妙義神社
碓井峠「アプトの道」、碓井湖を撮ってから横川「おぎのや」でランチ、その後、妙義山パノラマパークを見てから妙義神社近くの「道の駅」に移動です、階段が200段上る「妙義神社」参拝組、近くの温泉施設入浴組、道の駅休憩組に分かれましたが私は「妙義神社」参拝組に参加。
妙義山は上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の一つ、妙義山の主峰「白雲山」に鎮座する妙義神社の創建は古く宣化天皇2年(537)と伝えられます、社殿は江戸時代の宝暦年間(1751-1764)に改修されたと言われ、御祭神は波己曾大神で、古くから皇室の庇護を受けていて現在の上皇、天皇も参詣されている由緒ある神社です。
歴史を感じさせる200段の石段を登ると、日光東照宮を造った大工が造営したと言われる本殿に至ります、江戸時代の権現造の本社・唐門・総門は国指定重要文化財に指定されています。
なお総門、銅鳥居をくぐって本殿に向かう階段前に波己曽社(はこそしゃ)が鎮座、1,500年の歴史を誇る社殿は幽玄な雰囲気を感じさせました。
妙義山の主峰「白雲山」の中腹右手に小さく見える白地の「大」の字(高さ5m)は妙義神社奥の院です
第一鳥居
総門
波己曾社(はこそしゃ)
本殿に向かう石段
傾いてすり減った石の階段が歴史を感じさせた
色彩職豊かな権現造りの本殿
「菊」の御紋が皇室との関係を感じさせる
表妙義山登山口(私が以前登った裏妙義にも登山口に中之岳神社が鎮座しており、中級クラス登山コースがありました)
写真撮影バスツアーに参加して
10月23日、日頃、地域コミュニティで親睦のある隣のマンション写真クラブからお誘いを受けて、私の住むマンション写真クラブから2名が参加して群馬県・碓井峠めがね橋周辺の撮影会に参加してきました。
参加者15名は午前6時に迎えのチャーターバスで出発です。
マンション前に集合して出発 車内から妙義山を見る
上信越道松井田妙義ICで高速を下りてR18号を走り横川熊ノ平駐車場で下車しました 旧信越本線熊ノ平駅に向かいます
「アプト」式の線路を歩くために急な階段を登ることに 熊ノ平駅舎跡に碑が立っていました
信越本線の横川ー軽井沢間は最大勾配66.7%と急勾配区間の為、歯軌条(アプト)を使用したラック式鉄道路線として明治26年(1893)に開業、平成9年(1997)に北陸新幹線が開業すると時期を同じくして横川ー軽井沢間は廃止された。
現在は廃線跡が残され、めがね橋まで遊歩道として歩くことが出来た、昨日までの荒天が嘘の様に、天気はピーカン、最高の撮影会となりました。
旧信越本線熊ノ平駅跡(ここだけは鉄路が残されていました)
変電所の建物が残されていた
電車が通らない為、線路は錆びていた
今は無いが、往時には線路の間に歯軌条(アプト)が取り付けられていた
撤去された鉄路は無いが、往時の姿を残したトンネル
熊ノ平からめがね橋まで歩きました
めがね橋脇から階段を下ると国道18号に出ることが出来る 熊出没注意の看板あり
めがね橋の上にも鉄路があった
レンガ造りの橋梁が歴史を感じさせた
めがね橋全景、青空に映える
我が写真クラブからゲストで参加した私と84歳のT氏(テニスで鍛えられた足腰は年齢を全く感じさせないアクティブな動きは私の鑑です)
めがね橋から横川に戻る途中にある碓井湖をしばし散策
ダムサイトに流れてきた木材などが貯まっている 増水した碓井湖の水を放水中の坂本ダム
SL、電気機関車、客車等が静態保存されている横川の鉄道文化むら(この日は休館)脇を走る
ランチは釜飯で有名は「おぎのや」で、一見の観光客相手の為かサービスが悪く、料金の割には食事もまずく期待外れ!
ランチ後は妙義山パノラマパークに移動 妙義山中の「大」の文字は妙義神社奥の院
秋桜と菊の花を期待したが、秋桜は無く菊も時期が早やかった
一部の木々が色づいていたが、全山紅葉は1月後か
妙義山フラワーパークを見てから妙義神社に向かいました (2)に掲載します。
11月14日、立川市にある昭和記念公園の「秋色」を撮りに出かけてきました。
昭和天皇在位50年を記念して昭和58年(1983)に旧立川基地の敷地180haを国営の公園として整備されました、広大な敷地は「みどりの文化ゾーン」など目的別に五つのゾーンに分かれています、今回は都内最大と言われるイチョウ並木と日本庭園の紅葉を撮影目的としました。
JR西立川駅から徒歩1分の「西立川口」 パンパスグラス
秋真っ盛り
皇帝ダリア
この時期の最大の見どころの「イチョウ並木」は残念ながら多くの木が葉を落としていましたが、それなりに趣がありました
平日のため、人手が少なく写真撮影には最高のタイミング
日本庭園入口のカエデ 日本庭園入口
清池軒(休憩所)から池周辺の紅葉が見ることができます
清池軒前の「西の流れ」に架かる橋から見た秋色
数寄屋造りの歓楓亭(集会所)
歓楓亭の裏門(閉鎖中)
池を一周すると様々な紅葉が見ることが出来ました
盆栽苑の紅葉
盆栽園入口に置かれた柿の盆栽、壁に映る影が絵になった
園内に造られた水の流れ
池の向かい側から見た清池軒
清池軒と歓楓亭
四阿「昌陽」からの眺め、枠をフレームに紅葉を撮りました
竹林と紅葉
清池軒の脇から見た眺め
池の東の流れに架けられていて、ミニ版・京都嵐山の風情を味わえた(?)
日本庭園入口の横にあった水鉢、落葉が絵になる
渓流広場
見事な落葉の絨毯
落葉の中のベンチ
午後4時30分閉園、広大な園内はすべて回り切れず、時間切れで撮影を終了
都市間バスや自家用車で十勝に帰る女性達は午前は時間があるので、クラーク像で有名な羊ケ丘公園に行くと言うので同行することに、なお時間がまだ早やかったので女性3名とホテル近くの中島公園に向かいました。
中島公園
210,410平米の札幌市立の総合公園、園内にはコンサートホール、北海道立文学館、天文台、豊平館(重文)、八窓庵(重文)があって春夏秋冬、市民の憩いの場となっています。
豊平館
中島公園内にある建造物、1880年に北海道開拓使が建てた西洋式ホテル、当時は市内中心部にあったが、1958年に現在の地に移設されました、最初の利用者は明治天皇と言われ、国の重文に指定されています。
豊平館は現在改修工事中でした
豊平館敷地内にある日本庭園
小堀遠州作と言われる茶室「八窓庵」
女性は幾つになっても元気
待ち合わせ時間が迫り、中島公園の一部を歩いてからホテルに戻りました。
羊ケ丘
午前9時、8名で自家用車とタクシーで羊ケ丘公園へ、車で約20分程で到着、男子は江別から来ているY君と私のみです。
昨日、東京は雨、今日も雨の予想、梅雨の無い北海道は快晴、湿気が無く快適。
「Boys be ambitious」
裏面からの一枚
北海道と言えば野球は巨人が定番でしたが、日ハムが札幌ドームをフランチャイズにして以降、北海道民550万は日ハム一色(?)、公園に日ハム選手の手形が並べられていました
何故か公園内に石原裕次郎の「恋の町札幌」の歌碑が
歌碑前で、奥の銀色のドームが「札幌ドーム」
牧草地の先に「湯たんぽ」をモチーフ人した札幌ドーム
クラークさんのポーズが少し不自然?
公園内にある「さっぽろ雪まつり資料館」 「さっぽろ雪まつり」の第一回からの資料が展示されていました
半分貸切したタクシードライバーと
面倒見の良い山際君と オーストリア館で小休止中です
レストハウス裏にあるラベンダー畑
私がこれから行くの藻岩山が遠望できた
皆さん、お付き合い有難うございました、次回のお会いを楽しみにしています。
クラス会
会場は10年前にオープンしたという札幌市内の温泉付きホテル「ジャスマックスプラザ」、連絡がとれている37名中、男性7名、女性10名が参加して一泊で催されました、今迄は地元十勝の帯広市内のホテルや十勝川温泉で行われていましたが、今回は札幌市内・近郊に居住する人が幹事役になり札幌で開催、十勝・北見からは都市間バス、自家用車で、東京(1名)、千葉(1名)からは飛行機で参加しました。
私は今回が4回目の参加でしたが、地元に住む仲間たちは以前から定期的に会っていた様です。
寒村の小さな学校であった為、小中学校共に一クラス、転入、転出による出入りの変化はあったが、ほとんどの顔ぶれは6年間変わりません、歳月が経過していても、会えばすぐに昔に戻れる貴重は仲間達です。
ところで皆、幾つになったんだっけ?
女性陣が一部屋に集まり、近況に花を咲かせていました
羽田空港内の虎屋で買った「羊羹」が私の土産
宴の前にホテル入口で記念写真(私は撮影者)
午後6時、ホテル内の宴会場で「宴」の開始
小学校は場所を変えて現在も存続しているが、中学校は昭和42年に廃止されほかの学校と統合されました
元士幌町議を務めた寺町氏、同町の「ふるさと納税」の資料を頂きました
山際さん、幹事役いつも裏方ご苦労様です
一次会に続いて二次会も同じ宴会場で行われ各々、旧交を温めました、その後は温泉タイムに入る人、部屋で三次会に流れる人と別れました。
部屋で三次会
幹事を務めて頂いた伊藤さん、山際さん、大杉さん、鶴丸さん、鳴海さん有難うございました。
朝食タイム
健康ランドと侮るなかれ、いくら、筋子、たらこ等の「北海道」が食べ放題の朝食、北海道人気質が健在でした。
朝食後は有志で中島公園、羊ケ丘公園に向かいました(2)で続編を掲載します。
北海道士幌村(現在は町)立中士幌小学校・中学校は各学年が一クラスの田舎の学校でした、そのため小学校から中学卒業まで生徒の顔ぶれも変わりません、、転出者、亡くなった人を除き現在、38名が各地に散らばっています。
今回集まったのは男性7名、女性9名、3年前のクラス会から少し参加者が減りましたが、新たに参加した人もいて、50年の時間を超えて、夜遅くまで盛り上がりました。
参加者は本州から私(千葉県松戸市)一人、札幌・江別・苫小牧から各一人、あとは地元・十勝からの出席者です。
酒が入らないうちに撮った集合写真、みんないい顔をしています
女性は幾つになっても元気、何人かは今でも定期的に会っている様です 多勢に無勢、男性陣は静か(?)
幹事役の女性5名が会費を徴収中、ご苦労様です
宴の開宴
女性は殆どが主婦業、男性は現役の嘱託教員・学会指導員、会社退社間もない人、農業の一線を引いて息子に任せて余裕の隠居職など多彩
大規模農場を経営する3人、TTPが不安材料との事
話が弾んでいます、右のNさんは札幌から参加
この日だけは家の事、仕事の事を忘れて盛り上がりました、Y君は江別市から参加です
お定まりのカラオケで自慢のノドを披露
日本臨床動作学会
http://www.dohsahou.jp/
I君は日本臨床動作学会の北海道で唯一人の指導員、「腰痛など様々な症状を抱えていて医者から見放された症状を心理面からサポートする」ことを目的に活動を行っています。
右足が悪く、左足に負担がかかり痛みがあると言うT君、慢性的に足が痛いと言うダンス教師のKさんに指導、I君の二人に対する数分の指導結果にビックリ、二人とも痛みが無くなっており、何とKさんは足が組めなかったのが数分の指導で組める様になっていた。 (ただ一度だけでは一過性で終わる為、何度か体(心理面)に覚えさせるには数度の指導が必要との事です)
まだ現役教師のB君 昔の面影そのままのO君
昔から人の良かったI君とY君
現役のダンス教室経営のKさん、人一倍気を使う苦労人、生徒数が百数十人と言うのもうなずけます、無理をせず頑張って下さい。
即席のダンス教室が始まりました
一次会終了、部屋を代えて二次会です
男4人を相手にしたYさん、飲みすぎです
次回のクラス会は2年後に札幌で行う事として翌日午前9時に散会しましたが、札幌に戻るNさんが乗る特急列車の出発時間が午後1時過ぎとの事で、優しい女性陣が帯広駅前にあるホテル日航のコーヒーラウンジで時間まで付き合うとの事で、午後2時30分帯広―羽田便の飛行機を待つ私も車に同乗、加えて教え子に会う予定のI君も参加してクラス会延長の雰囲気となりました。
皆さん有難うございました、そして幹事さんご苦労様でした。
築30年を越えてリタイア組も増えてきた当マンション、その分、趣味クラブの活動は活発で今年の祭りにおいても各クラブが出店、炎天下の元で男性陣は慣れない手つきで食べ物を作り、販売していました。
建物は6棟あります、その間にある管理センター前広場が主会場となりました
広場に各クラブのテントが張られていました テニスコートも解放
ビールの販売が好調です 客が来ず手持無沙汰なXX部 客を待つ自家製豚汁の出店
炎天下での調理は大変、ご苦労様 お菓子を狙う輪投げに子供が集まっています 子どもにはかき氷が人気
慣れない手つきでちじみを焼いています カレーの担当者、火加減をチェック
炎天下、炭火でおにぎりを焼くお父さん 出番を待つ生ビールのタンク
夕方になると人出も徐々に増えてきました XX部は本格蕎麦の店を出店
石臼で蕎麦の実を挽く事から始めた蕎麦つくり、好評でした
ボランティアの夜間パトロールに感謝 子ども達が店長?
テニスコート2面が解放され、子供たちの遊び場になっていました グランドゴルフ会場に変身
ビンゴゲームの時間になったら住民が集まり出した、お目当ては賞品?
市内の太鼓愛好会の組太鼓の実演
鳴子踊りに住民も参加
盆踊りでフィナーレです
夕闇の中に提灯が映えました、季節も夏の盛りを過ぎて秋に向かっています
隣のマンションも道路を閉鎖して盛り上がっていました。
フィルムカメラはCanonが好きで永くFT - FTb - F1を使ってきました、その後、Mamiya 645やカールツアイスレンズを装備したContax AXを併用。
リバーサルフィルムを使っていた為、少ない小遣いでは経済的にもばかになりませんでしたが、写真の潮流がフィルムカメラからデジタルカメラへ急速に移りつつあった事も手伝ってデジタルカメラに替えました。(当然経済的な事情も考慮して)
デジタル一眼はカメラ店の勧めもあってNikon D300にしました、コンパクトカメラはLumixです、撮影目的よって使い分けしています。
フィルムカメラ
Canon FTb 50mm FD lens 年期が入った200mm FL lens
Mamiya 645 Mamiya-Sekor 80mm lens Finder
名機です Canon F1 x 2
Power drive装備のCanon F1 35-70mm FD lens Canon F1 100-300mm FD lens
Contax AX Vario-Sonnar 35mm-70mm
デジタルカメラ
現在使っているNikon D300 Lens Nikon 18mm-200mm、55mm-300mm、Tamron 10mm-24mm
リコーの初期段階のカメラ Ricoh DC3 compact digital camera
Pentax ESPIO 120SWII Digital camera 現在使用中のLumix DMC-TZ20 Digital camera
9年振りの同期会
7月3日、中学校同期会が行われました。
北海道十勝の片田舎で育った39名は卒業後それぞれの人生を歩み、今回9年振りの再会となりました。
地元に残った人たちは定期的に集まって親交を温めていたそうですが、東京に出た私については所在が判らなかったという事でお呼びがかからず、今回が3度目の再開となりました、地元組、十勝以外の道内組、本州組(1名)の計19名(男性8名、女性11名)が参加しました。
帯広市内のホテルに集合、夜を徹しての一次会、二次会が行われ旧交を温めました。
頭が薄くなった彼、貫禄が増した彼、主婦然とした彼女など自分を含めて年輪を重ねたその風貌は様々でしたが、どの顔を見ても昔の面影が残っていて9年の時間差を感じませんでした。
私的には四十数年振りのI君との再会が特に嬉しかったです。
皆、いい顔のおじさん、おばさんになっていました。
3年後の再会を約して散会となりました。
幹事のY君有難うございました。
士幌町立中士幌中学校卒業、教員は5名の小さな学校でした 、 XX年の歳月が経ちました
記念写真撮影前のリラックスした皆な
ホテル宴会場での一次会
部屋に集まっての二次会
誕生日ケーキ? 何歳になりましたか
同期の皆さん、ブログを見たら下のコメント欄に一言書いて送信してください。
碓氷峠アプトの路
旅行会社の日帰りバスツアー「碓氷峠アプトの路を歩こう」に参加しました。
午前8時に出発、東京外環・関越高速道を経て2時間後に信越線横川に到着、バスは「おぎのや」の昼食用弁当を積み込んでウォーキングの起点であります第6トンネルへ、弁当の支給を受けボランティアガイドの説明を聞きいた後、終着点(横川)までの5kmを歩きました。
横川に午後2時集合、それまではフリーとなります。
また列車の推進力を考慮して、トンネルは鋼材では無くレンガを使用しています。
アプト式とは2本のレールの真ん中に歯車レール(ラックレール)を敷き、それにアプト式電気機関車の床下に設けられた歯車(ラックギア)を噛み合わせ、急こう配の線路を登り降りする鉄道のことです。
なお、廃線跡は国の近代遺産として重要文化財に指定されているそうです。
バスは橋梁下に停車、観光客は左手にある木の階段を登ります 旧信越本線の橋梁が残されていました
廃線後,、トンネルは遊歩道として解放されています、トンネルの天井、側面のレンガは一個一個、人の手で積み重ねたのでしょう
遊歩道には道標が立っていました
めがね橋から横川に向かう途中にある人工湖「碓氷湖」湖畔で昼食、お茶の提供がありました 支給された弁当はおにぎりとおかずで十分満足な量です
旧中山道の脇に北原原白秋の碑がありました 途中に峠の湯と言う保養施設があり、トロッコ列車の起点となっています
廃線となった信越本線のレールが残されています、ここからが廃線跡ウォークです 観光用トロッコ列車が旧信越線下り線路を走っていました
遊歩道途中には見事な藤の花が咲き乱れていました
旧丸山変電所
遊歩道の左手に煉瓦造りの建物が見えてきました。
横川ー軽井沢間が電化されるに伴い明治45年に設置された丸山変電所です。
重厚な煉瓦造り建物2棟建っています、朽ちるに任せていた建物を平成12年に改修、現状復帰させました。
一棟は機械室、もう一棟が蓄電池室で列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補うための蓄電池三百十二個が整然とならんでいたそうです。
建物は現在、国の重要文化財に指定されています。
碓氷峠鉄道文化むら
信越本線の廃止後、横川電車区跡に造られた施設です。
1999年に開園、信越本線で活躍した車輛等が保存されています、信越本線の廃線を利用しEF63形電気機関車の運転やトロッコ列車が観光客相手に運行されていました。
今回は時間が無く中に入ることができませんでしたが、D51等の蒸気機関車も保存されている様です。
キハ形気動車が懐かし
信越線横川駅
第6トンネル(通称めがね橋)
明治時代に建設された橋梁は現在でもその威容を誇っており、その存在感を失っていません
梅小路蒸気機関車館(京都)
効率が優先される現代社会、移動・輸送手段としては新幹線など高速鉄道が主流となっていますが、一方においてスローライフもトレンドとして定着してきており、その象徴の一つとして蒸気機関車(SL)による旅が見直されています。
これらの動きにJR各社や地方の民鉄では眠っていた蒸気機関車を整備、期間限定など条件付きながら復活の動きが出てきています。
SLでの移動が当たり前であった1960〰80年代に青春を過ごした団塊以前の世代がノスタルジアを感じているのも事実です。
過日、多数のSLが動態保存されているJR西日本梅小路蒸気機関車館に行って来ました。
釜に石炭をくべる機関助手、蒸気圧、スピードを調整する機関士、SLは人間との呼吸で動くロウテクの代名詞とも言えましょう。
機関車の前面にはD51xxx等のナンバープレートが付けられています。
最初のアルファベットのAは動輪が1個、Bは2個、Cは3個、Dは4個、Eは5個の意味です、その後の数字は炭水車を付けていない機関車の場合は10~49、炭水車をつけている機関車が50~99となります、以下の数字は製造順につけられているそうです、有名なD51は動輪が4個でで炭水車付き車両となります、なお形式が決まる前の車両には9633、9630のプレートが付いています。
蒸気機関車の駆動機関
大正3年に建設された機関車の車庫(20の引き込み線があり、現在19輌が保存されており、うち7両が動態保存されています) 車庫内に保管されているD51の1号機関車
広い構内に停車していたC55 構内には見学者を乗せて走る為の短いレールが敷かれおりC62が往復していました
燃料である石炭が積み込まれています 転車台で向きをかえます 車庫に戻るC62
懐かしい汽笛が構内に響きました 信号機の前で止まるC62 主動輪
車庫に保存されていた蒸気機関車群
C11形 D51形 9633形 9630形 C55形 C58形(お召し列車用)
D50形 D52形 C59形 C53形 C51形
2008越中八尾 おわら風の盆
家並みに沿って並ぶ「ぼんぼり」の淡い光の中、胡弓と三味線の哀愁をおびた音色にのせて深編み傘の踊り手がゆったりと舞います。
今年も越中八尾の「おわら風の盆」の季節となりました、八尾の一年は「風の盆」のおわらから始まると言われています。
8月20日から30日までが前夜祭、9月1日〰3日が本祭。
「おわら風の盆」の歴史は古く元禄の頃から始まったと言われていますが様々な変遷を経て現在の形になったと八尾の古老の話。
踊りは五穀豊穣を願って唄い手、囃子方、太鼓、三味線、胡弓が奏でる「おわら節」のハーモニーに合わせて踊り手が街中を舞います。
「おわら風の盆」が地元の盆踊りから一躍全国区になったのはいつ頃からか、メディアの紹介や高橋治の「風の盆恋歌」、石川さゆりの唄などの影響があったのでしょう、人口3万人の町にこの時期、30万人の見物客が全国から集まるそうです。
昨年、某旅行会社が時期をずらして行っている「月見のおわら」ツアーに参加して八尾に行ってきました。
祭りの内容は本祭と同じだそうです、11の町内毎に唄い手、楽器、踊り手が舞う姿は印象深いもので、これからも残していきたい風景でした。