目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

山の名前はこうしてついた「山名の不思議」

2020-07-26 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 
『山名の不思議――私の日本山名探検』谷有二(平凡社ライブラリー)

山の名前についてこんなに詳しい人がいるとは知らなかった。読んでびっくりの山名由来が続々と出てくる。

山名については諸説あって、なかなか確定できないものも多いように思えるが、著者の谷氏は徹底的に調べ、推理力をはたらかせてこうではないか、こうだろうという正解と思われるものに肉薄していく。推理小説の種明かしを読んでいるような痛快さがある。

いくつか紹介しよう。野口五郎岳や黒部五郎岳の「五郎」のいわれは何か。人の名前のようにもとれるが、じつは猟師や杣人(そまびと)がカール地形で岩のゴロゴロしたところをゴーロとか、ゴーラとか呼んでいたことから五郎岳となったそうだ。野口五郎岳は、信州野口村に属したことからそう呼ばれ、黒部五郎岳は、黒部源流にゴローを抱え込んだからとしている。

谷川岳と丹沢山の意味するところは同じというのも興味深かった。山あいを流れる川を「タン」「トン」と発音したのは古代朝鮮半島から来ているらしい。「タン」といえば、丹沢の「タン」だ。つまり谷川と丹沢というのは同じ意味なのだ。もっといえば、西日本では、川を根尾谷、祖師谷と「谷」を用いて表現することがあり、東日本では水沢、尾花沢と「沢」を用いることがあって、この辺が錯綜しているのは面白い。

では、三ツ峠の峠はどこから来たのだろう。峠といえば、普通はコルを指すが、三ツ峠の「峠」は尖峰を意味する「トッケ」から来ているという。トッケの発音がとうげに似ているため、「峠」の字が当てられたと推測される。こうした当て字は山の名前に限らず多い。考えてみれば、文字はもともと一部の特権階級、貴族や役人しか使っていなかったのだから、意味を考えず(わからず?)音だけであてはめられた漢字が多くても頷ける。

最後に、これは知っている方も多いのではと思うが、雪形からつけられた山名。白馬岳はその典型だ。雪解けが進むと、馬の姿が現れる。代かきの季節到来を告げていると、山を見上げた農民は思う。そしてその雪形の山は、代馬岳→白馬岳になった。駒ヶ岳も同様で、雪形からつけられた名前のよし。

この調子でアイヌ語由来の北海道の山名や、山なのに森とつく山名はなぜなのか等々、次から次へと汲んでも汲んでも枯れない泉のように山名の由来が明かされ知識が身に着くのがこの本。登った山もそうでない山も山名の由来がわかると、視点も変わる。知っていれば、思わぬ山の魅力に目が向けられることになる。

 
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沢野ひとし「休息の山」

2020-07-22 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『休息の山』沢野ひとし(角川文庫)

山の神の本棚にあった本。なかなか味わい深い山の本で、もとは山と渓谷社から出ていた単行本の文庫化だ。奥付を見ると、平成9年、西暦でいえば1997年だ。かれこれ23年前の本になる。それだけの月日をくぐり抜けてきた情報なのだが、それほど現代との違和感を感じないのは、私の年齢のせいか。

イラストレーターの沢野さんといえば、椎名誠さんのあやしい探検隊メンバーで焚火してキャンプしてというイメージだが、この本を読むと、バリバリの山やさんであることがわかる。劔や穂高も複数回訪れていて、遭難者の幽霊(?)にも出くわしている。タモリの「世にも奇妙なものがたり」怪談編の雰囲気をかもし出している(笑)。また誘われるがままにアイガーにも遠征しているから相当なものだ。

いっぽうでは、「懐かしの山」として、子供時代のほのぼの山行記録、父や兄と行った奥多摩の思い出も綴っている。いわゆる山やになる原点だ。

本の後ろのほうでは、私も最近はまっている野鳥の話が出てきて心を和ませてくれる。軽井沢(星野リゾートか?)でバードウォッチングしていると、オナガを見つけたというくだりもあり、おおと思わず声が出るくらい。オナガといえば、私は最近知ったばかりの野鳥の名前だ。

それに沢野さんの本だから、もちろんあの独特なイラストが満載されている。そういえば、沢野ひとし画のバンダナがうちに1枚あったっけ(こちら)。そんなイラストにも癒されながら、雨の休日に読むにはもってこい。あっという間に読めてしまうのはさらにいい。

 
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雨とわかっていて行く山は楽しいのか?~「7月4連休計画の危機」つづき

2020-07-18 | 山雑記


イメージ(2004年利尻にて

7月15日(水)10日間天気予報を見て、4連休中にまず梅雨が明けないとわかり愕然とする。

7月16日(木)Go To キャンペーンは東京を除外すると発表され、ああそうかと思う。

15日時点でもう、おうちか、その周囲5Km圏内(?)にいることにした。雨の日に山に行って楽しいだろうか。以前会社の山の会の重鎮に、さらさら降る雨の中を歩く登山もいいものだ。小雨のシャワーは風情がある的なことを聞かされ、そうか~(疑問の)、そんなことがあるわけないよなと思っていたが、梅雨時にしか夏休みをとれず、しかも金欠のリーマンショック翌年、尾瀬ならもしかしてと思い、行ってみることにしたのである。その愚挙は、山の会の重鎮の話が印象深く脳裏に焼き付けられていたことが大きく作用したのかもしれない。

結果、やはり雨は楽しくないことがわかった。当然だった。雨中山行を楽しめるのは、ほんの一部の登山者だけだろう。雨なら雲やガスで景色は望めない、雨具を身につけなければならないし、気温が高ければ蒸して汗だくになる。しかも道がぬかるんだり、岩場は滑りやすくなったりする。休憩時にはザックからものを出すのも一苦労だ。コンディションが悪ければ、歩行時間は伸びるし、疲労もたまる。

一部にはゴアテックスの雨具を身に着けるのが好きだという人もいないことはないが少数派だろう。雨のいいところといえば、登山者が少なくて空いているくらいか。

それにしても、このままコロナが収束せず、いつまでも雨の心配、加えて台風の心配や地震の心配、噴火の心配をしていると本当に山どころではなくなってしまう。少なくとも梅雨とは早々におさらばして、とりあえず都内で我慢するので山に行きたいものだ。

でも、、、、、、こういう時はえてして不幸は続けざまにやってくるものだ。備えあれば憂いなし、備えが不十分なら今からでも遅くない。ハザードマップを改めてチェックしたり、水や保存食、ガスカートリッジに大型台風対策の養生テープの備蓄、火山性地震が起きている場所への計画は来年以降に変更するなど、考えられることはすべてやっておいたほうがいい。枕を高くして寝られる場所は、日本にはどこにもないのだから。

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7月4連休計画の危機

2020-07-12 | 山雑記


イメージ画像(トムラウシ山系、日本庭園からヒサゴ沼に向かう。2006年7月3日)

東京都の新型コロナウィルス新規感染者数は200人台が続いていて、とても嫌な感じだ。そんな状況下で東京都は「他の県への不要不急の外出は自粛してくだい」としていた。一方で国は市中感染が広がっているわけではないので、自粛は求めない方針を継続するという。まったく正反対の対応。さらに国にいたっては、観光庁主導で8月から予定していたGo To キャンペーンを前倒しで7/22スタートとした。

Go To キャンペーンの概要は以下のとおりだ。

  1. 国内旅行対象で、宿泊・日帰り旅行代金の1/2相当額を支援。
  2. 支援額のうち、7割は旅行代金の割引。3割は旅行先で使えるクーポンとして付与。
  3. 1日1泊当たり2万円が上限。日帰りは1万円。
  4. 連泊制限や利用回数の制限はなし。

いったいどうしろというのだろう。国と都のどちらの判断に従うのが妥当なのか。いま改めて東京都のサイトをみてみると、「自粛」の文字がいつのまにか消えているので、国の方針に従うことになったようにもとれる。ということは、経済優先で、感染リスクは新規感染者がぐっと減っていた頃とさほど変わらないという判断になったのか。

新型コロナの感染がどんなものなのか、だいぶわかってきたという自信にも似た対応であるけれども、信じていいのか。

7月4連休は、当初の計画どおり福島の山&温泉2泊3日にするか、それとも長野へ行って山中テント泊の1泊2日にするか、はたまたすべてやめて都内にとどまるか。今週の新規感染者の推移や有識者がなんといっているかその発言を参考にしながら判断することにしよう。

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稲葉香さん「女ひとりドルポ越冬記」

2020-07-04 | マガジン

日本山岳会会報『山』2020年6月号

およそ120年前、単独で初めてチベットに密入国した日本人、河口慧海の足跡をたどって、西ネパールを4度も(今回で5度め)訪れている稲葉香さんの最新レポートが、日本山岳会の会報『山』2020年6月号に「女ひとりドルポ越冬記――極寒の中、122日間の滞在で見たもの、感じたこと」と題して掲載されている。

稲葉さんは、昨年の2019年11月から2020年3月にわたってドルポに滞在した。無雪期の豊かなドルポを見ていた彼女は、冬はどうなのかと興味を募らせて、厳冬期訪問を果たすために周到な準備を重ねていた。冬は交通が途絶するといってもいい土地であることから、必要な物資を事前にデポし、また現地のお寺に滞在許可をとってのドルポ入りだった。

2019年といえば、まさに厳冬期の1月にテレ朝の撮影隊がここを訪れている。それからほぼ1年後に彼女はかの地に入ったことになる。テレ朝とは異なる視点で同じものを見ていることは興味深い。ニサルの冬の大祭、プジャ(法要)、五体投地に向ける彼女の視線には、畏敬の念が込められている。詳細は、上記のリンクから当該ページにアクセス!

関連記事:
日本の偉大な探検家、河口慧海
テレ朝「天空のヒマラヤ部族」を辛口評価してみる

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