目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

毛無山

2013-07-22 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

000p7271453標高 1945.5m 山梨・静岡県

2003年7月27日(日) くもり時々雨 

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:00すぎ 湯之奥林道 毛無山登山口8:20--9:10休憩9:20--金山--10:05地蔵峠10:17--11:07小休止--11:40毛無山山頂--(お花畑)--12:05山頂(昼食)12:50--13:35地蔵峠13:45--14:10休憩14:22--14:54登山口

一度ひとりで毛無山を登ろうと、車を飛ばしていったことがある。登山口のだいぶ下のほうに工事中通行禁止と看板が出ていた。しかし、工事用車両の姿はまったくなかった。今日は工事していないんじゃないかと勝手に決めつけ、どんどん登山口へ向けて車で上がっていった。どん詰まりにたどり着くと、トラックやユンボ、作業員が忙しく動いていた。やばい。早くUターンしなければとちょっと広いスペースで車を回そうとしていると、作業員に見つけられて、怒鳴られた。下の看板見なかったか! すいませ~んと全速力で退散した。それ以来の毛無山計画だった。

今回は、もちろん工事はしていない。ひなびた下部温泉街を抜けて、再び登山口を目指した。

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2点とも:ガスに包まれていた地蔵峠。右は立ちすくむ山の神

湯之奥林道を走り、8:00すぎ登山口に到着した。8:20身支度を整えて出発する。樹林帯をサクサク登っていく。蒸していて不快な道だ。そのうち山の神は、靴ずれ予防対策にと、かかとにバンドエイドを貼り出した。私はその間、水分補給で人心地つく。

地蔵峠には、10:05に到着した。濃いガスが出ていて視界が悪い。ここからは県境尾根をたどる。ちょうど山梨県と静岡県の県境に延びている尾根だからこの名前のようだ。安易な名づけということは、もともと名なしの尾根だったのか。そのうち青空も覗くようになり、晴れてきそうだと期待が膨らんだ。しかし登る道は斜度を増し、息が切れるばかり。もう下山なのか、単独行の男性2人とすれ違う。

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左:お花畑も霧の中 右:山梨百名山の標柱

一度休憩を挟み、毛無山山頂には、11:40に到着した。しかし山頂付近はかなりガスが濃く、展望はない。ならばお花畑を見に行こうとなった。いったん山の神とともに山頂をあとにし、大見岳方向へ進む。でも期待したほど花は咲いていなかった。再びガスっている山頂に引き返して、昼食にした。ひっきりなしに次から次へ登山者が上って来て、山頂はにぎやかになってくる。

毛無山山頂からの富士山ビューには定評があるが、結局ガスったままで何も見えなかった。そのうちポツリポツリと雨滴が落ちてきた。

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左:雲の隙間から富士山 右:登山口に戻ってきた土木作業員ふうの私

12:50山頂からの展望は諦めて、下山を開始する。もと来た道を忠実にトレースする。13:35地蔵峠まで戻ると、予想外にも薄日が差してきた。これはいけるかもと山の神と話していると、富士山が雲間からちょっぴりだが姿を現す。まさしく僥倖だった。その後一度休憩を挟み、14:54登山口まで戻った。

帰りは、下部温泉会館に寄って、汗を流す。当時大人¥300だったが、今は¥400。古くて狭い印象が強かったのだが、HPを見ると、きれいな施設に変身している。温泉のあとは、遅くなりついでに本栖湖畔で晩飯も食べた。ワカサギの唐揚げ定食。高いわりには味はいまいちだった。

高速にのってみると、渋滞はまだ20Kmもあった。もっとのんびりしていたら、渋滞は短くなっただろうか。でもその分、家に着くのも遅くなるだけだ。帰宅は22:00。お疲れさま。

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アヤメよ、もう一度。櫛形山・裸山

2013-07-20 | 山行~南アルプスとその周辺

000img_6775櫛形山 標高 2053.5m 裸山 2003m 山梨県

2013年7月14日(日) 曇りのち雨

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:35池の茶屋駐車場7:55--8:55もみじ沢9:00--9:40アヤメ平手前の落葉松林9:47--10:20裸山(昼食)11:00--11:40櫛形山山頂11:45--12:20池の茶屋駐車場

先日新ルートをつくったというニュースをネットで見つけ、13年ぶりに櫛形山を訪れることにした。さっそく最近の山行記録をチェックしてみた。ショッキングだったのは、櫛形山の代名詞であるアヤメが危機に瀕していることだった。鹿が入り込んで、花を食べてしまっているようだが、どんな変わり様なのか、この目で確かめることにした。

下の写真は、2000年7月10日(月)に撮影したものだ。平日にも関わらず、団体が2組もいて大勢の登山者がアヤメを愛でながら、昼食をとっていた。私は勝手に大平原にアヤメの信じられないくらいの大群落があると決めつけていたので、だいぶ失望したのを覚えている。とはいえ斜面に広がるアヤメの花はきれいだった。

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6:35甲府南ICを下り、国道140号を快調に進む。櫛形山が近くなってくると、道標が出てくる。それに従って進んでいくと、対向車とのすれ違いが恐ろしい狭い林道になる。途中ガードレールなしで片側が切れ落ちている箇所もある。冷や冷やしながら、上っていくと、最近整備されたばかりのきれいな舗装道になった。

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左:池の茶屋登山口駐車場。写真奥が新ルート 右:新ルート入口

7:35池の茶屋林道の終点にある駐車場に到着した。この時間にもかかわらず、ほぼ満車。下山した頃には、駐車できそうなところはすべて車で埋め尽くされていた。

この駐車場奥に避難小屋があり(左上の写真では手前)、その建物に隣接して簡易トイレが設置されていた。7:55駐車場を出発する。新ルートは車椅子でも通れるように、平らに踏み固められている。

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左:北岳展望台。立ち木の後ろが鳳凰三山、中央に甲斐駒、左手雲の中に北岳 右:もみじ沢

山の神と他愛のない雑談を交わしているうちに、東屋のある北岳展望台に到着した。北岳展望台なのにあいにくと、北岳は雲の中に入っていた。

ここから山に分け入っていく。少し登って行くと、休憩所(上に向かう)への分岐が出てきた。そして急激な下りが始まった。どこまで下ってしまうのだろうと、不安が募ってくる。まさか先ほどの分岐を休憩所へ向けて上がれば、その先にルートがあるとも思えなかった。どんどん下っていくと、ほぼ平らになった。そして青々としたもみじの林。もみじ沢の道標が出てきて、やれやれだ。間違っていない。途中、立ち止まって地図を眺めていたせいで、だいぶ時間をロスしてしまった。

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左:アヤメの花を一輪しか見つけられなかったアヤメ平 右:裸山山頂

落葉松林に出て、休憩。そこからアヤメ平は目と鼻の先だった。アヤメ平は檻の中だった。扉を開けて中に入る。鹿の食害から守る名目で、一帯をフェンスで囲っているのだ。でもアヤメは見当たらない。一角がさらにネットで囲われていて、一輪だけアヤメの花を発見した。ひどい。ここまでひどいとは。

2000年に訪れたときには、デカデカと木製の看板が掲げられていて、「手折られし あやめの花のあわれさよ 君にも命のあるものを」とアヤメの花を手折ることを戒めていたのだが……。アヤメがなくなって、看板も必要がなくなってしまった。

アヤメ平を抜けて、斜面を登りはじめると、下ってきた登山者がアヤメは少ないねえとこぼす。やっぱり。

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裸山からの富士山

アヤメより今はメシだなと、山の神と足を速め、裸山の山頂を目指した。10:20山頂に着くなり富士山ビューのべストポイントに腰をおろした。おにぎりを食べながら、ちょっぴり頭を覗かせている富士山山頂の雲の動きに目を凝らしていた。あれっ、と山の神。ポツンと来たよと言う。ちょっとの間があって、私にもポツンと雨粒が。山梨の今日の天気予報は午前中は晴れで、午後から曇りのはずだったのだが、青空は登山口から覗くことなく、ずっと曇ったまま。挙句まだ午前中というのに雨になった。

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左:羽化したての外来種のアブラゼミ 右:激減したアヤメと、オダマキ

どうせすぐに止むんじゃないのと、ザックカバーだけで裸山から下ってくると、ロープの下にセミの抜け殻がついているのに気づいた。おお、こんなところにと思った刹那、後ろに羽を乾かしている成虫がいることに気づいた。逃げないことをいいことにパチリパチリとベストショットを狙う。山の神も、スマホでセミを撮り始める。セミが前足であっちへ行けのしぐさをしている。山の神がちゃんと見えているのか。

家に帰って、クマゼミかミンミンゼミかと調べてみたら、意外なことにアブラゼミだった。しかも台湾あたりから来た外来種だ。アヤメだけではなく、生態系が侵されているようだ。この一角にもネットで囲われた場所があり、そこにだけお花畑が広がっていた。オダマキの群落、そして絶滅しかけたアヤメがちらほらと。

雨は止むことなく、山林を濡らしていった。早く止まないかなとつぶやきながら、薄暗い原生林の中を山の神とともに抜けていく。11:40櫛形山山頂到着(冒頭の写真)。暗い山頂だ。水分補給だけしてすぐにその場をあとにする。防火帯の広々とした登山道を下り、12:20池の茶屋の駐車場にたどり着いた。

帰りの中央道は、時間からいって空いていると思ったのだが、そんなに甘くはなかった。小仏トンネルは難なく通過できたが、八王子ICを過ぎてから渋滞にはまり、停まったり走ったりを繰り返すことになった。こんなに早く帰途についたというのに。最近は平日以外は、まず渋滞に巻き込まれることを覚悟しなければならないようだ。

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幻覚と幻聴に悩まされる日本アルプス縦断トレイルラン

2013-07-12 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『激走! 日本アルプス大縦断 密着、トランスジャパンアルプスレース 富山~静岡415Km』
NHKスペシャル取材班(集英社)

昨年のNHKスペシャルを視聴された方は多いだろう。身も心もまさしくボロボロになって走りきる、超過酷な山岳レース。日本海から太平洋まで415Kmも移動する。テレビでは描ききれなかったいろいろなエピソードや事件がここには書かれている。

この過酷なレースには、まず参加条件(書類選考)がある。本から抜粋しよう。

1.TJAR(トランスジャパンアルプスレース)本大会を想定した長時間の行動後、標高2000メートル以上の場所において、2回以上のビバーク体験があること。
2.コースタイム20時間以上の山岳トレイルコースを、コースタイムの55%以下のタイムで走りきれる体力と持久力を有すること。
3.フルマラソンを3時間20分以内あるいは100キロマラソンを10時間30分以内に完走できる体力を有すること。

すでにもうこれだけで、タフな人たちの大会であることがわかる。加えて、登山知識の試験があり、それをパスしなければエントリーできない。賞金・賞品のたぐいは一切ない。皆求道者なのだ。自分の限界への挑戦や深い達成感を求めて、この大会に参加している。

この本は、時系列で書かれているのだが、読み始めてまず、睡眠をとる時間がほとんどないということに驚かされる。優勝した望月選手は、5日間6時間24分でゴールしているが、この間の睡眠時間はなんと11時間だ。なかには、毎日5時間くらいの睡眠をとり、比較的余力を持ちながら完走した選手もいたが、ほとんどの選手は朦朧としながらのレースで、中には、幻覚や幻聴に悩まされた選手もいたようだ(ほとんど全員に近いのか)。職場の近所のコンビニに入ったときのチャイム音が耳の奥底で鳴り響いていたり、夜中にふと見た草むらに、女性の顔が浮かんでいたり、睡眠時間を削っての取材を敢行したディレクターまでもが、仁王立ちした金色の骸骨を見ている。

トップ選手と2番手グループの駆け引きが赤裸々に書かれているのも興味を引く。後ろから追われる望月選手のあせり、追い上げがなかなかタイム短縮につながらずにいらだつ2番手グループの面々。最後のクライマックスは、2番手グループにつけていた坂田選手が寝ずにゴールまでぶっ通しで走ることを誓うのだが……。

ほかにも読みどころは多い。選手一人ひとりのこのレースに参加するまでのいきさつや生活がまるでドラマのように展開されていく。ヘタなテレビドラマよりも劇的であり、事実は小説より奇なりとはよくいったものだ。レースが始まれば、幾多のトラブルが起こる。槍直下では、雷雨が待ち受けていたし、疲労でモノが二重に見えるようになった選手も出、いっぽうでは、極度の疲労から高山病を発症する選手も出た。

ゴールの制限時間を越え、大会が終わった後、正式には記録に残らない、つまりリタイア扱いになったのだが、それでも大会のルールにのっとって、ゴールを目指す男もいた。たった一人で、一日遅れで、ひたすらゴールを目指す。最後は、Twitterでそのことを知った人たちが深夜の海岸に集まり、感動のゴールとなった。

次回は、2014年に開催されるが、テレビや本の影響で知名度はグッと上がったはずで、参加者は倍増することだろう。いったいどんなドラマが待っているのだろう。

激走! 日本アルプス大縦断 密着、トランスジャパンアルプスレース富山~静岡415?
クリエーター情報なし
集英社
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三浦雄一郎さん、エベレスト出発前の弁

2013-07-06 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001_80_2『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』三浦雄一郎(小学館101新書)

80歳にしてエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さん。エベレスト出発前に上梓した本がこれ。ちょっと遺言めいた感じもあるが、無事成功してよかった。とにかく常人には考えられないほどストイックに、精進、努力した成果だ。40代ですでに体力なしで、ヒイヒイいっている自分とは雲泥の差を感じてしまう。

三浦さんは夢や目標を掲げたら、その実現に向けてやれることをすべてやる。その気概や、驚くほどの激しさだ。この本のなかにも、それは散見される。70代で狭心症に襲われ不整脈を抱え、心臓の手術をしているし、肥満から糖尿病も患っている。体は万全とはいえない。札幌のスキー場で骨盤と大腿骨の付け根を骨折するというアクシデントにも見舞われている。それでも、先をきちんと見る。その状態でもできることを考える。

そうした不屈の精神は、101歳で天寿を全うした父、敬三さんの影響が大きいようだ。敬三さんは何歳になっても挑戦を続けた。99歳でモンブラン山系でスキー滑降、100歳のときには三浦家4代でロッキーをスキー滑降している。常に工夫すれば、まだまだ自分を鍛えられること、挑戦は可能であることを目の前で示してくれた。

その遺伝子は、家族に引き継がれている。三浦家の3人のご子息は皆たくましい。三浦家流の教育は、海外で勉強させる。そのため皆独立心旺盛で、自ら考えて行動する人たちなのだ。家族の結束は固く、雄一郎氏の挑戦を陰に陽に支えている。

この本では、自らの落ちこぼれの生い立ちにも触れている。中学時代はクラスの落ちこぼれだったこと、スキーでオリンピックを目指したが、国内のスキー大会の運営に異議を唱えて、アマチュア界から追放されたこと。そして、なぜ冒険家になったのか。三浦雄一郎の原点が語られている。

最後に、三浦雄一郎さんの人柄や信念をもっともよく表している、彼の発した有名な言葉を紹介しよう。もうご存知の人も多いだろう。
「エベレストに行かせてくれないのなら、家出する! わしを探さんでくれ!」
駄々っ子のようで、ほほえましくもあり、どうしようもない頑固さがにじんでいる。

次はチョー・オユーで次男の豪太さんと山頂からスキーで直滑降しようとたくらんでいる。エベレスト以上に困難かつ危険が伴うと思えるのだが、体が動くかぎり挑戦しつづけるのだろう。この挑戦がまたいろいろな人を勇気づけ、元気にさせくれるはずだ。

私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか (小学館101新書)
クリエーター情報なし
小学館
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