滝桜近くの民家に咲く梅、白壁の土蔵が引き立つ 土蔵に影を映す梅の木
「さくらの公園」
さくら湖(人造湖)周辺には16種類の桜が約3,200本植えられているそうです、まだ午前早い時間の為か、ほとんど人が居らず、公園は貸切状態でした。
葉桜となった木もあったが、まだまだ盛りと咲く種類が多くあります
花びらが敷き詰められた道
小高い丘に立つ1本の桜が青空に映える
散った花びらが地表を彩る
3匹の(?) 落ちた花房に興味を持ったO君
「上石の不動桜」
不動明王をまつる不動堂の境内にあるため名づけられた桜。樹齢は約350年と言われております。
山間部が開けた所に1本だけ立つ枝垂桜
質素なお不動さんのお堂脇にある不動桜、樹齢350年経つ太い幹が圧巻
青空に映える枝垂桜 菜の花も盛りでした
お堂裏手から見た不動さくら まだ水仙が咲いていました
田舎の鎮守様として地元も人に敬われているのでしょう
「地蔵桜」
不動桜から車で30分程で到着した枝垂桜の古木
地蔵桜脇の階段を上がると花桃、梅の花が満開でした
昼食はナビで調べた三春蕎麦の店で「天ざる」をたぐる
「高柴デコ屋敷」は古くからこの地で受け継がれてきた張子人形の故郷だそうです
本家大黒屋に入ると懐かしい「ぜんまい時計」、そしてクラシックなカメラがなぜか壁に掛けられています
「滝桜」
エドヒガン系の紅枝垂れ桜の古木、樹齢は1000年と言われ、樹高135m、根回り113mあるそうです。
大正11年に岐阜県・根尾谷の薄墨桜、山梨県・山高神代桜と共に日本三大古桜として国の天然記念物に指定されています。
4月25日午後11時に仲間3人といつもの駅に集合、今回は参加者が少ない為にO君の高級車を借りました、なおドライバーは、いつものI君にお願いして東北道ー常磐道を経て午前3時前に三春町の駐車場に到着、しばし仮眠の後、午前5時30分に300m離れた「滝桜」に向かいました。
今回はO君の愛車で出発です 午前5時過ぎ、三春町の滝桜駐車場には数台の車が到着していた
時間が早く、滝桜料金所はまだ無人 三春町の観光ポスター、ライトアップは23日まででした
観光客がほとんどいない夜明け前の滝桜 夜明け前、靄が流れてきた
夜明け前の滝桜
滝桜に陽が当たりだした
丘陵地にある滝桜は、以前行った山間の平地に立ち、公園となっている岐阜・根尾谷の薄墨桜とは趣が異なった
樹齢1500年と言われる根尾谷のエドヒガン系薄墨桜(参考)
全面に陽を浴びた滝桜
阿武隈山地に位置する三春は山間の町で滝桜は丘陵地にあります
昼間、観光客に囲まれる滝桜周辺も、この時間はまだひっそりとしていました
滝の水が落ちる様な姿から「滝桜」と名付けられました
丘陵地に立つ「滝桜」の後部は公園となっており、菜の花が盛り
樹齢1000年と言われる古木は多くの支柱に支えられています 優雅な枝振りだが、満開を過ぎて葉桜も目立つ
「滝桜」は丘陵地にあり、横ある階段を登ると公園になっていました
滝桜の根元には小さな祠があった 今回の写真行に参加の4名(6名不参加)
滝桜傍には満開の桜の中に鎮座する鎮守様がありました
マンションは47,143㎡の敷地に6棟が建っています、棟と棟の間のプレイロットには数種類の桜の木等の樹木11,000本が植えられており、四季折々に様々な表情を見せて住民の目を楽しませてくれます。
この日は桜、椿、ハナミズキなどが満開でした。
八重桜が散り始めており、落ちた花びらが歩道をピンクに染めていました
ハナミズキの花も咲きだしています
プレイロット 青空と新緑を背景とした八重桜
手入れされたプレイロット つつじも咲き始めました
花壇の花々
花壇の花々をレンズでいたずらしてみました
墨堤の桜
八代将軍吉宗が江戸庶民の憩の場とすべく隅田川堤に100本の桜の苗を植えたのが始まりとされています。
隅田川とスカイツリーを背景とした菜の花と桜、カメラのアングルを変えると趣が異なります
隅田川左岸の桜
牛嶋神社のしだれ桜
貞観2年(860)に創建された牛嶋神社
墨田公園で偶然、結婚式を挙げたと思われるカップルが記念撮影中、新郎は外国人でした
墨田公園から見たスカイツリー
上野恩賜公園の桜、
江戸時代は飛鳥山、御殿山、隅田川が庶民の花見の名所として賑わいました、上野にも桜が植えられていましたが東叡山寛永寺が徳川家の菩提寺で飲食が禁止されていた為、庶民には人気が無かった様です。
寛永8年(1631)建立の清水観音堂(重文)、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂
桜の花は盛りを過ぎていましたが、花見客は「花よりxx」で公園内は盛り上がっていました
国立博物館
明治5年(1872)に建てられた国内最古の博物館。
本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館、資料館で構成され、本館裏には旧寛永寺庭園の名残をとどめた庭園があって、春と秋に期間限定で公開されます。
本館 表慶館
庭園
庭園には五代将軍綱吉が法隆寺に奉納した銅製の五重塔がありました
小堀遠州が建てた茶室「転合庵」
庭園内の桜 お茶会に来ていた女性をモデルに桜を撮りました
奈良興福寺にあった江戸時代の茶室「六窓庵」、この日はお茶会が開かれていました
本館と平成館をつなぐ廊下のガラス窓に映った桜の花
庭園内の池、建物は茶室「転合庵」
皇居(江戸城)
天正18年(1590)徳川家康が入府当時は太田道灌が築城した小規模で質素な城でしたが、その後、全国の諸大名を動員した天下普請により、万治3年(1660)に現在の規模となり、以降265年間に渡って徳川幕府の中枢機関として機能してきました。
なお、明暦3年(1657)の大火によって天守を含めて多くの城構を消失しました、天守はその後も再建されることはありませんでした。
明治2年(1869)に東京奠都が行われていますが、江戸城は明治政府に明け渡されて以降、東京城ー皇城ー宮城ー皇居と改称されてきました。
現在、江戸城本丸跡は東御苑として一般公開され天守閣の石垣だけは見ることができます、今回は普段入ることが許されない旧西の丸の一部が公開されたのもです。
図中央の坂下門から乾門まで蓮池濠沿いの道750mが今回解放されました
二重橋前駅から皇居前広場に出ると規制が始まりました、広場を桜田門に向かい、そこから二重橋前ー坂下門に向かいました
この日の入場者は81,820人だそうです
入門の順番を待つ人並み、背後は丸の内のビル群 約1時間待って第一関門の手荷物検査、その後、ボディチェック
坂下門から皇居に入る人々 やっと入門しました
坂下門を入ると警戒も一層厳しくなりました
門内からみた皇居前広場、長蛇の列が続いている 坂下門を入ると広大な敷地が広がっていました
国賓の接待や国の公式な行事、歌会始などが行われる新宮殿
昭和10年に建てられた宮内庁、この先からが乾通りです
富士見櫓
旧江戸城本丸の東南隅に位置しています、明暦の大火で被災していますが万治2年(1659年)に再建されており、本丸の数少ない遺構として貴重な建造物です。
なお天守閣は明暦の大火で焼失した後は再建される事が無く、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。
東御苑からも見えるが、こちらの方が間近に見られました
慶長期に造られた江戸城石垣
吹上御所に続く(?)桜の通り、もちろん立ち入り禁止です
富士見多聞
富士見多聞の裏側は東御苑(旧本丸跡)です 蓮池濠
野面積みによる石垣 乾通りを右に折れ西詰橋から東御苑に向かう人
多くのソメイヨシノは盛りを過ぎていましたが、枝垂れ桜が満開
警備の警官が立ち止まらない様に連呼
上道灌濠と桜① 通りは人で一杯、ゆっくりと写真が撮れません
上道灌濠と桜②
天下普請で造られた石垣、古色然とした姿が時代を感じさせます
間もなく出口となる乾門 予想に反して(?)若い女性が多い(歴女?)
約40分ほどのウォーキングでした
乾門前の桜 門に付けられた照明
乾門前、多くのツアー客も目立ちました
乾門を出て北桔梗門ー平川門ー大手門まで歩きました、大手門から霞が関、虎の門を撮りました、一番高いビルは虎の門ヒルズ
江戸時代の遺構として残っている巽櫓 大手門前のしだれ桜
4月5日、小田急線鶴巻温泉駅に仲間6名が集合、今回はアルコールを飲むため、軽いハイクとなりました。
東名高速道の高架下をくぐるとハイキングコースに入ります
江戸時代の大山詣ルート「矢倉沢往環道」 弘法山から権現山への稜線から平塚市内、相模湾がのぞめます、かすかに三浦半島も
弘法大師が修行したと伝えられる「弘法山」頂上(235m)
午前中は天気も良く、桜の花もあでやか
もう少しで酒が飲めるぞ!
芽吹いた木々が青空に映える
ソメイヨシノが満開
権現山から見た秦野市内 権現山頂上(244m)の展望台
頂上は広場になっており、多くの花見客が宴会中でした 仲間が持参した飲食物(ビール、ワイン、日本酒他)
宴会開始
神奈川県警の女性ポリスが宴会に参入(?)
時間が経つにつれて花見客が増えてきました
午後になると雲行きが怪しくなってきました 眼下を走る小田急ロマンスカー
権現山から弘法山の桜をのぞむ 残念、富士山の中腹から上が雲で見えず
黒い雲が出てきたが、桜との対比が面白い
霊山大山と桜
江戸時代に信仰の山としてあがめられた大山、隅田川で身を清めてから詣でたと言われています。
下山後、秦野駅に向かう途中、少しアルコールが効いてきた(?)T氏