秋の京都撮影行
11月27日、3年ぶりに写真仲間二人と京都の紅葉を撮りに出かけて来ました、以前廻った①嵯峨野・嵐山、②嵐山・大原野、③貴船・鞍馬に続いて四回目の今回は主に東山エリアを巡りました。
東京から新幹線始発(のぞみ1号)に乗ると京都着は8時8分と遅い為、早朝から行動したい我々の移動手段はいつも翌早朝に京都に着くJRの深夜バスです。
今回も26日午後10時10分発の高速バスに乗車、翌27日午前5時20分に(車中で熟睡出来ないまま) JR京都駅に到着。
まだ夜が明けておらず京都駅にはすでに明かりはついているが人影は見当たらず、我々は駅から個人タクシーで最初の撮影地の「南禅寺」に向かう事に、車中でタクシードライバーと交渉して¥5,000.-/時間で貸切を決める。
(過去の3回もタクシー貸し切りで動き、ドライバーが知る紅葉の穴場を教えて貰ってる)
午前6時前、南禅寺に到着するも山門はまだ暗闇の中、夜明けを待つためにタクシードライバーの助言で東山の清水寺参道である二年坂、三年坂に向かう、前日の天気予報では午前中曇り、午後雨の予想だったが終日曇り空で一時晴れ間も顔を見せた。
東京駅八重洲口にあるJR高速バスのりば 26日午後10時10分発
高速バスは2階建、この日は平日の為か乗客が少ない 東名を―名阪を走り2カ所のPAで休憩 午前5時30分の京都駅
二年坂(二寧坂)、三年坂(産寧坂)
東山の清水寺に続く石畳の参道、瓦屋根の日本家屋が立ち並び、京都らしい情緒が感じられるスポットとして昼間は多くの人が訪れます、参道には老舗料亭「瓢亭」や飲食店、土産物屋が並んでいます、徐々に明るさを増す中、坂を登る。
石畳の坂と階段が100m続く2年坂、夜明けの時間で人影はまだない 路地から「八坂の塔」が見えた
一部の外国人のマナー違反が絶えず、住民により立ち入り禁止の看板が立てられた路地
清水寺に向かう途中で、二年坂と三年坂が合流、三年坂下の「八坂の塔」
八坂の塔(法観寺)
伝承によると592年に聖徳太子の夢告により建てられたとされ、永承12年(1440)に再建されています、臨済宗建仁寺派の寺院で五重塔は東寺、興福寺に次ぐ高さをもつ本瓦葺の建築、寺社地は狭く、塔以外に建物が無い為、塔自体が寺の通称となっている
近くにある高台寺に向かう途中、高台から見た「八坂の塔」、奥の京都タワーが目障り
霊山御本廟、坂本龍馬の墓所である霊山護国神社、霊山歴史館も近くにある
霊山護国神社、霊山歴史館に続く「維新の道」
豊臣秀吉の妻「北政所」が秀吉を弔う為に建てた寺院「高台寺」 左が高台寺、右の山中腹の霊山護国神社に竜馬が眠る
前日の午後5時にフランス・マルセイユを出港した「MSCメラビリア」は、旅行9日目の3月4日、地中海のクルージングを終えてイタリア・ジェノバに戻りました。
クルージング中、バゲージ類はキャビンに置きっぱなしで各観光地のツアーに出かけてきたが、本日が下船日の為、バゲージ類は昨夜まとめて船会社に引き渡しました。
今日は下船後、ジェノバからバスで高速を2時間走ってミラノ市内観光、その後空港近くのホテル泊です。
「非日常」の生活も今日が最終日 埠頭にはバスが待機中
ジェノバから高速道路でミラノを目指す、バスの車窓から見える風景は雪景色
途中のサービスエリアで小休止
延々と冬景色が続く
ミラノ
人口130万人(都市圏人口526万人)、首都ローマに次ぐ大都市で、北部イタリア最大の商業、金融、工業の中心都市、またミラノコレクションで知られる様に古くからファッション関連産業が盛んな地域です、加えて近年は自動車、航空機、精密機器等の産業も発展しておりイタリア最大の経済圏を形成しています、同じイタリアでもナポリ等の南イタリアの地方とは勤勉性、国民性が違うと言われます。
幸いミラノ市内に入ると雪は無し。
スカラ座広場にあるダ・ヴィンチ像、自由行動終了後に集合する場所です
宮廷劇場以来の伝統を持つイタリアオペラ界の最高峰のスカラ座 イタリアを統一した初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世像
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニが1865~1877の間に建設したアーケード、八角形の建物に2つのアーケードが交差しています、通りはガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われており、19世紀のショッピングモールのデザインの原型となり、ベルギー・ブリュッセルのギャラリー・サン・チュベール、ロシア・サンクトペテルブルグのバッサージュ、ナポリのウンベルト1世のガッレリア等、巨大なガラス張りショッピングが造られたと言われます、またガレッリアは大聖堂(ドゥオーモ)とスカラ座に続いています。
完成から130年経った現在、4階建てのアーケードにはプラダ本店、グッチ、ルイ・ヴィトンなどの高級ファッションブランドの店やレストラン、カフェ、バー等が同居していました。
ガレッリアへの入口
床に描かれている牡牛のモザイクにかかとを付け一回転すると願いが叶うそうです
TSのA氏推薦のジェラートの名店「Cioccotat Italiani」で順番を待って3種のジェラートを指定
店の前にて
ガッレリアにて
ジェラート店の横にあった日本食レストラン「MUSUBI」中国人か韓国人がやってる店?(日本人はいなかった) 天ぷらそば€10.00(¥1,300.-)
ミラノ・コレクション
ガッレリア内にあるプラダ本店と同じビルにあるレストラン「Gatto Rosso」、TCのA氏によるとミラノ風リゾットが絶品との事で1時過ぎに入店
店内は混んでいたが、幸いテーブルを確保
メニュに日本語の表記があった
イタリアではどの店でも数種のパンが置かれている
焼かれたチーズが器のリゾット、絶品 チーズたっぷりのピッツアも本場の味 生ハムとモッツアレラチーズも旨し
3名でシェア デザート 店の前にて
ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)
ミラノ象徴、世界最大のゴシック建築で5世紀の歳月をかけて完成されました、ドゥオーモには135本の尖塔が樹立、尖塔には一つ一つ聖人が立っており、一番高いところにあるマリア像まで108.5mあるそうです。
現在はエレベーターで大聖堂の外壁、屋上に登ることが出来ます、我々も屋上には登れなかったがエレベーターで昇り大聖堂の側面を歩きました。
ドゥオーモ前にある広場
壮大なドゥオーモ、5世紀と気の遠くなる期間をかけて造られた
入場券を買い、セキュリティチェックを受けて中に入りました
残雪が残っていた
樹立した尖塔
€1.00を寄付
14世紀後半に建てられたスフォルツェスコ城
トラムを追いました
ミラノトラムはトリノに次いで1893年に開業しています、現在17系統、115kmを運行中
新型車両が走る横を旧型の車両が走っていました、我が国の場合、新型車両が導入されると旧型車両は地方にまわされるか廃車となるが、ミラノでは旧型車両が堂々と第一線で活躍中。
旧型車両が頻繁に見受けられた、空調は無く夏は暑そう
新型車両も色々なモデルがあった
旅行4日目の2月27日、ローマ観光を終えてチビタベッキア港からシチリア島パレルモに向けて向けて航行中、午前9時15分到着予定です。
午前6時40分日の出の時刻だが、雲が多く太陽を見ることが出来なかった
午前8時過ぎ、パレルモの町が見えてきた
間もなく接岸
シチリア島パレルモ
イタリアで5番目の大都会、人口は66万、地中海のど真ん中に位置する為、多くの民族の侵略を受けた結果、市内にはビザンチン様式、アラブ様式、シチリア・バロック様式と多彩な建物が目立ちました。
イタリアの領土となったのは19世紀に入ってからとの事、「ゴッドファーザー」の印象が強いが、表面上はマフィアの影響は見当たらず(?)
埠頭には観光バスが待機中、下船後、バスでパレルモ市内を観光に出発です
観光バスの車窓から
観光列車? 乗り合いバス
ノルマンニ王宮内にある「パラティーナ礼拝堂」
かってのシチリア王の宮殿であったノルマンニ王宮の外観
礼拝堂内部 大理石の階段にはアンモナイトが
モザイクにはゴールドを散りばめられ壁や祭壇が華麗
タクシー(?) 歴史を感じさせる石の門
旧市街のヴィットリオ・エマヌエーレ大通りにあるキリスト教の大聖堂「カテドラーレ」4世紀に建てられた
・
パレルモ市内
正面にローマの凱旋門風のヌォーヴァ門が見える
「ゴッドファーザー」でおなじみのマッシモ劇場
マッシモ劇場正面階段の左右のライオンに乗った女神 庭に植わっていたレモンの樹
市内観光から船に戻ってTCのA氏から船内WIFI通信の設定について説明を受けるため旅行に一緒にきている若い女性とお母さんと、船内にある「ADULT ONLY」のバーへ、バー内はメニュー上にある☆一つは一般乗客はFree、ヨットクラブメンバーは☆二つまでFreeと知ってA氏がトライの結果、私のIDカードで☆二つまでFreeとなる事が判り、テーブル一杯に飲み物、食べ物を注文。
なお、若い女の子は成田でWIFIルーターを借りているためNET利用に問題がないが、私は船の有料WIFIを申し込む事に、料金は89.90€也
入口に「Access for adults only」との表示があった
今夜のディナのドレスコードはフォーマル、私達は持って来たダークスーツ、ドレスを着用、他のツアーで大阪から来ていた唯一の日本人のヨットクラブメンバーのS氏夫妻と時間を合わせてレストランへ
S氏夫妻とディナータイム
食後は階下のバーで
部屋に戻ると果物とチョコレートをコーティングしたイチゴ + ベッドにチョコ(バトラーの気配りでした)
江ノ電で初詣
2018年1月3日、初詣に恒例となった鎌倉・鶴岡八幡宮に出かけてきました、湘南の海と江ノ電の風景、八幡宮の佇まいが好きで40年来、自宅から2時間かかるが初詣はここと決めています。
時を経て鎌倉の町は観光化が進み、大きく変化して外国人も増えていますが、一歩裏道に入ると昔ながらの町並みがまだ残っているので飽きずに春夏秋冬、カメラを担いて訪れています。
今回もJR東海道線で藤沢まで行き、江ノ電に乗りかえて湘南の海を見ながら鎌倉に入りました。
ランチは藤沢「天喜代」で大江戸天丼+ドリンク 今回はJR,江ノ電の一日乗り放題パスを利用
富士山を撮るために江の島で下車
江の島に渡る橋から富士山を撮る
江の島には渡らずに江ノ電を撮る為、歩いて腰越に向かいました
江ノ電はほとんどが専用軌道を走るが、江の島ー腰越間は町中の一般道の軌道を走る、1000形 江ノ電で一番古くなった300形
500形
2000形 20形
腰越駅
500形 「電車接近」の表示が目立つ
腰越駅前の道を少し歩くと「小動」交差点、ここでR134に合流して海沿いに歩く 江ノ電は腰越から鎌倉まで専用軌道を走行
最新の2000形 鎌倉高校前から見た江の島
撮影スポットとして人気の海沿いにある鎌倉高校前駅
1000形
鎌倉高校前駅脇の踏切、人気アニメの舞台になったとかで中国人に人気の踏切、この日もカメラを構えて電車を待つ若者が絶えず
波に乗るサーファー、手前はR134
JR鎌倉駅 小町通は人であふれていた 若宮大路、二の鳥居から三の鳥居まで段葛が続く
三の鳥居
人気の蕎麦屋「こ寿々」には今日も行列ができていた
元気が良くて正月3日目の為か、参詣客も例年に比べて多い印象
午後2時45分から並び始めてお参り出来たのは3時50分、二か所でロープ規制が行われていました
ロープが上がり一斉に階段を上がり参拝客 破魔矢と交通安全のお札を頂きました
午後5時に交通規制が解除され、車が入ってきます
浅草寺の「ほうずき市」
室町時代末期に観世音菩薩の縁日として毎月18日が「功徳日」とされ、その日に参拝すると100日、1,000日分の功徳が得られると言う事で庶民の篤い信仰を集めていた、江戸時代中期に当たる明和年間(第十代将軍家治の時代)に始まったと言われる浅草寺の「功徳日」は7月10日、「特別なこの日」に参拝すると46,000日の功徳があるとされることから「一生分の功徳が得られる縁日」と言われ、「四万六千日」の縁日が江戸庶民の篤い信仰を集める様になり、加えてほうずきの実を食べると病気治癒に効くと言う民間信仰も手伝って、縁日に合わせて「ほうずき市」が立つ様になったと言われる。
現在も毎年7月9日、10日には浅草寺で法要が行われると共に、浅草寺脇に「ほうずき市」が立ち、夏の風物詩として多くの人を集めています。
浅草寺仁王門から本堂に続く境内脇には飲食の屋台に加えてこの日は「ほうずき市」の屋台が並びます
法要の立て看板 浅草寺はいつ来ても参拝客、観光客が多い
境内には100店以上の屋台が出て、それぞれ趣向をこらして客集めをしていた、なお、1鉢のほうずきの価格はどの店も¥2,500.-
「ほうずき」が梱包されていた箱を見ると殆どが大分産、大量に販売されるこの日に合わせて生産者は準備していたのでしょう
最終日のこの日は午後9時まで営業、ライトアップされた風景も絵になりそうだが、待てません
ほうずきを買うと風鈴がついてきます
ヤマト運輸が各店の配送を受け持っていて、浅草神社脇に集荷センターを開設
写真撮影終了、私も1鉢買ってから帰途に着きました
2016・12・30築地市場
昨年末に来た際は、今年(2016)は市場が豊洲に移転する為に築地は見納めのはずだったが、ご存知の通り豊洲移転は来年以降となり、今年も築地は相変わらずの大盛況、加えて11月に晴海寄りに「築地魚河岸」と言う商業施設とフードコートが出来て更に賑わいを見せていました、まだ午前10時前だが、すでに多くの人が買い物客が来ていました。
波除神社
徳川幕府4代将軍家綱時代の万治2年(1659)に創建されたという由緒ある神社で昔から魚河岸に働く人たちに庇護され、現在も築地市場の脇にこじんまりとですが隠然と佇んでいました、神社は今日に至るまで市場の氏子によって守られ「災難を除き、波を乗り切る」厄除けの稲荷として崇敬を集めていました。
築地場外市場の海幸門の前に神社があります
福徳の神「弁財天」として再建された「お歯黒獅子」
境内には市場関係者が奉納した「海老塚」、「鮟鱇塚」、「すし塚」、「玉子塚」、「はまぐり石」の供養塚が並んでいて市場の崇敬を集めているのが判ります
「吉野家」発祥の地の碑が境内にありました
11月にオープンした商業施設「築地魚河岸」、豊洲移転も見据えて区が仲卸を経営母体とした小売60店が入居、3回にはフードコートがあった
施設は小田原橋棟と海幸橋の2棟があり、渡り廊下で結ばれていた
海幸棟1Fの市場
場内市場の入口にある東京都の巡視詰所 場内市場のレイアウト
外人の見学が多いためか英字の案内も 午前10時過ぎ、仲・小売り業者が去り、観光客中心の場内市場
歴史を感じさせる水産物部、仲、小売りのスペース
時間が遅い(午前10時過ぎ)為か、仲卸向けの営業は終了、店じまいが始まっていた
仲買業者との取引が終わり、空き箱が目立った
この時間は小売り中心の営業中、私もここで何品か買いましたが、価格は場外市場より安い
場内市場は卸売業者が通路を挟んで並んでいる
雑然とした市場内は、環境的には必ずしも清潔とは言えない
来年には場内市場は豊洲に移り、築地ではこの風景は見られないはずですが。。。
場内市場にある寿司屋さんには長蛇の列が有りました、昨年は私も並びましたが確かに待つ価値あり、コスパ的に納得
日本人に交じり外国人の姿も目立つ 正面のビルは朝日新聞本社
場外市場
場内市場は比較的空いていたが、場外は身動きが出来ない程の人の波、場内市場を知らない人が多いのかも、場内市場が豊洲に移転しても、場外市場はそのまま残るそうです。
玉子御焼き専門店に並ぶ行列 私は「松露」に並んでで玉子焼を買いました
午前中ですでにこの人出、午後に更に人出が増えるのでは 今年の傾向としては中国人以外の外国人が増えた印象です
勝鬨橋
築地市場から10分ほど歩くと隅田川に架かる勝鬨橋、1980年までは3000トン級の船舶の航行が多かった為に可動式な橋として稼働していたが、その後は需要が減った為、開閉することはなくなり、現在は記念的な位置づけとなっています。
亡くなった親父が戦時中に在職したと言う「海軍経理学校」跡、江戸時代には講武所(後に勝海舟が教授を務めた軍艦操練所)があった地です
橋の通行の可否を示す交通信号 橋の中央部で左右に橋が開閉します
隅田川から浜離宮・新橋方面を望む 浅草からの遊覧船
7月2日午前6時30分過ぎにJR武蔵野線新座駅に集合、今回の参加者は5名(現役2名、リタイア組3名)、梅雨の合間のこの日は曇り空で何時雨が降ってもおかしくない天気、雨になったら登山断念を覚悟して、今回もI氏の愛車で関越ー圏央道ー中央道を走り勝沼ICで降り登山口のある大弛峠に向かいました。
中央道との合流地点はいつも渋滞 談合坂SAで小休止中、最近、愛娘が婚約したT氏 大弛峠に到着、駐車場はすでに満車、路駐の車も多かった
大弛峠は金峰山への登山口でもある為、週末はいつも満車、何とか山梨県側に駐車スペースを確保
大弛峠の標高は2365m、勝沼から山道を1400m登ってきた計算、心配していた空模様も明るさを増して雨の心配は無し、気温は18℃と蒸し暑い下界とは別世界
一気に車で高度を上げたので登山口到着時には頭が「ボーっと」した高山病の症状が出た仲間もいたのでゆっくりと登る事に 登山口から大弛小屋に向かう途中にテントが張られていた
大弛小屋 小屋の横の階段から登り始める
頂上までの標高差は250m、登山道はつづら折りの木の階段が続く
階段の段差が小さく歩き易い 「夢の庭園」と「国師ヶ岳・北奥千丈岳」の分岐
2年前に登った朝日岳と金峰山 天気は晴れに変わった、晴れ男は誰?
金峰山・五丈岩
「夢の庭園」手前の階段にて
国師ヶ岳に向かう途中にある前国師岳
国師ヶ岳と北奥千丈岳との分岐の三繋平
国師ヶ岳頂上(2592m) 左の写真を撮って貰った独り歩きの若い女性のハイカーと一緒にパチリ
富士山が雲間から時々顔を出した 国師ヶ岳から北奥千丈岳に向かうなだらかな登山道
奥秩父山塊の最高峰「北奥千丈岳」(2601m)、奥に金峰山の五丈岩の先端が見える
頂上に向かう途中で我々の横を一気に追い越して行ったトレールラン中の若い女性に頂上で会い撮って貰う 女性と一緒
アイアンレディーと我が仲間でマラソン・登山のキャリア豊かなI氏だが、どう見てもパワーが違いそう(?) 山頂でランチタイム
各自、風を避けてコンロでお湯を沸かしてカップ麺+αでランチ 私の昼食はお稲荷さんとカップそば
冷やして来たスイカが旨し
霞んでいた南アルプスの稜線がはっきりと見えて来た
左の一番高い峯が富士山に次いで高い「北岳」か
誰かが置いて行った唐獅子の置物が岩場にあった 右奥が甲武信ヶ岳(うちの奥さんが怪我をして、以降登山を止めた因縁の山だそうです)
左奥の岩場が国師ヶ岳頂上 I氏
T氏 K氏 スタイリストさんのT氏がH氏をチェック中
煙とxxは高いところに登る?
北奥千丈岳の岩場から見た南アルプス、稜線が絵になる景色
右奥の尖った岩は金峰山の五丈岩
やっと富士山が全貌を見せた
富士山を背景にした一枚
足が痛いK氏、無理せずに降りて下さい 整備された木の階段、この階段が無ければ国師ヶ岳・北奥千丈岳に登る事が出来なかった
復路も岩場にベンチがあって休憩する事が出来る「夢の庭園」を通過 庭園前のテラスにて
足が痛くて後ろ向きに降りるK氏、間もなく終着点ですよ 大弛峠駐車場に到着 登山道?、「登山道ではありません」の表示
2年前に登りました 午後2時過ぎ、駐車場はガラガラになっていた
皆さん、お疲れ様でした
大弛峠から勝沼に下りると気温が一気に上がり、富士山も霞んでいた
2014年に登った金峰山のブログ
http://blog.goo.ne.jp/attaboy1019/e/fff987546f4e1d593e4f0545b2a498a2
本土寺
紫陽花の名所と言えば2,500株の「ヒメアジサイ」が境内を埋める北鎌倉の明月院が有名です、淡い青色の紫陽花の花は「明月院ブルー」と言われ、この季節になると入園を待つ人が行列するほどの人気で、起伏のある境内と紫陽花が絵になるが、鑑賞客が多いと通路の両側に咲く紫陽花をゆっくりと撮るのは困難だが、私の住む松戸に在って近年、メディアで「紫陽花の名所」と紹介されてから知名度が上がって来た本土寺は境内も広く、紫陽花の株数が10,000株と多く、自宅からも近く絶好の撮影スポットでもあります。
寺伝によると源氏の名門平賀家の屋敷跡と言われ、建治3年(1277)に日蓮上人の弟子日朗が開山としたと言われる古刹です。
山門を入り、拝観料を払って境内に入ると正面に本堂、左手に五重塔があります
菖蒲園に咲く花菖蒲は盛りを過ぎていたが、と周囲に咲く紫陽花は満開
5,000株の花菖蒲は盛りを過ぎていました
苔むした回廊の屋根と紫陽花
小さいながら池があり蓮の花が咲いている
- 山王祭
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐により関東を支配していた北条家が滅亡し、代わって徳川家康が永く領地としていた三河・遠江から関東への領地替えを命じられる。
武蔵野国・江戸に拠点を移した家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に勝利し慶長8年(1603)に後陽成天皇から武士の頭領である「征夷大将軍」に任じられ江戸に幕府を開府したが、日枝神社は、それ以前から「江戸山王大権現」と称され重継を祖とした武家の江戸氏-太田道灌の庇護を受けていた為、家康も日枝神社を「江戸幕府の鎮守」、将軍家の産土神として崇敬、その祭りの費用を幕府が出したことから山王祭は「天下祭」と称され、同じく江戸の総鎮守として幕府の庇護を受けた神田明神の「神田祭」の二社の山車だけが江戸城に入り将軍に拝謁する事が許された。
今年の山王祭は6月7日に始まり、17日まで続いたが、最大のイベントは氏子各町を神輿、山車が巡る10日の「神幸祭」だが、今回は見る事が出来なかった。
我々が訪れた11日は、予定表では境内で行われる「武州加須囃子」と「稚児行列」だけだった。
外堀通り、赤坂(山王橋)からの参道(エスカレーターがある) 氏子は千代田区、新宿区(四谷1丁目)、中央区、港区(新橋1丁目)と広範囲
高層ビル(キャピタル東急ホテル、山王パークタワー)を背景にした日枝神社
武州加須囃子
舞殿で行われていた埼玉県加須市の「武州加須囃子保存会」の獅子舞に多くの人が集まっていた。
ご祝儀を獅子の口に加えさせると、大きな口でガブリ
獅子の中に入っていたのは若い男性、ハードな動きの連続で、さすがに疲れた様子
山車が出番を待っていた
稚児行列が本殿に向けて出発
稚児行列
3歳~6歳までの男女児童が対象で、初穂料は¥10,000.-だそうです
神主さん、巫女さんに続いてお父さん、お母さんが子供の手を引いて本殿に向かい、お払いを受けます
少々疲れ気味?
稚児行列を撮ってから全員集合、午後5時に宮入がが予定れているが、まだ時間がある為、ここで解散 解散後、もう一度境内に入るとガードマンが、これから神輿が戻ってくると言う事で、観客の整理中
予定表に無かった神輿の宮入を撮る為に、炎天下で30分待つ事に 囃子が聞こえて来て、神輿の宮入が始まる(後で聞くと、ほかの仲間達は帰途についていた)
最初の神輿が宮入
2基目の神輿の宮入です
神田明神の宮入は境内が狭く人出が多い為、境内は大混雑するが、日枝神社の宮入は拍子抜けするほど静か
2基の神輿が本殿前に集合
キャピトル東急ホテル脇にある本殿に向かう参道
参道の階段を下りると首相官邸が目の前に
向島百花園
京成から東武スカイツリーラインに乗り換えて東向島で下車、徒歩10分程で到着です。
江戸時代後期の文化・文政(1804~1830)に骨董商佐原鞠塢が親交のあった文人・墨客の協力を得て花の咲く草木を集めた「百花園」を開園したのが起源、現在は国指定の名勝・史跡に指定された都営の庭園となっています、園内には松尾芭蕉をはじめ、多くの文人たちの歌碑が立っており、江戸時代の雰囲気を残す庭園として通年を通して多くの人が訪れています。
なお隅田川の左岸(川向う)に位置する向島は江戸時代から風光明媚の地として有名で文人、豪商の別邸、料亭などが建ち、文化的な趣がある地でもありました。
京成から東武に乗り換えて「堀切菖蒲園」から30分程で到着 入園料を払って園内へ
東京スカイツリーが見える園内、H氏をアクセントに 今は使われていない井戸、見る事が少なくなった釣瓶 コウホネの花
百花園は萩の花が多いことで有名、9月になると「萩のトンネル」が見事な景色を見せる
「すみだの花火」と命名された紫陽花 桔梗
1時間程、園内を歩いて風景を切り取った仲間達
私の好きな景色、萩や紅葉の時期も絵になります
ランチは東向島駅近くの蕎麦屋尾張屋」で
動いた後の一杯は格別、残念ながら皆あまり酒を飲まない為、ビール大瓶2本が空にならなかった
私がオーダーした大天ざる、味もよくてコスパは納得 これから浅草に向かいます
堀切菖蒲園ー向島百花園を廻って、これから赤坂日枝神社の「山王祭」を撮りに向かいます。
墨堤の桜
八代将軍吉宗が庶民の憩いの場として植えられたのが起源と言われる隅田川堤の桜、飛鳥山と共に江戸庶民の花見の名所として親しまれ、今日に至るまで引き継がれています。
1週間前に盛りを迎えた桜は、その後の強風で散って、この日は殆どが葉桜となったが、名残の枝垂れ桜、咲きだした八重桜と東京スカイツリーのコラボを切りとりました。
葉桜となったソメイヨシノ
八重桜が見頃
枝垂れ桜もまだ頑張って咲いていた
葛西臨海公園
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index026.html
広大な敷地の中には、大水槽を泳ぐマグロの群れで有名な水族館や国内最大の観覧車がある都立の公園、この時期は群生する水仙が見頃となります
JR京葉線(武蔵野線)葛西臨海公園駅 クリスタルビューから見た駅までの歩道
休憩施設のあるクリスタルビュー
水仙
大観覧車周辺が20万本の水仙(ニホンスイセン)の畑、ほとんどが開花していたが、その多くが無残にも倒れていた、多分先日の雪の影響と思われます、来週「水仙まつり」が開催されるそうだが
見応えは半減となりそう。
水仙畑の中央部は殆どが無残にも倒されていた
雪害を逃れた水仙
日本最大と言われる大観覧車、営業中だが平日の為か誰も乗っていなかった
バーベキュー広場では女子会開催中
東京ゲートブリッジ遠望
汐風広場から見た富士山 旧江戸川を挟んで東京ディズニーランドが見える
富士山を800mmレンズでアップ
海辺をつなぐ葛西渚橋
クリスタルビューと海辺の間の展望広場 東京湾
休憩施設のクリスタルビュー
ドーム状の葛西臨海水族館
のどかな風景、休憩中のツーリング途中の若者たち
紅梅はこれから開花です 白梅は満開
公営のホテル(シーサイド江戸川)
江ノ電
時間が午前11時30分、早めに昼食とり移動することにして小田急百貨店内の天ぷら屋に入り大きなアナゴが乗った「大江戸天丼」注文。
見てくれは大きいがアナゴ以外は並み 江ノ電藤沢駅で一日乗り降り自由の乗車券(600円)を買って乗車
江ノ島駅で下車、市街地の路面を走る電車を追いながら腰越ー鎌倉高校前まで歩く
専用軌道で走って来た電車は江ノ島から腰越までの市街地を走る、車の往来が多いため、交差点には専任の指導員が車を誘導
腰越駅からまた専用軌道を走る 正月らしい表示
元暦2年㋄24日(1185)、源義経は兄の怒りをかい鎌倉に入ることを拒まれ、許しを請う為にわび状(腰越状)を書いた腰越にある満福寺、義経はこの寺に留まり頼朝の許しを待つが、結局許されず再び京に戻ることになる
腰越駅そばの小動交差点でR134と交差、突き当りは海 慢性的に渋滞しているR134
様々なラッピング電車を走らせる江ノ電、藤沢から鎌倉まで15駅、距離10kmを走る、単線ながら湘南を走る電車として人気が高い
無人の「鎌倉高校前駅」、目の前が湘南の海、のどかな風景が広がる
左奥は江ノ島
TVアニメ「スラムダンク」の舞台になった鎌倉高校前側の踏切、台湾で放映後にブレークしてこの地を訪れる観光客が多く、この日も多くの台湾から来た若者がカメラを構えていた
湘南の海
天気が良かったので由比ガ浜で下車、砂浜を歩いてから八幡宮へ
由比ガ浜から暫く歩くと一の鳥居、奥に鶴岡八幡宮が小さく見える 一の鳥居から徒歩15分ほど歩くと鎌倉駅近くにある二の鳥居
二の鳥居から三の鳥居まで続く若宮大路、1182年に北条政子が造ったと言われる「段葛」は現在、崩壊の危険がある為改修工事中、
三の鳥居を過ぎると参拝客で参道が埋め尽くされている
参道はロープ規制が数度あり、待つこと1時間で参拝する事が出来た
今年が良い年であります様に。
建長寺
臨済宗建長寺派の総本山、鎌倉五山の一位、建長5年(1253)鎌倉幕府第五代執権北条時頼が建立した我が国最古の禅寺です。
境内は広大だが、想像に反して色づいた木々が少ない
午後3時を過ぎると陽が西に傾きだし人影も長くなる
唐門 唐門前にて
鶴岡八幡宮
源頼朝が鎌倉幕府を開く、100年前の康平6年(1063)に源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡を鎌倉に勧請したのが始まりと言われます。
巨福路坂切通を過ぎると左手に広大な敷地を持つ鶴岡八幡宮です。
いつもは若宮大路から入っていたが、この日は底手にある階段を登り本殿へ 神主さんと出会う
大分にある宇佐神宮を遥拝する場所(宇佐神宮は奈良時代に八幡大菩薩の称号をもち全国の神宮の鎮護神として勧請されると共に武家の尊崇を受けた)
大銀杏
樹齢1000年とも言われた八幡宮のシンボルであった大銀杏、今から3年前に強風によって倒木、その後、根元から高さ4mまでが7m離れた場所に移植された、なお関係者の努力の結果で倒れた場所から新芽が生えて少しづつ成長していた。
倒れた大銀杏の跡地、新芽が伸びている 舞殿
階段下の休憩所前にある池に映る紅葉
長寿禅寺
建武3年(1336)、室町幕府初代征夷大将軍であった足利尊氏邸宅跡に創建された臨済宗建長寺派塔頭寺院です、永く非公開とされていたが、現在は季節・曜日限定で拝観日が決められていて、偶然この日は公開の日でした。
北鎌倉から巨福呂坂切通に向かう途中、亀ヶ谷坂切通の脇にあります、この道は今まで何十回と通ったが、中に入れたのは今回が初めて。
多くの寺院にある拝観料を徴収する窓口は無く、山門をくぐる際に僧侶が拝観料を徴収していた
寺院内に入ると拝観のルートが決められており、本堂で本尊の釈迦如来を拝んだ後に、方丈から庭園を鑑賞、それから外に出て庭園を一周します
方丈から庭園を鑑賞
観音堂
観音堂脇にある水たまりに紅葉が映されていた
足利尊氏公墓所
墓所は境内裏手にありました