午前10時30分羽田発、12時05分新千歳着、クラス会は午後6時開宴、その間を利用して札幌市内観光です。
成田・羽田のすみ分けは無くなったのか? 羽田からLH機がテイクオフしていきました JL511便に搭乗、座席は少し広いB777のJクラスを予約
新千歳からJRエアポート号で札幌駅着、乗車時間は37分、とりあえず駅上のJRタワー38Fの展望室へ
現在、札幌市の住人は190万人とか、北海道民540万人の35%が集中 JRタワーからみた市内、十数年前に比べて町は大きく変貌していた
駅近くの旧北海道庁舎前でイベントが開催中
旧北海道庁
明治21年(1888)に竣工した赤れんが庁舎で国の重文に指定されています、現在は北海道立文書館になっていました。
大通り公園、快晴の下、多くの市民がゆったりとくつろいでいました 観光馬車、さすが北海道!
時計台
明治11年(1878)に建てられた旧札幌農学校演舞場、旧北海道庁と共に国指定の重文に指定されています、ビルの谷間にこじんまりと佇んでいます。
遅い昼食は知る人ぞ知る味噌ラーメンの元祖「味の三平」で、チャーシュー+ビールで一息入れてから味噌ラーメンを注文、久し振りの「三平の味」を楽しみました
クラス会の翌日、有志で羊ケ丘展望台へ
ウィリアム・スミス・クラーク像
米国・マサチューセッツ州アマースト大学で教えていた時期、日本人留学生の新島襄(同志社の大学の創始者)の紹介と日本政府の要請を受けて明治9年(1876)に旧札幌農学校の教頭として赴任、滞在期間は8か月と短期であったが、札幌農学校1期生との別れの際の言葉「Boys, be ambitious like this old man」が有名。
展望台から見た札幌ドーム、湯たんぽをモチーフにしたそうです
奥の山が藻岩山 羊ケ丘展望台、遠くに札幌ドームが 羊が群れていた
敷地内にあったラベンダー畑
北大植物園
北海道庁舎裏手に広がる北大植物園、時間に余裕があったので園内を歩きました。
<植物園前史>
北大植物園の歴史は、初代教頭であるW. S. クラークが、1877(明治10)年発行の「札幌農學校第一年報」に植物学および園芸学の教育のためには植物園が必要であると提言したことに始まります。この提言を受けた開拓使は、北海道開拓の園芸奨励のためにルイス・ベーマーに命じて建設させていた温室と附属地3,600坪(北3条西1丁目)を翌1878年に農学校に移管することとしました。
移管された温室と附属地は、植物学担当教員であったD.ペンハローによって、園芸学実習用の果樹園へと整備されてきました。その後、農学校の敷地も含めた植物園の設置計画が進み、キャンパス内に樹木園が整備されていました。(HPより抜粋)
明治15年に建てられた博物館本館
博物館旧事務所 明治18年に建てられた収納庫 移築されたイギリス人宣教師J.バチェラーの邸宅
北海道庁舎から数分のところにある植物園、札幌市内とは思えません
藻岩山(531m)
市内にあり、ロープウェイとミニケーブルカーで6分程で到着する展望台からは市内全域が眼下に見えます、夜景がきれいと言われます。
気温差は4℃ ケーブルカーで中腹駅へ 中腹駅から展望台へはミニケーブルカーで
展望台からの眺め
日本海がこんなに近かったとは
夜景がきれいです
展望台にあったモニュメント、何故か鍵がたくさん吊るされていた、何か言い伝えがあるのか?
藻岩山ロープウエイが運行する無料バス、市電バス停間をつないでいます 地下鉄網が伸びても市営電車は健在でした
市電で大通り近くの停留所で下車、全線170円均一
新千歳空港
18:00新千歳発JL522に搭乗する為、JRエアポート152号で札幌から新千歳へ
空港施設は十数年前に比べてリニューアルされて土産・物産コーナーが大幅に拡大され、更に拡張の話もある様です、私のお土産は冷凍の「ハスカップ」+六花亭のお菓子。
ハスカップは、昔から先住民アイヌの人々が「不老長寿の妙薬」、「幻の実」として重宝した北海道に生育する木の実でルビー色で酸味が強く、ヨーグルトと相性が良く絶妙の味わいです、北海道には多くの土産品がありますが私的には「ハスカップ」は他の追随を許さない逸品です、新千歳空港には専門店が1店ありました。
冷凍のハスカップ、価格は安くありませんがその価値ありです
空港内にあった「新千歳温泉」 土産物エリアは魚介類も豊富
道内のラーメンの名店を集めた「北海道ラーメン道場」
私は旭川ラーメンの店「梅光軒」のバターコーンラーメン+餃子セットを注文、その前にビール(さすが北海道、サッポロクラシックしか置いていなかった)