写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

江戸の歴史散歩・南千住

2012-08-30 21:15:16 | 歴史散歩

素盞雄神社(すさのおじんじゃ)
http://www.susanoo.or.jp/tennosai/index.html

荒川区南千住に鎮座する素盞雄大神と飛鳥大神祭神とする近隣61町の総鎮守、地元では天王様と呼ばれています。
延暦14年(795)に創建された神社で古くから厄病除けで知られ安政5年(1858)に江戸でコレラが流行した際は厄除守りを求めて参詣者が群がったと伝えられています。
祭神は降臨した瑞光石。

            
                                                                 神社は日光街道に面しています

         
              本殿                                               樹齢500年と言われる大銀杏の樹                                      

                   
           境内に末社が3社ありました                神社正面

          

庚申塔
文政12年(1829)年に編纂された「江戸名所図会」にも小塚原天王社・飛鳥社として描かれています。
神社内には江戸時代の庚申塔三基現存しています、庚申とは一年に6回巡ってくる干支の「庚申(かのえさる)」のことで、この日には人の体内にいる<三尸の虫>が眠っている間にその人の罪を天帝に告げてしまうために、徹夜して夜を過ごす庚申待の習俗が行われ、人々は講を形成して寄り合い、三年間で計18回の庚申待を行うと諸願成就するといわれ、その記念に建立されたのが庚申塔です。
延宝6年(1678)に建てられた庚申塔には、人の罪を<見ざる・言わざる・聞かざる>として三匹の猿と、早く朝が来るようにと二羽の鶏が刻まれています。
       
                江戸名所図に描かれた「小塚原天王宮・飛鳥社」
    

             
            

小塚原回向院
浄土宗の寺院、回向院のあたりは、江戸時代には小塚原と言われ、品川の鈴ヶ森とともに罪人の処刑場があった場所です。
寛文7年(1667)に本所の回向院の住職が牢死者や刑死者等を供養するために、この地に寺院(当初は常行堂と称し、後に小塚原回向院に改称)を開創しました。
隣接する延命寺境内には無縁となった人々を供養するために建てられた首切地蔵が建てられていました。

なお回向院には安政の大獄で獄死した吉田松陰や橋本左内墓所がありました、吉田松陰は小伝馬町牢で獄死後、この地に葬られましたが、文久3年(1863)に高杉晋作、伊藤博文ら攘夷派の志士達によって、毛利家別邸のあった世田谷区の松陰神社に改葬されています。

また、杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、それをきっかけに「解体新書」を翻訳したと言われています。これを記念して、本堂入口右手に「観臓記念碑」が建てられています


         
                                                    「解体新書」を書いた杉田玄白、前野良沢達は、この地で解剖を行った

               
      

                    
         吉田松陰の墓所                     橋本左内墓所                        鼠小僧次郎吉の墓所もありました                     

            
                回向院そばにある延命寺には寛保元年(1741)に建立された首切地蔵がありました

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江戸の歴史散歩・三ノ輪界隈

2012-08-27 14:24:08 | 歴史散歩

都電荒川線三ノ輪橋
都内に残された唯一の都営路面電車、荒川区の三ノ輪橋と新宿区早稲田を結んでいます。 

                  
                                        JR常磐線高架下に都電が画かれていました       雑居ビルの間を抜けると三ノ輪橋駅

                  
                            無人の三ノ輪橋駅、電車はワンマンで切符は運転手から購入

      
                                                       線路に沿って続く三ノ輪商店街、シャッターが降りた店が目立ちました

公春院
寛文10年(1670)創建の浄土宗寺院、住職によると明治の末頃まで松の巨木があり、新しい寺院建立を禁じていた江戸期に幕府の役人が開基年代調査の際、この巨木を見て「これは新しい寺院ではない」と判断して寺院として安堵されたそうです、その後この松の樹は「証拠の松」と呼ばれるようになりました。
池波正太郎が書いた鬼平犯科帳「泥鰌の和助始末」の中にもその名が出てきます。


                  
           寺院入口                     門扉にあった二つの紋  ①不明                   ②徳川家の葵紋

           
                                                             寛文十年(1670)に造られた銘手水鉢  

           
           この辺りに対馬藩宗家の下屋敷がありました                       江戸期には音無川と言う川が流れていたそうです      

浄閑寺
明暦元年(1655)開基の浄土宗寺院

寺のHPによると「安政2年(1855)の大地震の際、近くにあった遊郭「新吉原」で亡くなった多くの遊女が投げ込むように葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになったそうです。
花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立されました。
檀徒のほかに、遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、慈十冊の過去帳が現存。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れています。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものです。


           
 

    
           江戸時代に建てられた山門                                寺の前は新吉原に続く日本堤跡、スカイツリーが見える

 
 

                                                                          安藤広重の江戸名所百景より「よし原日本堤」

真正寺
曹洞宗寺院、四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年1674年寂)の隠居寺として湯島に開山、その後寛文元年(1661)に現在の地に移転した古刹。

                


円通寺
延暦10年(791)開基の漕洞宗寺院、坂上田村麻呂将軍、八幡太郎義家が再建、江戸時代は下谷・廣徳寺、入谷・鬼子母神と共に箕輪・円通寺が「下谷の三寺」として庶民の信仰を集めていました。
百観音というのは門前に(秩父・板東・西國)の観音像を安置した観音堂が有ったことによりますが、安政2年の大地震にて倒壊、現在33体が本堂に安置されているそうです。

開基当初、寺の周辺六里四方は観音原と呼ばれていましたが、八幡太郎義家が奥羽征伐をして賊首48をここに埋めて48塚を築いたことにより、この辺りが小塚原と呼ばれる様になったそうです。
この寺を有名にしたのは、慶応4年(1868)5月15日に起きた上野戦争により戦死した彰義隊員の遺体が「賊軍」ゆえ、戦場に散乱、放置されたままであったのを当時の住職二十三世大禅佛磨大和尚が上野の山に出向いて供養を行いました、賊軍を供養したと言う事で一時官軍に拘束されたが、結果として官軍から同寺に埋葬供養を許すという許可が下り、埋葬が可能となりました。
彰義隊戦死者266人は、現在の上野公園の西郷隆盛像の後方にて火葬(記念碑が建っています)後、同寺に埋葬されています。
なお明治時代になって、唯一「賊軍」の法要が出来る寺として旧幕臣の信仰を集めたと言われています。


上野戦争
大政奉還で徳川幕府が消滅した後、新政府軍(薩摩・長州・土佐藩など)は鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍を打ち破った後、東征軍は江戸を総攻撃する為に進軍を開始したが、薩摩藩の西郷隆盛と旧幕府陸軍総監勝海舟が会談、徳川慶喜の「水戸謹慎」と「江戸城の無血開城」で合意したが、徹底抗戦派の旧幕臣たちは彰義隊を結成して徳川家菩提寺のある上野寛永寺に結集、輪王寺公現入道親王を擁立して新政府軍と対峙した。
慶応4年5月15日(1868)、長州藩の大村益次郎が指揮した新政府軍が宣戦を布告、午前7時に正門(黒門口)、即門(団子坂)、背面の谷中門で両軍が衝突した、重火器で圧倒する新政府軍が優位に戦いを進め午後5時に戦闘は終結し、彰義隊はほぼ全滅するが、逃走した一部の残兵はその後、戊辰戦争の主戦場となった会津などに落延びたが、この戦いも新政府軍が圧勝して新しい時代が幕を開けた。

             
                                                            円通寺入口           奇抜な建物が本堂                  

                 
                             入り口を入ると左手に彰義隊士の墓があります

                                                                           
       御書院番士の碑          江戸末期の侠客新門辰五郎の碑       移築された上野の黒門        弾痕が戦の激しさを物語る 

      
       主戦場となった上野黒門口に残された門が移築されています、木製の門には官軍が撃った弾痕痕があ多数ありました

                           
                        上野戦争絵図、左手に黒門が見える                  

  
                  
           旧幕臣で後に諸大臣を歴任した榎本武揚が書いた額「園通精舎」           なぜか入口に大砲の模型が置かれていた

                  
             境内にあった円通寺の由緒
    

 

 

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夏祭り(納涼祭)

2012-08-20 13:36:41 | 懐かしい記憶

築30年を越えてリタイア組も増えてきた当マンション、その分、趣味クラブの活動は活発で今年の祭りにおいても各クラブが出店、炎天下の元で男性陣は慣れない手つきで食べ物を作り、販売していました。


           
                  建物は6棟あります、その間にある管理センター前広場が主会場となりました

           
          広場に各クラブのテントが張られていました                               テニスコートも解放              

      
        ビールの販売が好調です                   客が来ず手持無沙汰なXX部              客を待つ自家製豚汁の出店

      
    炎天下での調理は大変、ご苦労様              お菓子を狙う輪投げに子供が集まっています               子どもにはかき氷が人気

      
   慣れない手つきでちじみを焼いています                                            カレーの担当者、火加減をチェック

      
   炎天下、炭火でおにぎりを焼くお父さん                                                  出番を待つ生ビールのタンク

      
    夕方になると人出も徐々に増えてきました                                             XX部は本格蕎麦の店を出店

         
    石臼で蕎麦の実を挽く事から始めた蕎麦つくり、好評でした              

           
           ボランティアの夜間パトロールに感謝                                        子ども達が店長?

           
        テニスコート2面が解放され、子供たちの遊び場になっていました                    グランドゴルフ会場に変身
    

           
                                 ビンゴゲームの時間になったら住民が集まり出した、お目当ては賞品?

           
                                         市内の太鼓愛好会の組太鼓の実演

      
                                         鳴子踊りに住民も参加

    
                           盆踊りでフィナーレです  

                
                    夕闇の中に提灯が映えました、季節も夏の盛りを過ぎて秋に向かっています

           
         

隣のマンションも道路を閉鎖して盛り上がっていました。


           

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尾瀬ヶ原―至仏山(2)

2012-08-08 19:05:25 | 登山

至仏山登山
深田久弥が選んだ日本百名山の一つである至仏山、一帯は蛇紋岩で覆われている為、森林限界が他の山より低いのが特徴です、中腹から頂上にかけてはハイマツ帯と岩礫地帯となり多くの高山植物が群生、特に貴重な至仏山特有の植物も生息している為、保護を目的として森林限界から頂上までは登り専用登山道となっていました。



           
       午前6時、休憩所は閑散、避難小屋の巣から出た燕が空を舞う                          気温は13℃

            
        空気が澄んですがすがしい                                    他の山小屋から来た登山者見受けられた

    
              朝靄が尾瀬ヶ原を朝霧が包む                                             午前6時30分に出発

    
     靄の中に霞んで見える燧ケ岳                          登山口を目指します                 
 
           
           山の鼻登山口                                                     頂上までの登山道が見える

           
           ながらかな稜線が続いているが登山道はほぼ直登                          登山道は階段からスタート

            
      高度を上げるにつれて後方に尾瀬ヶ原と燧ケ岳の全景が見えます                        間もなく森林限界         

           
        一方通過の為、森林限界を過ぎると山の鼻に戻ることが出来ない                尾瀬ヶ原、木道と池塘がよく見えます
             
           
                タテヤマリンドウ                                              ニッコウキスゲ

              
               
                       森林限界地点から見た尾瀬ヶ原、わずかに見える赤い屋根が至仏山荘

        
    森林限界を過ぎると蛇紋岩地帯、登山道には階段が整備されていて、その両側には立ち入り禁止のロープが張られています


        
                                 中腹を過ぎると岩場と階段が連続

          

          
              燧ケ岳の横奥は会津駒ヶ岳                                          岩場を越えます
               
               
                  全景が望める最後のポイントから見た尾瀬ヶ原、燧ケ岳、左は会津駒、右は日光の山並  


          
           日光白根山、男体山を遠望                                          傾斜地に咲くニッコウキスゲ      

           
                                                                                   尾瀬沼は右奥   

                    
                    中腹を過ぎると岩場の連続                              写真を撮りながらゆっくりと登ります                         

           
                        快晴で絶好の登山日和

            
                     
             
          眺望が180度見渡せる登山は久しぶり

            
          続々とハイカーが登って来ました

                 
        岩場の連続で息が上がるが気温が低く風が気持ち良い                                 小休止中
  
 
                     
          余裕のT君                                          


              
                         タカネナデシコの群生、頂上に近づくにつれて高山植物が目立ちました   

              
                                雲から顔を出している山は方向的には越後三山  

   
        
   今までに登った山の中では最高の眺望でした             何度目の小休止?                       一番元気なI君

           
          

      
          下山は一方通行                                              群生するタカネナデシコ

        
         クサリ場もあります                                頂上は間近です                     
  
       
         ニッコウキスゲ                            ミヤマキンポウゲ                         コバギボウシ
  

 
    
      
          
                 やっと登頂です岩場にある山頂で記念写真

         
                   頂上に着いてしばらくすると雲が辺りを包み始めて周囲の山々が見えなくなった

               
                                   至仏山頂上から小至仏山に向かいました、下界は雲海が広がり視界ゼロ

           
             昼食をとる為に頂上を離れて小至仏山に向かいます

           
                                               稜線にも雲がかかり始めた

           
                                                                食事をとる場所が無くてやむを得ず岩場でランチ

            
             鳩待峠に下りる登山道も霞んできました   

            
          鳩待峠に向かう途中、尾瀬ヶ原が霞んで見えます                         池塘とワタスゲ

                 
          午後になると視界が悪くなるのはどの山でも同じです                         下りに待っていた厳しい岩場

           
                                      圧倒的にタカネナデシコの花が目立ちました 
            
  
          
                             岩場に高山植物が群生しているが登山道以外は立ち入り禁止


          
         岩場が終わり、なだらかな木道が続く鳩待峠への登山道
 

          
        鳩待峠まで、まだ3.4kmあります               やっと鳩待峠に到着、所要時間は7時間でした


吹割の滝
至仏山登山からの帰路、沼田市にある「吹割の滝」を遠望しました、片品川が高さ7m、巾30mに渡って流れ落ちる様がナイアガラの瀑布に似ていることから「東洋のナイアガラ」と言われているそうです。

                    
     




 

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尾瀬ヶ原ー至仏山(1)

2012-08-05 21:21:52 | 四季の彩り

 夏の思い出 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsunoomoide.html

尾瀬
群馬、栃木、福島、新潟県にまたがる標高1400mに位置した東西6km、南北1kmに及ぶ本州最大の湿原地帯です、周囲には燧ケ岳(2356m)、至仏山(2228m)、皿伏山(1916m)、景鶴山(2004m)などの山々がピークをもたげております。
尾瀬ヶ原に入るルートは鳩待峠、大清水、富士見峠などがありますが、今回は至仏山の登山口がある鳩待峠から入ります。

この時期、車で尾瀬に入る事が出来ない為、戸倉に車を置いて戸倉ー鳩待峠のシャトルバスを利用しました。

       
   関越道高坂SAで小休止                       戸倉駐車場、平日の為か車は少ない            シャトルバスの料金は片道¥900.-

  

              
             戸倉からは鳩待峠と大清水行きのシャトルバスが出ています               鳩待峠到着 
 
       
                   鳩待峠から尾瀬(山の鼻)まで3.3km、約1時間かけて標高差150mをを下ります
 
           

       
   木道に東電のマーク、尾瀬は東電の所有でした         途中の小川にはアユが泳いでいました         熊対策で設けられた鐘

       
          木道途中には多くの
トンボが飛んでいた                                           熊注意                                             

        
                木道途中で小休止                                   行きかう人がほとんどない木道は気持ちがいい                                 

              
            シーズンが終わり葉だけになった水芭蕉               小一時間で尾瀬ヶ原への入口「山の鼻」に到着                                  

        
            今夜泊まる至仏山荘、山の鼻には他に「山の鼻山荘」、「国民宿舎」がありました           環境保全の為の募金箱                                                        

      
                山荘にザックを置いてビール付昼食タイム                               午後1時の気温は20℃と快適
 
               
              今日の天気は晴れ、但し雷注意、明日も晴れ                     ここにも熊注意の標示が                                                   

                
           山荘の前に10張のテントが張られていました             山荘前の休憩用ベンチ、登山者、ハイキング客が休憩中

       
          山の鼻のビジターセンター                                    道標、尾瀬ヶ原は目の前です

尾瀬ヶ原

湿原地帯には木道が続き、所々に池塘があります、ニッコウキスゲが咲く時期ですが今年は数が少なかった上に鹿が殆ど食べてしまったそうで見当たりませんでした。 
 
          
                正面にそびえているのが東北地方最高峰の燧ケ岳(2356m)
            
          
              混んでいる時期は木道で止まって写真を撮るのも難しいがこの日は人も少なくのんびり歩けました          


       
       池塘と燧ケ岳                                             木道は定期的に架け替えているそうです

    
       
        雲の動きが鮮やか                                    池塘に燧ケ岳が映る「逆さ燧」

尾瀬ヶ原は山の鼻から上田代の牛首で分岐して中田代、下田代へ向かう複数の散策ルートがありますが、我々は山荘での夕食時間を勘案してヨッピ吊橋まで行くのをあきらめて、山の鼻に戻りました(往復90分)。

                  

                  
            
          
                      

   

     
  中田代三叉路で小休止
                           木道の下に咲くヒツジグサ                    オニユリ                          

    

            
              木道を山の鼻に戻りました
              

            
                正面の山が明日登る至仏山         

       
               雷注意報が出ており至仏山から雷雲が湧いてきましたが、幸い雷は鳴りませんでした  

         
        池塘と至仏山                                  至仏山をアップすると直登に近い登山道が見えました

       
         キンコウカとコバギボウシ                                             池塘に映る白樺の木
  
                
            池塘に浮かぶオゼコウホネ                      東電小屋から来た歩荷に出会いました

                
             睡眠時間2時間で長距離運転したI君、お疲れ様            山荘そばにある尾瀬植物研究見本園の池塘 


                       人影が無く静かな研究見本園                 明日登る至仏山を見いるH隊長とI君           自然に浸る仲間  
                        

                   
                            尾瀬ヶ原を歩いた後、しばし植物研究見本園で寛ぐ仲間達  
  
                
             夕食前の食前酒?                         至仏山荘は食堂も営業しておりました

                 
               山荘のフロント、山小屋のイメージとは違いました                    今晩泊まる登山客の靴

      
          
                    宿泊は個室です                                夕食は午後5時から          

                 
          午後6時の休憩所、さすがに人はいない                        至仏山登山の心得

尾瀬ヶ原から戻り、風呂で汗を流した後は夕食です(当然の事ながら風呂で石鹸は使えません)
食後、睡眠時間2時間で長距離を運転してきた市太郎さんは部屋で爆睡、私たちは山荘近くで見えると言う「蛍」鑑賞にむかいましたが、最近熊が出没した場所に近いと言うことで「おっかなびっくり」出かけましたが、幸いクマとは会うことが無く、乱舞する平家ボタルを堪能しました、以前に蛍を見たのはいつの事か。


      
   夕食タイム、天麩羅蕎麦が美味かった、他の料理は?、山小屋の料理に文句は言えません               山小屋でワインが飲めるとは


       
     H
隊長と私                            熊と出会った時に使う木刀です         平家ボタルを撮りました

明日は至仏山登山、(2)で写真をアップします。
 

コメント (1)
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