写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

おわら風の盆

2009-08-20 21:42:48 | 懐かしい記憶

2008越中八尾 おわら風の盆

家並みに沿って並ぶ「ぼんぼり」の淡い光の中、
胡弓と三味線の哀愁をおびた音色にのせて深編み傘の踊り手がゆったりと舞います。
今年も越中八尾の「おわら風の盆」の季節となりました、八尾の一年は「風の盆」のおわらから始まると言われています。
8月20日から30日までが前夜祭、9月1日〰3日が本祭。
「おわら風の盆」の歴史は古く元禄の頃から始まったと言われていますが様々な変遷を経て現在の形になったと八尾の古老の話。
踊りは五穀豊穣を願って唄い手、囃子方、太鼓、三味線、胡弓が奏でる「おわら節」のハーモニーに合わせて踊り手が街中を舞います。
「おわら風の盆」が地元の盆踊りから一躍全国区になったのはいつ頃からか、メディアの紹介や高橋治の「風の盆恋歌」、石川さゆりの唄などの影響があったのでしょう、人口3万人の町にこの時期、30万人の見物客が全国から集まるそうです。
昨年、某旅行会社が時期をずらして行っている「月見のおわら」ツアーに参加して八尾に行ってきました。
祭りの内容は本祭と同じだそうです、11の町内毎に唄い手、楽器、踊り手が舞う姿は印象深いもので、これからも残していきたい風景でした。



                       

                                                      

                        


              

               

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関宿と江戸川

2009-08-10 14:53:37 | 古跡

関宿城

某大学のオープンカレッジで幕末期の江戸社会を勉強しています。
先日の講義で江戸周辺(甲州、上州、総州)の社会状況の説明の中でで利根川と江戸川河岸の話がありました。
利根川と江戸川が分岐している関宿には譜代大名が藩主であった関宿城がありました、今はどのようになっているのか車で行ってみました。

関宿城は500年前にこの地を支配していた足利成氏の家臣であった簗田成助が建てたと言われていますが、江戸時代には川越、忍、佐倉藩と並んで江戸城を守る重要な要所であった様です。
江戸川堤わきにあった城跡には「関宿城址」の石碑が建っており、木立に囲まれた本丸曲輪跡は一面に草が茂る野原でしたが、周囲は畑と化している中で唯一、往時を偲ばせる名残となっていました。
安土桃山後期、豊臣秀吉に関東支配を任された徳川家康は弟である松平康元に関宿を治めさせたのが藩の始まりと言われています。

以降23代藩主が代わっていますが、10代に渡り藩主であった久世氏は幕府の老中を4代務めた幕格の重臣であったと資料にありました。
禄高は5万8千石。
                                 
 
関宿城博物館

城址から数百メートルのところに城を模した千葉県立関宿城博物館が建っています。
1階は利根川・江戸川の洪水と治水の歴史が資料と共に展示されています。
2階は関宿藩の資料展示、3階は絵画の展示スペース、4階は四方がガラス窓の展望室となっておりました。
窓からは天気が良ければ富士山や筑波山などが望める様ですが、この日は曇り空で筑波山の形がうっすらと見えました、眼下には利根川本流と江戸川に分岐する流れが見えました。


       

江戸川分岐

東京湾から59.5kmさかのぼると江戸川の起点となります。
この関宿で利根川本流は銚子河口に流れる利根川と、東京湾に注ぐ江戸川に分岐しています。
両河川共に近世以降、江戸と地方を結ぶ水上交通の中心的な役割を果たしてきました。
銚子から利根川をさかのぼり、江戸川に出て江戸に物資を運ぶ大動脈であった様です。
博物館から歩いて10分位で水門がありました、利根川から分流した水は水門を通り東京湾に向かっていましたが、水質はかなり汚れていました。

       






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