写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

2016 本土寺の紫陽花

2016-06-20 21:39:01 | 1019

本土寺
紫陽花の名所と言えば2,500株の「ヒメアジサイ」が境内を埋める北鎌倉の明月院が有名です、淡い青色の紫陽花の花は「明月院ブルー」と言われ、この季節になると入園を待つ人が行列するほどの人気で、起伏のある境内と紫陽花が絵になるが、鑑賞客が多いと通路の両側に咲く紫陽花をゆっくりと撮るのは困難だが、私の住む松戸に在って近年、メディアで「紫陽花の名所」と紹介されてから知名度が上がって来た本土寺は境内も広く、紫陽花の株数が10,000株と多く、自宅からも近く絶好の撮影スポットでもあります。
寺伝によると源氏の名門平賀家の屋敷跡と言われ、建治3年(1277)に日蓮上人の弟子日朗が開山としたと言われる古刹です。


                      
     

              


              
                            山門を入り、拝観料を払って境内に入ると正面に本堂、左手に五重塔があります


                       


                


                         
                                                    菖蒲園に咲く花菖蒲は盛りを過ぎていたが、と周囲に咲く紫陽花は満開
 
                     
                    

                    


                     


                  
                         5,000株の花菖蒲は盛りを過ぎていました

 
              


                     


                                                                      
                                                                    苔むした回廊の屋根と紫陽花
  

                                                                     


               
                             小さいながら池があり蓮の花が咲いている


              


              


                     


                     


              


                      

              



                          

  

 







 

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2016仲間たちと撮影会(3) 日枝神社の天下祭「山王祭」

2016-06-15 20:22:39 | 1019
  • 山王祭 
    天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐により関東を支配していた北条家が滅亡し、代わって徳川家康が永く領地としていた三河・遠江から関東への領地替えを命じられる。
    武蔵野国・江戸に拠点を移した家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に勝利し慶長8年(1603)に後陽成天皇から武士の頭領である「征夷大将軍」に任じられ江戸に幕府を開府したが、日枝神社は、それ以前から「江戸山王大権現」と称され重継を祖とした武家の江戸氏-太田道灌の庇護を受けていた為、家康も日枝神社を「江戸幕府の鎮守」、将軍家の産土神として崇敬、その祭りの費用を幕府が出したことから山王祭は「天下祭」と称され、同じく江戸の総鎮守として幕府の庇護を受けた神田明神の「神田祭」の二社の山車だけが江戸城に入り将軍に拝謁する事が許された。
    今年の山王祭は6月7日に始まり、17日まで続いたが、最大のイベントは氏子各町を神輿、山車が巡る10日の「神幸祭」だが、今回は見る事が出来なかった。
    我々が訪れた11日は、予定表では境内で行われる「武州加須囃子」と「稚児行列」だけだった。



             
                                       外堀通り、赤坂(山王橋)からの参道(エスカレーターがある)            氏子は千代田区、新宿区(四谷1丁目)、中央区、港区(新橋1丁目)と広範囲

            
                                             高層ビル(キャピタル東急ホテル、山王パークタワー)を背景にした日枝神社

                           

    武州加須囃子
    舞殿で行われていた埼玉県加須市の「武州加須囃子保存会」の獅子舞に多くの人が集まっていた。

            


            
                                                     ご祝儀を獅子の口に加えさせると、大きな口でガブリ
     

              
                              


               


                             


     
              
                                               獅子の中に入っていたのは若い男性、ハードな動きの連続で、さすがに疲れた様子


             
                                                 山車が出番を待っていた


             
                                                                                                稚児行列が本殿に向けて出発

    稚児行列
    3歳~6歳までの男女児童が対象で、初穂料は¥10,000.-だそうです

                 


                                                  
                                                             
               
                                 神主さん、巫女さんに続いてお父さん、お母さんが子供の手を引いて本殿に向かい、お払いを受けます  


                          
                                                                                                   少々疲れ気味?


                    

               
             
         稚児行列を撮ってから全員集合、午後5時に宮入がが予定れているが、まだ時間がある為、ここで解散         解散後、もう一度境内に入るとガードマンが、これから神輿が戻ってくると言う事で、観客の整理中
              

                     
                       予定表に無かった神輿の宮入を撮る為に、炎天下で30分待つ事に              囃子が聞こえて来て、神輿の宮入が始まる(後で聞くと、ほかの仲間達は帰途についていた)


                      


                  


                   
                                                                        最初の神輿が宮入


                        


                   


                   


                                 


                 


                        
                                                                                 2基目の神輿の宮入です

                     


                    
                                     神田明神の宮入は境内が狭く人出が多い為、境内は大混雑するが、日枝神社の宮入は拍子抜けするほど静か


                    

                                                                 2基の神輿が本殿前に集合

                  


                         


                         
                                                キャピトル東急ホテル脇にある本殿に向かう参道                     


                   
                                                                      参道の階段を下りると首相官邸が目の前に
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2016仲間たちと撮影会(2) 向島百花園

2016-06-14 21:01:42 | 1019

 向島百花園
京成から東武スカイツリーラインに乗り換えて東向島で下車、徒歩10分程で到着です。
江戸時代後期の文化・文政(1804~1830)に骨董商佐原鞠塢が親交のあった文人・墨客の協力を得て花の咲く草木を集めた「百花園」を開園したのが起源、現在は国指定の名勝・史跡に指定された都営の庭園となっています、園内には松尾芭蕉をはじめ、多くの文人たちの歌碑が立っており、江戸時代の雰囲気を残す庭園として通年を通して
多くの人が訪れています。
なお隅田川の左岸(川向う)に位置する向島は江戸時代から風光明媚の地として有名で文人、豪商の別邸、料亭などが建ち、文化的な趣がある地でもありました。

           
                          京成から東武に乗り換えて「堀切菖蒲園」から30分程で到着                                     入園料を払って園内へ           

             
                  東京スカイツリーが見える園内、H氏をアクセントに          今は使われていない井戸、見る事が少なくなった釣瓶                        コウホネの花      


              
    

              

 
             


           
                                         百花園は萩の花が多いことで有名、9月になると「萩のトンネル」が見事な景色を見せる               


           


           

 
              
                                      「すみだの花火」と命名された紫陽花                                       桔梗    


                    
                                                 1時間程、園内を歩いて風景を切り取った仲間達


                    
                                                私の好きな景色、萩や紅葉の時期も絵になります


            
                                                                                 ランチは東向島駅近くの蕎麦屋尾張屋」で


            
                              動いた後の一杯は格別、残念ながら皆あまり酒を飲まない為、ビール大瓶2本が空にならなかった 


           
                       私がオーダーした大天ざる、味もよくてコスパは納得                                              これから浅草に向かいます


             堀切菖蒲園ー向島百花園を廻って、これから赤坂日枝神社の「山王祭」を撮りに向かいます。

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2016仲間たちと撮影会(1) 堀切菖蒲園

2016-06-13 09:52:39 | 四季の彩り

堀切菖蒲園
午前9時に京成本線堀切菖蒲園駅に集合、民家の間を10分程歩いて園に到着しました。
園の由来は諸説あり定かではありませんが、「江戸名所百景」に載っており、浮世絵にも描かれていることから、遅くとも江戸時代には菖蒲園の名所となっていた様です。
現在は葛飾区営の庭園となっていて、7,700㎡の敷地に200株種類、6,000株の花菖蒲が栽培されていました。



                   
                            堀切菖蒲園駅ホームに「菖蒲まつり」を祝う提灯が吊るされていた                  「菖蒲まつり」のゲートに違和感、入園料が無料なので我慢か


                         
                                                                    菖蒲園に向かう途中に咲いていたガクアジサイ


                            
                                   

               


          


             
                           枯れた花を摘む園の職員、来園客にきれいな花菖蒲を見せる努力に脱帽


                 
                                                                                            全員集合 

              
            菖蒲園は荒川・綾瀬川に近く首都高中央環状線が川瑞に走っていて、写真的には邪魔な存在  

                    



                          


             


                          
                                                                             園内には数は少ないが紫陽花が咲いていた


                     
                           菖蒲園の入口にはささやかに屋台が出ていました                           写真クラブ会員兼登山クラブ代表のH氏、いつも元気です


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鎌倉アルプスを歩く

2016-06-06 11:21:26 | 登山

北鎌倉駅に集合 
午前8時にJR横須賀線の北鎌倉に集合、今回のハイクは登山仲間の会「リチャード隊」(会長のH氏がリチャードギアのファンの為に命名とか)の会員11名中9名が参加、東京近郊で電車で集合できる事、足慣らし感覚で登れる為か、仲間の参加率が高かった。


                     
                                  一本後の電車で到着する仲間を待つ            北鎌倉からアジサイの名所「明月院」先の登山口を目指す、可能であれば明月院に寄る予定だったが、すでに開門を待つ人が行列していた為、入るのを諦めて登山口へ


              
                       午前8時30分の開門を待つ「明月院」の入口、開門したら大混雑の予感                                明月院を過ぎて明月谷登山口を目指す
  

           
                      途中にあった石仏                                  見過ごしてしまいそうな登山口の看板            登山口、1人だけスニーカーを履いた仲間が、鎌倉アルプスを甘く見ると後悔するよ   
  
                       
                    天園コハイキングースは入山料を払って建長寺から入るのが一般的、明月谷ルートがあるのを知って、私も今回が初トライです                 所々に咲くアジサイが目を和ませる


                 
                                       鎌倉アルプスは本格的な登山とは程遠いが、適度にアップダウンがあって「ファミリーハイク」には最適なコース、鎌倉には別に源氏山コースもある、20分程歩くと建長寺ルートと合流
 

                
                                          ルート途中から横浜みなとみらいのビル群が望める                      建長寺からのルートと合流する半僧坊展望台から見た鎌倉市内、富士山が霞んで見えた  


               
                                                 眼下は建長寺                                         鎌倉・八幡宮から由比ガ浜までを貫く若宮大路が眼下に   

                    
                                                      山に囲まれた鎌倉                       

 今回参加した9名

            

                
                                                                                     半増坊展望台に集合


                
                                   展望台から半増坊茶屋を眼下に見る                    半増坊からコース終了地点の太平山まで1時間のコース 


       
               建長寺裏から登る天園コースは半増坊までひたすら急階段を登るが、明月谷コースは多少時間がかかるがアップダウンもあってハイクの雰囲気が味わえる為、明月谷コースがお薦め
  
      
                                                                                         コース終点の大平山(標高159.2m)、1,592mではありません



                         
                                                                                        天園ハイキングコースも間もなく終点、最高峰(?)の大平山で小休止


                                
                                                                                                            少し歩くと鎌倉市から横浜市に住所が代わっていた

                                      
                           明月谷から約4km歩いて来た、瑞泉寺まであと400mの表示


                           

      
                                                                                                                                           天園コースの終点、これから瑞泉寺に向かう     


                                                                          


            
                                瑞泉寺に向かう道沿いに咲く紫陽花                          


瑞泉寺http://www.kamakura-zuisenji.or.jp/muso/ 
嘉暦2年(1327)、鎌倉幕府の重臣である二階堂道蘊が夢窓疎石(国師)を招請して臨済宗円覚寺派の寺院として開山、鎌倉随一の花の寺として有名、鎌倉駅からのアクセスが良くない二階堂に在る為か、市内の他の寺社と比べても訪問者が少なく、ゆっくりと寺院内を回ることが出来る
本堂裏の庭園は夢窓疎石(国師)により岩盤を削って造られた禅宗様庭園で書院庭園の起源と言われる、京都の天龍寺、西芳寺の庭も疎石の作。


                  
             

                  
                           拝観料¥200.-を払って境内に入る


           


                         
                                                                                 本堂の裏にある庭園


                    
                                                夢窓国師作の庭園、奥の洞窟は座禅の為の窟  
                                  

           
                                                  簡素な造りの本堂               


                     
                                     境内はこじんまりとしているが、一年を通して何らかの花が咲いている


                      
                        


       


                       
                  高浜虚子、川端康成、久保田万太郎等多くの文人に愛されていた                                   苔むした山門への階段
              

ランチタイム
紫陽花が見頃となったこの日、鎌倉市内は多くの観光客が訪れており、9名がゆっくりと昼食をするのは難しいと判断、鎌倉宮近くの蕎麦や「鎌倉武士」に予約を入れ、午前11時45分に店に入る  

             

                                                                          
   店は住宅地の中にあって民家を改造したこじんまりとした店、ビール+そば味噌、みんな十割蕎麦か鴨蕎麦を注文、店の佇まいから味は期待していなかったが、予想に反して美味!、蕎麦粉は北海道と長野産をブレンドしているとの事

覚園寺
建保6年(1218)創建の真言宗泉涌派の寺院、昼食をとった蕎麦屋の近くにあり、初めて訪れる、金沢街道から北に入った谷戸の奥にあり、境内、周辺は都市化が進む以前の鎌倉の面影を残していると言われる
 


                   


            


                  
 

             

      
鎌倉宮
後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社、明治2年(1869)2月に明治天皇が、武家から天皇中心の国体へ復帰させることを目的として鎌倉幕府を倒して建武中興に尽力した親王を讃える為、親王を祀る神社の造営を命じ、同6月14日に「鎌倉宮」の社号が下賜され7月に建立される。


       
 

                                                     


源頼朝の墓所
鎌倉幕府初代征夷大将軍、北条時政、義時等の坂東武者と平氏を打倒、鎌倉を本拠て関東を制圧、建久3年(1192)に武家政権として150年間、国政を司り、以降、武家政権は室町幕府、江戸幕府へと継承された。
頼朝は建久10年(1199)に53歳で亡くなり大倉法華堂(白旗神社)に墓所が造られた、墓石は江戸時代に薩摩島津氏により建てられた。

                               
 

                                                        

 
鎌倉八幡宮
瑞泉寺―覚園寺―鎌倉宮と歩いて八幡宮に到着、何時来ても人出が多い。

                                        


                                                                
                                    皆、少々疲れ気味で八幡宮への参拝はせず、鎌倉駅に向かう事とした 
                               

                                 
                                 石垣が崩れて暫く工事中であった「段葛」が完成していたが、歩道は管理しやすい為なのか、土ではなく合成樹脂? 


                                                      
                          二の鳥居が段葛への入口                                                         ホットドッグで腹ごしらえ中のT氏、H氏,、前にある飲み物は? 


            午後3時、JR鎌倉駅で解散しました、皆さんお疲れ様でした、なお、解散後に江ノ電が混んでいた為、自慢の足で鎌倉から長谷まで走ったI氏、S氏、重ねてお疲れ様。

 

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2016・小石川後楽園の花菖蒲

2016-06-03 15:43:25 | 四季の彩り

小石川後楽園
寛永6年(1629)、徳川御三家の一つである水戸徳川家の祖、頼房が中屋敷(後に上屋敷となる)として幕府より拝領した敷地(約7万㎡)内に造園した回遊式築山泉水庭園、水戸藩二代藩主光圀(黄門)の代になって完成しています、「後楽園」の名称は、当時の明の遺臣朱舜水が明の『岳陽楼紀』にある「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から命名されています。
大政奉還後の明治2年(1869)江戸幕府最後の将軍となった第十五代徳川慶喜の実弟で、水戸藩十一代藩主昭武により屋敷は新政府に奉還されました、その後、陸軍省の東京砲兵工廠が置かれたが、現在は都立庭園として公開されています


                       
                                                     JR中央線飯田橋から徒歩10分程歩くと到着です


                           
                                                                    庭園は東京ドームも隣接しており、水道橋からも徒歩圏内
 

                      
                                 入口を入ると外部の車、電車の音もここまでは聞こえてこない                             東京ドームの屋根が目障り
   

                       
                                           創建当時からあったと言われる茶室「涵徳亭」、現在の建物は昭和61年に再建されており飲食が出来ます
                                                        
                            
                        
                                                                              敷地面積は70,847㎡と御三家の上屋敷にふさわしく広大、庭園は二代藩主光圀が完成させた


                                                                                                                         
                                        敷地面積は70,847㎡と御三家の上屋敷にふさわしく広大、第二代藩主水戸光圀(黄門)が庭園を完成させた


花菖蒲園
660株の花菖蒲が見頃になっていた

                           


                         

                      


                           

                           

神田上水
江戸の下町の多くは海を埋め立てて造られた為、井戸を掘っても塩分を含んだ水の為に生活用水として使えず、幕府は寛永6年(1629)に井の頭池から神田上水を、承応2年(1653)に多摩の羽村から玉川上水を江戸町内に引き入れた、特に神田上水は善福寺川、妙正寺川の水を大洗堰で合わせて水位を上げて、その勢いで小日向台の南麓を流れ、水戸藩上屋敷(後楽園)に引き込んで埋樋を通して、掛樋で外堀を渡り、神田、日本橋地域に給水していた、小石川後楽園には現在も、その遺構が残されていた。

                                      
                                 小石川後楽園内を流れる「神田上水」、今は流れが止められて淀んでいるが、往時はきれいな水が流れていたはず


                                     
                                              花菖蒲園横に稲田があった、光圀が農民の苦労を知らせるために始めたと伝えられる 


                           


                            

                        
                           

    
                       



                       
                                       


                           
                                                                       大泉水と徳大寺石


                     
                        

     
                       
                                                            内庭




                           


                                    
                                             内庭の外は東京ドーム                                   陸軍造兵廠、東京工廠跡の石碑         


               
                                                    往時は遠く妙義、榛名、赤城の山が見えたと言う白雲台                


                         


                                  
                                       大泉水、奥の建物は文京区役所



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