風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

還暦ロックな夜

2007-09-18 01:36:04 | コラムなこむら返し
Ari_60_5 二日目(16日)は、アリの還暦祝いバースディ・ライブだ。言い出しっぺは本人で(笑)、会場もアリにとっては近所のよしみの国立「地球屋」だ。このところボクはケンゴの新しいユニット(これが滅法いい!「ひかりまつり」「911BE-in」で目撃)は聞いているが、アリ、ケンゴ、ヤスの「YARZ」フルメンバーとして揃い踏みして聞くのは全くの久方ぶりで、本人たちがそう言っているんだから確かだろう。
 還暦ライブにひっかけて一番「YARZ」でライブをやりたかったのかアリ自身で、実はボクは前日のYUCOの小品展で60歳を前にしたアリの決意のようなものを聞いたばかりだった。
 「或る」ギャラリーのオーナーが問うた。
 「アリさんって、すごく器用で色んなことをやってるけど、自分ではなにが一番やりたいことなの?」
 アリは答えた。「音楽だね。音楽しかないよ」
 これを、還暦を前にして言える男の言葉としては立派だと思う。アリはあらためて60歳からの出発として、音楽を選んだのである。このひと言で、ボクは翌日に読むポエトリーが決まった。
 それが、ボクがYUCOにつづいてソロでリィディングした「俺は詩(うた)う!」である。ボクなりにアリの還暦の決意を褒めたたえ、励ます意味でのポエトリーであった。

 アリたちYARZが歌い出した時、会場から「イェーイ!還暦ロック!」という掛け声があがった。これは「監獄ロック」のもじりとして本人が言ったかどうかは別にして、言い得て妙であった。
 そう、この日は、「還暦ロック」がはじけ「地球屋」をゆるがした。世界ハーモニカ(ブルースハープ)大会で優勝したこともあるユーシンが飛び入りし、長いお勤めを終えた伊藤耕が客席から乱入した!
 それは、「YARZ」が得意の持ち歌とした「ひとつに溶けて」の時で、伊藤耕は即興で歌いだしたのだが味があって良かった。その詞は高い塀の中に幽閉された監獄ロックで、還暦ロックと響きあったのだ。歌はいいなぁ、歌うことはいいなぁとボクも興奮しながら踊っていた。
 この日、感激したのは赤いものは着ないと言っていたアリが、ボクがプレゼントした赤いTシャツに着替えて終始、その衣裳で還暦ロックしていたことだ。超特大のハート型のバースディ・ケーキのロウソクを吹き消す時もアリは幸せそうだし、いや、還暦にしてYUCOのスウィートな愛の詩をプレゼントしてもらうアリはセカンドライフとかいうつまらない言葉を吹き飛ばすくらい青春のロックな生き方を見せつけたもんだ。
 おめでとう! アリ、そしてYUCO。これからも「YARZ」は聞き続けるつもりだ。いつまでも、インディーズのクラプトン(って、ボクが名付けたのだったが)にとどまることなく若いロッカーのカガミになってください。



「風のまま」/渡った橋は還れない

2007-09-17 19:15:42 | アート・文化
Yuco_exb_2 田端優子と有田武生つまりYUCOとアリのカップルにからんで二日間を楽しく遊んで過ごした。

 第1日めは田端優子小品展「風のまま」(西国分寺「或る」ギャラリー)。優子のこころ優しい最新作??テラコッタ作品、彩色彫像、平面作品の展示なのだが、まるで住宅街の中のセンスのいいお宅の書斎が会場なのだ。「或る」ギャラリーというネーミングからしてその素っ気無い自負心を表わしているが、どうやらオーナーは詩作もし、写真も撮るひとであるらしい。
 そのギャラリーに至るための中央線を跨ぎ越す陸橋には名前がないのか「小さな橋」と呼ばれているらしい(そう「案内地図」に書いてあった)。

 「不思議な橋が/この街にある/渡ったひとは/還れない」

 オープニングに一番あとから行って、結局最後まで居座ってしまったボクは、なんだか、飲むほどにオーナーと気が合ってしまい、酒はどんどん出てきてもう少しで、本当に「小さな橋」を渡ったまま還れなくなるところだった。ちなみにこの日は一滴も酒を飲んでいないアリに途中まで車で送ってもらい、渡った橋からは戻ってこなかった。

 優子の作品は、彫刻作品が具象で、今回見た彩色作品は漆に彩色したものなのだろうか、フォルムは違うのだが、ギリシャ的なものを感じた。そう、アルカイックという意味での……。テラコッタのあどけない少女の表情など愛おしくなってしまう(写真)。

 むしろ、平面作品の方が抽象的だ。だが、その作品からは童画のようなポエジーがただよってくる。色彩とフォルムから音楽が聞こえてくると言ってもいいかもしれない。でも、その音楽(ムジーカ)はアリが奏でるようなブルースやロックではないような気がするが……(笑)。


シュヴァンクマイエルの「不思議部屋」

2007-09-15 01:40:11 | アート・文化
Alice_wonderland 感想も書けないまま会期も終わってしまったのだが、9日表参道のラフォーレ原宿へ「ヤン&エヴァ・シュヴァンクマイエル展」(8月25日~9月12日)へ行った。会期も終わる寸前で、おシャレな町原宿に負けないおシャレなファッションで決めた若い男女をメインに列をつくっての入場だった。しかし、ファッションとは無縁に思えるシュヴァンクマイエルを「ラフォーレミュージアム原宿」が取り上げたことにも軽い驚きを覚える。というか、映像ではよく知ったつもりだったシュヴァンクマイエルの作品自体が原宿で見るには、目眩を覚えるような呪物的な作品だった。

 アルチンボルドのだまし絵風の手法を踏襲したり、触覚にこだわった皮膚感覚のさざ波をたてるような作品だったり、どこにも存在しえない呪物的な生物の博物学的骨格見本だったりと、これはシュールレアリズムなのではないのか?と、自分の口から漏れいでそうになるほど久方ぶりに見るシュールな表現だったのだ。

 シュヴァンクマイエルの名は、おそらくチェコ人形アニメの系譜で知ったひとが多いだろう。ボクとて、いま「アリス」をテーマにした作品群の中で、一番好きなのがシュヴァンクマイエルの『ALICE』である。シュヴァンクマイエルはいわば悪夢、夢魔の作家だと思っていたが、それもあながち間違いではないだろう。アニメートとは「生命を与える」といった意味だが、シュヴァンクマイエルの映像作品はしばしば生命どころか死へ至る。だから、映像作品も呪物的に見えてしまうのだが、それはシュヴァンクマイエル夫妻の性癖でもあるようだ。グロテスクなほど生命を得た粘土は、ふたたび溶け合って崩れ落ち、粘土へ帰って行ってしまう。それは人形アニメの「異化作用」とでも名付けたいほどのものだ(「不思議の国」と「鏡の国」のアリス絵本も創作出版されている)。

 なぜ、粘土であり人形だったのだろう? それが、今回のシュヴァンクマイエル展で少し感じられたような気がする。粘土である理由は、きっとこねまわす時の「触覚」なのかもしれない。線描が、しばしば何を描くかよりも線そのものが作家を遠い予期せぬ場所へつれてゆくように、粘土もこね回すその手の平の感覚が、どこかへつれてゆくのかもしれないと、思う。手の感触や触覚などなんともデジタル化しがたい感覚だと思うが、嗅覚同様きっとかっては生存にまでかかわってきた感覚であったろう。

 そして、ボクを歓ばせたものは会場に設営されたチェコ人形劇の舞台であった。それこそが、東ヨーロッパでこの国がもつ特異な文化を代表するものだった。アニメーションの世界では、人間さえもが人形にされて動かされてしまう。それはなんと言えばよいのか? 「木偶(でく)」か?
 イーデッシュ語やカフカや、塵が集まってできた怪物ゴーレムを生んだ文化。そうそう、最近ボクはシュヴァンクマイエルの作品もその系譜に入れられるかも知れないある概念を発見した。「ヴンダーカンマー」というドイツ語で、それは直訳すると「不思議な部屋」と言う。これは、ヨーロッパ各地の地方美術館に収蔵されている奇妙な、それ自体呪物的なコレクションを指して言う。
 博物学のコレクションに見えるが、学問的な価値はなく、さりとて国立美術館からははみだしてしまう不思議なコレクションのことを言う言葉だ。言い換えると「珍品蒐集室」だ。
 シュヴァンクマイエル夫妻の創造したキマイラ的な存在しない動物たちの骨格標本、博物誌的な展示はそのような「ヴンダーカンマー」な不思議な博物展示を連想させたものである。
(評価:★★★★1/2)



雲が血に染まった日のサプライズ

2007-09-13 14:18:14 | コラムなこむら返し
Sunset_9_12_1 どうやら「繰り言」を呟きたかったのは、ボクだけではなく、この国のリーダーだったはずの安倍首相が昨日(12日)突然の辞任表明をして国会内外に激震が走った。なにしろ、午後1時にTBSTVでテロップが流れた時、当の自民党議員でさえ言葉を失い、だれだか知らないがヘナヘナと椅子に倒れ込む議員さえニュースには映っていた。街には号外が配られ、誰しもが目を丸くした。なにしろ、職を賭すると発言した組閣後の、所信表明演説から二日も経っていないのだ。
 参議院選挙での大敗にも関わらず、政権維持への執着心を見せた安倍晋三氏が、その美しい国ビジョンも、祖父の悲願たる憲法改正への意欲もふりすててこの時期(テロ特措法の期限切れ直前)に、折れ落ちるように辞意表明をすることは無責任のそしりをうけても仕方ないだろう。政治的キャリアの長くはない安倍晋三氏は意外なほどのもろさを持っていたことになる。

 でも、ボクには意外に思えない。街のインタビューの反応にもあったが、安倍氏はお坊ちゃん首相だったのだ。その上、ボクは1年前の政権発足の頃にも書いているが、安倍氏は戦後のそれも「シラケ世代」が生んだ首相だったのである。このような「無責任」な政権の放り投げ方は大いに考えられたのだ。
 組閣するたびに身の内から不祥事があいついだ。安倍氏が光り輝いていたのは官房長官時代で、拉致被害者家族への支援策や、北朝鮮に対するタカ派まがいの断固たる態度といったもので求心力を獲得していた。やたら見栄ばかり切る「荒事」の小泉政権の中では理知的に見えたのだ。
 ところが、首相に就いたとたん、人事的センスのなさや議院運営の手腕がほころびだした。「美しい国」のあたかも理念のひと(であったはず)の率いる安倍政権は国民投票法や教育関連法案などの重要法案で強行採決をくり返し、その有無を言わせぬ強権的な態度、連発する「戦後レジームからの脱却」がすっかり国民、民衆から乖離してしまった。そこに追い討ちをかけたのが、社会保険庁の年金管理のずさんさである。大量の国民の納付データが消え失せていた。さらに、つい最近発覚したのが社会保険庁だけにとどまらない地方の窓口勤務の職員による「年金横領」である。この国はかって東南アジアの社会システムの私物化、ワイロ体質を笑っていたが、その実、内閣の一員である大臣から、地方公務員まで隅々までゆきわたった「横領着服」、「二重計上」の誤魔化し、横取りの横領大国だったのである!

 「他人の払ったものは自分のもの」と懐にいれただけでなく、毎月の給与まで税金からもらい、果ては発覚して自主退職したのはよいが、退職金までもらった不届きものまでいるのだ(大阪市城東社会保険事務所の職員と国民年金業務係長)。公務員大国とはよく言ったものだ、公務員を肥え太らせるために国民は、貧困を強いられ生活保護を断られ飢え死にまで強いられるのだ。

 「シラケ世代」の安倍政権の一年。この国が「美しい国」だと思えたことは一度としてなかった。

(写真:この国の首相が突然の辞意表明をした12日夕刻の空。まるで、血のように真っ赤に筋雲が染まった。それはこの国の人民の血だったのか?)



マージナルな繰り言

2007-09-12 11:37:05 | コラムなこむら返し
 もうお気づきだろうが、このブログはmixiからリンクして外部日記になっている。ほとんどコメントを寄せてくれるのもmixiの仲間である(マイミクと呼ばれている)。mixi内では活発な書き込みもいざ、このような外部ブログになるとコメントはすっかり鳴りをひそめる。総体的にブログは、迷惑トラックバックはあってもコメントが少ない。コメントが集中するのは有名人のそれと相場が決まっている。

 読者の反応がいかなるものか知ることなく、書くと言う営為に身をゆだねるのはプロの「作家」と呼ばれる人たちだ。かれらは、それでもその孤独な営為を延々と続ける。ひとつには生活のためであり、著書の発行部数が収入とともに、世間の反応のよすがとなるのだろう。(近代)小説はその明治の頃の、出発点からスキャンダラスなものだった。スキャンダラスゆえ、世間の耳目を得ることが流行作家、プロの文筆家のはじまりだった。最近、東京都の副知事に就任して、これまたスキャンダラスな作品で世間にデビューした作家である石原慎太郎のサブを勤めることになった猪瀬直樹は、その就任前の近著『作家の誕生』(朝日新書)で、その事情を分かりやすく書いている。

 明治時代に生まれた「雑誌」は、現在のインターネットにおける「掲示板(BBS)」や、MIXIのコミュのようなSNSつまりソーシャル・ネットワーク・サービスとして始まった。いわゆる「投稿誌」である。これをささえたのは、女子だった。腐女子は明治時代から存在したのだ。明治の頃の腐女子は今で言うところの「ライトノベル」に走ったようである。「少女小説」というジャンルはそのような女性読者に支えられて成長した。とはいえ、この国での散文や小説は、日記の体裁や、物語小説の形で女性たちの手によって始まったというのが通説である。二千年以上も前の平安時代に……。

 「絵巻」というこの国独自の表現は、王朝文化なのだろうが、「物語」は民衆の中で渡来宗教の仏教や、土着信仰のなかから自然発生的に生まれたらしい。伝説や民話として……。そしてそれは「風土記」に見られるように土地の精霊(地母神)と結びつき、先住民への慰撫や、招魂と鎮魂、「今昔物語」に見られるような「鬼」といった異界の存在、マージナルな「場」における不思議譚といったものを呼び覚ましてゆく。

 インターネットもマージナル(境界的)な場所ではないか、というのがボクの考えである。まして、それは電子空間というデジタルな空間で成立している。「霊」の立ち入るスキもないような展開なのに、その実ダークな場所もたくさん存在する。ましてや、そのデータはサーバーや、レンタルサーバーやサーバーとして使用されているコンピューターの中に保存され、更新されているのだとしても、目に見えないその電子情報は、見えない「あの世」と、見える「この世」の境界線上にあるような気がしてならない。

 いわゆる「都市伝説」と言われているものも、クチコミはもちろん、ネットで流布されているような気がするが、このような見えない電子空間であればこその説得性があるようなのだ。

 で、なにが言いたかったと言えば、もっとこのブログの記事にもコメントがあってもいいじゃないか。読んだ方は、素通りしないでコメントを残してくださいよ。せめて、それが書くことの励みになるのだから、という繰り言なのである(笑)。

 ああ、けふも書き込みは何もない、溜息。


台風一過の「サマータイム」(2)

2007-09-10 11:16:48 | コラムなこむら返し
Egpp_74_2 さて、天の半分はおとこが支える。輝いていたおんなたちの中で、おとこたちはけなげだった(笑)。
 おとこたちの表現もこれまた同じことをするものが、一人もいなかったと断言できるほど、ユニークかつ個性的だった。女性6名の表現者に対する男性たちもおなじく6名。表現者は、北村幸生、ココナツ、平井敬人(たかひと)、やま、PARAそしてボク、フーゲツのJUNである。

 出演順ではPARAは、自分の会社の作業着を着てポエトリーし、北村幸生のエントリー内容はほぼ昨年9月イエス北村だった頃のネタの再演、でも面白かった。「9月2日はクニングスの日!」とか、「9月10日は苦闘の日」、「ちなみにオレは……」とオチをたたみかけるというもの。あんまり書くとネタバラシになってしまうか。
 ココナツはメロウでトロピカルなオリジナル歌をいつも聞かせてくれているが、この日はコード忘れで2曲ばかりふっとばした。来月にリベンジを!
 初エントリーの平井敬人(たかひと)は、MCのボクにツボイ、ツボイと呼ばれてドツボにはまってしまったにも関わらず、「りんごちゃん」キャラで全然こたえず、高音で歌い切る。しかし、「りんご」という歌は携帯の着ウタ(105円)、りんごちゃんキャラは待ち受け画面にと発想が若者だなあと感心する。トークもトボけていて面白い。
 やまは、もうすっかり円熟してきたワンコードの「曼珠沙華」を披露。ボクは、この曲の詞ができあがってゆく過程を知っている少ないひとりかもしれない。ゆめやさんがまた美しいホーミーを会場からつけていた。
 おとこの6人目は、ボクである。この日、ボクはゲストシンガーのマツイサトコの前にパフォーマンス。なにしろ、この日のテーマである「サマータイム/ガーシュインの子守唄」を読み上げたあとに続けてサトコに「SUMMER-TIME」を歌ってもらうという演出(?)だったのである。
 台風一過の9月7日、アメリカ南部の黒人集落のハーレムが立ち上がっただろうか?

 そして、マツイサトコの歌う「サマータイム」(ジョージ・ガーシュイン作曲/アイラ・ガーシュイン作詞)。切々と歌われる鳥肌がたつような黒っぽい「サマータイム」だった。

(写真は、独自の黒っぽいアレンジで、自分の「サマータイム」を披露したマツイサトコ)




台風一過の「サマータイム」(1)

2007-09-09 03:25:58 | コラムなこむら返し
Egpp_74_1 台風はボクの呪文でイベントに間に合うように見事に通り過ぎていったが(お前は祈祷師か?)、クラウド・コレクターとして見事な夕焼けを観察したのちボクは「水族館」に到着し、すぐさま「おかめ食堂」のサンマ定食を食べる。ここはこの新大久保かいわいで一番古い日本食堂だが(笑)、ネコ好きとドカチンが集合する食堂でもある。昔、高田馬場に早朝、ドカタの手配師がひとを買うように男たちを集めていた。駅の発展(?)にしたがって、手配師の集まる場所は西戸山公園になる。なぜ、そうなのかと言うと高田馬場と新大久保のなかほどに高田馬場労働出張所があるからなのだ。このことは案外知られていないのは、そのような日雇い肉体労働に従事しなくとも、だれもが(とりわけ男どもが)生きていける時代になったせいだろうか?
 その傍に、かって東京グローブ座と言ったシェークスピア劇場があるのも、なにかと因縁のように思えるのはボクばかりだろうか?
 ついでに書いておくと、寺山修司が学生の頃、ネフローゼで入院した社会保険中央病院もその新大久保側に立派に建て替えられて存在する(寺山をテーマとしたこの5月に、そのことはMCで喋った)。

 今回、「E.G.P.P.100」の台風の目は終わってみれば、おんなたちだったことが印象に残る。女性の表現者たちがおとこたちよりも勢いがあり、元気だった。ミュージシャンの今回ゲスト・シンガーだったマツイサトコは、切々と泣かせてくれたし、もうひとりのゲストミュージシャンゆめやえいこはみなを癒してくれた。はたまた、突然あらわれてボクを喜ばしてくれたポエマー松岡宮は、ステージでピョンピョン飛び跳ね、ボクという祈祷師の前で、「水族館でカメをみれば、亀頭を思い出す」とか、あられもない衝撃的な即興フレーズでボクらを沸かしたし(笑)、bambiのスピリッチャル・トークはゆめやさんとシンクロしたし、派遣の品格ふっきーは吉本隆明から読みはじめ、みにぃに至っては、もうこの日のテーマにそってガーシュインの音源を持ってくるし、兄アイラ・ガーシュインの書いた英詩を読み、メチャメチャ女性たちが良かった!

 ボクを含めて12名の表現者で、3時間30分の長時間イベントとなった。これで、ドリンク付き1,500円は、安すぎる(と、主催者は自負する)!
 しかし、この低料金であるからこそ集まってくれるそれぞれが、個性的でユニークな世界をもった表現者で、そのひとたちに開かれたオープンマイクだからこその充実ぶりなのだろう(と、主催者は自負する)。

 女性は先に上げた6名だった。こうして数えてみれば、天の半分はおんなたちのものであるように、その半分はおとこたちのものである。おとこのパフォーマーもちょうど6名だった。なんて、釣り合いとバランスのとれたイベントなのだろう(と、主催者は自負する)!

 明日はおとこたちのことを書こう。
(このレポートは、敬称略です。あしからず)

(写真は、この日の「水族館」の「出演者看板」by フーゲツのJUN)

(つづく)



ジャニスの「サマータイム」を聴きながら

2007-09-07 00:30:40 | コラムなこむら返し
Cheap_thrills ジャズ喫茶「きーよ」には、よく立川や横田基地から黒人のアーミーが遊びに来ていた。ボクは会っていないが、来日中だったアート・ブレーキーなども遊びに来ていたというから、その名前はアメリカにも鳴り響いていたのかもしれない。レコードで聞かせる「ジャズ喫茶」という存在は、特殊日本的なもので、きっと彼らには珍しかったのだろう。

 「きーよ」という名前は、ただちにひとりの少女の名前をボクに呼び起こす。キーヨという少女だ(彼女の事は、「電脳・風月堂」の「MILK_TEA」に触れてある)。キーヨは高校を中退して16歳で、ボクらの前に現れた。彼女は「新宿風月堂」で、ボクと兄弟の契りを結んだユタカの実の妹だった。キーヨは、油絵を描いていたが、その彷徨とともに次第に詩を書き、ボクらの東伏見のコミューンへ手刷りの最新詩集を送付してきた。ボクはキーヨが多用する「あたし」という言葉に目眩を覚えていた。きーよの書く一人称の「あたし」には不良少女のような体制に反抗する少女の、はつらつたるスタンスがあった。

 キーヨはそのやや猫背の姿かたちが、どこかジャニス・ジョプリンを彷佛とさせるところがあった。まったくの同時代、サマー・オブ・ラブ渦中のサンフランシスコで、ビッグ・ブラザーとホールディング・カムパニーは産声をあげた。アンダーグラウンドのシーンでしか活躍していなかったが、「チープ・スリル(CHEAP THRILLS)」で、聞かせたジャニスの歌声は、彼女が白人とは信じられないくらい黒くこのアルバムを聞いたリスナーはたましいを鷲掴みにされてしまった。
 それに、このアルバムのジャケット・デザインをしたロバート・クラムの名前も高くさせるが、クラムもアングラ・ペーパーやマガジンにイラストレーションを提供するアングラ・イラストレーターだった。のちにクラム自身もアルバムを出すほど音楽に造詣が高かった。

 そして、ジャニスはドラッグに溺れて死んだ。ヘッド・レボリューションの先頭を走っていたのだから、当然の成りゆきだったのかもしれない。そして、そのジャニスもまたさびしがりやの女だったらしい。「さびしんぼぅ」という鎖につないだ鉄の玉をひきずっていたのだ。そう「BALL & CHAIN」の歌のように。
 そして、まるでベッシィ・スミスのようにしわがれた潰した声をふり絞って歌うジャニスの歌声は、ブルージィだ。とりわけ「SUMMER-TIME」のジャニスは……。
 「SUMMER-TIME」のリリック(歌詞:ガーシュインの実兄アイラの手による)の反語的な悲しみを、ジャニスほど明確に歌ったシンガーはいなかっただろう。「SUMMER-TIME」は、本当に奇妙な「子守唄(ララバイ)」なのである。



エラの「サマータイム」を聴きながら

2007-09-05 23:56:53 | コラムなこむら返し
Ella_berlin エラの「Summertime」を最初に聞いたのはどこでだったか? どこで聞いたかは覚えていないが(ジャズ喫茶であることは確かだ)、アルバムは覚えている。「マック・ザ・ナイフ/エラ・イン・ベルリン」というライブ実況盤で、有名なアルバムだ。どこで最初に聞いたかは覚えていないが、そのアルバムをボクは持っている。「きーよ」が閉店する時に、もらったのだ。もらった時点ですでにボロボロだったが、それから40年近くの時が経ってジャケットも壊れそうである。だから針音もひどいし、うっすらとカビのようなものも生えている。これは、「きーよ」の思い出の品、メモリアルグッズとして持っている。

 「きーよ」というジャズ喫茶には2期ある。新宿の厚生年金会館前にあった時期と、職安通りから歌舞伎町側に入った時期だ。最初の時代には、白石かずこや堀内誠一が通っている。死んだエディトラル・デザイナーだった堀内なぞ(「anan」のエディトラル・デザイナーとして一世を風靡した)、その集大成的な作品集にわざわざ「きーよ」の店内写真を使ったもんだ。

 「きーよ」第1期の武勇談は直接白石かずこの本にあたって欲しい。『黒い羊の物語』に詳しく書いてある。ちなみに、詩人白石かずこのただならぬ感性はこの半自叙伝のようなエッセイに「黒い羊」と名付けているところにもある。従順な神の子羊は、白い羊毛の群れの中にあってただひとり「黒い」のだ。それは、とりもなおさず白石かずこ自身のことである。
 そして、白石かずこ自身も「ブラック・ソウル」を持っているらしいのだ。一時、黒人が恋人だったという意味だけではない(山田詠美の先輩格?)。彼女は、どれだけ詳しいのかは分からぬが、ジャズにトチ狂ったクチらしい。いや、ジャズ喫茶で不良主婦をしていたらしい(それとももう別れた後だったのか)。

 白石かずこが子持ちの身でジャズ喫茶通いをしだすのは、30歳をすぎてからのことらしく、そう、だれしも希望を捨ててはいけないのだ。
(写真:「きーよ」でもらったボロボロの「エラ・イン・ベルリン」。ボクには宝物です。)

(もしかしたら続く)