写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

2022 祖光院の彼岸花(曼珠沙華)

2022-09-20 12:21:47 | 四季の彩り

祖光院の彼岸花
千葉・東葛のミニ「巾着田」といわれる彼岸花(曼珠沙華)の名所と言われる祖光院は、この時期になると境内に続く雑木林の中に密集して咲く朱、白、黄色、ピンクの花を見に多くの人が訪れる隠れた穴場です。
  
祖光院は松戸市金ヶ作にあり、私が毎週午前に汗を流している松戸テニス倶楽部から歩いて5分の距離に位置する為、この日もコートを抜け出しラケットをスマホに代えて出かけて来ました。
昨年は盛りの時期が過ぎていた為に枯れた花が多かったのですが今年は8~9分の咲き具合で、丁度見頃となっていました。
なお、昨年は一眼レフカメラで撮りましたが、今年は最近買ったカメラ機能が優れているというスマホ「Google Pixel 6 Pro」で撮影。

                    


                       
                                                      入口の竹林の中に咲く 



                    
                                             江戸時代後期の文政8年(1825)に創建された曹洞宗の寺院です  


                                                                                 
          

                    
                                        朱色の中で白が映えます

                    
                                          黄色の彼岸花



                       


                       


                    
                                 ピンク色の彼岸花は珍しい

                    


                       
                                                            三色の彼岸花のそろい踏み

                       


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湯島聖堂・神田明神巡り

2022-09-02 09:02:43 | 歴史散歩

湯島聖堂・神田明神巡り

265年続いた江戸時代に興味を持ち同時代の歴史文化を勉強中、江戸時代に関する講座が充実している早稲田大学エクステンションセンター(社会人講座)で毎期、興味があるカリキュラムを選んで受講しています、
夏季は八丁堀教室で「江戸幕府武士社会の歩み方」、中野教室で「江戸の発展」の2講座を受講中。

この日も中野教室で講座を受けてから、JR中央線で御茶ノ水下車、地下鉄千代田線に乗り換えて帰宅しますが、暫く行っていなかった御茶ノ水駅近くにある江戸時代の史跡「湯島聖堂」と「神田明神」に足を運んできました。 

                                                                          
                                        中野にある早稲田大学国際コミュニティープラザ1Fフロアが教室

                                                                       
                                                   この日の講座案内                              ラウンジ

                                                                      
                                  大石学時代考証学会会長の講座を受講                   中野にある「さらしな総本店」でランチ

                    
                                       ヘルシー度満点の「おろしそば」をオーダー

御茶ノ水

                    
                              神田川に架かる聖橋                                    ニコライ堂が見える

                       

                                                         地上に出てきた地下鉄丸ノ内線電車とJR総武線が行き交う

                       

湯島聖堂(昌平坂学問所)

江戸時代初期の慶長10年(1605)に徳川家康に重んじられていた儒学者藤原惺窩の推奨によって出仕した朱子学者の林羅山は、以降、四代の将軍に侍講、特に三代将軍家光によって上野忍岡に私塾である学問所創立を認められたのが起源となり林家は、五代将軍綱吉から湯島に土地を与えらてれ聖廟(孔子廟)を創立、私塾であった林家塾を併合し幕府の学問所として公認された、なお、湯島の廟(聖堂)は朱子学の祖、孔子の生地である中国昌平郷にちなんで昌平坂と命名された。

徳川幕府による朱子学を中心とした儒学政策は将軍の代替わりと時代の変遷と共に政策が変わり八代将軍吉宗に至って理念的な朱子学よりも実学を重視するようになる、加えて荻生徂徠をはじめとした古典主義による政治・文芸を重視する儒学をはじめ折衷学派が主流になりつつあったが、寛政2年(1790)十一代将軍家斉の時代になり、原点回帰して朱子学以外は禁止するという「寛政異学の禁」によって幕府による教学は「朱子学」のみとなり、林家の私塾であった「学問所」は林j家から独立して幕府の直轄の機関となった。 
寛政4年に湯島聖堂内に学舎が完成すると旗本や御家人を問わず幕臣とその子弟に学問が奨励され17歳から19歳までの学徒に対して毎年素読吟味を行うこととされた
なお、昌平坂学問所の教師は林門に限られていたが、やがて林門以外の儒者による講義も行われるようになった、その後、聴講や入門は幕臣に限らず陪臣・浪人・町人など広く認められるようになった。
明治維新(1868)に聖堂・学問所は新政府の所管となり、学問所は大学と改称されて存続したが、明治4年に文部省が設立され学問所としての役割を終えたが、湯島聖堂はその後、東京師範学校(現筑波大学)、東京女子師範学校(御茶ノ水女子大学)が設立され「近代教育発祥の地」としての立場を確立しています。
現在、湯島聖堂の敷地は聖橋を挟んで都道403号線(大手町湯島線)の片側だけだが、往時は反対側にある東京医科歯科大学湯島キャンパスを含む広大な面積であった様です。

                         
                                                                                          林家家系図                        歌川広重の江戸名所百景「昌平橋聖堂神田川」


                    
                                           聖橋を渡ると木々が茂る中に練塀が囲う湯島聖堂があります                                                   

                   
                      入徳門 

                       
                                                         杏壇門

                                                                     
                          孔子銅像 


                        
                                                    五代将軍綱吉が命名した聖堂(大成殿)                 

                    
   


大成殿内

中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人が祀られている

                       
                                                           聖堂内

                       
                                                      

                     
                      孔子像

                                 
                                                             大成殿の屋根に鎮座している鬼犾頭(猫型龍腹)              (龍頭魚尾)

 

神田明神

社伝によると天平2年(730)の創建と伝えられ、徳川幕府開府時に、江戸城の鬼門の守護神として歴代将軍に庇護、崇敬され江戸総鎮守となり、神田祭は日枝神社の「山王祭」と共に天下祭りと言われ、江戸時代には庶民に愛され広く崇敬されてきました、現在も神田祭は山王祭と隔年で開催されています
土地柄もあり日本経済の中枢をなす108町会を氏子に持ち、企業による参詣が圧倒的多数を占めています。

                              
 

                       
                                                            隋神門
             

                    
                              平成30年(2018)に境内に神田明神文化交流館が建設されました

                    


                       
                                                         神殿                       

                    
                                                               えびす様尊像


                                    
                                                    鳥居の向かいは湯島聖堂


                       

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