マジョルカピンク

水曜どうでしょう。大泉洋。大谷翔平。大好き

聲の形

2018-08-27 18:21:26 | 映画
土曜の夜、見たい番組が無かったのでちょっと気が進まなかったけど「聲の形」を見た。地上波初登場だと思う。この作品については「君の名は。」と同じような時期に公開され大ヒットし話題になっていたので、大まかなことは知っている。内容については当時賛否があり、自分はあらすじを見ただけで「ダメだわ~」と思ってしまった。なのになんとなく引き込まれて見てしまった。
繊細な映画だな、と思った。絵も、脚本も、声優さんの演技も。丹念に作り込まれた力作だと思う。障碍者といじめという難しい題材に挑戦していて意欲的だと感じた。若い人を中心にヒットしある程度評判も良かったので、作品としては成功したのだろうと思う。でも自分的には見る前の予想を超えない、ああやっぱりこういう映画か、と思ってしまった。良い作品だと思うけど、自分は好きじゃないという感想です。

自分がいじめられっ子のマインドがあるからかな。公開時、いじめをしたことのある人たちは何か赦しを得たような気分になって、感動するんじゃないかと言っていたレビューがありましたが正に正鵠を衝いていると思います。おそらくこの近年日本の学校に通っていて、少なからず人を虐めたり、または虐められたり、もしくはそれを目撃したり、という人はとても多いと思う。
その人たちの記憶の底にあるムズムズした感じ。あの時あんなことをしなければよかった、またはすればよかった、という後悔は澱のように溜まっていくもので、悔やんでも悔やみきれないよね。そして殆どの人はその澱を抱えたまま生きていくと思うし、それが人生だよなとも思う。
ところがこの作品ではこの心に重荷を抱えた主人公に贖罪の機会が与えられ、あろうことか虐めた相手から何年も経ってからあらためて好意を寄せられるのだ。
これは誰かを虐めた経験がある人にはカタルシスが得られる話だろう。
絶賛する人はこれはいじめや障碍がテーマの話ではない、コミュニケーションの話なのだという。まあそう言うのもわからなくはないけど、それなら虐めや障碍は扱わなければいいのになと思ってしまう。

ちょっと古い上にクドい話になりますが、李香蘭が大戦中に日本の映画に出演し長谷川和夫に顔を打たれ、その男のことを好きになる中国娘を演じました。当時日本ではこの映画は好意的に受け取られたそうですが、中国の人たちは大変怒り悲しんだとのことです。李香蘭は満州国で活躍した中国人を装った日本人の女優です。でも当時ファンの人たちはみんな李香蘭は中国人だと思っていました。占領下で日本人の男に頬を打たれ、相手を好きになってしまう中国人女性を大スター李香蘭が演じたことを、中国の人たちは物語に関係なく国辱に感じ、嘆いたのです。
ちょっと大げさかもしれませんが、今回の作品に似たようなものを感じてしまいました。
恋愛や友情を盛り上げる道具に、主人公の成長を描くために、安易にいじめや障碍を利用してませんか?ということ。この作品実際にいじめを受けたことがある人や障碍を持っている人、または身近にそのような人がいる方には評判が良くなかったはずです。
まあ最近の若い人向けの作品にはそういう、いわゆる感動ポルノ的な?安易に難病や不治の病なんかを扱った作品も多いのでこの作品だけをどうこういうのはフェアではないかもしれません。でもいい作品だけにもったいないと思ってしまったのです。

短い上映時間の中で登場人物の人物像を深く掘り下げることは難しいと思うし、アニメなのでそこまでのリアリティは必要ないのかなとも思いますが、登場人物もステレオタイプというか浅いです。小学生の時とはいえこんな虐めをした主人公が、このようなセンシティブな高校生になるでしょうか?またヒロインですが、すみません典型的なアニメのヒロインですね。可愛いくて天使のような心の持ち主です。ヒロインが可愛くなかったら物語にすらなりません。人間所詮顔かよ、となりますわな。障碍ある人を聖なるもの、のような存在で描くのもうやめません?とてもキツい言い方ですがヒロインに人間味が無いのがとても残念なんです。
障碍があるヒロインを杉野?という人がボコボコにするシーンも見ていられませんでした。警察に通報しないさいよ((´∀`))は置いといて、暴力でしか人とコミュニケーションをとれないなら、その人の方がよほど難があるぞ。

あ、ここまで書いてきてわかった。この作品、虐めだけでも大変な社会問題なのに、そこに障碍まで持ってくるという欲張りセットを、みんな辛いんだからわかり合って仲良く、などとご都合主義で片付けようとしているから胸糞なんだ。
個人的に、小学生にもなって障碍ある人を虐めるような人間が改心できるとはあまり思えない。
生まれ育った環境の中でそれが学べなかったのならかなり欠陥のある人だとマジで思う。
それにクラスメートイコール友達じゃない。
同じ世代の同じような地域に住んでいるというだけ。たまたま同じ教室に詰め込まれただけだ。
だから価値観が違ったり色んな人がいて当たり前。なので無理に仲良くする必要もないのである。感性が合わないの。むしろコミュニケーションをとらず、離れて暮らしなよ。違う政界の住人なんだよ。虐めた人はゆめゆめ赦されたい、などと思わないでほしいんだよなあ。いじめられた側にもずっと許さず恨み続ける自由ぐらい与えてあげてほしい。人を虐めていい理由なんてこの世には無く、虐められた人は事故に遭遇したようなもの。その被害に対する補償もなく、今度は自分が良心の呵責に耐えられないから赦せという。加害者はどんだけ被害者に甘えているのかな。この作品の中で硝子という人は菩薩のように慈愛に満ちているけど、人間として描かれていなくて可哀想だと思う。


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