目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

情熱大陸で三俣山荘が登場。

2018-08-25 | テレビ・映画


2013年9月18日撮影

TBS系列「情熱大陸」8/5放送分で三俣山荘(標高2550m)の主人伊藤圭さん(41)がとり上げられていた。三俣山荘といえば、三俣蓮華と鷲羽岳の麓にあり、北アルプス好きの登山者にとっては何度も訪れる山小屋だ。山の神と私は、5年前にここに立ち寄っている(そのときの記録は一番下にリンク)。

番組は6月終わりの小屋開けの準備風景から始まった。今年はカラ梅雨だったこともあり、好天に恵まれ、順調に作業が進んでいく様子が流れていた。冬の間に窓に張りつけた板をはがし、ヘリで荷揚げした燃料や食糧などの物資を次々に小屋に運び込む。大量の布団を小屋の周囲の潅木の上に並べて干す。沢の水を小屋へ通す。奥さんやかわいらしい小さなお子さん2人、そしてアルバイトが力を合わせ準備は万端だ。

7月1日の小屋開けととともに、登山客が続々と押し寄せてくる。この小屋の名物は、奥さんあつ子さんの手作りジビエシチュー、そして雪解け水で淹れるサイフォンコーヒーだ。宿泊しなくとも食べられるので、お試しあれ。

番組では、小屋の仕事ばかりではなく、総延長30kmにも及ぶ登山道の整備もとり上げていた。アルバイトとともに雨水が流れるように溝をつけたり、指導標をつけたり、相当な重労働だ。

また伊藤さんの生い立ちや過去も紹介していた。1977年生まれ。お父上の正一さんから山小屋経営を引き継ぎ、山小屋で知り合ったあつ子さんと25歳で結婚。ヘリの墜落事故で小屋のありがたみを痛感したエピソードも出てきた。外に放り出されて、なんとか這って水晶小屋に逃げ込んだというが、外の気温はマイナス20℃。小屋にたどり着けなければ、凍死してもおかしくなかった。ちなみに水晶小屋も伊藤さんの経営。その水晶小屋はいま改装中ということだ。雨水を利用したり、浄化槽を新たに設置したりと、より快適かつエコな設備に衣替え中。

伊藤さんの山とともに生きる生活には、うらやましさがにじむ反面、実際にはたいへんすぎるだろうなというのが実感だった。

参考:当ブログ
鷲羽・水晶・雲ノ平・三俣蓮華・双六Part2~鷲羽岳・水晶小屋

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鳥海山・月山Part2~鳥海山七高山へ

2018-08-21 | 山行~東北

Part1のつづき。

だいぶ登ってきたけど、まだ山頂までは時間がかかりそうだ。そんなことを山の神に言っていると、舎利坂入口という標柱が目の前に出てきた。ここから山の神のエンジンが一気に加速しだした。

 
左:舎利坂入口 右:山頂へとスパートをかける山の神。中央付近にいます

ほんならここから私が先にと言うが早いか山の神がスパートをかける。マラソンじゃあるまいし。山の神は容易には追いつけないほどのスピードでぐんぐん登って行き、次第にその後ろ姿が遠ざかっていく。

 
左:七高山山頂 右:七高山から新山を望む

私も必死に追いすがるが、追いつけない。9:57七高山山頂に到着したときには、もうクタクタだった。山頂には、すでに何人もの登山者がいて展望を楽しんでいた。向こう側には、鳥海山の最高峰2236mの新山の岩峰が猛々しく見えている。頂には登山者の姿が見える。

とりあえずメシにするかと山の神に声をかけ、カップラーメン用のお湯を沸かし始めた。


遠くに月山が見えている

新山はどうしようか? 行くか、それともやめとくか。私の足の筋肉、とくにふくらはぎはすでに悲鳴をあげていて、行くなと主張している。でも、すぐそこで新山がおいでおいでしている。


新山取付点の鳥海山神社

山の神はどっちでもいいよと、判断を私に委ねる。そういいながらも、明らかに行きたくないようにみえる。昼食後、私はどうしようかと迷いつつ、少し外輪山を巡ろうと歩き出すと、登山者が尾根の分岐から鳥海山神社へ向かって下っていく姿が見えた。刹那、もしかしたら新山は登ってないかもなと脳裏をよぎる。でも行っていないわけがない、、、その昔私は2日連続2方向から鳥海山へは登っていて、初日が七高山まで。このときの天気が悪すぎて展望がなかったため、翌日違う登山口から登ることにしたのだ。翌日は予報どおりピーカンで鉾立から鳥海湖経由で新山に登った。はず、、、たぶん行っているだろうと自分に言い聞かせ、当初の計画では山頂を踏む予定だった新山は取りやめた。

新山に行ったかどうかを確認したのは、家に帰ってからだった。手帳をみると確かに山頂に行っていた。その事実によかったねえと山の神。


外輪山歩きはここまで

外輪山はちょっぴり歩いただけで、反対側から若者のパーティが来たのを潮に引き返すことにした。先ほど昼食をとった七高山を11:08に通過。そのまま来た道をたどっていく。

 
左:アオノツガザクラ 右:チョウカイアザミ。群生地は幽鬼の群れ、ゲゲゲ畑

ここでちょっと鳥海のお花コーナー。左上の写真、アオノツガザクラは、康新道分岐地点で咲いていた。かわいらしい下向きの花は気持ちをなごませてくれる。逆に不気味なのは、チョウカイアザミ。ぬめっとした外見は、同じ下向きの花でも幽霊を想像させられ、ゾッとする。このアザミの群生地がそこここにあって、もうほとんどゲゲゲ畑(?)にしか見えなかった。

 
左:アキノキリンソウ 右:チョウカイフスマ

左上の写真は、他の山でもよく見かけるアキノキリンソウ。黄色い繊細な花は緑をバックにとても映える。鳥海山でどうしてもチェックしておきたいのは、白くて可憐な花を咲かせるチョウカイフスマ。まとまって咲いているので、右上の写真のように常に集団だ。

話を戻そう。下山は予想以上にたいへんだった。とにかく長かった。やはり新山には行かなくてよかったと痛感する。これで気温が高かったりしたら、まともに歩けなかったかもしれない。御田で休憩したときには、もう倒れこむような感じで岩に腰かけ水分補給をした。雪渓からの冷気に当たり、もうそこに駐車場があればとひたすら願ったくらいだ。このとき昨日ヨレヨレで下ってきた登山者の顔を思い浮かべていた。こんなにたいへんとはねえ。そして14:30頃祓川登山口の駐車場に這う這うの体で戻った。

ホッとすると汗でベトベトの自分の体が気になる。一刻も早く温泉に浸かってサッパリしたい。予定どおり立ち寄り湯ができる鳥海荘を目指すことにした。所要30分強で鳥海荘のまん前の道に入っていく。とそこで同じテント場にいたアロハシャツのおじさんのアメ車とすれ違った。考えることは同じなのだ。でもこのおじさんはテント場に戻り、即撤収してしまったようだ。山の神と私が2泊目のキャンプ場に戻ったときには、その姿はすでになかった。

月山へつづく
鳥海山・月山Part1~鳥海山舎利坂へ
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鳥海山・月山Part1~鳥海山舎利坂へ

2018-08-20 | 山行~東北

鳥海山 七高山 標高2229m 山形県

2018年8月13日(月) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 祓川キャンプ場5:45--祓川登山口6:01--6:36賽の河原6:41--7:03御田--7:28康ケルン7:33--雪渓--8:40氷の薬師8:50--9:57七高山(昼食)10:35--外輪山方向へ行って戻る--11:08七高山--12:13氷の薬師直下雪渓取付点12:22--13:24御田13:35--14:30頃 祓川登山口

野鳥の声に目覚め、4:15頃起床する。テントから這い出すと、鳥海山がきれいな山容を見せていた。朝食を済ませ、テント場を出たのは5:45。祓川登山口の駐車場に車で移動した。すでに何台もが駐車している。祓川ヒュッテに泊まった登山者の車もあるのだろうが、この時間にしてもう登り始めた人は多いようだ。

 
左:祓川駐車場 右:竜ヶ原湿原を突っ切る。左手に祓川ヒュッテがある

駐車場のトイレに寄って、6:01山の神とともに登山開始。ヒュッテを越えるとすぐに竜ヶ原湿原になる。お花畑の横を通過していく。

 
左:右奥に祓川ヒュッテが見える。手前の建物は祓川神社 右:賽の河原の雪渓

湿原から高度を上げると、すぐに祓川ヒュッテと湿原そして祓川神社の建物を見渡せる。そこからタッチラ坂に入る。とすぐに繁みにミソサザイを発見した。極小の鳥なので、ほんとうにかわいらしい。

そこからすぐに賽の河原に出て、最初の雪渓歩きとなる。雪渓に突入する前に十分に水分補給をして慎重に歩いていく。アイゼンをつけるほどの斜度があったり、滑りやすいということはない。今年は猛暑と豪雨のため雪は極端に少ないようだ。

 
左:気持ちのいい道を進む 右:御田

御田からちょっとした急登になり、汗をかきかき、足を一歩一歩前に進めていく。

 
左:康ケルンで休憩 右:中央の赤い屋根は七ツ釜避難小屋

ひと山越えて、七ツ釜避難小屋入口を通過する。今は使用禁止なのか、小屋への分岐にはロープが張られていた。視界が開けてすぐに康ケルン。雪渓の横にヘリで荷揚げした物資や簡易トイレが置かれているのが見える。いったいいつ小屋に持っていくのだろう。

康ケルンを後にしたものの、一向に康新道への分岐へ着かないし、見当たらない。見落としたかと思った頃、突如お目当ての分岐に出た。雪は少ないから、わざわざ時間のかかる新道に行く必要もないだろうと、雪渓へ向けて直進する。


雪渓横をトラバースする山の神

そして再び雪渓に出た。雪渓上を歩いた形跡はあるが、雪渓横をトラバースもできる。山の神と私はトラバースを選択した。


氷の薬師から谷を振り返る

雪渓を越えて谷筋を上がっていく。しばらく暑さとアップダウンに耐えて登っていくと、氷の薬師というしゃれた名前の岩稜上に出る。直射日光にさらされて、バテ気味だった山の神と私はここで水分補給して生き返った。われわれはこんななのに、先行していた登山者は休まずにどんどん上がっていくのが見える。そのタフさはうらやましいかぎりだ。


日本海・男鹿半島(左上の洋上にうっすらと)・風力発電の風車

氷の薬師から徐々に傾斜の厳しい登高が始まる。高度を稼ぐのに比例して、見晴らしはどんどんよくなる。北を見渡すと日本海が見え、うっすらと横に伸びる男鹿半島も見える。また風車の縦列も見える。目を凝らすと、無風なのか、風車はすべて止まっていた。

つづく 。いよいよ山頂へ!
鳥海山・月山プロローグ~鳥海山登山口へ
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鳥海山・月山プロローグ~鳥海山登山口へ

2018-08-19 | 山行~東北

祓川キャンプ場 標高 1145m 秋田県

2018年8月12日(日) 晴れ 

メンバー 山の神と私

お待ちかねのお盆休み。天候が怪しいと思っていたが、なんとか13日までは安定しそうだということで、かねてから予定していた鳥海山を目指すことにした。12日朝4:00頃起床し、テントや食糧、お茶のペットボトル、ザックに登山靴、着替えなどの入ったバッグを次々に車に運ぶ。空がだいぶ明るくなった4:35自宅を出発した。

東北道では、油断していると渋滞になるくらいの交通量がすでにあって、のんびりと朝食をとるのはやばそうだと先を急いだ。佐野SAはパスして、上河内SAで前日に用意していた朝食をとる。前後のPAやSAは進入路ですでに行列待ちができていたから、まだ混雑具合はましなほうだった。

ときどきスピードダウンしながらも、なんとか渋滞にははまらずに山形道に入る。山形JCTで東北中央自動車道に入り、終点の東根(ひがしね)まで進む。下の道に出て、まずはコンビニで買出し。キャンプ場近くまで行ってしまってはお店がなくなるので、幹線道路を走っている間に買わなければならない。

順調に距離をのばし、道の駅むらやまに寄って休憩することに。時計を見て、昼にはまだ早すぎるなと判断。移動がてらよさげなところに入ろうと山の神と話して先に進んだ。新庄でとんかつとん八の看板を見つけて、そこに入った。山形でチェーン展開する地元では有名なファミレス(おひとり様席もあるが)で、入ってみてびっくり。リピーターが多く大繁盛のようだ。オーソドックスなとんかつ定食である、とん八定食をオーダーした。可もなく不可もなくといったところか。

その後ひたすら車を走らせ、道の駅鳥海郷で最終休憩をとる。そこから立ち寄り湯(¥300)ができるという鳥海荘(下山後行くつもり)を見に行くことにした。ついでに鳥海荘からキャンプ場までの所要時間のチェックもした。結果は30分強。

鳥海荘では、林道の通行止め箇所を教えてもらい、地図までもらった。ありがたいことだ。道路上に案内が出ていたので、行き着けないことはないものの、心強い情報だった。

14:15頃祓川駐車場に到着。車を置いて、キャンプ場を管理している祓川ヒュッテまで山の神と歩いていく。だいぶヨレた感のある年配の方々が次々に下山してくる道をたどる。翌日身をもって、このヨレヨレ感を体験することになるとは、思いも寄らなかった。

ヒュッテの管理人にキャンプ場に泊まる旨を告げ、住所や名前を申告。キャンプ代は無料だから、これで手続き完了だ。

 
左:我が家全景 右:夕餉のしたくを着々と

祓川の駐車場に戻って、水場で空のポリタンクや水筒に水を満たし、キャンプ場にほど近い駐車場に移動した。まずは場所取り。入ってすぐ左手のスペースに決めた(左上写真)。奥にある見晴らし最高の場所(冒頭の写真)はすでに取られていた。

板がガタガタで寝心地の悪かった“すのこ”の上にテントを設営。15:30頃ようやく人心地ついた。ウィスキーをちびちびやって、もってきた雑誌のページをめくり、くつろぐ。

夕餉は17:30くらいから支度を始め、日が傾きかけたころ、缶ビールを開けた。昼の暑さがウソのように涼しい。上に一枚はおって、グビグビとやった。


登山当日の朝は雲海が広がった

暗くなるとともに上空に金星や火星がきらめきだす。飲んで疲れてテントへ入り、20時頃にはいつの間にか眠っていた。翌日は野鳥の声で目を覚まし、炊事棟に行ってみると、眼下には雲海が広がっていた!

鳥海山登山へつづく
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鳥海山って、いつ行ったんだっけ?

2018-08-18 | 山行~東北

山の神が鳥海山には行ったことがないというものだから、鳥海山計画をつくった。それが3年前の2015年秋。鳥海山のあとに二百名山で標高1365mの神室山も予定していた。しかし今回の山行は夏、お盆。しかも連日猛暑日を記録するうだるような暑さ。標高の低い山には行きたくない。自ら熱中症になりたいと志願して行くようなものだ。周囲の山で高いのはどこだろうかと地図を見て、あっさりと月山と決まった。

鳥海山に話を戻そう。私は鮮明に2日連ちゃんで登った記憶があるのだが、はて?いつだったか。手帳を90年代半ば辺りから調べていくと、あった。97年8月13日(水)と翌14日(木)に登っていた。なんと21年前になる。細部をよく覚えていないのはそのせいだったのか。それにしても、今年鳥海山を再訪したのは、8月13日で、下山後に麓のキャンプ場に泊まっていたことを考えると、偶然にも同じ日どりであり不思議な巡り合わせだ。とくに21年前に勤めていた会社は、7月から9月の間で5日間夏休みがとれたのだから、なおさらだ。

それはさておき、当時どこをどう登ったのか、手帳に書かれている記述を少しひもとこう。

1997年8月12日(火)移動日 晴れ 
荻窪のマンション(当時)を愛車ホンダ・ビートで6:40出発。山形市内走行中にエアコンが壊れると書かれているから、相当暑かったことだろう。夕刻湯の台温泉で一風呂浴びて、鳥海高原ライン終点まで移動する。ここで強引にテントを張ったようだ。時折強く吹く風がテントをバタバタと直撃し、そのたびに目を覚ます。運悪くというか予報どおりなのだろうけど、夜半より天候は崩れていく。

1997年8月13日(水)湯ノ台口コース 雨のち曇り
9:30駐車場では、降り止まぬ雨をものともせず、数家族が出発の準備を始める。午後から晴れると無責任なことをいっているおばさんの放言も聞こえる。誰もいなくなったころ、上空に晴れ間が見え、行ってみるかと車外に出た。
湯ノ台口登山口10:10--滝ノ小屋--この辺りで駐車場にいた2家族を追い越す--河原宿(7合目)--大雪路・小雪路の2箇所の雪渓がガスって視界が悪かったせいもあってか、予想以上に大きく感じた。通過に手間取るが、お花が多かったのは救いだった。
伏拝(ふしおがみ)岳--行者岳--七高山--(ピストン)--17:00頃下山

1997年8月14日(木)象潟口コース ピーカン 
13日に景色がまったく見られなかったこともあり、リベンジ山行を敢行する。コースを変えて鉾立から鳥海湖をたどるパノラマコースだ。この日は、ほぼ1日晴れていて最高の天気だった。登山道から振り返れば日本海という雄大な景色を堪能する。
鳥海ブルーラインを上がって鉾立8:15--鳥海湖。遠足らしき子どもたちの団体をすり抜けていくと、急な登りが始まる。その後はアップダウンの繰り返し--外輪山コース--12:00頃 伏拝岳--新山13:20--谷筋を進んでいるとき、外輪山の岩肌からカランカランカラーンと激しい落石があって、登山者の目はいっせいにその一点に釘付けになった。--16:30鉾立

参考エピソード:山で失敗しない10の鉄則

鳥海山・月山プロローグ~鳥海山登山口へとつづく

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