目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

もの足りない?!『田中陽希日記』

2023-02-11 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『日本3百名山ひと筆書き 田中陽希日記』田中陽希(平凡社)

ちょっと前にどんな本なのかと興味津々で、書店で手にとってパラパラとめくり、あららと思って平台に戻した。買うまでの本ではないと判断して地元の図書館で借りることにしたのだ。

なにが気に入らなかったかといえば、まず写真だ。写真はほぼ全点に近いくらい陽希さんのスナップ写真であり、NHKBSの「グレートトラバース」の番組を本に置き換えたようなものだ。

そして「日記」としている割には文章量が少なく端折りすぎ。写真を減らして、もっと日記を掲載すればいいのにと感じた。300名山を歩いているのに、各山の情報が少ないのもいただけない。率直にいって山やさん向けの本にはなっていない。

しかし、実際に図書館で借りてきて読んでみたところ、有益なことはあった。テレビではほとんどとりあげていなかった300名山以外の山歩きについても書いていたこと。なかでも裏岩手連峰の縦走はしびれた。相当マイナーではあるけれども、畚岳(もっこだけ)、諸桧岳(もろびだけ)、嶮岨森(けんそもり)、大深岳(おおふかだけ)、三ツ石山と登場。湿原や池塘、草原と緑のなだらかな傾斜地に森が続く気持ちのいい場所だ。三ツ石山は、山の神と行く予定だったが、雨で断念したことを思い出した。いつか陽希さんの真似をして縦走してみたいものだ。

参考:当ブログ岩手山麓三ツ石湿原へ

 
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楽しげな『フォンターネ 山小屋の生活』

2022-10-05 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『フォンターネ 山小屋の生活』パオロ・コニェッティ 関口英子訳 新潮クレストブックス
 
書店でみかけて図書館で借りてみた本。200頁足らずでさくっと読めるのがいい。著者はイタリアの作家で、まったくなじみがないけれども、ベストセラー作家であると訳者あとがきに記されている。創作に行き詰まり、山にこもって自分をみつめなおそうとし、その間のことをつらつらと綴ったのがこの本だ。
 
この手の本でまずだれもが思い浮かべるのが、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活(WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS)』(原著1854年)だが、御多分に漏れずこの著者コニェッティも読んでいる。これを読んでしまった人は、山暮らしに相当いいイメージをもつのではないか。それにジョン・クラカワーの『荒野へ』という、いかにもという本も読んでいる。『荒野へ』はある若者がたった一人で山に入り、自給自足を試みた挙句、餓死(?)したらしい事故を追ったルポだ。
 
そんな本を読んでいるのだから、自分を変えよう、生き方を変えようという意気込みが見えてくる。でも悲しいかな、ミラノ出身の都会人である著者は、山の生活になじむのにたいへんな苦労をする。山の夜は真の闇であるし、夜行性の多様な動物が徘徊する。なかには山小屋の周りをゴソゴソと歩き奇声を発するやからもいて、それが気になりだすともう、だめだ。一睡もできず朝までまどろんだエピソードが出てくる。
 
また著者はこんな本も愛読している。私はまったく知らなかったが、フランスの地理学者であり、無政府主義者のエリゼ・ルクリュの『ある山の歴史The history of a mountain)』という本だ。著者コニェッティは、この無謀の権化のような地理学者の影響を相当受けているようで、山で遭難しかけたのもこの人の思想のせいではないかと勘繰ってしまう。山で道に迷ったら、来た道を戻るのが鉄則だが、コニェッティは違った。天の配剤とばかりに目の前に現れたアイベックスの後について獣道を進み尾根に出る。ラッキーと快哉を叫んだのだろうが、直後行き止まりの断崖絶壁に出くわす。なんと懲りずにこれを繰り返すのだ。最後は辛くも尾根から目的地の村を発見して事なきをえたと記しているが、なんともはや無謀な行動に驚く。
 
とはいえ月日を重ねれば、コニェッティも森の生活にも慣れ、仲間や愛犬ラッキーとの楽しい生活を送ることになる。そんな顛末を読めば、春夏秋冬と季節が一巡するくらいは山にこもってもいいかもしれないと思ったりする自分がいた。
 
 
 
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疾走するアラカンの「ぶらっとヒマラヤ」

2021-09-26 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『ぶらっとヒマラヤ』藤原章生(毎日新聞出版)

週刊誌の書評でこの本の存在を知った。著者は毎日新聞の記者。勤務地が長野であった時にはシリーズの山岳記事を書き、その後海外特派員として南アフリカ、メキシコ、イタリアに赴いているが、その土地土地で現地に根差した情報を集め記事を書いた。帰国後は夕刊の特集面を希望して担当するなど、根っからの自由人であり、足で稼ぐをモットーとするような猪突猛進タイプの傑物だ。

タイトルにあるようにヒマラヤ(ダウラギリ)に誘われて、ぶらっと行ってしまうバイタリティと思い切りの良さをもっている。ただ安易に行ってしまっているわけではなく、周到な準備をしているのがすごい。高所での自らの体のコンディションを調べるために、三浦雄一郎氏の活動拠点、ミウラ・ドルフィンズを訪れ、低酸素室に入って睡眠中のリスクが高いことを知る。恐れ入ったことに、さっそくそれを改善するために鼻の手術をしている。

いざ出発すると、身に起こったことを面白おかしく、また適格な比喩で表現している。ダウラギリ登山は、シェルパがコースを設定し、ロープを張り、ラッセルもし、キャンプ地を設営、ごはんを作ってくれるコックもいて至れり尽くせりで登れる、まさに「名門幼稚園の遠足」であると表現する。ツアーに参加すれば、ほとんどこれだ。

ただし、そうであってもひょうが降ったり、雪崩が起きたり、落石があったりとリスクは高い。それを教養の高い記者だからこそだが、ホッブズの『リヴァイアサン』の言葉を引いて、このリスクへの感情をこうまとめる。

「嫌悪が恐怖の原因ではあるが、嫌悪だけでは恐怖は生まれない。自分が害を受けると思ったときに恐怖となる。逆に嫌悪などは払いのけられると思えるのが勇気だ」

著者は20歳のときに山三昧で3度も滑落を経験している。普通は100メートルも落ちたら助からないものだが、運よく藪に突っ込んで止まること2回。沢で落ちそうになったときにザックが木の枝に引っ掛かり助かった話も出てくる。すごい体験だ。ここまで命にかかわる事故を経験していると、ものの見方が変わるようだ。このブログでもとり上げたジミー・チンさんへのインタビューでこんなくだりに賛同を示している。

「ほとんどの人は普段、死を考えないからね。死は誰にでもやってくる避けられない経験。その死について健全(healthy)な見方をするのは、とても役に立つし、その後の自分の人生での決断を左右することにもなる」

この本は、人生哲学もふんだんに散りばめられており、こんな生き方、考え方もあるのかと驚かされる。

参考:当ブログ
ヒマラヤの未踏峰に挑むドキュメンタリー映画『MERU(メルー)』
アカデミー賞受賞作『フリーソロ』を観る

 

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あっけにとられる陳腐な結論「北極探検隊の謎を追って」

2021-09-05 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『北極探検隊の謎を追って』ベア・ウースマ著/ヘレンハルメ美穂訳(青土社)

久々にひどい本を読んだ。当然だけれど、面白いんだろうと思って読み始めて次々に裏切られ、最後の著者の探検隊遭難死の原因はこれだという裏付けに乏しい陳腐な推測で、深い失望と怒りすら感じた。

話の概要はこうだ。1897年7月11日スウェーデンとノルウェーの連合王国の3人の探検家、サロモン・アウグスト・アンドレー(42歳)、クヌート・フレンケル(27歳)、ニルス・ストリンドベリ(24歳)が北極点を気球で目指した。まだ北極点は人類にとって未踏の地であったときだ。この時代は探検の時代といってもいいくらい、世界の未踏の地に次々に人類が足跡を残していた。北極点も例外ではなく、列強といわれる国々が国の威信をかけて北極点一番乗りに力を注いでいた。

そんな中、民間で資金を集め極点を目指したのが、このアンドレー隊だ。準備は杜撰、一度も試験飛行をせずにいきなり出発し、気球から水素が抜けて3日と経たず北極圏の氷上に不時着することになる。その後の隊の行動は、彼らが残した日誌によって明らかになっており、なぜ十分な食料や衣類、ボートやソリ、猟銃などの装備があったのに全員死亡という結末に至ったのかその原因を究めようというものだ。

本書では、日誌を判読不能部分を黒くつぶして紹介したり、日誌の全内容を天候、食事、運動、精神状態などの項目をつくって表にまとめたり、遺体の解剖記録を図入りで掲載したりしている。こうしたロウ(生)データを、少し加工はしているものの、読者の前に垂れ流しているのがまず気に入らない。データの羅列でしかなく、退屈な情報がほとんどだからだ。

巻末にもきちんと文章化できなかったのだろうが、3人の死因の可能性についての羅列がある。「プリムス・ストーブによる一酸化炭素中毒」「酸欠のためテント内で窒息死」「海藻スープでの食中毒」「壊血病」「ホッキョクグマ肉を食べたことによる旋毛虫症」「アザラシの肝臓を食べたことによるビタミンA過剰症」……。死因がこれだと特定できる根拠、そして反証が示されている。著者の筆力のなさを如実に物語っている部分である。本来なら、本の核心ともいうべきところで、こんな扱いになっているのは解せない。

一方でこの本のレイアウトは遊び心があって、また当時の写真も多く掲載していいと思うが、困ったことに、私のような年配読者を無視した糸くずのような小さく細い文字を並べた本文ページもある。なぜそうしたのかの意図もあいまいだ。

 
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著者と栗城くんとの相似形『デス・ゾーン』

2021-08-14 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『デス・ゾーン—―栗城史多のエベレスト劇場』河野啓(集英社)

それをすると面白いのか、視聴者の興味を引くのか、視聴者の支持を得られるのか。

こんな思考法をとる栗城くんと、仕事への取組み方やマインド、行動様式がそっくりと思ってしまったのは、著者の河野さん。そっくりだからこそ、河野さんにとって栗城くんは取材対象となったし、いったん興味を失いしばらくブランクがあったのに、再び取材対象となったのではないか。類は友を呼ぶというやつか。

河野さんは、栗城くんの関係者に精力的に接触を試み、取材をしている。ただ残念なのは、栗城くんにいちばん近いと思われる事務所の側近中の側近から取材拒否されたことにある。常に近くにいるだけに、もっとも栗城くんの心情を知っていたであろう人から話を聞けなかったのは、臥龍点睛を欠くというものだ。

それはさておき、いきなり核心を書いてしまおう。この本のクライマックスは、栗城くんの最後のエベレスト遠征にまつわることだ(以下ネタばらしになるので、これからこの本を読もうという人は注意)。

まずは5度目のエベレスト挑戦でSNSで大炎上したことが絡んでくる。この時GPSを装着することで栗城くんの位置情報を公開したわけだけれども、電源のON/OFFを繰り返してついたり消えたり、しかもゆっくりとした歩みが突如3倍のペースに変わったりと不自然さが際立った。支援者をだましてでも、演出して盛り上げようとしていたのではないかという疑惑が巻き起こり、Webでは大炎上した。真相はこうだ。シェルパもGPSを装着して登り、さも栗城くんが登ったように装ったのだ。だからシェルパが登った地点の栗城くんの映像はない。

またあれだけ「単独・無酸素」を標榜していた割には、栗城くんはBCに酸素ボンベを持ち込んで吸っていたし、C2やC3の上のキャンプ地にもシェルパが荷揚げした酸素ボンベがあって吸っていたことが明らかになった。単独といいつつ、まるで昔の極地法のような登山スタイルで荷揚げをしていたのは周知のことだ。

加えて驚きだったのが、凍傷で指を切断することになった件。あんな不自然な凍傷は見たことがないと登山関係者は声をそろえたという。演出のために故意にグローブを外して指を雪に突っ込んだのか?という疑惑もあったようだ。おそらく実際そうだったのだろう。凍傷になったというドラマティックな映像をつくるつもりが、やりすぎて指の組織を壊死させてしまったというのが真相だろう。

そして驚くべきは、著者の河野さんは栗城くんの死は自殺ではないかと疑っていることだ。死ぬ前の言動からさまざまな憶測を呼んだが、たしかにその推理は当たっていそうだ。「単独・無酸素登山」に疑惑をもたれ、激しい誹謗中傷を受けて自暴自棄になっていたこと、どんなにがんばってもノーマルルートで酸素ありでなければ、エベレスト登頂の可能性は低かったということがある。それを裏付けるように最後のルート設定は夢枕獏さんの『神々の山嶺』に出てくる未踏ルートであり、登頂の可能性はないといっても過言ではなかった。最後に華々しい散り方をしてカッコよく自分の人生に始末をつけようとする演出だったのではないのか。

どうしてこんなことになってしまったのか。最初に戻るが、冒頭に掲げたテレビ屋さんマインドに侵されてしまったからなのではないか。エスカレートすれば、倫理感は失われ、やらせが当たり前でバレなければなんでもよしとしてしまう、ちょっと前のテレビ屋さんと同じだ。河野さんはじめ栗城くんをとり上げたメディアの方々が知らず知らず追い詰めてしまったのは否めない。そう感じているからこそ、事務所の側近は取材拒否したのだろうか。

最後にこの本で、違和感を感じたのは、「山頂アタック」という言葉を頻繁に使っていたこと。初出で断り書きがあったが、山登り関係者でいまこの言い方をしている人はまずいない。山は攻撃や攻略するものではなく、われわれと一緒にそこにあり調和しているものであり、登らせてもらうものという感覚が普通であり、「サミットプッシュ」という言い方が一般的だ。この本の読者は、登山とは無縁の一般の人が対象ということで、わざわざ「山頂アタック」としたのだろうが、まさにテレビ屋さんマインドの象徴という気がした。

参考:当ブログ 栗城史多とはいったいどんな存在だったのか?Nスペで総括

 
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