第30回新松戸まつり http://matsudo.mypl.net/mp/eventreport_matsudo/?sid=44627
地元の町内会、商店会が手作りで始めた夏祭りです、駅から続くけやき通り(四車線)2ブロック、約200mを祭りの第一会場、中央公園を第二会場にして開催されました。
飲食、物販の出店は外部から業者を入れずに全て地元商店会、町内会が行いました、昨年は2日間で約25万人の人出と言われ、今年は天気にも恵まれて、更に多い人出となりました。
松戸市(人口48万人)には毎年、駅周辺をステージとした「松戸まつり」があり、今年も10月に42回目の祭りを開催しますが、後発の「新松戸まつり」の方が盛況と言う声もあります(因みに新松戸の人口は約5万人)
私の住むマンション管理組合は今年もテント2張を出し、初日は飲み物、食べ物を販売、2日目の17日は、我が写真クラブがテントの半分を使って簡易スタジオを開設して写真撮影・プリント販売を行いました。
(2日目の17日午前8時の現地) 前日使った資材等が青いビニールで包まれている、午前10時までは道路の通行が可能で当日の出店準備は午前10時から、販売開始は10時30分からと厳しく制限されています
午前8時にマンション管理センターから写真クラブの機材・資材がトラックて運ばれて来るのを待つ
我がマンションのテント(1)は管理組合専用 テント(2)は我が写真クラブと、手造りの小物販売の「さつきクラブ」のスペース
午前8時30分、資材が到着して簡易スタジオの設営開始、ライティングはクラブ顧問のプロカメラマンY氏から借りたプロ用照明器具をセット
午前9時過ぎに小雨が降り出し神輿にカバーがかけられた 簡易スタジオ設営終了
準備完了、午前10時30分営業開始 他のテントも準備が終わった様子 間もなく雨も止んで徐々に人が増えて来た
我がマンションの「子ども神輿」
集合写真を撮る事になっているが、子供が動き回って中々、揃っての写真が撮れず
何処から湧いて来たのか人の波が途絶えない テント半分を使って手作りの小物を売る「さつきクラブ」
簡易写真スタジオには35mm一眼レフが2台、パソコン、プリンターと万全な体制で来客を待つ 今年は若い男女が多く、和服姿が目立った
当日参加した写真クラブの面々
最終的に午前10時30分から午後7時まで営業時間を延長して62組の撮影を行った、はがきサイズ¥100.-、A4サイズ¥500.-は原価割れ
やっと客が途絶えて一息(冷えたビールが旨い!)
我がマンション管理組合の理事の皆さんも、この日はビール販売員
第一会場の一日目は「花笠踊り」、「サンバカーニバル」、「ブラスバンドパレード」等、二日目は「子供神輿」、「鳴子踊り」、和太鼓実演」、「聖徳大学ダンス」、第二会場のステージでは「阿波踊り」、「フラメンコ」、「沖縄エイサー」、「空手演武」などの演技と、ミニSL運行など終日多彩な催しが行われましたが、私は写真スタジオに張り付き、殆ど観る事が出来ませんでした。
地元や近県から来た「鳴子踊り」連が連続して踊りを披露
写真スタジオのテント前
日が沈んだが、まだ人出が絶えない
午後7時、第二会場ではダンスの実演中
店じまい
午後8時、テントを撤去して現状復帰
写真を撮った2組が写真を取りに来ておらず、午後8時まで来るのを待ったが、結局来ず
間もなく交通規制解除 午後9時30分に交通規制解除される為、パトカーが現状復帰を無言で催促
合羽橋七夕まつり
浅草六区の西から道具街を横切り上野までの1.2km続く「かっぱ橋本通り」、その両側を彩る七夕まつりです、同じ浅草の「サンバカーニバル」は多くの人を集めて知名度抜群ですが、今年で29回を数えると言う「合羽橋七夕まつり」は、派手な宣伝をしないが地元にしっかりと根付いた下町の風物詩でした。
http://shitamachi-tanabata.com/
伝法院通りから続く六区通り、平日の午前中の為、まだ人出が少ない 六区にある芸人憧れの殿堂「浅草演芸ホール」
今年が29回目の開催、連綿と続く下町の祭りです
上野まで続く一方通行の「かっぱ橋本通り」、初めて歩いたが浅草―上野間は意外に近かった
「かっぱ橋本通り」は七夕飾りで飾られ9日、10日は歩行者天国になり様々なイベントが行われる様です
合羽橋交差点、かっぱ橋道具街の中心
東京スカイツリーと七夕飾り、下町風情が広がっていた
通称「かっぱ寺」と言われる巨獄山曹源寺、天正16年(1588)和田倉で創建、その後、湯島天神下に移転したが明暦の大火の後にこの地に移転したと言われる
夫婦の河童像
河童娘?
7月2日午前6時30分過ぎにJR武蔵野線新座駅に集合、今回の参加者は5名(現役2名、リタイア組3名)、梅雨の合間のこの日は曇り空で何時雨が降ってもおかしくない天気、雨になったら登山断念を覚悟して、今回もI氏の愛車で関越ー圏央道ー中央道を走り勝沼ICで降り登山口のある大弛峠に向かいました。
中央道との合流地点はいつも渋滞 談合坂SAで小休止中、最近、愛娘が婚約したT氏 大弛峠に到着、駐車場はすでに満車、路駐の車も多かった
大弛峠は金峰山への登山口でもある為、週末はいつも満車、何とか山梨県側に駐車スペースを確保
大弛峠の標高は2365m、勝沼から山道を1400m登ってきた計算、心配していた空模様も明るさを増して雨の心配は無し、気温は18℃と蒸し暑い下界とは別世界
一気に車で高度を上げたので登山口到着時には頭が「ボーっと」した高山病の症状が出た仲間もいたのでゆっくりと登る事に 登山口から大弛小屋に向かう途中にテントが張られていた
大弛小屋 小屋の横の階段から登り始める
頂上までの標高差は250m、登山道はつづら折りの木の階段が続く
階段の段差が小さく歩き易い 「夢の庭園」と「国師ヶ岳・北奥千丈岳」の分岐
2年前に登った朝日岳と金峰山 天気は晴れに変わった、晴れ男は誰?
金峰山・五丈岩
「夢の庭園」手前の階段にて
国師ヶ岳に向かう途中にある前国師岳
国師ヶ岳と北奥千丈岳との分岐の三繋平
国師ヶ岳頂上(2592m) 左の写真を撮って貰った独り歩きの若い女性のハイカーと一緒にパチリ
富士山が雲間から時々顔を出した 国師ヶ岳から北奥千丈岳に向かうなだらかな登山道
奥秩父山塊の最高峰「北奥千丈岳」(2601m)、奥に金峰山の五丈岩の先端が見える
頂上に向かう途中で我々の横を一気に追い越して行ったトレールラン中の若い女性に頂上で会い撮って貰う 女性と一緒
アイアンレディーと我が仲間でマラソン・登山のキャリア豊かなI氏だが、どう見てもパワーが違いそう(?) 山頂でランチタイム
各自、風を避けてコンロでお湯を沸かしてカップ麺+αでランチ 私の昼食はお稲荷さんとカップそば
冷やして来たスイカが旨し
霞んでいた南アルプスの稜線がはっきりと見えて来た
左の一番高い峯が富士山に次いで高い「北岳」か
誰かが置いて行った唐獅子の置物が岩場にあった 右奥が甲武信ヶ岳(うちの奥さんが怪我をして、以降登山を止めた因縁の山だそうです)
左奥の岩場が国師ヶ岳頂上 I氏
T氏 K氏 スタイリストさんのT氏がH氏をチェック中
煙とxxは高いところに登る?
北奥千丈岳の岩場から見た南アルプス、稜線が絵になる景色
右奥の尖った岩は金峰山の五丈岩
やっと富士山が全貌を見せた
富士山を背景にした一枚
足が痛いK氏、無理せずに降りて下さい 整備された木の階段、この階段が無ければ国師ヶ岳・北奥千丈岳に登る事が出来なかった
復路も岩場にベンチがあって休憩する事が出来る「夢の庭園」を通過 庭園前のテラスにて
足が痛くて後ろ向きに降りるK氏、間もなく終着点ですよ 大弛峠駐車場に到着 登山道?、「登山道ではありません」の表示
2年前に登りました 午後2時過ぎ、駐車場はガラガラになっていた
皆さん、お疲れ様でした
大弛峠から勝沼に下りると気温が一気に上がり、富士山も霞んでいた
2014年に登った金峰山のブログ
http://blog.goo.ne.jp/attaboy1019/e/fff987546f4e1d593e4f0545b2a498a2