に出るには車で丘に登る必要がある為、港付近を散策してから埠頭の土産物屋をのぞく
埠頭に日本の貨物船が停泊中
乗員1,200名、乗客5,000名を収容する巨大なクルーズ船、現在はピークシーズンでは無い為、船内施設には余裕がある
午後1時過ぎにバスで観光ツアーに出発、市街地は丘の上
ヴァレッタの港が一望できる「アッパーバラッガガーデン」に到着
絵になる風景
海に向かって並んだ砲台の列
観光名所のアッパーバラッガガーデン
首相官邸 国民に人気があると言うムスカット首相
警備員も見当たらず、無防備な首相官邸
首相専用車のアルファロメオ、無造作に官邸脇に置かれていた
聖ヨハネ大聖堂
マルタの観光案内によるとオスマン帝国によってエルサレムやロードス島を追われた騎士団は、1530年神聖ローマ帝国の皇帝カール5世より、キリスト教勢力の防衛線としてマルタ島を与えられます。1565年オスマン帝国の攻撃を退けた騎士団は、一時中断していた街の建設を再開します。それまでの功績と騎士団員の多くが有力貴族の出身者だったことから、騎士団には莫大な寄進が集まりました。その富を背景に、豪華な建物が次々と建設されますが、その1つが聖ヨハネ大聖堂です。
聖ヨハネ大聖堂は、建築家ジェラーロモ・カッサールの設計で1578年に完成しました。外観はシンプルな造りですが、内観はバロック風の絢爛豪華な造りとなっており、当時の騎士団の資金の豊かさが窺えます。
外観は地味な石造り
金色に輝く聖堂内
協会に附属する美術館に飾られたあったカラバッジオの「洗礼者ヨハネの斬首」
どの道も坂を下ると海に至る
騎士の館の庭にあったオレンジの木
騎士団の館
マルタ共和国の政府施設として、現在も利用されているそうです
年代を感じさせる甲冑が並ぶ
写真左下の土産物屋さんで買った「マルタ騎士」(€7.00)
土産物やさん この店でオリーブのオイル漬けとドライトマトのオイル漬けを購入(日本の1/3の価格)
ヴァレッタの中心部
レンガが剥がれた城壁が年代を感じさせます
ヴァレッタ観光終了、バスで船に戻ります 入船時は必ず顔認証のIDカードで照合され、手荷物検査を受けます
MSCメラビリアのブリッジ上部が「ヨットクラブ」専有エリア、16階がバー「TOP SAIL LOUNGE」、その上階がレストラン、私のキャビンも同階に見える
ヴァレッタ観光ツアーから戻ってから、TCのA氏と16Fのヨットクラブのバー「TOP SAIL LOUNGE」で小休止
TCのA氏も〝顔”でラウンジに入り、お勧めのドリンクをオーダー(A氏は昨年就航したMSCメラビリアの処女航海にヨットクラブメンバーとして乗船していてクルーと顔なじみ)
CAP買いました アルコール、ノンアルコールの飲み物をテースティング中
午後5時の出港をバーからお見送り 次の寄港地はスペイン・バルセロナ
今日の夕食は「ヨットクラブ」ではなくツアーの皆さんと船内のステーキハウスで食べたが、当然ながらヨットクラブのレストランとは比べるべくもなかった
午後9時から船内Carousel Loungeで開演される「シルク・ド・ソレイユ・ショー at Sea -VIAGGIO 」-「色の世界への冒険」、「画家の想像の中の旅」を鑑賞(ドリンク+ショーで€15}
最前列に席が確保されていた
旧来のサーカスのイメージだったが、新しい概念のパフォーマンスで時間が経つのを忘れた
地中海クルーズツアーに参加して、帰国後、早速ブログ作成に入りましたが、(3)シチリア島・パレルモ観光までを作成したところでPCがダウン、店にPCを持ち込んで診断の結果、PCに内臓のHDDが破損とのことで、Disk driveをSSDに替えて本日PCが戻ってきました。
本日より続編を作成してアップします。
旅行2日目の2月25日、ジェノバ市内観光を終えてクルーズ船「MSCメラベニア」に乗船、午後6時にジェノバに別れを告げて、次の寄港地でローマ観光の為にチビタベッキアに向かいました。
薄暮の中、船はジェノバ港を離れた
今回のクルージングツアーに申し込んだ「ヨットクラブ」を紹介します。
キャビン、は船首部分の4フロアーを占める専有エリア内の18Fにあります、室内の広さは約27㎡でバルコニー付き、ツアー中は専任のバトラーと彼のスタッフが室内のメンテナンスからキーピング、諸々の要望に応えてくれます。
室内の飲食物は勿論、エリア内のレストラン、バーでの飲食も旅行代金に含まれていてサインも不要です。
船首部分の14Fから19F(17Fはありません)がヨットクラブの占有エリア、16FがTOP SAIL LOUNGE(バー)、18Fがメインダイニングレストラン、19Fはプール等
船首側にある18Fエレベーターホールを降りてヨットクラブ専用エリアに入ります こちらは16Fのヨットクラブ専用Reception
キャビンに続く廊下
えれべ 私のキャビンです
ドア右手のセンサーにIDカードを読ませてからエリアに入ります、原則TCさんもカードがなければ中に入れません 16Fから18Fへの階段(17はイタリアでは欠番です)
顔認証のIDカード、船内では必ず首から下げるよう言われました 顔認証IDカードができるまで手首につけました キャビン内
エスプレッソマシン付き ミニバー ミネラルウォーター
キャビンに入ると右に洗面台 ・シャワー・トイレがありますがバスタブが無いのが難点 フルーツが毎日補充されました
エレベーターもヨットクラブのリーダーにICカードを読ませるとプライオリティで最優先で昇下降出来た 19Fの専用プール、ジャグジー
19Fはヨットクラブ専用プール、バー、グリルがあったが、一度も利用せず
18Fにあるレストラン 日本語メニューもあります
レストラン内部、揺れがあるためか、椅子は重厚な造りでした 船首部分の上部にあり、眺めは素晴らしい
16Fにあるバー「TOP SAIL LOUNGE」では夜はピアノなどの生演奏が入る
旅行3日目の2月26日午前8時、チビタベッキア港入港、この日は港からバスで2時間かけてローマに向かい観光予定だが、夜間に雪が降った様でキャビンから接岸した岸壁を見ると重機で除雪中。
ローマに雪が降ったのは6年振りとの事、後で聞いたが積雪が10㎝を超えたのは46年振りとか、ローマ市内の学校は27日まで休校となったそうです。
ターミナル周辺は除雪が始まっているが移動するバスなどは見当たらず、とりあえずTSのA氏から予定通り下船の案内がありターミナルに入りました。
間もなく雪の埠頭に接岸です キャビンから下を見ると重機でターミナル周辺を除雪中
キャビンから見た埠頭、下船が始まった
ターミナル
船を下りてターミナルに入るが、ターミナルと外部をつなぐシャトルバスが来ておらず、TCのA氏が関係者に連絡をとったがうまく繋がらないため、最終的に東京本社に判断を仰いだ結果、A氏の判断に任せるとの結論で、最終的にローマ観光用のチャーターバスがシャトルバスのとの中継地に来ている事が判り、徒歩で雪の中をバスまで歩くことに、1時間遅れでローマに向けて出発。
なお、同時に船を下りた日本から来ている他のツアーはTCの判断でローマ行きを諦めて港周辺を観光したそうです。
ローマ市内観光
チビタベッキア港から一路、ローマを目指しました、車が少なく順調なドライブです
ローマ市内に近づくにつれて下の枝を伐採した「アッピア松」が目立って来た(アッピア街道脇に多く植わっていた記憶)
予定したガイドさんが雪で来ることが出来ず、代わって来てくれたガイドさんに言わせると、二十数年ローマに住んでいるが、こんな大雪は初めてとの事で、普段は車で混雑する街中も、この日は車や観光客が少なく珍しい風景だった
トレビの泉
「トレビの泉」の脇にある有名なジェラートの店、雪がふっても大人気
人通りもまばら 乗ってきた観光バス
屋台の果物屋さん、観光客がおらず開店休業状態
雪のスペイン広場
路駐のポルシェも雪を被っていた コロッセオ駐車場も閉鎖中
珍しいい雪のコロッセオ、XX年前に来た時は中に入った記憶があります
雪をかぶった石像
ローマ時代の競技場も雪の中
他の観光名所はバスの中から見学
ランチを予約したレストランへ向かいましたが、予約が入っていた別の日本人観光ツアー客から1時間前にキャンセルが入ったとの事、多分空港から出ることが出来なかったツアーか?
パスタのランチ
ローマ観光を終えてチタベッキア港に戻りました、港内にはまだ雪が積もっていたが、シャトルバスが動いていたので観光バスから乗り換えて船に向かいます。
港内に残されている中世の城壁
船が見えた
シャトルバス
めったに見れない「雪のローマ」観光を終えて残雪の中を帰乗船、船に入る際は必ず所持品検査と顔認証IDカードで本人チェックが行われました
午後6時に次の寄港地シチリア島パレルモに向けて出港します
某大手旅行会社が主催した「地中海クルーズ」に参加してきました。
2月24日に成田空港からイタリア・ミラノに直行、翌日ジェノバ市内観光後、クルーズ船に乗船してチビタベッキアに寄港してローマ市内観光、夕刻に船に戻って、シチリア島パレルモー → マルタ共和国ヴァレッタ → スペイン・バルセロナ → フランス・マルセイユを回遊、再びジェノバに戻ってからミラノ市内観光、翌日成田に向かうと言う11日間のコースです。
なお、今回の参加者は29名でした。
久し振りの成田空港北ウイング
この日の換算レート(TTS)は¥134.71/€
午後1時30分発のミラノ直行便AZ0787に搭乗、フライト時間12時間の予定のところ追い風で1時間早く到着しました
搭乗してからしばらくして出されたスナック 夕食①イタリアン、飲み物は赤ワインで
夕食②和食 ミラノ到着前に出された軽食 フライト中は音楽を聴いたり映画を見たい、到着まであと3時間
この日のAZ0787便満席でした ミラノ時間17時25分にマルペンサ空港着
マルペンサ空港到着は一昨年行ったスイス周遊ツアー以降2回目、空港はミラノ市街地から50km離れていて空港周辺にはなにもありません
独学で数各国を話すTCのA氏、超前向きな性格です 空港到着後、バスで近くのホテル(Crown Plaza Hotel)に向かい一泊
2日目、ホテルで朝食後、バスで船の乗船港ジェノバに向かいました、天気は曇り、気温も日本とほとんど変わりません
ジェノヴァ
街の歴史は古く、中世にはジェノヴァ共和国として栄えました、現在でもイタリア国内においては商工業の中核都市であり、ミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に控えて、イタリア最大の貿易港です、なおアメリカ大陸を発見したコロンブスの生誕のちでもあります。
バスでジェノバ旧市街を観光、ガルバルディ通りを歩き、ドゥカーレ宮殿等を見学しました
ドゥカーレ宮殿
サン・ロレンツォ協会
赤の宮殿
バスを降りると急に雨が、早速傘売りが現れた1本5€也 モザイク建築が美しい「 plazzo real o dei normanni」
ジェノバ港に停泊中のMSCメラビリア 旅客ターミナル
ジェノバ観光を終えてバスで港に移動、今回のツアーで乗船する「MSCメラビリア」への乗船手続きに入る
乗船手続き
バスを降りて今回のツアー客29名は乗船手続きの為、ターミナルに向かったが、乗船手続きに入る前にTCのA氏より我が夫婦だけ「ヨットクラブ」と言うエグゼクティブクラスに申し込んでいたと言われ、乗船も一般乗船客とは別の「ヨットクラブ」専用受付口から入る事となりました、ゲートにはすでに我々を担当する専任のバトラーが待機中で待つ事もなく、乗船手続きを待つ長蛇の一般乗船客の列の脇を通り抜けて「ヨットクラブ」専用通路から乗船となりました。
ターミナル 乗船口
ヨットクラブ専用通路
バトラーのMr.Satamijoro Ralideraが出迎えてくれました、下船まで彼と彼のスタッフが面倒を見てくれます
ヨットクラブ専用乗船デスク
手続き中、シャンペンとオードブルが提供されてビックリ、これも料金の内?
16階のエレベーターホール 乗船手続きを終えて16階の「ヨットクラブ」受付へ
ヨットクラブ受付、ここで顔写真を取られました
MSCメラビリアは昨年就航した新鋭船で総トン数17,598㌧、乗員定数5,714人、乗員数1,536名、キャビン数2,244室
私が申し込んでいたのは「MSCヨットクラブデラックススイート」 キャビンの広さ28㎡(バルコニー付き)の部屋でした
今回のツアーの他のキャビンは①内側12㎡、②海側15㎡丸窓、③海側バルコニー12~22㎡で料金も様々でした。
MSCメラビリアHP
https://www.msccruises.jp/jp-jp/Discover-MSC/Cruise-Ships/MSC-Meraviglia.aspx
午前9時にホテルを出発して空港に向かいます。
ガイドの李さんと ツアー専用バスで空港に向かう前に、市内の免税品店に立ち寄ってお土産を購入
買い物終了、バスを待ちます
帰国の便はCX0450(12:55ETD)
台北桃園空港
これからチェックインです
李さんとも間もなくお別れ
チェックイン後、手荷物検査 ー CIQを通ってゲート前の待合室へ
李さん、ありがとうございました 搭乗前のリラックスタイム
B8ゲート前の待合室で搭乗案内を待つ、CX0450はHKGからTPE経由NRT便の為、ツアー客の座席はバラバラ、チャーターでないのでやむを得ない
所要時間3時間10分、時差1時間と、今まで行った欧州、アメリカ、オセアニアに比べて大変楽な旅でした、今回はツアー会社のスケジュールで台湾を北から南まで移動しましたが、台湾は近いこともあり、今度は都市を絞ってゆっくりと自分の足で街を歩いてみたいと思います。
ツアー参加者の皆さん、最終日にカメラバッグをホテルに忘れ、途中からバスを戻すと言う不手際で、皆さんにご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。
ツアーコンダクターの竹内さん、お疲れさまでした、次回以降は貴社優先で検討します。
今月はまた台湾だそうですね、頑張って下さい。
九フン
台北から30km離れた山間の町「九フン」は19世紀末に金鉱が発見されてから発展、日本の統治時代に最盛期を迎えたが、1971年に金鉱が枯渇して閉山となって以降は忘れられた存在であったが、1989年に台湾映画「非情城市」のロケ地となってから、古い街並みと狭い坂道の両側のレトロな家並みが再び脚光を浴びる様になった。
加えて宮崎駿監督が撮った「千と千尋の神隠し」の背景となった町が似ていると噂になって日本人観光客が増え、現在では台湾ツアーに外せない観光地となってる。
(スタジオジブリはその噂を否定している)
九フンに行く手前のバスターミナルでツアー専用バスを降り、乗り合いバスに乗り換えて街に入る。
乗り合いバスで山間の坂道を登る、途中、寺院が見えた 九フンバス停
眼下に寺院と海がみえる、九フンは雨が多いと聞いていたが、この日は快晴
金鉱の町として発展、町は小さいがアップダウンが多い
九フンは坂の町 ツアー参加者の最高齢は84歳、坂道を登るのが心配されたが全く問題なし、まだまだ元気です
台湾の人に加えて日本人と韓国人が多い
狭い階段の道は大混雑
坂道の途中にある「阿妹茶楼」で小休止
店のおねえさんに台湾茶(烏龍茶)を入れて貰った、香りを嗅ぐ器とお茶の器の2つがセット、台湾茶は奥が深い
お茶うけのお菓子、特に緑色の枝豆の柔らかい落雁が旨かった
「阿妹茶楼」のテラスから見た海
お茶はオープンテラスで頂いた
ツアー参加者のみなさん
金鉱で働く鉱夫のモニュメント
「千と千尋の神隠し」で千尋が働いていた湯屋に似ていると言われる「阿妹茶楼」
これから行く「十分」で上げる天燈(?)
街中にあった寺院
(?)
階段を降りると五番坑道の入り口があった
九フンが山間にある町という事がよくわかる
カタカナ表示のガイドマップ 大きな寺院が山中にあった 金鉱博物館
バス停近くの警察署
乗り合いバスで専用バスが待つターミナルに戻るが、来るバスはどれも満員で素通りされ5台目に強引に全員乗車、立ちっぱなしで15分我慢
バスを待つ間に突然、車道に現れた踊る人(コスプレ?、民族衣装?、祭り?。。。。。)
十分
瑞芳でツアーバスを降り、台湾鉄道瑞芳駅で平渓線の電車に乗り換えて「十分」に向かいます
瑞芳駅 駅前
16:42発の列車に乗車
待合室で列車を待つ女性陣 切符を購入(運賃はNT$19.00/¥80)
瑞芳から4駅目が十分
列車が入線
乗車時間は40分
「十分」駅に到着、駅のホームになぜこんなに多くの人が???
人が多くて駅をで出ることが出来ず、そのうち反対の線路に瑞芳方面に向かう列車が入線してきた
車両は古いがラッピングが可愛い列車が到着
単線の為、反対の線路に列車が入り、我々が乗って来た列車が発車したが、入線して来た反対方向行列車が何故か動かない
ホームにいる人は乗降客ではなく電車を見ているだけ(?)、駅構内の踏切には遮断機が無く、止まった電車の前を渡る人が絶えず、結局我々も強引に電車前を通り駅を出ることになった
この人の群れはどこに行くの?
天燈(チャイニーズランタン)上げ
毎年旧正月(今年は2月上旬)に願い事を書いた天燈を一斉に空に放つ「平渓天燈節」が有名だが、現在は年間を通して実施されている様です、大きな天燈の下部に火種を置いて内部に熱をこもらせて空に上げる(アドバルーンの原理)中国の伝統行事です、日本でも長崎の中華街では同様のランタンフェステバルが行われいるそうです。
線路沿いの狭い道路沿いに天燈を売る店が並んでいた。
なお、天燈は色によって願い事が違うとの事(赤=健康、黄色=金運、青=商売繁盛、紫=合格祈願、ピンク=恋愛、緑=平和)、なぜか私には緑の天燈が配れた
電車の通過は1時間に1本の為か、線路が天燈を上げる場所になっている
「阿媽」は天燈の老舗の店だそうです 店に由緒書が貼られていた
この御婆さんが天燈ブームの火付け役? 店の奥に販売用の色とりどりの天燈が並んでいた
「阿媽の店」でミニチュア―の天燈を買いました、振るとLEDが発光します
日没間近、線路で上げる天燈が光を増した、やはり昼間より夜間の方が絵になる
数百メートル上がるそうです
十分駅の線路際に「線路立ち入り禁止と罰金の金額」表示があるが無視されて天燈上げの会場となっていた
薄暮の空に上がる天燈
駅から少し歩くとツアー主催会社のクラブツーリズムの「天燈上げ」会場、多くの日本全国から来たツアー客が集まっており、ツアーコース毎に「天燈上げ」を行う
天燈打ち上げ前に景気付けで獅子舞が行われた
最初は主催者の天燈上げ
順次、ツアーコースご毎に天燈上げが始まる
上がった天燈が多いと幻想的だが、写真的にはピントが合わせずらい
「天燈上げ」終了、帰りはツアーの専用バスが会場近くに回送されており、乗車して一路台北に戻って夕食の予定だが途中の道路が大渋滞、台北に戻ったのは8時過ぎ
車窓からイルミネーションが灯る台北101、間もなく市内に入る 台南料理「阿美飯店」で遅い昼食
夕食は好記阿美飯店で http://www.taipeinavi.com/food/39/
今回も料理のお伴は台湾ビール
美味しく頂きました
これからホテルに戻ります、明日は帰国。
台北市内観光
午前8時30分、専用バスでホテルを出発、儀仗兵交代を見るため圓山の忠烈祠へ、その後、建国の父「蒋介石」を祀る中正記念堂を見てから、小籠包の名店鼎泰豊でランチです。
2005年にオープンした台北101(高さ508m)、台湾一の高さを誇る複合ビル 1952年にオープンした台北のランドマーク的ホテルの圓山大飯店(高雄圓山ホテルの姉妹ホテル)
革命志士を祀る忠烈祠
入口に立つ2人の衛兵、1時間ごとに交代するが、立っている時は微動だにしない直立姿勢を保もち、衛兵交代の際には全員がロボットの様に機械的な動きをする為、観光の名所にもなっている、
ガイドの李さんに言わせると若い「イケメン」の兵隊が揃っているそうです。
奥にある大殿にも衛兵2人が立っており、交代の際は大殿まで移動する
直立不動 交代の時間になり奥の詰所から6名が出て来た
持っている銃は空砲
左の私服が監視役? 大殿に入る衛兵
交代する衛兵、私服が姿勢などをチェックしていた
交代が終わると観光客が一緒に写真を撮ることが出来るが衛兵に触れることは絶対ダメ、触れた場合は持っている銃で床を打って大きな音を立てる、そして私服が飛んでくる
交代終了、同じルートで正門に戻る
詰所に戻る際も、姿勢は崩さない
大殿に集まる観光客
総統府、こちらの衛兵は実弾入りの銃を構えていた
中正記念堂
国父・蒋介石を記念して建てられた、蒋介石が死去した翌年の1976年に着工して1980年に完成、敷地は25万㎡に記念堂、音楽庁、国家戯劇院、庭園がある、青い瑠璃瓦の八角形の屋根は忠・孝・仁・愛・信・義・和・平を意味しています。
瑠璃瓦の門 記念堂外壁が修復中
記念堂内の庭に山桜が咲きだしていた ツアコンの竹内さん(まだ新婚さんです)
記念堂に入ると過去の大戦の資料(殆どが抗日戦争関係)、絵画が掲げられていた
巨大な蒋介石像
ここでも衛兵が立番をしており、衛兵交代があった
階段(89段)を登るとは蒋介石記念堂、89は蒋介石が亡くなった年齢
昼食前にお土産屋(お茶屋)に入る 店員から烏龍茶の旨い入れ方の説明を聞く
ランチは鼎泰豊(Din Tai Fung)で小籠包のコース、日本には新宿、日本橋等に15店を出店して、大人気ですがガイドの李さん曰く、造り方は同じだが中の餡の材料が違う為、この本店の味が一番おいしいとの事。
http://d.rt-c.co.jp/#secondPage
入店の準場待ちの行列、殆どが日本人(旅行会社のツアーに必ず入っている様です)
店の入り口 店の人が入口にいて、名前、人数を伝えて番号札を貰い入店を待つ
この時は130分(2時間10分待ち)、つまり予約していないと2時間待ちという事? 我々は前もって料理を予約済みだが席をとっていなかった為ガイドの李さんが交渉、30分程待ってから入店出来た
1~2人、3~5人、6人以上の入店者番号が表示されている 鼎泰豊のキャラクター
中国語、日本語、韓国語で表示 店員のベストマナーランキングが」貼られている 店は3階まであるが、ウナギの寝床みたいな細長い造り、店員が出来た小籠包を運ぶ
私の飲み物は台湾麦酒 前菜2点 野菜入り餃子
中の餡が違う小籠包がアツアツで出された
酸辣湯 チャーハン 締めは甘い餡が入ったデザート
予約していた為か、席に着くと熱い小籠包が次々と提供されてツアーメンバーも食べるのに夢中、東京の店と比べると店員さんの動きがキビキビとして無駄がない印象
席に着くと料理を待つ時間が短く回転も良い
店員さんは美人さんが多い 椅子にも店の名前が ビール代の支払い中
各階にあるトイレは大きくないが、用を済ませて出るとトイレ入口に待機していた専任の人がすぐに清掃するのには驚かされた、さすが鼎泰豊本店!!!
台北
午後14時36分に台北駅着、台北に近づくにつれて雲行きが怪しくなり雨となるが、駅に待機していた専用バスに乗車して今回のツアーの目玉の一つである国立故宮博物館に向かう。
台北駅からバスで故宮博物館に移動 台北圓山大飯店が見えた、間もなく博物館に到着
国立故宮博物館 http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200605/collection/index.html
歴代の中国皇帝が所蔵していた文物約70万点を所蔵する博物館、1925年に清王朝最後の皇帝溥儀が退去した後の紫禁城に誕生したが、政変や国内外の情勢変化により所蔵品の多くが台湾に渡り、北京の故宮博物館の2か所に分かれて展示される様になったが、逸品と言われる所蔵品の多くが台北にあります。
以前、東京の国立博物館で開催された国立故宮博物館展を見に行った際、期待した翡翠の彫刻「翠玉白菜」が来ておらず今回のツアーで見れるのを楽しみにしていたが、残念ながら台湾南部・嘉義県にオープンした「故宮南院」に出張中で見る事が出来ず。
博物館外観
スマホはOKだが、カメラは持ち込めず 館内は見学客で一杯で入場は順番待ち
ガイドの李さんに博物館展示物のうちで逸品と言われる文物を案内してもらい、約2時間かけて館内を廻る、鑑賞後、外に出てから外観をスマホで撮影
城市商旅南東館(City Suites)
台北の宿泊ホテル、最近リニューアルされた様でモダンな造りだが、メインストリート脇に建つ為、少し騒音が気になった。
高速道路脇に建つホテル
ホテルフロント
夕食は市内の老舗台湾料理店「欣葉」で http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10030.html & 欣葉のHP http://www.shinyeh.com.tw/content/ZH/Index.aspx
豚の角煮 小エビのから揚げ
酢豚 切り干し大根のオムレツ
蛤の吸い物
チャーハン ピーナッツの粉をまぶした餅
夜市 http://www.taipeinavi.com/food/a/g21/
夜になると台北市内いたるところで夜市が開かれます、指定時間になると車の通行が禁止されて屋台、出店が並びます、まるで日本のお祭りや縁日を大規模にした感じか。
夕食をすませて一旦ホテルに戻って小休止、ホテルから10分程歩くと市内最古の「饒河街夜市」に到着、約400mが夜市会場となっている、午後6時から深夜まで開いているそうす。
我々が出かけた時には、すでに通りに屋台が並び、地元の人に加えて観光客も多く歩くのも困難な位の人出、手頃な価格で様々なB級グルメが食べれるのが魅力なのでしょうが、夜市の中を歩くと、様々な食べ物の匂いが混在一体となって鼻を刺激した。
昼間の熱さをさけて夜の外出を延長させる「夜市」は暑い国ならではの知恵なのでしょう、毎日開かれていると聞くと台湾人のパワーを感じた。
夜市の入口
夜市の中にあった彩り豊かな寺院がライトアップされている
車道を閉鎖して路の中央に台湾のB級グルメと身の回り品の屋台が混在、ゆっくりと往復すると30分はかかる、夕食を済ませているので今回は見物だけ
下の写真は沢山並ぶ屋台・出店のほんの一部
翌朝、夜市が開かれた場所に出かけてみると、屋台・出店が見事にかたずけられて車道となっていた
見事な変貌ぶり 「饒河街夜市」のシンボルのフクロウ
午前6時30分、人通りがまだない 夜市が開かれた道路を一本裏道に入ったところにあったお寺
蓮池潭
高雄市内から北に10km、人造湖である「蓮池潭」の周辺に建つカラフルな寺院が観光の名所となっていました。
台湾の言い伝えでは「龍は」は善良な動物、「虎」は凶暴な動物とされ、龍の口から入り虎の口から出ることにより、自分の過去の悪行が清められると言われいる
1719年に建立されたが、日本統治時代の1959年に現在の地に移された慈濟宮、保生大帝という医師を祀っています
龍の像、触れるとご利益(?)があると言われています
蓮池潭に造られた東屋もカラフル 龍虎の間から見た慈濟宮
現地ガイドの李さんが買ってくれた地元産のバナナをいただく、小ぶりだが皮が薄く旨かった
高雄駅
新幹線で台北に移動します
出発時間ぎりぎりに左営駅に到着、ツアー参加者はスーツケースを持ちながら駅構内に入り新幹線ホームへ
座席裏に表示された車両案内は日本の新幹線と同じ
JR東海、西日本が全面協力して2007年に開業した台湾高速鉄路(台湾新幹線)JR700形をベースにした車両で台北―左営間の345㎞を最短1.5Hで結ぶ(従来は約4時間かかっていた)
午後12:36発0638号で出発、所要時間は2時間
昼食は弁当とお茶、弁当の見てくれは日本ほどきれいではないが、味はまあまあ
高雄(左営駅)を出発して速度を上げていきます
女性の駅員が多い 新竹は「台湾のシリコンバレー」と言われるハイテク科学工業園区があり日本企業も多く進出している
新竹駅の裏側(?)、開発を待つ土地が広がっている グリーン車で快適な移動、飲み物がフリーでした