1590年(天正18年)徳川家康が関東入封の際に摂津国佃村(現在の大阪府西淀川区佃)の漁師33名を連れてきて隅田川河口の砂地であったこの地に移住させました、島は土砂を埋め立てて拡張され、島の名前は故郷にちなんで佃島と命名されました
なお佃島はその後の度重なる埋め立てで北の石川島、南の月島と地続きとなりましたが、漁師達は将軍家献上のシラウオや諸大名に収めた魚類の残りの雑魚を味付けして煮詰めたのが佃煮で江戸の名物となり現在に至っています。
石川島は池波正太郎の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵が犯罪者の更生施設として造った「人足寄場」があった地でもあります。
1853年に石川島造船所が創業しましたが、その後移転、跡地を再開発して高層マンション群「大川端リバーシティ21が川沿いに建てられました。
戦前からの古い町並みや釣り船が高層マンションと隣り合わせに共存しており、他の地域に無い独特の景観を見せています。
墨田川左岸、元石川島に建つ大川端リバーシティ21 右に石川島灯台のモニュメントがありました
遊覧船が頻繁に行きかいます 佃大橋を渡ると佃煮の店が集まっています
ひときわ高さが目立つ聖路加タワー 左岸から見た中央大橋
佃大橋から見た勝鬨橋 勝鬨橋、今は開閉していません
対岸の明石町との間を結んでいた「佃の渡し」は最後の隅田川の渡しとして1964年(昭和39年)まで続いていましたが、佃大橋の完成でその役割を終えました。
佃島渡船の碑
佃島にある船溜、高層マンションと昔ながらの町屋が共存しており独特の景観を見せています
掘割と住吉神社の裏手、歴史を感じさせる白壁の土蔵と高層ビルの対比が現在の東京の風景です
左の煙突は共同浴場です 波除稲荷大明神
佃の路地 船溜(1) 船溜(2)
摂津の国佃から移り住んだ漁民と神主平岡権太夫好次が同地にあった住吉社の分霊を勧請して創建したのがこの住吉神社です、祭りの際の佃囃子は江戸の三大囃子と言われそうです。
こじんまりとした佇まいを見せる住吉神社
佃島の民家と聖路加タワー 住吉神社境内にあった「東洲斎写楽終焉の地」の碑
佃煮を売る店が並んでいました 佃島に係留中の船
隅田川左岸から上流を撮りました、中央大橋の先に東京スカイツリータワーがみえました
午前2時に赤沼駐車場着しばしの仮眠、4時30分発の始発バスで小田代ケ原に向かいました、乗客は15人ほど、全員が夜明けのタケカンバ「貴婦人」を撮るアマチュアカメラマンです。
15分ほどで小田代ケ原着、真っ暗な中を歩き各自ヘッドライトを点けて撮影ポイントを確保して夜明けを待ちましたが気温は4度とこの時期にしては暖かく期待した靄の出現はありませんでした。
年数回の訪問では「貴婦人」もベストな姿を見せてくれないと言うことでしょう。
メンバーは時々刻々と変化する小田代ケ原の景色をカメラに収めて7時30分のバスで赤沼に戻りました。
小田代ケ原と赤沼を往復する電気バス
小田代ケ原全景
期待した靄の中に浮かぶ貴婦人は撮れず、平凡な写真となってしまいました
小田代の中心に立つ「貴婦人」
赤沼駐車場に戻りました、男体山が存在感を見せています 炊事班長K君がコーヒーを沸かしてくれました
午前9時、次の目的地である霧降高原に向かいました、キスゲ平で山並み撮影、その後霧降の滝へ移動
観瀑台からの霧降の滝、全山紅葉する中、二段になって流れ落ちる滝は圧巻です
全山紅葉する中で緑が目立ちました
落ち葉も秋の彩です
中之岳駐車場、左手に神社が見えます、天気が良く次第に車の台数も増えてきました
青い空に白い山肌と紅葉のコントラストが映えます
国道から登山道に入ります 第一石門の紅葉はまだでした
岩場が続きます、慎重に鎖でトラバース
難関の第二石門を過ぎると、しばらく岩場の連続です 第四石門
第四石門から大砲岩を望みます、岩の形がまさに大砲です
第四石門からの眺め、奇岩が目立ちます
第四石門前にはあずま屋とテーブル、ベンチが、我々もカップラーメンとおにぎりで昼食、I君は手弁当
4人揃って記念写真
中之岳神社 国内最大の大黒様