枯れてゆく ( 矢沢宰の詩 )

2014-05-25 | 日記

葉っぱが黄色くなってしまったけど、まだ飾っている。理由はないが、捨てる理由もないから窓辺において置く日曜日の部屋である。小さな花はすでにドライになっているけど、花はそれなりに鈴蘭の花である。そして今朝、隣の奥さんから花をもらった。バイカウツギ ( 梅花空木 ) の花と言う。五月の青い空の下、干している白いシャツのような清潔感のある花で、香りがいい。ここに枯れた花の写真を掲載して、新鮮な花のことを思うことは、これは一個のロマンティシズムである。

 

  

       五月が去るとて

       何を悲しむ。

   

       たとえ伏す身といえど

       熱き血潮をたぎらせて

       生きると決したのは

       この五月の時では

       なかったのか。

 

       五月が去るとて

       何を悲しむ。

 

       この胸に

       真白きバラを

       押しつけて

       進もうと誓いしは

       この五月の時では

       なかったのか。

 

       五月が去るとて

       何を悲しむ。

  

       ああ だがこの若き十六歳を 

       むかえての

       五月が再びまいらぬと思えば

       我胸は涙でむせぶ。

 

これは、矢沢宰詩集 『 光る砂漠 』 の中の 「 五月が去るとて 」 という16歳の時の詩である。この六年後に病気再発で彼は亡くなった。来月、見附市図書館で詩人・八木忠栄氏が講師になられて 「 矢沢宰の詩を読む 」 という講座が1日 ( 日 ) 、14日 ( 土 ) 、29日 ( 日 ) に開催される、という。今年は矢沢宰の生誕70年の記念の年でもあるので、こういう機会にこの地域の僕たちがもっともっと “ 遺産 ” を食べて栄養をつけてもいいと思う。