『剱岳――線の記』高橋大輔(朝日新聞出版)
新田次郎の『剱岳――点の記』を読んだ人なら、結末に出てくる測量隊が剱岳登頂を果たした歓喜が一瞬にして失せてしまった、錆びた鉄剣と錫杖頭の発見を覚えているだろう。このときに誰しもが思った疑問、では最初に登ったのはいつであり、そして誰なのだろうか。その疑問への解答にかなり肉薄(?)しているのがこの本であり、登山の魅力や謎を解明していくわくわく感に満ちている。
著者の高橋大輔氏はそれを探るために自ら剱岳に登り、文献を渉猟、手掛かりを得るためにキーマンを見つけては会いにいくという謎解明への執念を燃やし続けた。
しかし期待感いっぱいに読み始めてがっかりさせられるのは、著者はあのカニの縦ばい、カニの横ばいで有名な別山ルートをいきなり2回も登って、無駄足を踏んでいることだ。山のぼら―なら、ただの登山じゃないかと思うはず。下調べがおざなりであるとしか思えない。山頂の遺跡を調べるなら、もっと時間をかけてもいいのにその日のうちに秋田の家に帰るというのも解せない。調査に十分な時間をかけ、また山小屋に泊まればいいではないか。
また著者は剱岳への登頂ルートは4つあるとするが、柴崎芳太郎測量隊が登った雪渓の長次郎ルートや北部稜線ルート(通行が最も困難なバリエーションルート)は最初から度外視している。当時の装備では不可能の一言で切り捨てているが、実際に登ってみることはしていない。
とはいえ、本の最後のほうで展開する謎解きは、推理小説の種明かしのような興奮を覚える。地名からの推理はこの本の核心部分であり、非常に興味深いし、解釈はなるほどと思う。たとえば、立山を「たちやま」と読むこと。「たち」といえば、「太刀」を思い浮かべるし、「太刀」といえば「剱」に通ずる。また初登頂のカギを握るとする地名、ハゲマンザイの由来の推測も面白い。でも残念ながらエビデンスが圧倒的に足りないと私は感じる。
これからこの本に触発された人がいろいろと調べるだろうから、エビデンスが出てくる、あるいは反証が出てくるだろうから、それを待ちたい。著者自身がさらに調べて続編を書いてくれてもいいのだが、、、皆さんはどう感じるか、読んで確かめてほしい。