目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

「アイヌの手仕事」を日本民藝館で見る

2020-10-24 | まち歩き


日本民藝館

10月18日(日)に山の神とともに初めて日本民藝館に足を運んだ。いま、「アイヌの美しい手仕事」展を開催しており、北海道に何度も足を運び、アイヌの民芸品などを見て関心を寄せていた身としては、ぜひ見たいと思っていた。山の神は最近刺繍やレース編みに凝っているので、そっち方面から興味をもったようだった。

ロシアが占拠してしまっている国後やサハリン(旧樺太)にもアイヌは住んでいるけれども、個人的には、アイヌといえば、北海道をイメージしてしまう。北海道で山を目指して移動しているときにアイヌの文化に意図せずに触れることになったからだろう。

日高山脈を目指せば、二風谷を通過する。ここには二風谷アイヌ文化博物館があるし、雌阿寒、雄阿寒を目指せば、阿寒湖畔のアイヌコタンを目にする。そこではアイヌの木彫りがお土産品として販売されている。恵庭山(雪深くて途中で引き返したが)や樽前山を目指せば、最終的には白老に抜けることになるだろう。ここにはもともとアイヌコタンがあったし、本年2020年7月12日には国立アイヌ民族博物館が開館した。

とうことで期待に胸を膨らませて井の頭線駒場東大前駅で下車し、住宅街の一角にたたずんでいる和風の外観ながら、中は洋風っぽい建物に入った。

展示品は、柳宗悦が収集した日本民藝館の所蔵品に加えて、芹沢銈介のアイヌコレクションもあって予想以上に点数は多かった。独特の幾何学文様が施された衣装、首飾り(タマサイ)、意匠の凝らされた木彫りの鞘に収まった小刀、煙草入れなど、足を止めてじっくり見入ってしまうものが多々あった。

圧巻はおばあちゃんが木の繊維をなめして糸をつくり、籠を編んでいくビデオ。山の神がやっているレース編みの行程にも似た、その緻密かつ丁寧な手仕事を見ていると、先人たちのものづくりに対する熱い魂のようなものを感じた。気の遠くなるような作業を淡々とこなしていく辛抱を凌駕するのは、少しずつ形になっていく、ものづくりの楽しさなのだろう。食い入るように見ている見学者もいた。

「アイヌの美しき手仕事」展。11月23日(月・祝)まで。

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南会津の純米酒で一杯

2020-10-18 | 山雑記

 花泉酒造の純米酒「花泉」

先日の南会津山行の帰りに道の駅会津西街道たじまに寄り、購入した1本。

同時購入した会津酒造のひやおろし(四合瓶)は早々に飲んでしまったが、こちらは箱入りのまま、キッチンの隅に鎮座していた。昨晩はちょうど冷え込んで鍋にしようとなったので、日本酒の登場となった。さっそく箱からとりだして封を切る。

酒器に注ぐと、黄みがかった液体がとろとろと出てきた。おちょこから口に運べば、純米酒独特の硬さがあまりなく、すっきり、するりとのどを流れる。いい感じだ。秋の夜長ということで、すっかり飲みすぎて酩酊、というか泥酔してしまった。

ちなみに南会津の日本酒の蔵元は4つある。上記の花泉酒造会津酒造のほかに国権酒造開当男山酒造がある。会津に行けば、酒屋さんで購入できるけれども、ネットや特約店などでも購入はできるようだ。個人的には花泉酒造の純米吟醸ロ万(ろまん)がいい。すべて飲んでみたわけではないが、すっきりとした飲み口は、この蔵元の特徴なのではないだろうか。

食欲の秋、食べて飲んでもいいけれど、食べすぎ飲みすぎにはご注意を!

 

 

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山小屋の日常・非日常「北岳山小屋物語」

2020-10-10 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『北岳山小屋物語』

読み始めてすぐに学生時代に住み込みアルバイトをしていた白骨温泉の旅館を思い出していた。いわゆるリゾートバイトのはしりだったけれども、人によってはああいう生活は耐えられないだろうなあと。なにせ日がな一日ごろごろ、もとい働きつづけなければならない。

客が帰って布団を片付けて掃除、昼ごはんを食べて、ちょっと休みは取れるけれども、午後にはアーリーチェックインする客が出てくる。繁忙期はひっきりなしにお客さんが到着し部屋へご案内する。あっという間に夕食タイムになり、配膳が始まり、食堂組には布団を敷き、やがてお膳を下げて洗いものなどをやっているうちに夜は更け、温泉に浸かってああ疲れたと布団に潜り込むと、すぐに寝落ちだ。また翌朝目覚めると、早朝の廊下掃きが待っている。

山小屋も旅館もやることは似ている。ただ山小屋のほうがむき出しの自然の厳しさと相対さねばならないし、基本すべてをやらなければならないからきつそうだ。標高が高い分、気温は低く、大概は遮るものもなく吹きさらしで、電気も水も自分たちで調達しなければならない。

『北岳山小屋物語』は、そんな厳しい山小屋の生活を著者の樋口明雄氏が取材して書いたものだ。北岳周辺の5つの小屋、白根御池小屋 、広河原山荘、北岳山荘、北岳肩の小屋、両俣小屋をとり上げている。

冒頭のほうに出てくる、まだ雪が残る時期からの小屋明け作業の大変さは、実感がこもっている。とくに雪かきや水の確保は想像を絶する体力を使いそうだ。腰痛もちになってしまった今のわたしには到底無理な作業で頭が下がる。

山小屋での事故の話も出てくる。これからもありそうで怖かったのがこれだ。小屋の前で新調したばかりの一眼レフを構え、仲間全員の集合写真を撮ろうと少しずつバックしシャッターを切ったはいいが、そのまま転落した。買ったばかりのカメラを守るために頭から落ちて7針を縫う裂傷を負った。頭だけに脳内出血など起こしていたら、大変な事態に陥っていたが、まだ裂傷だけで済んだのは不幸中の幸いだった。

小屋での迷惑行為も紹介していた。小屋の予備のトイレットペーパーを失敬してもっていきテント場でそれを使用している、酒を飲んでの大騒ぎが終わると今度はトイレを吐瀉物で詰まらせて逃げる、トイレの使用料が入った容器を破壊して現金を盗んでいく、まったくひどいものだ。下界と同様、山の中にも悪党はいるものだ。

注意を促していたのは、テント泊者でトイレに行った帰りに自分のテントの位置がわからなくなること。まだそれはましなほうで、テント場に行きつけずに一晩外でビバークした人もいるというから気を付けるに越したことはない。方向音痴の人は、明るいうちに位置関係を頭に叩き込んでおく必要がありそうだ。

最後の両俣小屋の台風災害、避難エピソードはとくに印象に残った。沢に近いということは、大雨で浸水するリスクを抱えているということであり、常にそうした災害に対して、準備をしておかなければならないということだろう。ちなみにこのときは、管理人さんが宿泊者を小屋から連れ出して、全員高台に避難したということだ。またこの小屋では幽霊話が多くあるそうで、そのうちのいくつかが披露されていた。沢と幽霊は親和性があるということか。

 
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ひたすら忍耐、三岩岳

2020-10-04 | 山行~東北

標高 2065m 福島県

2020年9月21日(月・祝)雨のち曇り  

メンバー 山の神と私

コースタイム 6:35小豆温泉スノーシェッド駐車場6:48--国体コース--7:46休憩7:55--8:38黒桧沢分岐8:45--合羽装着--10:36三岩避難小屋(昼食)11:25--12:09三岩岳山頂12:23--13:02三岩避難小屋13:15--14:18黒桧沢分岐14:36--国体コース--休憩--15:51車道--16:00駐車場

前泊は見通りオートキャンプ場。5:00に起床し、朝食を食べてテント撤収、キャンプ場から7~8分で小豆温泉スノーシェッド駐車場に到着した。先着様は那須ナンバーの方で、ちょうど出発していく2人の後ろ姿を見送った。


左:小豆温泉スノーシェッド駐車場 右:国体コース登山口

準備を済ませ写真を撮って、6:48山の神とともに駐車場を後にした。その時ぽつりと雨粒が手の甲に落ちた。今朝は見ていないが、予報では晴れのはず。すぐに晴れ間が出てくるさと気にも留めずにシェッド内の歩道に入った。

シェッド内は車がビュンビュン飛ばしていて、歩道が一段高いところになってはいるものの、気分のいいものではない。黙々とシェッドを抜け10分ほどで国体コースの入口に着いた。黒桧沢コースは通れませんの案内が出ていた。


左:すぐに急登が始まった 右:ブナの美林には癒される

登山口を入ってすぐに急な階段が出てくる。すぐに歩きやすい道になるだろうと思ったのは迂闊だった。地図の等高線が詰まっているからといって、急坂ばかりの道とは限らず、九十九折にして歩きやすくしたりするものだが、ここの登山道は直登ばかりで難儀な道だった。

ブナの美しい森が出てきて癒されるのだが、直登には参った。すぐに汗だくになって、1枚脱ぐことになる。

イタズラの落書き

途中のブナの幹には、残念なことにイタズラ書きが多かった。自分の名前なのか、友だちの名前なのか「星」という苗字が彫られていて、印象に残ったのだが、この日の宿のフロント係がなんと、星さんだった(チェックアウトするときに領収書に押されたハンコでわかった)。檜枝岐には星さんは多いんですか?と聞くと、多いですねの回答。この辺りは3つくらいしか苗字はないからねえといっていた。そうなのか。


左:これでもかと急登はつづく 右:通行止めの黒桧沢への入口

蜘蛛の巣の糸が顔や腕にまとわりつくのにも参った。那須ナンバーの方はこのコースには明らかに来ていないようだった。山の神に、今日は先頭を歩いてみるのもいいかもねと振り向くと、体よく断られた。


左:黒桧沢分岐に設置されていた案内板 右:道標完備!

8:38黒桧沢の分岐に到着する。ポツリポツリと来ていた雨は、この辺りで間断なく降るふつうの小雨になる。休憩後再び歩き始めても、合羽を着ると暑いよなと粘っていたが、止みそうにない雨に促されて足を止めた。ザックカバーを付け、上衣だけ着る。

樹林帯を抜ける頃、いつの間にか山の神の姿が見えなくなっていた。どこかで合羽の下を履いているのかと私もザックを下ろして、下を履き始める。やがて山の神が現れるが、たんに雨雲をスマホでチェックしようとしていたようだった。結局スマホはつながらなかったようだが。

まったく止む気配のない雨

おもむろに山の神も合羽パンツをはき始める。停滞するわれわれをしり目に単独の若い男性が軽やかに追い越していく。今日のこの山の登山者はこれで全員なのかとそのとき思った。

そのうち湿原が出てくるが、想像したよりもこぢんまりとしていて質素。花もなく寂しいかぎりだった。

10:36予定よりも遅れて三岩避難小屋(三ツ岩小屋)に到着した。先ほどの単独者が小屋内でごはんの準備中だった。われわれも昼ごはんにしようと湯を沸かし始める。


左:こぢんまりとした湿原 右:三岩避難小屋を後にする

暗いから扉を開けていたこともあるのだが、小屋内はひんやりしていた。雨で気温がぐんぐん下がっているようだ。合羽で暑くなると思っていたけれど、逆に体は冷えていた。黒桧沢の分岐あたりまでは汗だくだったのに、一転して寒く感じている。山の神は、低体温症の事故はこういうときに起きるんだろうねとぼそり。

このまま帰ってもいいなという雰囲気を醸し出している山の神を促しつつ、雨の中、三岩岳山頂を目指した。ごはんを食べてエネルギーを充填した山の神の足取りは急に軽くなり、スピードアップして歩いていく。先ほどまでの鉛の詰まったような足どりとは別人のようだ。


左:三岩岳山頂 右:ぬめりがついた木道はどうしようもなく滑った

12:09三岩岳山頂に到着。目の前は真っ白で展望なし。晴れていれば名前の由来となった三つの岩、そして周囲の山が見えるはずだったのだが、、、山頂で雲が切れてくることはないだろうかと僥倖を待つも、白いまま。12:23あきらめて下山することにした。

復路は山の神が恐れていたつるつるの恐怖の木道を通過することになる。ここのところの雨で(たぶん)木道にはぬめりがついていて、摩擦係数はかぎりなくゼロに近い。滑り止めに横向きに打ち付けてある角材に足をかけないと間違いなく滑る。危惧したとおり山の神は尻もちをついていた。


左:雨は降り続き白く煙る 右:往路では気づかなかった修験者が奉納したお地蔵様

水たまりの多い樹林帯に差し掛かると、なんと20代と思しきカップルが登ってきた。この雨の中、玄人好みの健脚者向きのコースを登ってくる若い人がいるのかとちょっと驚く。われわれ同様過剰な期待をもって登ってきたのか。

しばらく下ると、往路では存在に気づかなかったお地蔵様が奉納されているのを見つけた。手を合わせて、下降。 


少し青空が覗いたが、田代山方面はいまだ雲がかかっている

やがて人を食ったように青空が覗く。今さら晴れてもねえ。でも雲はまだだいぶ厚く垂れこめている。

往路苦労した急坂を、復路はもっと苦労して下る。

休憩は三岩避難小屋、黒桧沢分岐、そしてもう1か所でとったが、最後のころはだいぶ足に来ていて疲労困憊だった。いい加減もう終わってくれと念じながら、動かなくなってきた足を動かすという拷問。設置されていた案内版にはここは「一般コース」と出ていたが、明らかに「健脚コース」だ。全部「健脚コース」。

休憩のとりすぎもあって予定から1時間45分遅れで16:00駐車場に戻った。お隣の那須ナンバーの車がまだ停まっていて、やはり窓明山に行ったのかと得心。もしや避難小屋泊まりなのかと思ったが、翌朝この前を通過したときに車はなかったから、この後に下山したのだろう。

今日のお宿は小豆温泉、花木の宿。2度目の宿泊だ。前回は夕食が中華の薬膳と決まっていてとってもヘンだったが、今回は普通の和食で温泉宿らしくなっていた。いつの間にか離れが新設されていてとってもよさげだった。次回は離れに泊まってみたいものだ。

ロケ地で有名な大谷資料館から南会津へに戻る

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