写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

旧芝離宮庭園散歩

2016-05-30 22:05:30 | 都会の風景

芝離宮恩賜庭園
江戸時代、徳川将軍家の別邸であった「浜離宮恩賜庭園」(250,215㎡)に隣接する小規模な庭園(42,035㎡)、この日初めて入園しました。
園の案内によると、延宝6年(1678)、第四代将軍家綱政権、時の老中大久保忠朝(小田原藩主)が下屋敷として拝領、約8年かけて作庭「楽寿園」と名付けられた江戸時代の回遊式築山泉水庭園、その後、天災や震災で廃墟と化していたが、明治8年に宮内省所管となり、同9年に東京市に下賜されて、現在は昔の姿に復元されて都立の庭園として公開されています。
寛政期の江戸(朱引地内)の約6割が武家地、2割が寺社地、残りの2割が町人地と言われ、全国の各大名は幕府から藩邸(上、中、下屋敷)を拝領しており、各藩共に広大な屋敷を構えていたことがうかがえます、因みに上屋敷は参勤交代で入府した藩主の住まい、中屋敷は隠居した元藩主や嫡子が住む屋敷、下屋敷は別荘、別宅の役割でした。

                      
                               JR浜松町駅北口改札を出ると庭園入口がある                       この日は小雨が降ったり止んだりの天気の為か、入園者はまばら


                              


                        
                                           隣の「浜離宮」と大きさは比べるべくもないが、池を中心にした回遊式庭園の造り 


                           
                                                                園内から東京タワー、世界貿易センター、モノレール乗り場が見える

  
                     
                              今は閉じられた海水の取入れ口、水路の石垣などの遺構が見える                          左は世貿ビル、右の白い建物は文化放送


                        
                                         海側を除いて三方をビルに囲まれた庭園                                中国浙江省の西湖を模した堤

                     



                         
                                                                 

                     
                                                                       小田原藩大久保家の屋敷跡の石柱、茶室に使われていたそうです


              



                      

    
                      
 

                       


                       
              隣の浜離宮にあった外国からの貴賓接客用に使われた洋館「延遼館」は明治22年に老朽化で取り壊され、代わって同23年に芝離宮に木造洋館が建てらる、大理石片は洋館に使われてたもの



             
                                                 園内にはツツジ、アジサイ等が植えられている


                           


                      



                    




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おじさん達の名古屋飯食べ歩き

2016-05-18 20:27:55 | 日々の景色

名古屋めし
愛知県は織田信長(清州)、豊臣秀吉(名古屋)、徳川家康(岡崎)(地元の人は三傑と言います)を生んだ地であるが、265年続いた徳川政権時代には御三家筆頭でありながら一人の将軍も出なかった(出せなかった?)土地柄、江戸(東京)と浪花(大阪)の中間に位置して、孤高の文化、食文化を育んできた地でもあります。

私自身、平成12年1月~20年10月まで、この地に単身赴任していました、赴任当初は排他的な土地柄と夏の蒸し暑さには参りましたが、東京にある都市機能がコンパクトに集まった「大いなる田舎」に年を経るごとになじみました、特に食文化においては岡崎の八丁味噌ベースの「味噌煮込みうどん」、「味噌おでん」、「味噌カツ」、鰻をカットして温かいご飯にのせた「ひつまぶし」、太めのスパゲッティ―を茹でてから油で炒め、とろみをつけたスパイシーなあんをかけた「あんかけスパゲッティ―」、そしてトースト、卵、サラダなどが付いた「モーニングセット」とこの地ならではの食文化には、赴任当初違和感を感じたが年を経るにつれて馴染み、帰任の時には病みつきになっていました。
今回、山仲間3名と日帰り「名古屋めし」満腹ツアーを実施しました。


5月14日、午前6時過ぎの新幹線で東京を出発、8時30分に名古屋駅で前泊組のI氏、名古屋が地元のK氏、同じ新幹線で到着のT氏と合流。

まずは「名古屋のモーニングセット」からスタートです。

                             
                      予定していた名古屋駅近くのモーニングの名店(?)「リヨン」に向かうと、すでに行列が出来ていてすぐに入れそうもない為、別の店を探すことにして地下街を駅に向かう



                
                        地下街で見つけた「むらやま」に〝小倉あんトースト”の表記が、偶然席が空いており入店               普通のモーニングセット、勿論コーヒー付き


                      
                                     トーストされたパンにあんとチーズをはさんだ「小倉トースト」1個を注文、四等分、(旨し!)     


                 
                                                名古屋駅からタクシーで名古屋城に移動


                                


                    
                                   私は名古屋勤務時代、何度も訪れているので新鮮味は無いが、名古屋出身のK氏は小学生以来の登城とか、他の2名は初の訪問


                        
                          天守閣から見た名古屋駅方面、8年前に比べて高層ビルが増えていた                           戦後に再建された天守閣にはエレベータがあります

             
                                                                                            金の鯱


                        
                                                            現在、本丸御殿を再建中で完成した部分を開放していました

                             
     
                                   本丸御殿入口                         内部を案内してくれた学生ボランティアと                            御殿内部
 
ランチは塩天丼
名古屋城の観光を終えてからランチタイム、タクシーでお目当ての店「千力」へ、この店は私が名古屋在勤当時、社宅と勤務先の近くにあって天丼、特に塩天丼が美味しくて度々通った店で、今回のツアーのメンバーに食べて貰いたくて連れて来ました。


        
                          ビジネス街の中にある小さな店だが、味は一級品、夜はこじゃれた小料理屋になり赴任当時はボトルをキープして接待にも利用                  昼のメニュー                          

                                    M氏は茶そばセット、他の3名はメニューにある食べくらべを注文、(つゆ、塩、味噌のうち2種類を選べる)+ビール


                     
                                         テーブルが華やかになった                                私が注文したかき揚げと海老天丼のハーフ&ハーフ、どちらも塩味    

                      
                               M氏が注文した茶そばセット、天丼は味噌味(これも旨かった)                            酒がダメなM氏を無視して3名で乾杯


                          


                ランチを終えて地下鉄「桜通線」で名古屋駅に戻ります、途中、かって事務所があり私が通った丸の内東急インは取り壊されて更地になっていました、現在は別のビルに移転してます。


                                    
                                       更地になった丸の内東急イン                                    左奥のビルは日銀名古屋支店         
   

《参考資料》
取り壊し前の丸の内東急イン、地下鉄桜通線丸の内駅入口脇にありました(4階までが名古屋東急ビル、東急系企業が入居、私は2階にいました)
  
              
                      



                                    
                                名古屋市営地下鉄でもパスモ、スイカがつかえました                     名古屋駅から名鉄で犬山遊園に到着、犬山城に向かいます
 

                           
                                                                                  国宝犬山城



                
                                    日本ライン下りの観光船のスタッフが特訓中                                      城は木曽川沿いの崖の上に建っています

有楽苑
駅から木曽川沿いに犬山城目指します、途中に名鉄犬山ホテルがあって、その裏手に織田信長の実弟で茶人として名高い織田有楽斎が京都・建仁寺に建てた国宝の茶室「如庵」(国宝茶席三名席の一つ)が移築され公開されていました。(入園料は有料)
苑内には、如庵の他に再建された茶室(元庵、弘庵)、如庵に隣接して建てられていた旧正伝院書院(重文)、竹林などがあります。



                          
 


                   


             



             
                                                                          国宝「如庵」外景、内部は撮影禁止でした
  

                     


              



                   
             


                                     
                                          弘庵前の水琴窟                                             小休止中
   

                       
                                                名鉄犬山ホテルでお茶(ビール?)タイム(有楽苑はホテルの敷地内にあります)


                         
                                                                      ホテル前で                     ホテルからなだらかな坂を登ると犬山城です
  

                        


 

                     
                                                      国宝犬山城、建築当時のままの姿を残している


                        
                                 大手門を入る、ボランティア「写真撮ります隊」の人に撮って貰いました                こじんまりとした品格がある佇まい、何度来ても飽きない   
 

              
 


               


                   
                                                              犬山城天守閣から稲葉山(金華山)山頂にある岐阜城を撮りました



                       
                           天守に登るには狭い急階段を上がります                                             天守から見た木曽川




                       
                                                        尾張藩家老成瀬家の居城、最近まで成瀬家が所有していたが、現在は犬山市に寄贈されました


犬山城を見てから犬山市内(城下町)を歩き、名鉄で名古屋に戻りました、午後6時、これからツアー最大のイベント(?)のディナータイム、名古屋駅から地下鉄東山線で二駅目の栄で下車、「ひつまぶし」の名店「いば昇」に向かいます、名古屋には「ひつまぶし」の老舗「蓬莱軒」もありますが私は「いば昇」が好き

いば昇 http://www.ibashou.jp/menu.html

          
                      ひつまぶしの名店「いば昇」、入店したのが午後6時前の為か、まだ店内は客が少なかったが、店を出る際は、行列でした                              飲み物はビール+冷酒                


                                                                      
                                            酒のお伴の鰻巻きたまご                                  ひつまぶしはおひつで出されます


                                                          
                                       ひつまぶしは①そのまま食べる ②ネギをのせて食べる ③ねぎをのせお茶をかけて食べると食べ方を替える毎に、味わいが変わります               

                                                                               
                                                                                                     最後の締めは「住よし」のきしめん

ひつまぶしを満喫、店を出てから伏見まで酔い覚ましで歩き、地下鉄伏見から名古屋駅に向かいました。
名古屋に自宅があるM氏とは駅で別れ、東京組は家へのお土産を買う事に、T氏は奥様からリクエストがあったJR高島屋に入っている虎屋の「ウイロウ」、I氏もリクエストがあった駅構内のケーキ屋さんで、我が家は赴任中から飽きもせずカミさんリクエストの三重・伊勢の「赤福」でした。        

なお、新幹線ホームにある隠れた名店「住よし」の「きしめん」が今日最後の締めでした。(この店は知る人ぞ知るきしめんの名店、立ち食いながら、わざわざ途中下車して、この店のきしめんを食べてから次の列車に乗る人がいるとか)


                    







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江戸城本丸・二の丸跡(東御苑)散歩

2016-05-16 22:00:18 | 大江戸の風景

江戸城
天正18年(1590)に徳川家康の居城となった、当時の江戸城は簡素な造りであったが慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で東軍が勝利して以降、家康は同8年に後陽成天皇から武家の棟梁である「征夷大将軍」に任ぜられ、名実共に支配者としての地位を確立した。
この年に家康は江戸城の大改修に着手して、築城の名手である伊予今治城主の藤堂高虎に縄張りを命じ、全国の大名を総動員した天下普請が開始された、神田の高台の土地を切り崩して日比谷入江の埋め立て、道三堀の削掘を始め縦堀、横堀を掘って水運路を開き
市街地の造成が進められた、併せて神田・玉川上水を江戸市中に引き込み、都市としての機能を拡充、三代将軍家光の時代に都市機能を完成させた。
当時は
城の象徴として五重の天守閣がそびえていたが、明暦3年(1657)の大火で焼失した、家光の異母弟の保科正之の「戦争の無くなった時代には天守閣は不要」との助言もあり再建はされることはなかった。

現在、天皇家がお住いの御所は江戸時代に次期将軍や隠居した元将軍が移り住んだ「西の丸」と言われるエリア、本丸は幕府の政務を司る区画(表)、将軍の居住区画(中奥)そして女性1,000人が住んだと言われる将軍の私邸的区画(大奥)で構成される、
二の丸は御殿や庭園があり将軍の別荘的なエリアと言える、なお本丸・二の丸跡は東御苑として一般開放(無料)されている。


                                                                   
                                        大手門                                                 昭和20年の戦災で焼失した大手門渡櫓の上にあった鯱(明暦3丁酉とある)   


                                                                  
                               丸の内のビル群を背景にした大手門渡櫓                                         皇宮警察の建物



幕閣(大名)の登城
登城する幕閣(大名)の多くは大手門を入った同心番所前の大手三之門(下馬門)で駕籠を下り、徒歩で中雀門を通って本丸御殿に入る、登城時間は朝四ツ(午前10時)に登城、昼八ツ(午後2時)下城が勤務時間は4時間前後が通常でと言われます、なお登城時に従ってきた家臣たちは下城まで下馬門前で待機することになり、その間に他藩の人間と情報交換を行ったとされ「下馬評」と言う言葉はその時に生まれたと言われている。


                                                                
                                                  大手門から入った最初の番所、下級武士である同心が詰めており、登城する大名の家臣の監視を行った
                 

                                                               
                                             百人番所、甲賀・伊賀・根来の忍び4組(100人)が常駐して警護・監視の役割を担っていた


                                                               
                                            大手三之門                                            百人番所
                                    
                                                                                      
                                                              
                                     大手三之門と中雀門の間にある中之門跡                                 大番所前の松の木の剪定が行われていた

   
                                                           
                                               大番所


                                                    
                                                                           中之門から見た百人番所・丸の内ビル群
      

                                    
                                  登城する大名は大手門をくぐり同心番所、百人番所、大番所を通って徒歩で中雀門を通ると本丸に至る


                                     
                                               富士見櫓、現存する唯一の三重櫓で明暦の大火で天守閣が焼失後、天守閣の代用された時代もあった


松の大廊下
本丸大広間から将軍との接見所の白書院をつなぐ全長50mの廊下、廊下に沿った襖に狩野派による浜の松と千鳥が乱舞する絵が描かれていたことから「松の廊下」と呼ばれた、中奥には「竹の大廊下」という長い廊下がある

                                                                   
              


                                                                
                                          本丸跡(表・中奥・大奥と続いていた)



                                                              
                                                                                              宮内庁楽部桃華楽堂
 
天守台
天守閣は寛永14年(1637)、第三代将軍家光の代に完成、地上58m、石積みは44㎡、高さ18m、天守閣には金色の鯱を頂く外観五層、内部六階の天守があったが、明暦の大火により焼失、現在は基礎石の石垣(約10m)が残されています。

               
                     


                     
                                                                           天守台に登るスロープが造られていた
              

                                                            


                                                            

                                                                   見事な天守台の石積


                                                                                                                 


                                                        
                                                      天守台に一番近い北桔橋門、ここからも入れます


                                                   
                                                                             想像以上に広かった天守台


                                                             
                                                       天守台の石積、その先には本丸御殿跡の芝生、そして丸の内ビル街
                  

大奥
敷地面積は6,000坪と本丸の56%を占める、二代将軍秀忠が造り、三代将軍家光が完成させた「将軍の跡継ぎ」を残す為に造られた将軍のプライベートゾーン、大奥には250人の奥女中、部屋方と呼ばれる下働き、あわせて1,000人が住んでいたと言われる。
大奥の入口に当たる広敷には事務方の男性役人が常駐していたため、大奥御殿との間の錠口、長局との間の7ツ口により仕切られていた、なお将軍が大奥に出入りする通路は、将軍の居住区画「中奥」から大奥に通じる将軍の専用廊下にある紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入り口の「御錠口」の開錠させたことから「お鈴廊下」と言われる。


                     
                                                                天守台を下ると広大な面積を占める「大奥」があった場所です


                         
                                                    本丸と二の丸を結ぶ汐見坂
                    

                                                           
                                             汐見坂下の白鳥堀                             二の丸庭園を警邏中の皇宮警察
                                                  

                                                               
                                                                           吹上御所にあった諏訪の茶屋、明治45年に再建されていた


                                                           
                                                    二の丸庭園は藤が終わり、この時期は特に見るものが無い、これからショウブが咲きだす


                                                   
                                                                        池に「コウホネ」の花が咲いていた
  

                                                           
                                           都心の一等地・丸の内にある二の丸庭園、ここまでは騒音も聞こえてこない、贅沢な空間だ

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2016 旧古河庭園の薔薇

2016-05-10 13:32:11 | 四季の彩り

旧古河庭園
明治の元勲陸奥宗光の邸宅跡であったが、宗光の次男潤吉が古河財閥創業者古河市兵衛の養子に入り古河家の所有となった、その後3代目当主古河虎之助が英国人建築家ジョサイア・コンドルに設計を依頼して旧邸宅跡に洋館・洋風庭園を完成させたが、虎之助が市ヶ谷に転居して以降は古河財閥の迎賓館として使用されていたが、戦後は国に所有権が移つり、昭和31年に東京都が国から無償で借り受けて都立庭園として整備して一般開放された。
広大な敷地には洋風庭園の奥に、京都の著名な庭師小川治兵衛の手による
日本庭園がある、なお古河庭園は平成18年に国の名勝に指定されてます。

薔薇が見られる庭園はいくつもあるが、洋館と西洋庭園
に植えられた薔薇の花が見事な構図となり、この時期になると多くの観光客が訪れています。


                   
                             5月7日~31日まで「春のバラフェスティバル」開催中                          13日~22日までライトアップを実施


                
                                                                 都立の為、入園料も格安                       本館内でお茶出来ます


                                           
                                                    受付で入園料を払う                                受付から見た煉瓦造りの洋館         
                                

                     
  


                       
                                                                                    重厚な煉瓦造りの洋風建築に薔薇が似合う


                          
                                                                           園内には90種類、180株の薔薇が咲き誇る


                          
                                                                           本館から階段を下りると西洋庭園、咲きだした薔薇の香りが新鮮


                       
                                         平日にも関わらず多くの観光客が訪れていた、ここにも中国からの若い女性の観光客が何組かいたが、マナーは良


                        
                  品質改良された薔薇の新種が多い                          カトリーヌ・ドゥヌーブ                       イングリッド・バーグマン


                       
                           黒真珠                                プリンス・オブ・ウェールズ



                        
                                              

                       
                                                        青空だと一層バラが華やかに見えるはず、残念ながらこの日の天気は下り坂で午後から雨の予報


                          

                  



              
                                              洋館前の庭園に咲く薔薇             


              
                                                              テラスでお茶が飲めます


                        
 


                          
  
                                           開花間近の為か、まだ蕾が多く盛りを過ぎた花は見られず


                           
                        
 

                          



                         


    
                          
  
 
                           
 


                          



                         

 

                                    昨年も同時期に写真仲間7人と六義園と古河庭園を訪れていました、去年は快晴の空の下、薔薇の色が鮮やかでした。   
                                   なお昨年はフルサイズのNikon D610(28-300mmズーム)で撮影したが、今回はミラーレスのNikon 1 V3(10-30mmズームレンズ)で撮りました。 

                                     http://blog.goo.ne.jp/attaboy1019/e/7d57d11dade83bfe7d37ce6a6f087510

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