目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

草津山下り~渋峠から芳ヶ平・湯釜

2011-10-30 | 山行~上州

001pa251232 渋峠 標高 2172m 群馬県

2002年10月25日(金) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:25バス停 白根火山10:36--湯釜(往復15分くらい)--バス停 白根火山10:50--(バス)--11:15渋峠(昼食)11:50--13:07芳ヶ平ヒュッテ13:15--14:08バス停 白根火山

山の神が計画した壮大な山下り。草津バスターミナルで白根火山行きに乗り、終点で降りて、まずは観光客に混じって湯釜散歩。往復して戻ったら、渋峠へバスで移動し、そこから芳ヶ平に下り、また起点である白根火山バス停に戻るというコースだ。先日このコースはNHKのEテレ「山ガール」で採り上げられていた。芳ヶ平ヒュッテが山小屋らしからぬペンションのような食事と部屋で、山小屋デビューには最適として紹介されていた。端的にいえば、山小屋ではないということだな。

さて本題の山行記録に入ろう。前泊は草津。草津よいとこ一度はおいで♪ のとおり、一生に一度は行かなければならない、極上の湯。ゆったりとお湯に浸かり、湯上りには湯畑を散歩したりして、まったりと過ごした一夜であった。

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左:もうもうと湯気がたちのぼる湯畑 右:草津バスターミナル

宿から草津バスターミナルへ行き、9:55発の白根火山行きに乗る。終点の白根火山には10:25到着。平日にもかかわらず、観光客は多く、続々とお土産さんへ吸い込まれていく。山の神と私は、湯釜へまっしぐら。観光客の列に混じって、ガレ場を登っていく。

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白濁した湯釜の水

湯釜の横には、観光客用に「草津白根山」と大書された立派な標柱が設置されていた。団体でにぎにぎしているなかを、立入禁止のネットが張られたぎりぎりのところまで行く。温泉のような色だ。

 

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左:渋峠ホテルで食事 右:95/7/7生まれのありし日のインディ(♂)

湯釜からピストンでバス停に戻り、渋峠へ移動する。着いて早々にメシとなる。峠には渋峠ホテルがあり、食堂もある。ここで山の神とともにカレーうどんをすする。この建物の入り口には当時の名物犬インディがいた。階段でノビをしているところで、近づくといたずらっぽい目をこちらに向ける。たいへんな食いしん坊(?)なのか、ザックを開ける音に非常に敏感に反応していた。生きていたら16歳になるのだが、渋峠ホテルのHPを見ていたら、2008年に亡くなり、今は2代目インディが君臨しているようだ。

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登山道から芳ヶ平を見下ろす

11:50渋峠(冒頭の写真)を出発し、山下りが始まる。単独行のおばさんとすれ違ったのみで人は少ない。ゆるやかに下るだまし平を過ぎると、すぐに目の前が開け、芳ヶ平の湿原が広がる。

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池塘が点在している芳ヶ平

急な下りを進んでいくと、登山道は木道になり、一面草もみじとなり、池塘が出てくる。いつもの山行と異なり、あまりに短時間であっけなく目的地に着いてしまい、しかもまったく疲れていないから、何か拍子抜けした感じだ。山の神の計画にのり、ほとんどコースも吟味していなかったせいもあるだろう。

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本白根山を望む

湿原を散策し、芳ヶ平ヒュッテの近くに腰を下ろして、休憩する。13:15湯釜に向けて出発。ふと気づくと、いつのまにか草木が少ない。そのうち「硫化水素ガスに注意」という看板が出てきた。有毒の火山性ガスのせいで植物が少ないのだ。

14:08バス停白根火山の一帯に到着。近くにあった喫茶店に入って、山の神ともども、カフェオレを飲んでくつろいだ。次回は万座温泉側から本白根山かな。

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矢倉岳・金時山

2011-10-29 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

矢倉岳 標高 870m 金時山 1213m 静岡・神奈川県

2001年10月14日(日) 晴れのち曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:18矢倉沢9:25--10:08水道タンク上部10:15--10:58矢倉岳山頂(昼食)12:00--12:40地蔵堂への下山路から登り返す--13:20足柄万葉公園13:25--14:15金時山登山口(ゲート)14:25--14:48猪鼻砦跡14:58--15:25金時茶屋16:05--16:35矢倉沢峠(うぐいす茶屋)16:40--17:00ペンション健康山荘--仙石バス停

ネットを見ていたら、この季節に猛禽類のノスリが矢倉岳の上空を渡っていくとの情報が出ていた。いちど見てみたい。上空を飛翔していく格好いい姿の写真を見た。期待に胸を膨らませて、矢倉岳山行を計画した。

7:30新宿発の小田急サポート3号に乗り込み、まずは新松田へ。ここでバスに乗り換え30分ほどで矢倉沢に着いた。矢倉岳を目指す同好の士はいるもので、同じバスで来たグループはザックを背負って同じ方向へ歩き出す。

上りが始まると車道沿いにはミカン畑があり、うまそうに実っていた。中には落果したものもあり、もったいないなあと視線を這わせるが、恵んでくれる持ち主はそこにはいなかった。水道タンク(今は崩壊している)を越えると、登山道になる。九十九折の道を上り、ひとまず休憩をとる。そこから40分ほどで、あっけなくも矢倉岳の山頂に着いた。 

001pa140822 金時山

山頂からの見晴らしはいい。すすきの穂が風に揺れる秋の装いがまた風雅をもよおしていい。これから登ろうとしている近所の金時山や、箱根の神山が目の前にそびえている。

002pa140827 神山

遠くには雲にほとんど埋没してしまった富士山がちょっぴり頭を出している。山頂には続々とハイカーが登ってきて、お弁当を広げたり、景色を愛でたりと、思い思いの山頂を楽しんでいた。

上空に目を移し、当初の目的のノスリ探しを試みた。あちらこちらと飛行物体を探してみたのだが、そう都合よく、ノスリは現れなかった。首が痛くなりそうで、天井にらみをほどほどにして切り上げた。ノスリが飛んでくるのであれば、やはり三脚を立てたアマチュアカメラマンの方々がいるはずで、いないということはもうノスリの集団はいってしまったのだろう。いずれはぜひ見てみたいものだ。

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左:矢倉岳山頂よりわずかに富士山を見る 右:山頂の標柱。やっと人がいなくなり撮影

12:00下山開始。なんとなく前を歩いている人につられて歩いていくと、いつのまにやら、暗い樹林帯の中を下っていく。あれ、方向が変だよなと気づき、地図を見ると地蔵堂への下山コースだった。このまま行くと足柄峠へ出るためには車道歩きとなってしまう。あきらめてせっせと登り返す。せっかく歩いたのに無駄になるとは、トホホだ。

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左:万葉公園から矢倉岳を振り返る 右:金時山山頂「金時茶屋」

13:20足柄万葉公園に到着。この辺りは車で簡単に上がって来られるからハイカーに加えて観光客も大勢いる。その証拠に道には路駐の車があふれかえっている。来た道を振り返ると、今下ってきた矢倉岳の雄姿が見えた。

足柄峠に着くと、熊にまたがり、まさかり担いだまさに普段のイメージどおりの金太郎がいた。金時山登山という気分を盛り上げてくれる。そこから、御殿場方面の見晴らしがいい猪鼻砦跡での小休止をはさみ、急な上りをガツガツ進んで金時山山頂に到着した。すでに15:25になっている。山頂から芦ノ湖を遠望できるが、残念なことに空には雲がたちこめてきた。

山の神に疲れたねといいながら、山頂の名物茶屋である金時茶屋に自然と足が向かう。なかでは登山者が一服中だった。われわれも一服しようと、米こうじ甘酒(当時で¥300)を頼んでまったりとすごす。茶屋を出たのは16:05になっていて、登山者もさすがにもう2、3人になっていた。

004pa140832 芦ノ湖

山の神は、以前金時山から明神へと縦走したらしいが、今回はそのコースはとらず矢倉沢峠のうぐいす茶屋から下山だ。バス停のある仙石へ向けて下っていくと、途中にペンション健康山荘があり、日帰り湯を提供していた。汗を流して帰ろうと立ち寄る。当時で¥700

仙石からバスに乗る。観光シーズンにはいつも渋滞するこの一本道は、やはり思ったとおり渋滞が始まっていて、小田原に着いたのはなんと19:40頃になってしまった。駅前のすし屋でビール片手に山の神と晩餐。腹がくちくなったところで21:06発のサポート50号新宿行きに乗り込んだ。

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山登りの第1歩、第2歩

2011-10-26 | 山雑記

なぜ山登りを始めたのか。

山登り自体は始めるのは遅く、28歳からだ。きっかけは、屋久島に行って縄文杉を見てしまったこと、これに尽きる。このバカでかい巨大な魔物のような杉を見るために、山の中を這いずり回り、ようやっとその巨躯に手をかけたのだ。

当時はまだ縄文杉は知っているけれど、見に行こうという人は少なかった。何せたどりつくまでのロングウォークを考えると、皆腰が引けたからだ。それにまだ世界自然遺産にも登録されていなかった。だから、今のように大勢が押しかけて環境破壊とまではいたらず、その巨躯に触れることができたギリギリの時期であった。

トロッコ道をバリバリ歩いて、苔むした湿気の多いぬかるみの道を、四輪駆動(両手両足フル活用)で登高していった。若かったせいもあって、それほど時間もかからなかったし、疲れ知らずだった。たまたまその日に泊まった民宿には、山好きの人やヤマケイの編集者が泊まっていて、山の話題で盛り上がっていた。

私を指して、そんなに早く歩けるなら、宮之浦岳の山頂まで行けただろうにとか、もったいぶらずにいよいよ山デビューか!とかおだてられ、私もその気になっていった。さらにこのときの山談義はつづき、北アルプスの野口五郎岳でやたら背の低いおばちゃんたちのパーティがやってくると思ったら、ニホンザルの群れだったという話に腹を抱えて笑ったのを覚えている。楽しくて、なおかつ自然の美しさ、心地よさを自分の力で体験できるなんて、こんな面白いことはないんじゃないかと、この頃思い始めていた。

東京に帰って、しばらくすると、東京でいちばん高い山、雲取山に猛烈に行きたくなった。思い立ったが吉日で、即実行。この山がよかったからだろうか、それから奥多摩通いが始まった。まさに山登りにハマッた瞬間だ。毎週のように早朝車を駆って奥多摩へ行くようになった。そして昼ごろにはアパートに戻って、近所の喫茶店でくつろぐという贅沢な過ごし方が病みつきになる。さらに登山熱は高じて、山岳会に入り、山の神と知り合うことになった。

山の神は屋久島には行ってないというから、次に島を訪れるときには、宮之浦岳登頂計画を携えてだねえ。

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梅棹先生の遺作『山をたのしむ』

2011-10-25 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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他愛のない回想録なのだが、梅棹先生の人柄がにじみ出ている最後の著作。拾い読みしながら、山をたのしむ、先生の言動(大言壮語?)をたのしむといった装いの本だ。

目が不自由になってからは、目だった活動は記憶にないけれども、この本で講演活動をしていたことがわかる。聞き手役が梅棹先生に質問をしていくことで、先生の引き出しを開けていく手法だ。残念なのは、講演を重ねるにつれ、重複が頻々と現れることだ。少年時代の回想をすれば、同じエピソード、同じ内容になるのは自明のことなのだが、この本ではそれをそのまま収録している。ある面、それは避けようがないから目をつぶらざるをえないのだろうか。ほかにも編集者の依頼で、追悼文やら、友人・知人への著作集への前書きを執筆しているのだが、これもまた内容が重複してしまう。これは玉に瑕か。

梅棹先生は、少年時代は京都北山を歩き、長じて北アルプス、南アルプス、そしてヒンズークシ(アフガニスタン)、そして、いつのまにやら垂直志向から水平志向へと変わり、モンゴルやアフリカへと旅立つ。常にフロンティア精神をもち、誰も手をつけていない、足を踏み入れていない、未開の地へ、未開の領域へ、触手をのばしていく。おそるべき行動力だ。

先生が若かりし頃は、よき旧制高校の伝統が生きており、読んでいて感じる自由な雰囲気とおおらかさは、この頃の時代を映している。階層社会の上にでんと腰を落ち着けて、豪放磊落さを発揮しつつも、知性を磨いたようだ。山にのめりこんで2回も落第するなど(その前に2回も飛級しているのでプラマイゼロ)、めちゃくちゃをしているようだが、じつはいっぽうでは大変な努力をして一所懸命な生き方をしている。具体的には本を読んでもらうことにして、先生らしいエピソードをひとつ。

戦前の最後のAACK(京都大学学士山岳会)の会員であった先生は、戦後再開されたAACKとの架け橋役になっていた。後輩がいのいちばんに持ってきた戦後初計画はマッキンリー登山だった。先生は端(はな)から軽蔑し、一喝した。もうだれぞが登った山に行ってどうする。ヒマラヤの未踏峰に行かんでどうすると。フロンティア精神、いちばん志向、これぞ、ニホンの鑑。

この本には探検話や交友録も出てくるが、京都の知の巨人、故今西錦司氏も当然ながら登場する。今西氏はもっとすごかった。ヒマラヤの著名な未踏峰はこの当時10座くらいあって、イギリスやドイツなどがすでにもう制覇しそうな山が8座。日本が目指すべきは、残りの2座といわれていた。そのなかで、登頂のための資料があるような、とっかかりのある山はつまらんから、何もわからんマナスルをターゲットにせえといったとか。

ほかにも京大人脈の面白い話がいくつも収録されている。最近キムタクの南極ドラマが放映されているが、南極越冬隊の隊長、故西堀栄三郎氏も登場してくる。雑誌感覚で、エピソードを拾い読みするにはうってつけの楽しい本だ。

ヤマケイ文庫 山をたのしむ
クリエーター情報なし
山と渓谷社
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巻機山Part2~仙境に遊ぶ

2011-10-24 | 山行~信越

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Part1のつづき

 

 

割引岳で昼食を済ませ12:00に腰を上げる。そこから20分ほどで御機屋(おはたや)に到着した。巨大な文字で「巻機山」と掲げられているが、ここは最高地点ではない。でも、ここまで大々的に「巻機山」と出ていれば、ここが山頂かと思う人も多いはずだ。だからここで終了という気分になり下山してしまう人もいるだろう。騙されてはいかん。

それに巻機山に来たのであれば、牛ヶ岳まで足をのばさねば、もったいない。これぞ百名山という絶景は、御機屋から牛ヶ岳への稜線にこそ待っているのだから。

御機屋から上っていくと、山頂付近には池塘があったり、笹原が広がっていたりと開放的で気持ちがいい。ガスがさあっと抜けて青空が覗くと、もう最高だ!

御機屋から20分ほどで、朝日岳縦走路の分岐に出る。そう書かれた道標があるのだが、本当に縦走する人はいるのだろうか。私ごときでは途中で行き倒れそうだが。どなたか山行記録を見た、読んだという方はいらっしゃるかな?

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左:御機屋(おはたや) 右:池塘が点在する山頂付近

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まさに絵に描いたような景色。でも遠そうだな

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おおらかな山容がこの山域の特徴

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遠くに見えるのは奥利根湖。さらに奥にはうすぼんやりと皇海山、袈裟丸山

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雲で光がさえぎられると、魔界への道のように見える

朝日岳縦走路の分岐に荷物をデポし、牛ヶ岳を往復する。牛ヶ岳山頂には13:00に到着した(冒頭の写真)。

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帰りがけに谷筋を見下ろすと、みごとな紅葉だった。上りはきつかったけど、山頂付近のこの景色に山の神も私も大満足。苦労がむくわれた感じだ。

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避難小屋。下のほうにテント1張り(牛ヶ岳へ向かう時に撮影)

下山路は避難小屋を通ってニセ巻機山(前巻機山)をまわり、井戸尾根を下った。牛ヶ岳へ行ってだいぶ時間をとってしまい、あれだけいた登山者もだいぶ少なくなっていた。疲れた足でも、下りだから、まだ鞭打てば早くなる。最後5合目で休憩をとって、いっきに登山口まで下った。16:40。

帰途、温泉に立ち寄る。とくに調べもせずに六日町温泉に行き、たまたま金誠(きんせい)舘の日帰り湯の看板を目にする。誰も入浴している人はいなくて、貸切状態だった。ゆっくり湯に浸かって疲れをいやした。当時で¥700(今は日帰り湯はやってないのかな)。湯の後はメシ。適当な食堂を見つけられずに、近くの温泉施設、清流館(2009年閉館)で晩飯にありついた。

のんびりしすぎて、帰りは遅くなった。赤城高原SAで仮眠をとると、いつのまにか時刻は1:00をまわっていた。ガラガラの道を移動して都内のファミレスでお茶して、朝帰り。3連休の3日目朝3:30頃のご帰還とあいなった。

Part1に戻る

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