目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

SWITCHインタビュー「石川直樹×大竹伸朗」

2021-08-22 | テレビ・映画


イメージ Th GによるPixabayからの画像

よくチェックしている番組にNHKEテレの「SWITCHインタビュー達人達」がある。先週番組表で「石川直樹×大竹伸朗」を見つけて(放送は8月14日)、これは見逃してはならじとさっそく録画予約を入れ昨日の午後さっそく再生した。

石川直樹さんといえば、このブログでも2度ほど登場させている。この番組での肩書は写真家となっていたが、厳密にいえばなんだろう。冒険家のようにも、探検家のようにも見えるし、それを記録することからノンフィクション作家のようにも見える。対談相手の大竹伸朗(おおたけ・しんろう)さんは、今までにない地図を探っているから「マップ・メイカー」と彼のことを評していた。

番組の冒頭シーンは、2021年4月のヒマラヤ。このコロナ禍で収入が激減したシェルパ族にカンパとして、自らのシェルパにかかわる写真集(『EVEREST』か)の収益の一部を渡していた。何度もシェルパとともに仕事をした彼であるからこその気遣いなのだろうが、そうそう実行に移せることではない。

シェルパのエピソードをはじめとして、17歳のときのインド・ネパール行、学生のときに選抜されて参加した南極から北極までの旅「Pole to Pole」、世界七大陸最高峰最年少登頂(当時)など、石川さんの山や自然とのかかわりを紹介する一方で、最近は人類学や民俗学にも食指を伸ばしていることも紹介していた。

南米パタゴニアの洞窟に残された「ネガティブ・ハンド」と呼ばれる太古そこに住んだ人々が残した多くの手形を見に行ったり、折口信夫で有名になった異形の神「まれびと」に関心をもち、日本各地の「まれびと」が登場する祭りを写真に収めていたりと、活動の幅は広い。コロナ禍で自由に動きにくくなると、地元渋谷の街を駆け回るネズミに注目するなど、好奇心の旺盛さには舌を巻く。未知の領域がすぐそばにあったとうそぶくのは彼らしい。

対談相手に大竹伸朗さんを選んだのは、やはり似たマインドをもっているからなのだろう。大竹さんは画家という肩書で登場したが、果たしてそうなのか。現代アート作家というほうが私にはしっくりくる。様々な気に入った切り抜きや道具、廃品などパーツを集めては、2次元でも3次元でもコラージュして作品化するのが彼の真骨頂だ。

石川さんと大竹さんの共通点はマインドだけではなく、多作であることにもある。石川さんは40歳そこそこにもかかわらず、すでに50冊くらいの本をものしており、大竹さんはお気に入りの切り抜きコラージュのスケッチブックが40年で70冊もあり、2006年に開催した自らの作品を集められるだけ集めた「全景展」では、2000点を展示したというからすごい。

この2人は、まだまだ多くの作品や話題をわれわれに提供してくれるのだろう。楽しみに待つとしよう。

参考:当ブログ
石川直樹 この星の光の地図を写す オペラシティアートギャラリー
冒険家と探検家はべつものだった。下北沢B&Bトークショーにて

 
 
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NHK逆転人生「日帰り登山のはずが…地獄のサバイバル14日間」

2021-06-20 | テレビ・映画


イメージ(レスキューヘリ)

6/7(月)NHK総合で放送された『逆転人生』「日帰り登山のはずが…地獄のサバイバル14日間」の録画を見た。

地震の災害報道でよく出てくるのが、3日間を過ぎると行方不明者の生存率はがくんと落ち込んで、ほぼ絶望的というもの。でもこの遭難者は14日間も生き延びていた。ニュースで見たように記憶しているが、この遭難が起きたのは2010年8月14日。お盆休みを使っての両神山への日帰り登山の時だった。番組では実際に遭難した多田純一さん(事故当時30歳)が登場して、当時の日々の様子を自ら語っていた。

遭難のきっかけは下山30分後に現れた分岐で、予定外のルートを選択したことにある。道に迷って、普通なら登り返すべきところを、そのまま下り、最終バスに間に合わせるべく、道なき道を強引に下った。傾斜のきついところで足を滑らせ、40メートルも滑落し沢へ。そのときに左足を開放骨折(骨が外に突き出て見えている状態)し動けなくなった。

開放骨折で山岳気象予報士の猪熊さんを思いだした。たしか富士山で滑落して開放骨折をやり、感染症になってしまい、いまだに後遺症に苦しんでいる。応急措置として、すぐに消毒して包帯ぐるぐる巻きが必要なのだ。しかし、多田さんは山の中でそんな処置はできず。骨折部に添え木をして、患部をビニール袋で覆っただけだった。

(以下どんどんネタばれになるのでこれから番組を見る予定の人は注意)
遭難2日目は、冷静に行動している。持っていたホイッスルを鳴らしたり、誰かが気づいてくれるかもしれないと、免許証や保険証をビニール袋に詰めて沢に流したりしている。登山届を出しておらず、家族にもルートなどの詳細情報は伝えていなかったことから、あらゆる助かる可能性を模索していた。足の止血のために焼いたナイフを患部に押し付けたりもしている(現代の医学では間違いとされる。きつく縛るが正解)

一方で家族は、遭難当日の深夜、警察に捜索願いを出している。ただし息子がどの山に行ったのか把握しておらず、百名山で、秩父方面ということしかわからなかった。実際には山の名前を聞いてはいたが、覚えていなかった。

遭難3日目は、崖を少しずつよじ登っていくが、途中で身動きがとれなくなり、そこにとどまることになる。食料は遭難時に飴玉7個の所持。この日はもう残り2個になっていた。間の悪いことに雷雨にも見舞われ、もっていたサバイバルシートにくるまってやり過ごすことになる。

4日目、のどの渇きにさいなまれるようになる。何か食べるものはないかと探し、ミミズや蟻を生のまま、つまんで食べる。たんぱく源として貴重な食料だが、生のままではバイ菌だらけなので、医学的にも衛生面でもNGとのこと。この日は、このあと恐ろしい光景を目にすることになる。骨折した左足に違和感を覚え、かぶせていたビニール袋をはがしてみたところ、蛆虫が大量に這いまわっていたのだ。

番組では紹介されなかったが、むしろこの蛆虫がその後の左足の回復を手助けしたかもしれない。蛆虫は壊死した組織を食べて壊死していない部分を守ってくれたともいえる。マゴット治療(Maggot Debridement Therapy: MDT)といって、わざわざ壊死した患部を蛆虫に食わせる療法もあるのだ。人間の手作業では難しい壊死部分の除去を完璧に行い、肉芽の再生を促すことにつながるという。

遭難から1週間後、家族はあきらめることなく息子の足どりを追い、秩父の駅前で手作りビラを配ったり、行きそうな場所で聞き込みをしたりと奔走していた。そしてついに遭難から9日目にこのお客さんは覚えているとのファミレス店員の証言を得る。そのことから登山ルートを特定し、捜索範囲を絞り込むことに成功した。

遭難10日目、大雨で増水した沢に飲み込まれ、気づくと水中にいたという。この辺りから意識が混濁していたようで、記憶があいまいになっている。しかし運命を変える瞬間は、このときだった。この増水によってザックが下流に流され、捜索隊がそれを発見したのだ。沢沿いに上流に向けて捜索は始まった。そして14日目。ついに捜索隊が多田さんを発見し救助した。奇しくも沢に濁流が流れ込む直前、間一髪のタイミングだった。

そして番組の最後のほうで、視聴者が気になっていた左足がどうなったかについての説明がある。7年を経た2017年春、9回の手術とリハビリを重ねた結果、切断を危ぶまれた左足は再び機能を取り戻し、歩けるようになった!

番組から得られる教訓は以下(私が少し追加していますが、、)。
・迷ったら戻ること
・日帰り登山であっても、登山届を出すこと
(現実的なことをいえば、鎖場があったり、エスケープルートのないロングコースを歩かなければならない険しい山だろうね)
・山の基本装備をもつこと(雨具、救急キット、ヘッデン、水、サバイバルシートorツェルト、できれば携帯ラジオ)
・予備の食料をもつこと
・遭難しても、決してあきらめないこと

この遭難事故では、やはり最後の「あきらめない」という強固な意志が生還のカギを握っていたといえる。そうでなければ、止血のために焼いたナイフを患部に押し当てたり、ミミズや蟻は食べられない。

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「情熱大陸」に動物カメラマン上田大作登場!

2021-03-28 | テレビ・映画


エゾリス イメージ画像(OldiefanによるPixabayからの画像)

動物カメラマンの仕事はきつそうだ。私も登山中に動物の写真を撮れないかなどど思うけれども、そもそも動物に遭遇するチャンスが少ない。比較的よく遭遇するシカであっても、10回の登山で1回あるかどうかではないか。それを考えると、動物の採餌シーンや、鳥の飛翔シーンをピンをばっちりと合わせてとらえることは至難の業であることは容易にわかる。

そんな動物カメラマンの撮影現場に2週間密着したのが、TBS系列『情熱大陸』(2月21日放映)だった。ようやく録画したものを先週見ることができた。

番組が取り上げていた上田大作さんは43歳。最初からカメラマンを目指したわけではなく、サラリーマンからの転身だ。自然に魅せられ、山口から北海道に移り住んで14年。年間250日はワゴン車の中で寝泊まりを繰り返し、動物の決定的瞬間を求めて移動するというから、そのつわものぶりがわかる。その間だれとも話さないことが多く、日本語を忘れるともいう。

番組内で印象的だったのは、上田さんが知床でエゾリスがクルミを割っている音がするといって立ち止まったシーン。そのときナレーションが入る。スタッフは皆耳をそばだてたが、だれもその音は聞こえなかった。音が止んだといって、視線をあちこちに飛ばす上田さん。肉食動物が獲物を狙うような鋭い目だ。やがてすばしこく木の幹を駆け上がるエゾリスを見つける。そしてマツぼっくりのようなものをかじるエゾリスを特大の望遠レンズをつけたカメラでとらえる。見事な撮影だった。

風蓮湖に行くと、移住当初に世話になった漁師がいて、自然と漁を手伝おうと体が動く。その漁師の家に招かれて、サクラマスの燻製をふるまわれて会話がはずむと、傍らにいた漁師の奥さんが彼はここらでは「まぐろちゃん」と呼ばれてるのよという。なぜかって、止まったら死んじゃうから。

番組の締めでは、それを証明するかのように、根室でハクトウワシを追う上田さんを映し出していた。オオワシの群れのなかに1羽だけ頭が白いワシが紛れ込んでいた。まさしくハクトウワシだ。ハクトウワシはアメリカのシンボルのような猛禽類で、本来日本には生息していない。そのワシを見たという目撃情報を得て、現場にかけつけ、ようやく見つけたのだ。彼の活動はとどまることを知らない。明日も次の撮影現場へ、明後日もまたその次の撮影現場へと移動していくのだろう。

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NHK「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ1500km」

2020-08-06 | テレビ・映画

NHK総合で7/24(金)に放送された「神秘のヨーロッパ 絶景紀行 聖なる巡礼路を行く~カミーノ デ サンティアゴ1500Km」を見た。世界遺産に登録されている歴史ある巡礼路だ。当初は番組で取り上げた道が唯一の巡礼路と思っていたが、調べてみるといくつも巡礼の道があって驚かされる。巡礼の終着点は、スペイン北東部にあるサンティアゴ大聖堂で、ここにイエスの十二使徒のひとり、聖ヤコブの墓がある。偶然この地にヤコブが埋葬されているのがわかり、この大聖堂が建てられたということだ。

番組では、古代より聖なる地とされている南仏ル・ピュイ・アン・ヴレイのノートルダム大聖堂から、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路への第一歩を踏み出す。この巡礼路をたどると、全長1500Kmにも及ぶというから長い。日本でいえば、東京・青森間を往復するくらいの距離はある。この距離を歩き通そうというのだから、巡礼者の意気込みたるや、清水の舞台から飛び降りるくらいだろう。

巡礼路には、中世から続く赤い屋根が連なる美しい村や、美の極致といわれるサンピエール修道院教会の回廊、塔とアーチの構成が美しいヴァラントレ橋などすばらしい絶景や見どころもあれば、風景がまったく変わらない単調な道が延々と続く箇所もある。難所もあって、オーブラックの荒れ地、そしてなんといっても高低差1400mもあるフランス・スペイン国境のピレネー山脈。ピレネー越えはやはり最難関で、巡礼者向けにレクチャーをする施設まで設けられている。

番組で印象的だったのは、この巡礼路を歩く人たちの抱えたそれぞれの事情だ。皆挫折や悩みを抱えて巡礼路を歩いている。いわば四国のお遍路さんのようなものだ。大病を患ったフランス人シェフ、親孝行のために老親を連れたブラジル人の息子、会社勤めに行き詰まりを覚えた台湾の元OL、悪童だったと思われる小学生時代からの友人と歩くスペインの老人たち、離婚、娘の家出で独りぼっちになってしまったフランス人主婦、単独で歩く日本人女性も登場していた。

巡礼者は無料の宿泊所で厚いもてなしを受け、道々数々の教会や聖堂で祈り、賛美歌を歌い、ひたすら前進し、巡礼地で偶然出会った人たちと語らい、新たな自分の人生を見つけ切り開いていく。それがこの巡礼で得られるものだ。人生で思い悩んだら、自分の人生を見つめなおす時間が必要。年々巡礼者が増えているというから、それだけ自分の人生を見失い立ち止まっている人が増えているということかもしれない。

私も機会あれば、山の神とピレネーから歩いてみたいものだ。

蛇足ながら最後に一言。老親とともに巡礼をしていたブラジル人へのインタビューで、この地を訪れたきっかけを問うていた。それはパウロ・コエーリョ『星の巡礼』を読んで感銘を受けたからという答えだった。作家名もタイトルも聞いたことはあったが、この巡礼の話だったとは知らなかった。迂闊。これを機に読んでみようと思った。

 
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情熱大陸、再び平出和也氏登場!

2020-06-23 | テレビ・映画


パキスタン、ギルギット Irfan HaiderによるPixabayからの画像

『情熱大陸』「絶景!冒険!ヒマラヤの未踏ルートへ 登山家平出和也」と題した2020年6月14日(日)の放送を見た。

平出和也さんは若きクライマーと思っていたが、いつの間にか41歳。本人もその自覚があるようで、体力の衰えを口にするようになり、あと数年が勝負という。来年(2021年)の未踏ルートをたどってのK2登頂にかける意気込みを語っていた。

その前哨戦として昨年2019年カラコルム山脈のラカポシ7788mを未踏ルートで登った様子を、番組では逐一追いかけていた。平出和也さんは登山界のノーベル賞といわれているピオレドール賞を2018年になんと2度め、相棒の中島健郎さんとともに受賞していて、今回も気心の知れた同氏とともに挑戦した。

2019年6月パキスタンのキルギットに2人は乗り込んだ。K2をにらんでのトレーニングであり、複雑な地形のラカポシは経験を積むのにはうってつけであるという。

入山7日目BC(ベースキャンプ)で大規模な雪崩を目撃する。ラカポシはルート上に大きなセラック(雪と氷)があり、それは運が悪ければ目の前で表層雪崩と化してしまう。雪崩に飲み込まれないようにするためには、雪面がよく締まった気温が低い朝のうちに通過しなければならない。

番組ではそんなリスクもあるのだとしながらも、たんたんと登山の過程を紹介していった。ルートの標高は以下のとおり。
BC 3660m--C1 5200m--C2 6200m--C3 6800--Summit7788m

初日 BCからC1(キャンプ1)ヘ。お互いを撮影しながら和気あいあいと進むも、吹雪に見舞われる。-5℃
2日目 早朝4:30にC1を出て、膝までの雪に悩ませられながらセラック地帯を無事に抜けC2へ。-8℃
3日目 朝から好天でナンガパルバット、ディラン(2013年登頂)が見える。山岳カメラマンでもある彼らはドローンも操って撮影しながらC3ヘ。-10℃
4日目 天候の悪化。どか雪に見舞われる。テントが雪の重みでつぶれないように、必死に雪かきに精を出す。50時間後やっと晴れてくる。
6日目 サミットプッシュ。4:00にC3を出るが、平地の40%の酸素量しかなく、呼吸がどうしようもなく荒くなる。それでも12:00登頂を果たし、性懲りもなく(笑)ドローンを飛ばす。-20℃
7日目 BCに戻る。

日本ではまったくといっていいほど、報道されなかったが、現地のパキスタンでは、未踏ルートをたどってのラカポシ登頂は快挙に値すると、新聞にでかでかと平出、中島両氏の写真が掲載された。

2021年はいよいよK2挑戦。来年の今頃(6月)は、BCに向かっている頃だと、平出さんは中島さんに語りかけていた。

 

過去記事
クレイジージャーニー、アルパインクライマー平出和也登場!
「情熱大陸」平出和也さん、次はK2未踏ルート

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