春爛漫の3月28日、平日ハイククラブの3名と桜を愛でてきました。
午前9時に上野駅不忍口で待ち合わせて上野恩賜公園に向かいました。
公園入口にある早咲きの枝垂れはピークを過ぎっていた
ソメイヨシノが満開
清水観音堂の枝垂桜は満開
清水観音堂から見た不忍池の弁天島方向
上野東照宮 元和2年(1616)に徳川家康の信任が厚く寛永寺管主である天海僧正が造営したと言われ社殿は慶安4年(1651)三代将軍徳川家光がした改築(浅草にあった東照宮を移転したという説もある)
寛永8年(1631)に老中土井利勝の発願により建てられた五重塔
家康が亡くなった後、東照宮造営時に全国の徳川恩顧の大名が寄贈した灯篭
東照宮をバックに一枚
千鳥ヶ淵
地下鉄九段下下車、地上に上がると、お濠側、靖国神社側共に、すでに多くの花見客が訪れて、前に進むのも一苦労
千鳥ヶ淵縁道は狭く、混雑していると予測して田安門から北の丸公園に入り、濠の内側から見ることにする
ボート乗り場には順番待ちの行列ができていた
本日の参加メンバーです
旧近衛師団司令部が東京国立近代美術館工芸館となって公開されている
奥は半蔵門
墨堤(隅田川)の桜
享保2年(1717)八代将軍徳川吉宗が庶民の憩いの場として隅田川の堤に100本植えたのが始まりと言われ、江戸時代は上野、飛鳥山、御殿山と共に墨堤の桜」は花見の名所となって今日に至っています
隅田公園内にある牛島神社
江戸時代から続く「長命寺の桜餅」、午後3時から販売の張り紙、店が開くのを待つ長蛇の列
長命寺の桜餅をあきらめ、言問団子で一服、まさに「花よりだんご」
以前からエーゲ海・地中海クルージングに興味がありました。
季節的には夏場がシーズンなのでしょうが、料金が高くなり混雑が予想される為、旅行会社K社から送られてきたパンフの「MSCメラビリアで行く地中海クルーズ」2月のツアーに参加を決めました。
2月24日出発のコースはキャビンのクラスが(a)内側12㎡、(b)海側15㎡、(c)海側バルコニー付き12㎡~22㎡、(d)ヨットクラブ27㎡と4クラスあり、ゆったりと海旅をしたくて(d)のヨットクラブに申し込みました
この時はヨットクラブとはどの様なクラスなのか気にしていなかったが、乗船の際に初めてツアーコンダクターのA氏から、ヨットクラブは一般客室とは別で、専用エリアにあるワンランク上の客室と言われ、サービス内容も一般とは別と言われました、確かに料金が(a)クラスの倍以上、(b)、(c)の1.7倍の価格でした。
早速ジェノバ港で「MSCメラビリアに乗船時から入口が違っていてバトラーという客室担当者が待機しており、優先的に乗船となりました。
ヨットクラブのHP
https://www.msccruises.jp/jp-jp/Discover-MSC/MSC-Yacht-Club.aspx
MSC MERAVIGLIA(MSCメラビリア) 就航日2017年6月 総トン数:167.600トン 全長315m 乗客定員5,715人 乗組員数1,536人
ヨットクラブの専有エリアは船首部分にあるブリッジの上部
ブリッジの上部がヨットクラブのキャビン、バー、レストラン
ヨットクラブ
専用特典とサービス
(1)優先チェックイン・チェックアウト (2)24時間バトラーサービス (3)24時間コンシェルジェデスク (4)キャビン備え付けのリラクゼーション用アメニティ(バスローブとスリッパ等)
(5)キャビン内のミニバーを含め、ドリンクメニューを用意している船内全てのバー及びレストランでの飲料物が無料 (6)無料サーマルスィートとMSCアウトレア・スパへの直通エレベーター
(7)24時間対応ルームサービス
乗船時にヨットクラブ担当の女性に案内され、順番を待つ他のツアー客とは別の通路を通り、バトラーのサタさんに引き継がれてヨットクラブ乗船受付に案内される
バトラーのMR.SATAMIJORO RALIDERA(通称サタさん)がお出迎え
ヨットクラブ乗船受付にはシャンペンとオードブルが用意されいた
我々は乗船手続きの順番待ちをする客の横をサタさんに先導されヨットクラブの受付へ
ヨットクラブ専用ロビー
ヨットクラブ 、入るにはIDカードが必要
サタさんがエスコート
サタさんのネームカード IDカードのリーダー
船内のどこに行くにも必ずIDカードを携行
16Fの受付、奥がバー(TOP SAIL LOUNGE)
キャビンがある18F、奥がレストラン
顔認証入りのIDカード カードが出来るまで付けるように渡されたバンド
18Fのキャビンに続くドア(外側) 廊下内側から見たロビー
18Fのヨットクラブレストラン (営業時間 朝食 7:00~9:30 ランチ12:00~14:00 ディナー 18:30~21:30)
高級レストラン並みの本格的な料理が提供された(日本語のメニューもあり)
ヨットクラブの乗客は99%が欧米人、アジア系は殆どおらず、まして日本人は我が夫婦だけだったが、途中から乗って来た大阪のS氏 と一緒にディナー、この日はフォーフォーマルデー
16Fのバー(TOP SAIL LOUNGE) 営業時間 06:00~02:00
マルタ島観光ツアーから戻って、軽く一杯
S氏夫妻と乾杯、この日はカジュアルデー
生演奏も入っていました
キャビン番号は18011 IDカードで入室
部屋には毎日新鮮な果物が置かれた
日本語の船内新聞が毎日配られ、その日のイベントが案内される 乗船初日、果物とスパークリングワインが置かれた
キャビン内、27㎡の広さ、ゆったりとくつろげた
ジャワー(バスタブ無し)、トイレ、洗面台のユニット 毎日、ベッドメーキング時にチョコが置かれていた、バトラーの気配り?
ベランダに置かれた2脚の椅子
日替わりで数種類の果物が置かれた エスプレッソコーヒーメーカがあった
果物とお菓子が日替わりで
穏やかな地中海を航行中
ミニバー、飲んだ分は翌日補充
毎日、ナチュラル、スパークリングウォーターが置かれた
TVではNHK国際放送も見れる 階下のバーにジャックダニエルのダブルx2を注文、氷と一緒に届けられた
船内新聞とは別に、毎朝、縮小版の日本の新聞が届けられた
カクテルパーティーの招待状が届け枯れたが、残念ながら私は体調不良(飲みすぎ?)で欠席、奥さんが一人で参加
19Fはヨットクラブ専用のプール、ジャグジー、サンデッキ、バーがありましたが、残念ながら使用できず
予想もしなかったヨットクラブの世界に放り込まれ、 非日常の生活を体験した者の感想として、クルージングツアーは多少無理をしてもワンランク上のクラスを選ぶ事をお勧めします。
旅行10日目(最終日)の3月5日
昨日、ミラノ市内観光を終えてミラノ・マルペンサ空港近くのホテルに一泊して午前中に空港に移動です。
空港まで1.3㎞、車で数分の距離にあるホテル「Crown Plaza Milan-Malpensa」 ホテルロビー
]
チェックアウト
出発前、ロビーにいたツアーの皆さんと記念の一枚
ミラノ市内から43㎞の距離にあるミラノーマルペンサ空港第一ターミナルに到着
バスからおろされたバゲージを持って各自ターミナルに移動です
さすがデザイン大国イタリア、シンプルながら洗練されたターミナル
AZ0786便の搭乗手続き中
成田行きのAZ0786便は満席、来た時も満席だった、ミラノにはJL、NHが乗り入れていないのでAZの占有みたい
全ての手続きを終えてゲートに向かいます
コスメティック免税ショップ、資生堂もナショナルブランドに仲間入り? DUFRYで買ったパスタミックス、明治屋で買ったものより大きいサイズ
ツアー客が全員搭乗の確認中のTCのA氏、最後までご苦労様 AZ0786便に給油中
搭乗ゲートはB58
ミラノー成田間の所要時間は12時間、映画を見たが、残念ながら日本語版は無し
午前11時05分、オンタイムで成田到着(時差は8時間)バゲージの引き取りを待つ バゲージを宅配業者に依頼
前日の午後5時にフランス・マルセイユを出港した「MSCメラビリア」は、旅行9日目の3月4日、地中海のクルージングを終えてイタリア・ジェノバに戻りました。
クルージング中、バゲージ類はキャビンに置きっぱなしで各観光地のツアーに出かけてきたが、本日が下船日の為、バゲージ類は昨夜まとめて船会社に引き渡しました。
今日は下船後、ジェノバからバスで高速を2時間走ってミラノ市内観光、その後空港近くのホテル泊です。
「非日常」の生活も今日が最終日 埠頭にはバスが待機中
ジェノバから高速道路でミラノを目指す、バスの車窓から見える風景は雪景色
途中のサービスエリアで小休止
延々と冬景色が続く
ミラノ
人口130万人(都市圏人口526万人)、首都ローマに次ぐ大都市で、北部イタリア最大の商業、金融、工業の中心都市、またミラノコレクションで知られる様に古くからファッション関連産業が盛んな地域です、加えて近年は自動車、航空機、精密機器等の産業も発展しておりイタリア最大の経済圏を形成しています、同じイタリアでもナポリ等の南イタリアの地方とは勤勉性、国民性が違うと言われます。
幸いミラノ市内に入ると雪は無し。
スカラ座広場にあるダ・ヴィンチ像、自由行動終了後に集合する場所です
宮廷劇場以来の伝統を持つイタリアオペラ界の最高峰のスカラ座 イタリアを統一した初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世像
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニが1865~1877の間に建設したアーケード、八角形の建物に2つのアーケードが交差しています、通りはガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われており、19世紀のショッピングモールのデザインの原型となり、ベルギー・ブリュッセルのギャラリー・サン・チュベール、ロシア・サンクトペテルブルグのバッサージュ、ナポリのウンベルト1世のガッレリア等、巨大なガラス張りショッピングが造られたと言われます、またガレッリアは大聖堂(ドゥオーモ)とスカラ座に続いています。
完成から130年経った現在、4階建てのアーケードにはプラダ本店、グッチ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランドの店やレストラン、カフェ、バー等が同居していました。
ガレッリアへの入口
床に描かれている牡牛のモザイクにかかとを付け一回転すると願いが叶うそうです
TSのA氏推薦のジェラートの名店「Cioccotat Italiani」で順番を待って3種のジェラートを指定
店の前にて
ガッレリアにて
ジェラート店の横にあった日本食レストラン「MUSUBI」中国人か韓国人がやってる店?(日本人はいなかった) 天ぷらそば€10.00(¥1,300.-)
ミラノ・コレクション
ガッレリア内にあるプラダ本店と同じビルにあるレストラン「Gatto Rosso」、TCのA氏によるとミラノ風リゾットが絶品との事で1時過ぎに入店
店内は混んでいたが、幸いテーブルを確保
メニュに日本語の表記があった
イタリアではどの店でも数種のパンが置かれている
焼かれたチーズが器のリゾット、絶品 チーズたっぷりのピッツアも本場の味 生ハムとモッツアレラチーズも旨し
3名でシェア デザート 店の前にて
ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)
ミラノ象徴、世界最大のゴシック建築で5世紀の歳月をかけて完成されました、ドゥオーモには135本の尖塔が樹立、尖塔には一つ一つ聖人が立っており、一番高いところにあるマリア像まで108.5mあるそうです。
現在はエレベーターで大聖堂の外壁、屋上に登ることが出来ます、我々も屋上には登れなかったがエレベーターで昇り大聖堂の側面を歩きました。
ドゥオーモ前にある広場
壮大なドゥオーモ、5世紀と気の遠くなる期間をかけて造られた
入場券を買い、セキュリティチェックを受けて中に入りました
残雪が残っていた
樹立した尖塔
€1.00を寄付
14世紀後半に建てられたスフォルツェスコ城
トラムを追いました
ミラノトラムはトリノに次いで1893年に開業しています、現在17系統、115kmを運行中
新型車両が走る横を旧型の車両が走っていました、我が国の場合、新型車両が導入されると旧型車両は地方にまわされるか廃車となるが、ミラノでは旧型車両が堂々と第一線で活躍中。
旧型車両が頻繁に見受けられた、空調は無く夏は暑そう
新型車両も色々なモデルがあった
旅行8日目の3月3日、前夜スペイン・バルセロナを発った「MSCメラビリア」は午前9時にフランス・マルセイユに港に入港しました。
パリ、リヨンに次いで人口が多いフランス最大の港湾都市です。
歴史的には紀元前600年に古代ギリシャの一民族であるボカイア人が町を築いたと言われ交易都市として栄えたが、その後、内戦や他民族との戦争、支配者の入れ替わり等の変遷を経て、10世紀になりプロヴァンス伯の支配下に入り、1481年にフランス王国に併合された、交易都市としての位置づけは18世紀に始まり、フランス革命、ナポレオン戦争で一時衰退したが、地理的な優位性もあり港湾商工業都市として発展した、第二次世界大戦時にはヒットラーが率いるドイツ軍に占領され大きな損害を受けたが、戦後は再建が進んだ結果、フランス有数の都市に変貌していった。
マルセイユと言えばヨットハーバーに並ん無数のだヨットだが、港にはその様な景色は見えず、下船してからヨットハーバーが内海にあることを知りました
まもなくマルセイユ港入港
入港前、キャビンから見たマルセイユの第一印象は列車でした 下船開始
下船後シャトルバスに乗り換え、そばに軽機関銃で武装した巣人の警官が
改めて船の大きさに驚く 丘陵に建つノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を遠望
マルセイユ観光ではガイドは付かず、港からシャトルバスで町の中心部まで移動、その後は自由時間、帰りも各自シャトルバスで港に戻ることに バス乗り場
バスを降りて数分でマルセイユの代名詞であるヨットハーバーに到着
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院 プチトランは蒸気機関車の形をした観光用のミニ列車
内海に造られた旧港(Le Vieux Port) はヨーロッパで一番初めに開かれ、小型船やヨットが綺麗に並ぶフランスを代表するヨットハーバーです
ハーバーでは「花の市」が開かれていた
花市場からノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を臨む
マルセイユをイメージする写真
尖塔は市庁舎
マルセイユ市役所
自由行動だがTCのA氏が丘の上にあるノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院にプチトランで行く事を推奨、ツアー仲間も往復のチケットを買って乗車 A氏
イフ島監獄 小説『モンテ・クリスト伯』の舞台として知られる牢獄です。政治犯や宗教的犯罪者を収容する牢獄として使われていました。
ミラノ観光名所の人気度17位、地中海を臨む「La Corniche」
ヨットハーバーから丘陵にあるノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院を目指すSL風自動車、行きの乗車時間は約1時間
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院
寺院の展望台から見たヨットハーバー
イフ監獄(手前の小島)と要塞
マルセイユ港全景、中央部がヨットハーバー
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルト寺院からヨットハーバーに戻る、戻りはショートカットで20分強で到着
ハーバー脇にあったメリーゴーランド
旅行7日目の3月2日はスペイン・バルセロナでの観光です、2月28日にマルタ島ヴァレッタを出港して丸一日、陸地を見ることなく地中海を航行してきました。
船は午前9時に予定通りスペイン・カタロニア州都バルセロナ港に入港。
バルセロナは人口160万人、マドリッドに次いでスペイン第二位の大都会ですが、現在でも民族・歴史的な背景からカタロニア・ナショナリズムが根深く浸透してスペインからの自主独立の機運が強く残っています。
午前9時15分にいつものデッキ6のカウンターバー前に集合して下船
ターミナルを出ると観光バスとガイドさんが待機しており、早速バスに乗車してバルセロナ市内に向かいます
バスの車窓から
カサ・ミラ
アントニ・ガウディが56歳の時に個人の邸宅として設計した建築物、直線部分を全くもたず、外観の波打つ曲線は地中海をイメージしたと言われます。
現在はガウディ建築の博物館となっている(1984年にユネスコの世界遺産に登録)
市内のあちこちにEU、スペイン国旗と並んでカタロニア州旗がひるがえる このビルはカタロニア州旗のみ掲揚
カサ・バトリョ
この建物も1877年にアントニ・ガウディが大富豪の邸宅として手掛けた建築物、異彩を放つ造形には諸説あり、屋根の一部が丸く盛り上がってドラゴンの背中の様に見える事から「竜退治」の伝説になぞっているという解釈があるそうです。(2005年に世界遺産に登録)
サクラダ・ファミリア
スペインを代表するカトリック教会(日本語では聖家族教会)、カタロニア・モダニズム建築の象徴的な建築物、バルセロナの建築家アントニ・ガウディの作品
1882年に着工したが、翌年に前任者が辞任したことにより建設はアントニ・ガウディに引継がれる、大聖堂の建築を構想していたガウディは、これを奇跡として喜び、晩年は他の仕事から手を引き、この建築に専念するも1926年に交通事故で死去、ガウディの設計思想は後継者に引き継がれたが1936年のスペイン内戦で一時中断を余儀なくされる、またガウディの残した設計図も紛失してしまったが、残された模型を基にガウディの意思が引き継がれ、今日まで息の長い作業が続けられている、ガウディの「未完成の建築物」として現在でも世界的な注目を集めているが、完成は2026年を見込んでいるそうです。(1984年に世界遺産登録)
なお、このプロジェクトに日本人の彫刻家外尾悦郎氏が参加している事は広く知られています。
広角レンズで撮影
教会内部は中央の身廊の2辺ないしそれ以上の辺を側廊により取り囲み、身廊と即廊は柱の列によって分けられるバジルカ式という建築方式で造られている
教会内にある記念碑には日本語での表記もあった
外尾氏の作品
あと8年後に完成?
ピカソが描いたデザインの建物 サンタ・エヴラリア大聖堂
昼食前に入ったマーケット ?誰
ツアコンのA氏の案内でピカソが通ったと言われるカフェ「4CATS」へ
4CATS 入口にて
バーも兼ねていた
船に戻るバスの集合場所「Hard rock cafe」前
1992年のバルセロナオリンピック開催に合わせて作られたゴンドラ 中継塔の奥にサクラダ・ファミリアが見える
午後6時、バルセロナから次の寄港地フランス・マルセイユに向けて出港
旅行6日目の3月1日は終日、マルタ島ヴァレッタからスペイン・バルセロナ間、673海里のシチリア海峡を陸を見ることの無い航海が続きます。
今日は当初予定された船のバックヤード見学(有料)が希望者が少なく中止となったのでのんびりと船内を歩きました。
改めて乗船している「MSCメラビリア」を紹介します。
MSCはMediterranean Shipping Companyの頭文字で「地中海船舶」の意味。
MSC社の社歴によると 300年前に創業者であるアポンテ一家がイタリアのソレントで海に関わるビジネスを始め、後にMSCクルーズを創設しています、経営的な本社はスイス・ジュネーブで運行的な本社はイタリア・ナポリに置かれています、非上場企業としては世界最大のクルーズ会社で現在は日本でも航行中です。
MSCメラビリア(総トン数:167,600トン 就航日:2017年6月 乗客定員:5,714名 乗組員:1,536名)
乗船すると下船するまで、毎日キャビンに当日の諸情報を掲載した日本語版「DAILY PROGRAM」が配布されました
DAILY PROGRAMには当日のイベントが時間毎に詳細に記載されており、原則無料で一日が過ごせる様に案内されています
ドレスコードが記載されカジュアル、フォーマル、ホワイトの案内があります 下船時に渡された私への請求書
デッキ6-7の中央部が吹き抜けになったガレッリア・メラビリア、左右にレストラン、ショップが並んでいる
天井のデザイン照明が時間によって変化
デッキ6の中央部分がツアーの集合場所
デッキ5と6が螺旋階段でつながっている
船内のチョコレート工房(JEAN-PHILIPPE-CHOCOLAT & CAFE)
キンキラキンの螺旋階段 デッキ7にある日本料理店、イタリア風日本料理です パブ
デッキ5のシアター・ブロードウェイ
緊急避難の説明会をここでやりました ミーティングルーム
デッキ6にある多目的(?)スペースで軽体操中
レセプション
ステーキハウス
MSCアクアスパ
TCのA氏がデッキ7でツアーメンバーに何か説明?
デッキ15にあるプール
デッキ16のSPORTPLEX
SPORTS BAR F1レーシングカー(MSCがスポンサー)
ツアー仲間が船内探索中 Adult onlyのバー
アミューズメントエリア(デッキ7)にはカジノ、スポーツバーなどがありました
丸窓があるバー 中央プロムナードに乗組員が集まり、シャンペンで乾杯、その後、階下でドームショーが始まった
デッキ15にある24時間営業のマーケットプレイスビュッフェ、まるで学食の雰囲気
シチリア島パレルモを前夜に出港したMSCメラビリアは、旅行5日目の2月28日午前9時にマルタ島ヴァレッタに入港します。
マルタ共和国
イタリア・シチリア島から南93kmにあり、首都であるヴァレッタは世界遺産に指定されています、人口は約40万人の小国ながらカルタゴ、共和制ローマー時代には地中海貿易で繁栄、その後一時イスラム帝国の支配下に入ったが、それに抵抗して戦ったマルタ騎士団が「マルタ」を有名にしました。
1565年にオスマントルコ軍との戦いの経験から市街地全体が難攻不落の城塞都市として1571年に完成させている、なおヴァレッタの名前は当時のマルタ騎士団長で町の建設に尽くしたジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットからきているそうです。
日の出は午前6時33分
早起きをしてキャビンのテラスから撮影 ヴァレッタの街が見えてきた、まさに城塞都市
海から侵攻する敵軍を威圧する石造りの要塞
午前8時30分、間もなく接岸です
ヴァレッタ観光は午後1時から、それまでは自由行動、早速下船して港近くを散策
私のキャビンは船首に近い最上階(18F)
町に出るには車で丘に登る必要がある為、港付近を散策してから埠頭の土産物屋をのぞく
埠頭に日本の貨物船が停泊中
乗員1,200名、乗客5,000名を収容する巨大なクルーズ船、現在はピークシーズンでは無い為、船内施設には余裕がある
午後1時過ぎにバスで観光ツアーに出発、市街地は丘の上
ヴァレッタの港が一望できる「アッパーバラッガガーデン」に到着
絵になる風景
海に向かって並んだ砲台の列
観光名所のアッパーバラッガガーデン
首相官邸 国民に人気があると言うムスカット首相
警備員も見当たらず、無防備な首相官邸
首相専用車のアルファロメオ、無造作に官邸脇に置かれていた
聖ヨハネ大聖堂
マルタの観光案内によるとオスマン帝国によってエルサレムやロードス島を追われた騎士団は、1530年神聖ローマ帝国の皇帝カール5世より、キリスト教勢力の防衛線としてマルタ島を与えられます。1565年オスマン帝国の攻撃を退けた騎士団は、一時中断していた街の建設を再開します。それまでの功績と騎士団員の多くが有力貴族の出身者だったことから、騎士団には莫大な寄進が集まりました。その富を背景に、豪華な建物が次々と建設されますが、その1つが聖ヨハネ大聖堂です。
聖ヨハネ大聖堂は、建築家ジェラーロモ・カッサールの設計で1578年に完成しました。外観はシンプルな造りですが、内観はバロック風の絢爛豪華な造りとなっており、当時の騎士団の資金の豊かさが窺えます。
外観は地味な石造り
金色に輝く聖堂内
協会に附属する美術館に飾られたあったカラバッジオの「洗礼者ヨハネの斬首」
どの道も坂を下ると海に至る
騎士の館の庭にあったオレンジの木
騎士団の館
マルタ共和国の政府施設として、現在も利用されているそうです
年代を感じさせる甲冑が並ぶ
写真左下の土産物屋さんで買った「マルタ騎士」(€7.00)
土産物やさん この店でオリーブのオイル漬けとドライトマトのオイル漬けを購入(日本の1/3の価格)
ヴァレッタの中心部
レンガが剥がれた城壁が年代を感じさせます
ヴァレッタ観光終了、バスで船に戻ります 入船時は必ず顔認証のIDカードで照合され、手荷物検査を受けます
MSCメラビリアのブリッジ上部が「ヨットクラブ」専有エリア、16階がバー「TOP SAIL LOUNGE」、その上階がレストラン、私のキャビンも同階に見える
ヴァレッタ観光ツアーから戻ってから、TCのA氏と16Fのヨットクラブのバー「TOP SAIL LOUNGE」で小休止
TCのA氏も〝顔”でラウンジに入り、お勧めのドリンクをオーダー(A氏は昨年就航したMSCメラビリアの処女航海にヨットクラブメンバーとして乗船していてクルーと顔なじみ)
CAP買いました アルコール、ノンアルコールの飲み物をテースティング中
午後5時の出港をバーからお見送り 次の寄港地はスペイン・バルセロナ
今日の夕食は「ヨットクラブ」ではなくツアーの皆さんと船内のステーキハウスで食べたが、当然ながらヨットクラブのレストランとは比べるべくもなかった
午後9時から船内Carousel Loungeで開演される「シルク・ド・ソレイユ・ショー at Sea -VIAGGIO 」-「色の世界への冒険」、「画家の想像の中の旅」を鑑賞(ドリンク+ショーで€15}
最前列に席が確保されていた
旧来のサーカスのイメージだったが、新しい概念のパフォーマンスで時間が経つのを忘れた
地中海クルーズツアーに参加して、帰国後、早速ブログ作成に入りましたが、(3)シチリア島・パレルモ観光までを作成したところでPCがダウン、店にPCを持ち込んで診断の結果、PCに内臓のHDDが破損とのことで、Disk driveをSSDに替えて本日PCが戻ってきました。
本日より続編を作成してアップします。
旅行4日目の2月27日、ローマ観光を終えてチビタベッキア港からシチリア島パレルモに向けて向けて航行中、午前9時15分到着予定です。
午前6時40分日の出の時刻だが、雲が多く太陽を見ることが出来なかった
午前8時過ぎ、パレルモの町が見えてきた
間もなく接岸
シチリア島パレルモ
イタリアで5番目の大都会、人口は66万、地中海のど真ん中に位置する為、多くの民族の侵略を受けた結果、市内にはビザンチン様式、アラブ様式、シチリア・バロック様式と多彩な建物が目立ちました。
イタリアの領土となったのは19世紀に入ってからとの事、「ゴッドファーザー」の印象が強いが、表面上はマフィアの影響は見当たらず(?)
埠頭には観光バスが待機中、下船後、バスでパレルモ市内を観光に出発です
観光バスの車窓から
観光列車? 乗り合いバス
ノルマンニ王宮内にある「パラティーナ礼拝堂」
かってのシチリア王の宮殿であったノルマンニ王宮の外観
礼拝堂内部 大理石の階段にはアンモナイトが
モザイクにはゴールドを散りばめられ壁や祭壇が華麗
タクシー(?) 歴史を感じさせる石の門
旧市街のヴィットリオ・エマヌエーレ大通りにあるキリスト教の大聖堂「カテドラーレ」4世紀に建てられた
・
パレルモ市内
正面にローマの凱旋門風のヌォーヴァ門が見える
「ゴッドファーザー」でおなじみのマッシモ劇場
マッシモ劇場正面階段の左右のライオンに乗った女神 庭に植わっていたレモンの樹
市内観光から船に戻ってTCのA氏から船内WIFI通信の設定について説明を受けるため旅行に一緒にきている若い女性とお母さんと、船内にある「ADULT ONLY」のバーへ、バー内はメニュー上にある☆一つは一般乗客はFree、ヨットクラブメンバーは☆二つまでFreeと知ってA氏がトライの結果、私のIDカードで☆二つまでFreeとなる事が判り、テーブル一杯に飲み物、食べ物を注文。
なお、若い女の子は成田でWIFIルーターを借りているためNET利用に問題がないが、私は船の有料WIFIを申し込む事に、料金は89.90€也
入口に「Access for adults only」との表示があった
今夜のディナのドレスコードはフォーマル、私達は持って来たダークスーツ、ドレスを着用、他のツアーで大阪から来ていた唯一の日本人のヨットクラブメンバーのS氏夫妻と時間を合わせてレストランへ
S氏夫妻とディナータイム
食後は階下のバーで
部屋に戻ると果物とチョコレートをコーティングしたイチゴ + ベッドにチョコ(バトラーの気配りでした)
旅行2日目の2月25日、ジェノバ市内観光を終えてクルーズ船「MSCメラベニア」に乗船、午後6時にジェノバに別れを告げて、次の寄港地でローマ観光の為にチビタベッキアに向かいました。
薄暮の中、船はジェノバ港を離れた
今回のクルージングツアーに申し込んだ「ヨットクラブ」を紹介します。
キャビン、は船首部分の4フロアーを占める専有エリア内の18Fにあります、室内の広さは約27㎡でバルコニー付き、ツアー中は専任のバトラーと彼のスタッフが室内のメンテナンスからキーピング、諸々の要望に応えてくれます。
室内の飲食物は勿論、エリア内のレストラン、バーでの飲食も旅行代金に含まれていてサインも不要です。
船首部分の14Fから19F(17Fはありません)がヨットクラブの占有エリア、16FがTOP SAIL LOUNGE(バー)、18Fがメインダイニングレストラン、19Fはプール等
船首側にある18Fエレベーターホールを降りてヨットクラブ専用エリアに入ります こちらは16Fのヨットクラブ専用Reception
キャビンに続く廊下
えれべ 私のキャビンです
ドア右手のセンサーにIDカードを読ませてからエリアに入ります、原則TCさんもカードがなければ中に入れません 16Fから18Fへの階段(17はイタリアでは欠番です)
顔認証のIDカード、船内では必ず首から下げるよう言われました 顔認証IDカードができるまで手首につけました キャビン内
エスプレッソマシン付き ミニバー ミネラルウォーター
キャビンに入ると右に洗面台 ・シャワー・トイレがありますがバスタブが無いのが難点 フルーツが毎日補充されました
エレベーターもヨットクラブのリーダーにICカードを読ませるとプライオリティで最優先で昇下降出来た 19Fの専用プール、ジャグジー
19Fはヨットクラブ専用プール、バー、グリルがあったが、一度も利用せず
18Fにあるレストラン 日本語メニューもあります
レストラン内部、揺れがあるためか、椅子は重厚な造りでした 船首部分の上部にあり、眺めは素晴らしい
16Fにあるバー「TOP SAIL LOUNGE」では夜はピアノなどの生演奏が入る
旅行3日目の2月26日午前8時、チビタベッキア港入港、この日は港からバスで2時間かけてローマに向かい観光予定だが、夜間に雪が降った様でキャビンから接岸した岸壁を見ると重機で除雪中。
ローマに雪が降ったのは6年振りとの事、後で聞いたが積雪が10㎝を超えたのは46年振りとか、ローマ市内の学校は27日まで休校となったそうです。
ターミナル周辺は除雪が始まっているが移動するバスなどは見当たらず、とりあえずTSのA氏から予定通り下船の案内がありターミナルに入りました。
間もなく雪の埠頭に接岸です キャビンから下を見ると重機でターミナル周辺を除雪中
キャビンから見た埠頭、下船が始まった
ターミナル
船を下りてターミナルに入るが、ターミナルと外部をつなぐシャトルバスが来ておらず、TCのA氏が関係者に連絡をとったがうまく繋がらないため、最終的に東京本社に判断を仰いだ結果、A氏の判断に任せるとの結論で、最終的にローマ観光用のチャーターバスがシャトルバスのとの中継地に来ている事が判り、徒歩で雪の中をバスまで歩くことに、1時間遅れでローマに向けて出発。
なお、同時に船を下りた日本から来ている他のツアーはTCの判断でローマ行きを諦めて港周辺を観光したそうです。
ローマ市内観光
チビタベッキア港から一路、ローマを目指しました、車が少なく順調なドライブです
ローマ市内に近づくにつれて下の枝を伐採した「アッピア松」が目立って来た(アッピア街道脇に多く植わっていた記憶)
予定したガイドさんが雪で来ることが出来ず、代わって来てくれたガイドさんに言わせると、二十数年ローマに住んでいるが、こんな大雪は初めてとの事で、普段は車で混雑する街中も、この日は車や観光客が少なく珍しい風景だった
トレビの泉
「トレビの泉」の脇にある有名なジェラートの店、雪がふっても大人気
人通りもまばら 乗ってきた観光バス
屋台の果物屋さん、観光客がおらず開店休業状態
雪のスペイン広場
路駐のポルシェも雪を被っていた コロッセオ駐車場も閉鎖中
珍しいい雪のコロッセオ、XX年前に来た時は中に入った記憶があります
雪をかぶった石像
ローマ時代の競技場も雪の中
他の観光名所はバスの中から見学
ランチを予約したレストランへ向かいましたが、予約が入っていた別の日本人観光ツアー客から1時間前にキャンセルが入ったとの事、多分空港から出ることが出来なかったツアーか?
パスタのランチ
ローマ観光を終えてチタベッキア港に戻りました、港内にはまだ雪が積もっていたが、シャトルバスが動いていたので観光バスから乗り換えて船に向かいます。
港内に残されている中世の城壁
船が見えた
シャトルバス
めったに見れない「雪のローマ」観光を終えて残雪の中を帰乗船、船に入る際は必ず所持品検査と顔認証IDカードで本人チェックが行われました
午後6時に次の寄港地シチリア島パレルモに向けて出港します
某大手旅行会社が主催した「地中海クルーズ」に参加してきました。
2月24日に成田空港からイタリア・ミラノに直行、翌日ジェノバ市内観光後、クルーズ船に乗船してチビタベッキアに寄港してローマ市内観光、夕刻に船に戻って、シチリア島パレルモー → マルタ共和国ヴァレッタ → スペイン・バルセロナ → フランス・マルセイユを回遊、再びジェノバに戻ってからミラノ市内観光、翌日成田に向かうと言う11日間のコースです。
なお、今回の参加者は29名でした。
久し振りの成田空港北ウイング
この日の換算レート(TTS)は¥134.71/€
午後1時30分発のミラノ直行便AZ0787に搭乗、フライト時間12時間の予定のところ追い風で1時間早く到着しました
搭乗してからしばらくして出されたスナック 夕食①イタリアン、飲み物は赤ワインで
夕食②和食 ミラノ到着前に出された軽食 フライト中は音楽を聴いたり映画を見たい、到着まであと3時間
この日のAZ0787便満席でした ミラノ時間17時25分にマルペンサ空港着
マルペンサ空港到着は一昨年行ったスイス周遊ツアー以降2回目、空港はミラノ市街地から50km離れていて空港周辺にはなにもありません
独学で数各国を話すTCのA氏、超前向きな性格です 空港到着後、バスで近くのホテル(Crown Plaza Hotel)に向かい一泊
2日目、ホテルで朝食後、バスで船の乗船港ジェノバに向かいました、天気は曇り、気温も日本とほとんど変わりません
ジェノヴァ
街の歴史は古く、中世にはジェノヴァ共和国として栄えました、現在でもイタリア国内においては商工業の中核都市であり、ミラノ、トリノなど北イタリアの産業都市を背後に控えて、イタリア最大の貿易港です、なおアメリカ大陸を発見したコロンブスの生誕のちでもあります。
バスでジェノバ旧市街を観光、ガルバルディ通りを歩き、ドゥカーレ宮殿等を見学しました
ドゥカーレ宮殿
サン・ロレンツォ協会
赤の宮殿
バスを降りると急に雨が、早速傘売りが現れた1本5€也 モザイク建築が美しい「 plazzo real o dei normanni」
ジェノバ港に停泊中のMSCメラビリア 旅客ターミナル
ジェノバ観光を終えてバスで港に移動、今回のツアーで乗船する「MSCメラビリア」への乗船手続きに入る
乗船手続き
バスを降りて今回のツアー客29名は乗船手続きの為、ターミナルに向かったが、乗船手続きに入る前にTCのA氏より我が夫婦だけ「ヨットクラブ」と言うエグゼクティブクラスに申し込んでいたと言われ、乗船も一般乗船客とは別の「ヨットクラブ」専用受付口から入る事となりました、ゲートにはすでに我々を担当する専任のバトラーが待機中で待つ事もなく、乗船手続きを待つ長蛇の一般乗船客の列の脇を通り抜けて「ヨットクラブ」専用通路から乗船となりました。
ターミナル 乗船口
ヨットクラブ専用通路
バトラーのMr.Satamijoro Ralideraが出迎えてくれました、下船まで彼と彼のスタッフが面倒を見てくれます
ヨットクラブ専用乗船デスク
手続き中、シャンペンとオードブルが提供されてビックリ、これも料金の内?
16階のエレベーターホール 乗船手続きを終えて16階の「ヨットクラブ」受付へ
ヨットクラブ受付、ここで顔写真を取られました
MSCメラビリアは昨年就航した新鋭船で総トン数17,598㌧、乗員定数5,714人、乗員数1,536名、キャビン数2,244室
私が申し込んでいたのは「MSCヨットクラブデラックススイート」 キャビンの広さ28㎡(バルコニー付き)の部屋でした
今回のツアーの他のキャビンは①内側12㎡、②海側15㎡丸窓、③海側バルコニー12~22㎡で料金も様々でした。
MSCメラビリアHP
https://www.msccruises.jp/jp-jp/Discover-MSC/Cruise-Ships/MSC-Meraviglia.aspx