写真紀行

日々の風景と将来に残したい風景を求めて

テニスクラブ

2011-07-28 22:31:16 | 日々の景色

エンジェルインドアテニスクラブ

20数年来のテニス仲間10人と年間契約をしているテニスコートです、毎週土曜日正午~16時までプレーしています。
インドアのため雨、風、嵐でも関係なくプレー出来ます、メンバーの最高齢は75歳のAさん、紅一点はお嬢様育ちのHさん(年齢不詳・美人です)、平均年齢はXX歳で皆なそれなりに頑張っています。
オムニコートが3面、天井が半透明樹脂で外部の明かりを取り込んでいます、側面は開閉式の雨戸で外気を取り込めます

    
テニスコート外観と愛車                     ログハウス造りのクラブハウス              テラス          

              
        愛嬌のある受付嬢Nちゃんです、今日もご苦労様                               2階が更衣室とシャワー室です    

          
    休憩室 夏場は冷房の効いたここが天国です            3番コートが指定コート

             
     今日は雨模様の天気ですがコートに影響なし                       最長老のAさん でも衰えを感じさせません
    
       
  今日集まったメンバー、Sさんは先に帰り7名でパチリ
                               若手(?)のM君、攻撃的テニスは健在
  
           
   若手2のI君 海外旅行を減らして参加してください
         自己流テニスのT君            今日もピンクが映えるHさん
 
     
         雄叫び!!! ネット際のボールは必ず決めるHさん、女性となめると痛い目にあいます

       
 

   
八柱テニスクラブ

アウトドアコートです、昨年末から以前のテニス仲間Hさんの紹介で毎週水曜日プレーをしています、会員数も多い為、対戦相手にはレベルの高い人もいて刺激になります。

    
                                    クラブハウス                       駐車場とクラブハウス

      
クレーコートが6面あります、オムニコートに比べてボールのスピードが減速します、オムニよりこちら方が合っているかも
  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下町散歩 向島

2011-07-28 13:51:23 | 歴史散歩

浅草・吾妻橋

                          
                 右の建物はデンキブランで有名な「神谷バー」                 吾妻橋  
                 http://www.kamiya-bar.com/                    

東京スカイツリー

                  
         365mのタワーはほぼ完成、クレーンが1基になっていました                アサヒビール本社壁面に映る墨田区役所

        
    地上350mにある第一展望台                                       地上450mの第二展望台

        
     吾妻橋地区のマスコットキャラクター「あづちゃん」                          北十間川から見たスカイツリー
   
牛嶋神社
貞観年間(859-877)に創建された牛嶋神社、江戸城の鬼門守護の社でもありました。
        
     言問橋詰め、墨田公園にも離接しています                                 境内から見たスカイツリー


三囲神社
創立年代は不詳。
京都の呉服商の越後屋(後の三越)が江戸に進出した際に守護神とした社です、境内には隅田川七福神のうち「恵比寿」・「大国神」が祀られています。

            
    

                 
           三つ穴灯籠、火袋には三つの穴があいています

                        
三越デパートの入り口に置かれているものと同じライオン像、この像は池袋店頭に設置されていたもので同店の閉店に伴い三越と縁が深いこの神社に置かれました

             
                                            明治29年から昭和初期まで使われていた三越の商標

                
                                                 目じりが下がった愛嬌のある顔の狐

   黄檗宗弘福寺 
    中国禅に近い禅宗の寺院、寺院は唐風の造りとなっています、布袋尊を祀っています    

       

           
   昔の花街の名残が通りの名になっていました      150年続く言問団子本舗、この日はお休みでした


 白髭神社
 天暦5年(951)創建、江戸時代は「白髭の森」と言われた行楽地であったそうです、近くに向島百花園もあります

 
        
            

       
                  さすが下町、銭湯が健在でした

       
    向島百花園 入園は4時30分まで、15分過ぎで入れませんでした             東武東向島駅と商店街、初めて来ました 

                              
                    ガード下が東武鉄道の博物館となっています、かって日光まで走っていた特急「けごん」が展示されていました

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥日光・小田代ヶ原を歩く

2011-07-20 10:23:37 | 四季の彩り

2011・07・16奥日光小田代
午前3時赤沼着、しばし車中で仮眠の後、4時発小田代行のバスに乗り込みました、乗客は10人ほどですが全員夜明けの貴婦人を撮るアマチュアカメラマンです。
この時期は夜明けが速く5時前には明るくなり出しましたが小田代ケ原はもやの中でした。

        
    小田代行のバス車中                    無公害バス                          朝もやの中の貴婦人を待ちます


              
        陽が昇っても「もや」は気まぐれで小田代ヶ原は白色一色

                  
         流れるもやの中、男体山から陽がさしだしました                 陽光の中にうっすらと貴婦人が浮かびます 

                  
          もやをすかした陽光と木々のシルエット                    もやが薄くなり山並みが見えてきました

貴婦人

徐々に薄くなったもやの中に貴婦人が姿を見せましたが、残念ながら期待した地面を這う「もや」は期待できませんでした


          

              


          
     陽が昇った後、小田代ケ原から湯滝までを歩きました、木道から撮った貴婦人の横顔

                      
             天気予報は曇りでしたが予想に反して快晴です                     植物図鑑に出ていませんでした、シオガマの一種?

                      
              野アザミ                                     ハクサンフウロとノハナショウブ  

           
     戦場ヶ原、小田代ヶ原は木道以外立ち入り禁止                           湯滝まで2.5km

          
      戦場ヶ原との分岐                                         樹木の皮を食べてしまう鹿対策用のゲート             

                            
                 泉門池、奥は戦場ヶ原                        

                                   
                 倒木が池にアクセントをつけます

                  
                   奥日光の湿原はラムサール条約に登録されています

                     
                 木道は樹林帯の中に続きます                      湯ノ湖から流れ出している湯川

                     
                  湯川は湯滝、竜頭の滝を経て中禅寺湖に流れ込んでいます

                     
                  湯滝下流にある小滝

            
                    湯ノ湖から一気に流れ落ちる湯滝、秋は紅葉とのコントラストが見事です

            
       湯滝から急な階段を約340段登ると湯ノ湖です、静かな流れも急斜面で一気に流れ落ちます

               
                 勢を増す水流

             
          湯ノ湖、山の中腹は群馬県につながる金精峠                            雲がゆっくりと流れてのどかな風景です

                     
               湯滝から湯元まで歩き、車を置いてある赤沼までバスで下ることにしました    湯元温泉郷              

               
        ラムサール条約登録の碑

      
  日陰でバスを待つメンバー                光徳牧場のアイスクリームを食べることになり光徳牧場でバスをおりました 300円のアイス  

                   
   赤沼の駐車場、奥の山は男体山             昼食は日光市内のそば屋「たくみ庵」で、日光でも有名な蕎麦屋さんだそうです





コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸町奉行所

2011-07-07 20:43:42 | 歴史散歩

江戸府内
奉行所の管轄区域は江戸の町方のみで、面積の8割以上を占める武家地・寺社地には権限が及びませんでしたが寺社の門前町については後に町奉行管轄に移管されています。
1818年、幕府において江戸の範囲が決定されました、地図上に赤い線(朱引)で引かれた内側が江戸府内、
併せて町奉行の管轄する範囲も黒い線(墨引)で示されました。(朱引線と墨引き線の間は代官の管轄となっていました)
現在の山手線周辺から隅田川東岸(墨田区、江東区)を合わせた面積で大江戸と言われた地域です。


                              
               朱引図東京都公文書館所蔵の地図を引用)、朱引線が江戸府内、墨引線が町奉行所の管轄地

江戸町奉行所
享保6年(1721)の江戸は武士50万、町人50~60万人が住んでいたと推測されます、100万人を超える世界有数の規模でありましたが町の治安維持に当たったのは老中支配下にあった北、南町奉行所(一時期には中奉行所もあり3奉行所)でした、一方、武家地は大名の場合は老中・大目付、旗本・御家人は若年寄・目付、寺社地は寺社奉行が支配と身分により支配系統が明確に分かれていました。
町奉行は寺社奉行、勘定奉行と共に三奉行と称され、評定所の構成メンバーであり幕政に関与する立場でもありました、当初は大名が奉行に任命されていましたが、後には石高3000石程度の旗本が任命されました

職務は警察権と司法権という強大な権限を持つ組織で北、南奉行所が月ごとに輪番で当たりました、各奉行所には与力25名、同心120人が配置され、末端においては非正規職員として同心達の配下に約500人の目明し(岡っ引き)が刑事事件の捜査に当たっていたと言われています。
また町奉行の元には樽屋、奈良屋、喜多村の三家が世襲で町年寄として江戸の町を統括、その下には名主(250~260名)がいて約1600町を管理していました。
江戸の町人数は時代のよって増減しておりますが、それにしても奉行所の人員は南、北併せても300人弱と少なく感じますが、実態としては江戸市中の管理は町年寄ー各町を管理する名主の体制が確立しており、町々には木戸、自身番が設けられ暮れ四つ(午後10時)から明け六つ(午前6時)まで各町々に入る門が閉ざされ不審者の侵入を防ぐなど防犯体制が敷かれておりました。
なお与力、同心は将軍家の家臣で世襲制、奉行は老中による指名制でした。

講談、ドラマなどで有名な奉行としては北町奉行の遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元(在任期間1840-1843)、南町奉行では大岡越前守忠相(在任期間1717-1736)が双璧でしょう。

一方で幕府は江戸の治安維持を町奉行所の補完的役割として寛文5年(1665)に若年寄支配の幕府軍団のうち鉄砲隊・弓隊の長である先手頭の加役として火付盗賊改が組織され与力5-~10騎、同心30~50人が付属して町奉行所とは別に凶悪犯罪捜査、処理に当たっています、奉行所との大きな違いは町奉行は文官、火盗改方は武官で捜査範囲に武士も含まれていた事です、建前として犯人捕獲後は町奉行所に引き渡す事になっていましたが、実際は火盗改方が処分まで行っています。

池波正太郎著「鬼平犯科帳」はこの組織の長で実在した長谷川平蔵をモデルにしています。

北町奉行所跡
東京駅八重洲口側の鉄鋼ビル裏にある丸の内トラストタワーの通路に「北町奉行所跡」の説明板がありました

                  
     北町奉行所跡は高層ビルとなっていました

         

江戸城外堀の石垣が奉行所跡横にあります、往時の資料を基に積み上げたそうです
                          

南町奉行所跡
有楽町駅前、地下通路横に「南町奉行所跡」のプレートがありました

       
駅前の人通りが多い場所ですが奉行所跡のプレートに殆どの人は気が付いていません

  

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯盛山ハイク

2011-07-05 15:02:55 | 登山

飯盛山
山梨県と長野県の県境にある山、今月末に登る木曽駒が岳(2956m)の足慣らしの予定で出発しましたが、岩場やクサリ場もないなだらかな山で訓練にはいささか物足りませんでしたが、予想に反して天気は快晴、湿度も少なく爽やかなハイクでした。

         休憩した中央高速道談合坂SAにクラシックカーが数台集まっていました、何処に向かうのでしょうか
         

         
                                                                             車窓からの八ヶ岳

JR小海線(愛称八ヶ岳高原線)清里駅
以前に来た事がある清里は様変わりしていました、当時はひなびた町で清泉寮が唯一の名所でしたが、今は観光地化した
町並みが続いていて駅舎の横にはC56蒸気機関車が鎮座していましたが、観光客の姿が見られず少し寂しい風景でした。
この日のハイクは清里駅からスタートです。


小海線は高山鉄道です、全国のJR路線で1位が隣の野辺山駅(1346m)、清里が2位で1275m、9位までを小海線が占めています
                          
 
    
       
     清里駅舎                             一時間に1本の列車が入ってきました        小海線
 
            
    手入れされたC56蒸気機関車が置かれていました

             
     清里駅を背景にメンバーの集合写真             全員のザック姿                   小ぎれいになった清里駅前通り

                 
     駅から3、40分程歩くと登山口です                 途中にあった牧場              

           
          

        
      森林地帯を過ぎるとなだらかなハイキングコースが頂上まで続いていました

         
         中腹から見た清里の町、奥は八ヶ岳                     頂上は岩場でした

         
      頂上の仲間たち                                            頂上に立ちました

       
      八ヶ岳頂上は雲の中                  頂上下の広場で昼食                 カップめんとスーパーで買った稲荷ずしが私の昼食

         
       山頂に続く道                                下山後、清里に向う途中にある「千ケ滝」 NHKの大河ドラマのタイトルバックになったそうです

           
                   国道から急な階段を降りると滝です、想像していた以上のスケールでした

清泉寮(キープ協会)
http://www.keep.or.jp/ja/discover/qa.html

         
     清里に戻りました、これから清泉寮に向かいます     清泉寮パン、ジャム工房                広大な敷地の中に清泉寮はあります      

         
        清泉寮は昔のままでした、以前来た時はここに宿泊した記憶があります          売店前のテラスから八ヶ岳が望めます   

       
      名物のソフトクリームを持って全員集合        I君の愛車で帰途につきました             渓谷をまたぐ巨大な橋が出来ていました      


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする