写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

徳川家康の文書

2012-09-22 16:36:08 | 歴史散歩

徳川家康が書いた文書
当日、閲覧を希望した受講者が早稲田大学中央図書館に集合、講師である柴辻俊六先生と3Fのレクチャールームで、特別資料室から出されテーブルに並べられた6点の貴重な古文書を見ることが出来ました。
文書はいずれも和紙に書かれていました、江戸時代は最高級の紙であったのでしょうが思ったより紙が薄く、紙質も今の和紙とは比べるべくもありません。
通常、将軍・諸大名が出す文書は右筆が書き、将軍・諸大名が内容を確認して「花押」を書く場合が多いと言われています、家康が書いたと言われる直書についても、花押は自筆に間違いありませんが、文書を書いたのが本人なのかは定かでありません。
なお、これらの古文書が一般公開される際にはガラスのショーケースの中に収めて展示さるのでしょうが、この日は真近で見ることが出来ました。


    
                        早大中央図書館                                    古文書を閲覧したレクチャールーム

                            (1)徳川家康知行安堵状」 
                                今度出置本地事 小美同心衆
                                 一百貮拾貫文 長溝之郷とはの川原畠共、
                                 右知行如前々 不可有相違者他、仍」如件、
                                 永禄十二己巳 正月十一日 家康(花押)  
                                 牧野源介殿

              

               (2)「徳川家康印判状」
                                  岩崎内新田分七貫八百文
                                  一宮内貮拾三貫文事、
                                  右、本給井蔵出得替、不可有」相違之状如件、
                                  井伊兵部少輔奉之
                                            天正十年十二月十二日(家康朱印『福徳』)
                                  平尾三右衛門尉殿       
               

              

               (3)「徳川家康」直書
                                「小松宰相殿     家康」
                                御懇礼委細令得其意候」 加賀中納言与御同意可被成」之由、
                                満足存候、 即申越候間、」早々御入魂被成、越前表へ
                                御手合尤候、今日十三日岐阜へ」  着陣申候、 頓而兇徒等可討」果候間
                                可御心易候、 恐々謹言
                                (慶長五年)九月十三日家康(花押)
                                小松宰相(丹羽長重)殿    


              

              (4)西尾吉次・同言氏連署書状」(添え状)
              
   羽加州(丹羽長重)様 人々貴報 兩人」
                      猶以ひせん殿(前田利長)へも、則以」飛脚被申候条、早々」 被仰談、尤二奉存候、以上、
                       又申候、佐州(藤堂高虎)ハ千手ニ被居申候間、」返事無御座候、
                   去年廿二日之尊書、昨日」十三日きふニおゐて令拝見候、」
                   備前殿(前田利長)と御入魂可被成候由」被仰下候、内府(家康)別而満足」被仕候、たとい如何様之儀御」
                   座候共、此時ニ御座候間、諸事」
                   御堪忍候て、被仰合、上方御」手合尤ニ存候、内府も昨日」
                   十三日きふへ着陣被申候、」則今日赤坂表ヘ被相勤候、」此面
                   早速可被申付候条、」其地も無御油断御かせき」被成可然存候、貴殿様」御如在無之通、内府ヘ具ニ」申聞候間
                   可御心安候、頓而」於上方可得御意候、恐惶」謹言、
                   (慶長5年)九月十四日                                  (西尾)言氏(花押)
                                                                  (西尾)吉次(花押)
                   羽加州様人々貴報

                                

              

               (5)川家康直書  (関ヶ原合戦で勝利した4日後に書かれています)

                            書状之通 委細令
                            被見候 三人之者
                            之儀、如何様共有
                            才覚、搦取様尤候、
                            無油断可被申付候、
                            恐々謹言、
                            (慶長5年)九月十九日家康(花押)
                            田中(吉政)兵部大輔殿

              (6)村越直吉添状
                       以上              
                       御飛脚之旨 、即」 申聞候、委細以」 直書被申入、 仍而」 備前中納言(宇喜多秀家)・治部少輔(石田三成)・
                       嶋津(義弘)如何様ニ御才覚」候て、御さかし出被成」候へと被申候、小西(行長)をハ」美濃山中 搦取」参候、
                       恐々謹言、
                            村越茂助
                       (慶長5年)九月十九日 直吉(花押)
                       田兵部大輔(田中吉政)様
                                      貴報         
               

              

              (7)大久保長安自筆書状  
             
                      
              

              (8)
徳川家康書状
                              加々爪所へ之御捻、 被見申候、」仍明日聚楽へ可罷出候間、」
                              如約束、 明朝了頓所まて」相越、 それ 御前へ可」罷出候、
                              其分了頓かたへ」被仰出尤存候、」 かしく

 
              

              
  
    (3)、(4)の文書箱                                     (8)の折封うわ書 「自 神君浅野弾正被下 御書 一通」 

                     
          (1)の書状が掛け軸になっています                      (5)、(6)が1つの掛け軸に張られていました

                   
            徳川家康の花押(1)                                 (2)

           
             (3)                                  特別資料室から出されて並べられた早大所蔵の家康の書状

 
          
          柴辻講師から文書の説明を受けました                          (8)の端裏捻封うわ書「浅野弾正殿 家康」と記載 

   



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利根運河脇に咲く曼珠沙華(彼岸花)

2012-09-17 09:49:36 | 四季の彩り

東武野田線運河駅脇を流れる利根運河は利根川から江戸川に通じる運河です、駅から数分歩くと運河脇の傾斜地に曼珠沙華の花が数十メートルに渡って満開でした。
平成17年に流山市観光協会が植えたそうですが宣伝不足の為か、この日も見に来る人はまばらでした。
                     
曼珠沙華と言えば埼玉県日高市の巾着田がスケールの大きさで有名ですが、こじんまりとした規模で傾斜地に咲く、ここも隠れた撮影スポットでしょう。

                         
                 朱色の中に黄色が混ざっています

                         
                    トーンを落として黄色を強調
                                                                                                   

                        
                    数種類の色が混ざって咲いています
                

                     
                                 運河の対岸から見た一枚                      利根運河

             
        船橋―大宮を結ぶ東武野田線、まだ単線でした   東京理科大、その奥は宗教法人霊波の光本部      流れが江戸川に向かう利根運河 
 


               

      
               

              
       数は少ないが白もありました                                   朱色の中に名前が判らない花が一輪

         
       







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敬老会

2012-09-10 15:56:33 | 日々の景色

埼玉県にある、この特養施設には現在100名ほどが入居中です、この日は105歳になる最高齢の方などが運営法人理事長から表彰を受けました、私の母も卒寿(90歳)のお祝いを頂きましたが、高齢者表彰は殆どが女性でした。
入居者は整備されたきれいな施設の中で手厚いケアを受けていますが、月1度程度施設を訪問している私の私見としては、ケアするヘルパーさんに負うところが大きいのですが、それに見合った対価を受けていない為か、担当するヘルパーさんが頻繁に変わっているのも事実です。 
今後、高齢化が進むと、この様な施設が増えて行くのは間違いなく、従事する人の待遇改善が急務と感じた一日でした。

          
        施設全景                            正面                            エントランス

              
     駐車場から見た施設、手前は私の車です       施設は手入れが行き届いています             中庭 

            
       敬老会会場、ボランティアによる余興も行われていました 

            
       窓からは田園風景が広がっています       施設内                           お祝いの食事が準備されています

                 
          高齢者用のおかず                           二人の妹と姪が母の食事の手伝い

                 
          三世代の女性                施設を出てから我々は川越総合卸売市場入口にあるレストランで遅い昼食をとりました      

            
           2年前に出来た森の中にあるビュッフェレストラン、多くのメディアに取り上げられてから行列が出来る店になったそうです    

    

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雨の山行

2012-09-03 15:12:28 | 登山

予定では中央道を小淵沢ICで降りて登山口がある観音平に午前9時に到着、往復7時間で戻る行程でしたが、途中で高速道路情報をチェックすると編笠山に向かう中央道はすでに渋滞が始まっていて到着時間が読めず、急遽リーダーのH氏が用意していた第二、三案の群馬と長野県境にある四阿山(2354m)か浅間隠山(1757m)を検討、時間を考えて浅間隠山に決めて圏央道を経由して関越道に向かいました。
所沢で関越道に乗った辺りから雲行きが怪しくなって
雨が降り出してきました。          


              
                    帰途、東京に向かう途中で局地的に降る猛烈な雨に遭遇


            
            群馬県に入ると雨が本格的に降り出してきた、登山口に着くまでに雨が止むことを祈りつつ車を走らせました

        
渋滞もなく登山口がある二度上峠に到着しましたが、依然として小雨が降り続き止む気配がありません、登るか中止するか迷いましたが登山道の状態が悪いと判断して残念ながら登るのを断念。

帰路は白糸の滝を見て軽井沢経由で戻る事にしました。


            
            二度上峠は以前登った鼻曲山への登山口でもあります                             カーナビを軽井沢にセット

白糸の滝
浅間火山体の地下水が地形構造によって遠く離れた場所で高さ3m、幅70mの湾曲した岩肌から流れ落ちています、数百条の水が「白糸」の様に落ちるところから名づけられました、滝のイメージではありませんが軽井沢の観光名所になっています。 

     
           
                         駐車場から歩いて数分のところに「白糸の滝」があります

               
                    流れ出した水は信濃川と合流しています                 残念ながら山頂での集合写真ではありません       

         


         
          流れ落ちる地下水が苔を潤しています              


               
                          「白糸の滝」から流れ出た水が勢いよく下流に向けて流れていました

各自が持ってきた昼食はまだザックの中に収まったまま、「白糸の滝」周辺には食べるところが無く、関越道のSAで食べる事にして帰途につきました。
最初のSAである横川に到着、コンロでお湯を沸かせる場所を探したところ、SAの裏手に小根山森林公園(標高575m)があるのを知り、ささやかに登山気分を味わいながら公園まで登りました(標高差は105m)



                 
          横川SAの端で見つけた小根山森林公園の標示     ささやかな登山気分            森林公園、前方に妙義山が見えます

     
            
               曇り空ながら気温は30℃を越えています


         
            早速昼飯の準備               隊長のH氏は火を使わず冷やし中華          しばし食後の休憩

         
           昼食を摂ってしばらくすると雲の流れが急になり眼前の山が雨雲に覆われて雨が降り出した

                   
            雨脚が強くなり、気温も急速に下がった                          公園の屋根付きベンチに避難、雨が止むのを待ちます

              
                                  下山(?)              雨上がりの妙義山          横川SAに戻り帰路につきます        

            
 この日は編笠山周辺も雨、前回に続いての中止に仲間は意気消沈でした、当然次回も編笠山にチャレンジです。
    

   
   
  
   

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