沼津 大瀬崎から見た富士(2005年3月21日撮影)
下山を始める頃には、だいぶ太陽も昇って、あたりはすっかり明るくなり、しだいに気温も上昇し始めていた。先ほどまで寒さに苦しめられていたのは嘘のようだ。あとはひたすら来た道を戻るだけだ。
しばらく下っていくと、山頂を目指す人が次々にやってくる。そして必ずといっていいほど、声をかけてくる。「山頂まであとどのくらいですか?」 そう、山頂近くまで来ると、八合目半だ、九合目だ、九合目半だと刻みまくった標示が出て来て、それを見るたびに、山頂はそろそろのはずだけど、まだなのかと動揺を来たすのだ。
「富士登山命」というおじさんには「昨日はどうだった?」と声をかけられる。毎日のように登っているようで驚かされる。仙人ふうのご老人にも声をかけられる。「ご来光拝んだのか?」「そうか、ご立派、ご立派!」と賞賛される。そのうち、アメリカ人カップルにも出くわした。だいぶよれているようだ。ツーショットの写真を撮ってあげる。彼らはこの近辺で登山を断念したようで、その後五合目にいるのを目撃した。
登ってくる人は、本当にバラエティに富んでいた。老若男女、国籍問わず、あらゆる人類。それだけ富士山はインターナショナルな山ということなんだろう。
新六合目の茶屋に着くと、茶屋の年配のおばちゃんに声をかけられた。「昨日22時頃一人で登っていったでしょう? 早すぎなかった? 何時に着いたの? 八合目の小屋に泊まったの?」と矢継ぎ早の質問攻めにあう。派手な柄のパンツをはき、中途半端な時間に登っていき、しかも単独行、加えてデカいドイツ人をこのあたりで追い抜いていく猛スピードだったので(この時点では)、よほど印象に残ったのだろう。当時はよく右上の写真にあるような柄パンをはいていた(写真は大菩薩のロッヂ長兵衛前)。
新六合目からは宝永山にも立ち寄ってみた。富士山の山腹をざっくりとえぐりとり、火口が広がっている。点々と草の塊が黒々とした山肌にしがみついている。いつ爆発してもおかしくないような不気味さをたたえていた。
参考:
越前岳 宝永火口の写真http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20111220
『まいにち富士山』http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20111115
富士山最新ガイドブック2010年http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20100802