マジョルカピンク

水曜どうでしょう。大泉洋。大谷翔平。大好き

続・三丁目

2007-12-09 18:37:36 | 映画
街はクリスマスムード。歳末のバーゲンなどもはじまっていて賑やかでした。
札駅あたりをぶらぶらしていたのですが欲しかったアロマオイルが格安になっていた以外は特に収穫もなく。
今日は「ALWAYS続・三丁目の夕日」を見てまいりました。
人一倍涙もろいので、劇場で見るのは憚られたのですが、レンタルリリースなんて待ってられないなあと思い、再び3丁目の人たちに会いに行ってきました。
いやー安心して見られるね。話がしっかり繋がっていてまさに続編。あったかくて笑えて泣けて、2時間半弱まったく退屈することなし。30年代の昭和の東京下町へタイムスリップで酔いしれる。本当に有料コンテンツだと思います。
後半なんか泣かせよう泣かせようとしてずるいったら。泣きのツボが襲いまくりまして、それにまんまと嵌るわたし。ボロボロ泣いてかなり恥ずかしかったです。
やっぱりポイントはノスタルジーですね。知らない時代のはずなのに何故か懐かしいという。
ただこの作品はあくまでもファンタジーの中の昭和であって、過ぎ去ればすべて良い思い出になる・・じゃないけど、人間嫌なことは忘れるようにできていますから。こんなに無邪気で元気な可愛い子供たちばかりでもなかっただろうし、隣近所みんな仲良しみたいだけど、プライバシーもなく私生活が筒抜けで煩わしいところもあった筈だし。貧しく不衛生で日々の暮らしも大変だったはず。でもなんとなく昔が輝いて思えるのは希望に満ちた時代だったからだったと思います。どんどん街並みが変わって人々の暮らしが豊かになって、昨日より今日、今日より明日、と未来がバラ色に見えた時代だったんじゃないかな。今の時代は全然そうじゃなく。コミュニケーションも希薄だし個人的にも国としても将来に不安があって。だからやっぱりあの頃は良かったなあ・・って感じになるんじゃないかしら。ですので、この作品じたいはすごく良いし、ヒットする理由もわかるし、これで良いと思うのですが時代のムードが少し後ろ向きなのかなって気がして寂しいかな。

役者の人柄

2007-12-09 00:18:06 | 大泉洋・CUE
安田さん誕生日おめでとうございます。
最近の活躍には目を瞠るばかりです。時代劇からストーカー、そして来春の朝ドラでは元ヤンの役と幅広く個性を発揮しておりますね。安田さんは今後映画やドラマに欠かせないユニークな個性派俳優として大成するんじゃないかと思っております。演技も素晴らしいのですが、バラエティでは神様が降りてきますので、両方の仕事をバランスをとりながら続けてほしいなと思いますね。

安田さんの誕生日なんだけど大泉さんのこと書いちゃう。
公式のコラムですっごく良いこと書いてあったので抜粋させてください。
>最近思うんですよ。
>世の中には色んな表現者が居ますねぇ。役者や歌手や画家や書道家やスポーツ選手や。
>なんとなく最近思うんだけど、表現者って二つのタイプがあるような気がしてね、一つはその人の表現からその人個人を何となく感じる人と、もう一つはどんな人かいまいち感じてこない人。
>これはどっちが良いとかって問題じゃないと思う。ただ僕に関して言うとその人が滲み出てる人を観た時の方が安心出来る。そういう人が『好き』なんだなぁと思うようになったの。
>特に役者なんて自分を感じさせるのが良いなんてとんでも無い!っていう意見は多いと思うわねぇ。でもそれはもらった役を自分のまんまで演じてるっていう事とも違う気がするんだよねぇ。
>人様の前で自分を曝すってかなり恥ずかしい事ですよね。でもそれをかいま見させてくれるから安心する訳ですよね。目の前に居る人がこういう人なんだなって思えると安心する。
>普段の生活でもこの人はどんな人か分からないなぁって人とは話してても緊張してきます。
用はどれだけ構えずに人前に立ってるかって気がしてね。
>それはなんか天性のようなものって気がするんだよな。
>凄い人気や凄い実力を持ってる人でも、またそうなればなるほど世間に対してこう観せたい、こう観られたいっていう、自分とは違う自分を演じてなきゃならないでしょう。または人から言われたキャラクターやらされてたりしてもそうだわね。
その作られたキャラクターがどんなに優れていて面白くても安心できる感覚は得られないんだなぁと思うのね。これあくまで僕は。
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BEGINさんのライブに行って感動して、沖縄料理が食べたくなったのにどこも店が開いておらず最後はインド料理を食べるハメになった・・という不定期連載「生涯の食事」の中での話ですけどね。この大泉さんの考えに私はまったく賛成、というか同意見。アーティストって生み出す作品が重要なのはいうまでもありませんけど、アーティスト本人がどういう人間なのかということにも大いに興味があります。本人の人柄がどうなのか。どういう人間なのかっていうのは大いに気になることだし、それも作品の一部ではないかとも思います。
役者さんの場合、上手いと言われている方たちの演技論などを拝聴すると、中には自分というものは一切捨てて、とにかく監督さんや演出家の要求どおりにできるのがいい演技者なんだという説をとなえる方もいます。へーそうなんだ・・と思う反面、そうかな?とも思ったり。大泉さんの場合仲間たちと話し合いつつ一から舞台を作り上げていく、というやり方でお芝居を作り上げてきた人だし、ドラバラやどうでしょうなんかもそういう面がありますしね。余計にそう感じるんじゃないかしら。そう思いつつ、ガチガチのワンマンな鬼演出家にすっごく絞られる大泉さんなんかも見てみたい気もしますね。
先週だったかな?ananの連載「オトコのミカタ」で松久さんに仕事のオファーを受ける決め手は何か、と聞かれ、映画や舞台なら脚本を読んで決める手もあるけど連ドラの場合はオファーの時点で脚本が出来てないことが多いので、製作者サイドの「熱」で決める、と言っていました。ぜひ!この役をやっていただきたい!とか大泉さんじゃなきゃダメなんです!とか。「ハケンの品格」はそれが強くて、舞台(HONOR)が控えてたから不安だったけど、スケジュールもなんとか都合をつけますのでといわれやる気になったと。なるほどね。良い作品になるはずだ。
逆にこれは自分じゃなくてもいいのかな、というのはオファーがくる時期でわかってしまうとか。こんなギリギリの時期に話が?とか思うと、色んな人に断られて自分は4番手5番手なのかも・・と思うらしいです。それはそれでなにくそ!とやる気が出るでしょうけど。それって暴ママのことか?と私なんか勘繰ってしまいましたね。
役者としての自分のスタンスを真面目に語ることが少ないので、この2つの話は非常に興味深かったです。