目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

飯豊連峰登ったり下りたりPart2~門内岳・胎内山

2011-05-30 | 山行~東北

門内岳 標高 1887m 胎内山 1890m 山形・新潟県

2001年5月29日(火)--5月30日(水) 両日とも晴れ

メンバー 私一人(山の神は仕事中)

コースタイム 5月29日 6:35飯豊山荘駐車場7:00--(温身平ぬくみだいら)--8:04下つぶて石8:19--9:17石転びの出合9:50--11:09いり門内沢内休憩11:20--12:15いり門内沢内休憩12:25--12:50いり門内沢内休憩13:00--13:36いり門内沢内草つき場(昼食&昼寝)14:15--15:00ギルダ原手前の稜線15:15--15:24門内岳15:34--門内避難小屋(泊)

「登ったり下りたり」の第2回目山行。前日の車中泊でよく眠れなかったせいで、バテバテだった。しかも石転びの出合で地図を見ずに油断したせいもあって、門内沢にいつのまにやら入ってしまっていた。本来は石転び沢を上り、梅花皮(かいらぎ)小屋に泊まる予定だったのだが。稜線上の門内避難小屋の文字を目にして初めて失敗に気づいた。やれやれのお疲れ様山行となった。

前泊の道の駅白い森おぐにを出て、6:35飯豊山荘駐車場に到着。あたりは白くガスっていた。身支度してガスが少し晴れた7:00頃出発。梅花皮沢沿いに登山道が付けられているが、軽く雪崩れたっぽいところや、やぶっぽいところがあり道はわかりにくい。そんななかでもジモティらしき若者はスノボを背負って私を悠々と追い抜いていった。その後も登山者に会い、平日でも意外に登山者がいることに驚く。

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左:石転びの出合 右:いり門内沢上部から見下ろす

9:17石転びの出合にたどり着き、行動食を腹に入れる。睡眠不足で体が重い感じだったが、ここまでは比較的快調に進んできた。

アイゼンを装着し、ストックをピッケルに持ち替えて9:50出発。雪面に石がごろごろしているのは、両サイドから、どうやら落石があるようだ。黒い物体がそここに見えるが、それは岩だ。熊がいると聞いていたので、こんな見通しのいいところで、月の輪君に出会ったらシャレならんなとキョロキョロしてしまう。

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右:最後の雪壁

行っても行っても白い沢。どんどん体力を奪われ、バテまくる。休憩を何度とっても回復せずで、結局昼食後、お昼寝タイムをとった。 この時途中で追い越した年配の2人組が追いついて来ないのはヘンだと思ったが、思考回路も麻痺気味で、まさか自分が石転び沢からはずれているとは思いもしなかった。

14:15気合を入れて、残りの雪壁を一歩一歩アイゼンを突き刺しながら登り始める。スキー場の上級者コースとほとんど同じ。よく「何とかの壁」と称する下から見上げるとまさに絶壁のコースがあるが、まさにそれだ。息を切らせながら、もう一息と自分に言い聞かせつつ登る。

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ようやく尾根に出た。このときはまだ梅花皮小屋に着くと思っていた。小屋からかなり離れた地点に出たので、そう、だいぶ烏帽子寄りに上がってしまったなと思った。でもそれもつかの間、山頂の碑を見つけ、小屋の名前を見て、愕然、落胆。ようやく自分の過ちに気づいた。まっいいか。災い転じてで門内小屋は独り占めでき、スペースを自由に使えた。日が落ちてくると、夕焼けに。小屋の外に出て夕日をしばらく眺めていた。明日も晴れだ。最高!ということにしておこう。

001p5290562 最高の夕日

辺りが暗くなると、一人は寂しい。ラジオを鳴らしつつ、ちびちびとウィスキーをやる。 飲み相手がほしいな。

つづく

Part1(倉手山)へ戻る
Part3(飯豊本山)へつづく

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飯豊連峰登ったり下りたりPart1~倉手山

2011-05-29 | 山行~東北

02p5280541_5 倉手山 標高 952m 山形県

2001年5月28日(月) 晴れ

メンバー 私1人(山の神はお仕事)

コースタイム 13:40倉手山登山口13:50--15:03倉手山山頂15:30--16:13登山口

今から10年前会社で異動があり、どさくさで1週間休みをとった。山の神は仕事のため私一人の単独行となる。5:00起きで家を出発。東北道を休み休み走って、10:10白石ICを下りる。国道113号に入り、ひたすら日本海側へ走って11:30頃道の駅いいでに到着した。ついに飯豊の山ふところに入ったのだ。休憩後山形の名物はなんだろうと考えながら、ハンドルを握っていると、米沢牛の看板を目にした。牛肉食べたいな。本能のままに、国道沿いにあった菊一に吸い込まれ、米沢牛の焼肉定食に舌鼓を打った。

腹を満たした後、明日の下見にと飯豊山荘まで移動する。道は一本道でわかりやすく迷いようがないし、駐車場も立派なのがある。見てしまえば、ひと安心。まだ13:30であるし、足ならしに倉手山へ向かうことにした。

13:40倉手山の登山口に着いた。ちょっとわかりにくい場所だが、車が2台停まっていて、それとわかった。ちょうどそのとき中高年の夫婦が1組下山してきた。フツーに考えれば、この時間は下山タイムだ。でも私は出発。13:50になっていた。登っていくと、下山中の老夫婦に出会う。本日の登山者はこの2組の夫婦と自分だけということか。

バリバリ登って、15:03倉手山山頂に着いた。すんごい大展望で、感動の景色だ。飯豊連峰が目の前に広がる。でもあの雪の量を見ると、ちょっとだけ不安がきざしてくる。

 

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飯豊のお山がどうだ参ったかと言わんばかりに雪をまとった姿を見せびらかす

15:30下山開始。この標高952mの倉手山でもまだ雪が残っているが、気温はそれなりにあって、植物にとっては春(!?)。花々が登山道の隅っこでお出迎えしてくれる。イワカガミやカタクリ、そして石楠花やつつじ。展望だけではなく、花でも楽しめる穴場の山なのであった。

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愛車には16:13にたどり着いた。けっこうな気温で暑い。汗を流そうと、近所にある泡の湯温泉三好荘(¥500)を訪れる。まったくそうは見えない当年とって80歳のおじいさんに話しかけられ、だいぶのぼせてしまった。

風呂から出ると、今日の宿探し。テント泊にしようと思ったが、いい時間になっていて、面倒くさくなる。車中泊でいいかとなり、道の駅白い森おぐにに移動する。晩飯はここですませた。もう車の移動もないから生ビールを頼み、ゴックンゴックンやって生き返り、鉄火丼を腹いっぱい食べ、明日の山行に備えた。

Part2(門内岳)へ続く
Part3(飯豊本山)へとぶ

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達沢山・京戸山

2011-05-25 | 山行~中央線沿線・大菩薩

達沢山 標高 1358m 京戸山 1430m ナットウ箱山 1412.5m 山梨県

2006年5月21日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:55空き地駐車スペース8:08--9:15京戸山9:20--(ナットウ箱山)--9:50達沢山(昼食)11:30--12:17駐車スペース

達沢山は山梨百名山だが、意外に知られておらず、静かな山歩きができる。最近は道標も整備されたようだし、車で上の方まで上がっていけるので、だいぶ登りやすくなったのではないだろうか。

中央道勝沼ICで下りて、まず釈迦堂遺跡博物館を目指す。そこからはジモティしかおそらく通らないと思われる細い道を山に向かって上っていく。この林道はところどころ未舗装で、荒れたところもあり、小さいながらも落石があったりで、通行には注意を要する(現在は改善されているのだろうか)。

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左:林道の一角にあった駐車スペース 右:新緑真っ盛り

まったくひと気のない場所で、背中に薄ら寒いものを感じつつも、車を空き地に停め、山の神とふたり山に分け入っていく。落ち葉の吹きだまった新緑の登山道を進む。ツツジが点在しており、そこここで咲いていて華やかさを演出している。広葉樹林帯が続く道は、日が差し込んで明るく気持ちいい。

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9:15本日の最高点である京戸山(1430m)に到着。地味な山頂ながら、松と杉の間から富士山を垣間見られる。お茶を飲んで出発。

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ナットウ箱山山頂はちょっとした広場

京戸山から10分ほどで、ナットウ箱山に着いた。携行していた地図にこの山名は載っていなかったので、「なんだこりゃ?」がまず第一印象。でもこの名前はインパクトが強すぎだ。山の神に達沢山の話をしても、「どこだっけそれ?」と言われるが、ナットウ箱山の近くの達沢山と言うと、「ああ、あそこ」となる。

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達沢山山頂

達沢山には9:50到着した。山梨百名山の標柱はかなり劣化していた。建てて10年くらいのはずだけど、こんなになっちゃうんだね。山頂には誰もおらず、静寂の山だ。そして10:00くらいなのに、もう昼食となる。朝食が早かったからいいのだ。でもコンビニおにぎりを食べていると、ハエがブンブン羽音をたてて、まとわりついてくるのには閉口した。

山頂は富士山方面だけが木が切られていて、遠くまで見渡せる。三ツ峠の電波塔もうっすらと見える。

002_p5213202_2 富士山

003_p5213203_2 三ツ峠

山頂でまったりとくつろいで、11:30下山開始。登って来た道をまた忠実にたどってもどるピストン。京戸山まで戻ると、本日初めて登山者に出会う。若者のパーティで楽しげだった。これから達沢山に向かうのだろう。12:17われわれの車がポツンと1台停まっている駐車スペースにたどりついた。

帰途、20号線沿線の旅の駅農協直売に立ち寄り、ワインを物色する。当たるも八卦当たらぬも八卦で、これがうまいんじゃと名前の語感で購入。渋滞を避けてサッサと高速にのり、家に着いたら、さっそく購入したワインを晩酌用に冷やしたのであった。

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牛奥ノ雁ヶ腹摺山・黒岳

2011-05-22 | 山行~中央線沿線・大菩薩

牛奥ノ雁ヶ腹摺山 標高 1994m 黒岳 1987.5m 川胡桃澤の頭 1940m 山梨県

2004年5月29日(土) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:18大峠8:30--9:13赤岩ノ丸近辺9:20--9:40黒岳9:50--(川胡桃澤の頭)--10:50牛奥ノ雁ヶ腹摺山(昼食)11:50--12:43大峠への分岐12:50--13:35大峠

昨年2010年11月に大峠を再訪し、その時は逆側の雁ヶ腹摺山と姥子岳へ行って雪に降りこめられて散々な目に遭ったが、7年前には新緑がまぶしい5月の陽光降り注ぐ、というか暑すぎだった初夏に訪れていた。

駐車場は8:00台だというのに、もう満車だ。たまたま目の前で1台が出ていき、滑り込みセーフとなる。身支度をしていると、タクシーで峠まで上がって来たグループが先に出発していく。彼らも黒岳方面に登っていく。

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左:大峠駐車場  右:駐車場横、登山口にある道標

登山口には「熊注意」の看板が出ている。8:30熊鈴を念入りにチェックして出発する。タクシー組には、すぐに追いついた。追い越すと、いきなり急登になる。しばらく耐えると平らなところに出て、本日の第一回目の休憩となる。

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樹林帯の中の黒岳山頂

休憩から歩き始めると、また急な登りに出るが、すぐに尾根筋に上がった。黒岳はあっという間だった。休憩地点から20分ほどで9:40山頂に到着。湯ノ沢峠から入り大菩薩へ行くという年配のパーティもやってくる。写真は涼しげに見えるが、結構蒸していて、虫が多く、不快。

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左:川胡桃澤ノ頭から見た富士山 右:牛奥ノ雁ヶ腹摺山直下の笹原

黒岳から30分ほどで樹林帯を抜け、川胡桃澤の頭にさしかかる。パッと目の前が開け、富士山を拝める。そこから照りつける日差しに辟易しながら、笹原を登る。無風が続き、暑さにあえぐ。汗がぼたぼたと零れ落ちる。そのうち風が抜けると、もう天使の風のようだった。

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牛奥ノ雁ヶ腹摺山には10:50到着。誰もいなかった。駐車場の具合からもっと人がいるものだと思っていたが、どうやら反対側の雁ヶ腹摺山へ行ったのだろう。山頂は貸切状態。貸切はうれしいのだが、何せ暑い。山頂は原っぱみたいなもので、日差しをさえぎるものがない。山の神は雨傘を出し、日よけに使っていた。それだけでも全然体感温度が変わるのだ。おまけに黒岳と同様にハエ、羽虫が大発生していて、手で振り払うのに忙しくなる。

003_p5291952 牛奥からの富士山

牛奥雁ヶ腹摺山は秀麗富岳12景に数えられている。目の前に見えるのは、堂々たる富士。日本人の心ですな。

11:50山頂を後にし元来た道を戻る。3パーティとすれ違う。相変わらず暑いが、樹林帯に入ると日差しがさえぎられ、だいぶ暑さもやわらぐ。12:43大峠への分岐で休憩し、まっすぐ下山。そのうち雲が張り出してきて、暑さも忘れる。駐車場には13:35到着した。早い下山のおかげで、帰りの高速も渋滞に巻き込まれることなく、スムーズに帰宅することができた。

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空白の五マイル

2011-05-21 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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開高健賞をとっていなければ、この本はおそらく存在すら知らずに、興味ももつこともなかったと思う。タイトルからして何だかわからないし、ツアンポー峡谷てのはどこだ? すごいマニアックなチベット好きのための本かというのがフツーの人の感覚だろう。自力で見つけるのが困難なこの本の存在を最初に知ったのは、新聞か何かの書評だったと思う。そして次に竹内洋岳氏のブログ。内容を知ると、俄然読む気マンマンになり、近々読まねばなと心に留めおかれたのだ。

空白の五マイルとは、1990年代になっても地図上で地形が表されていなかった、すなわち空白になっていたチベットのツアンポー渓谷を指す。著者である角幡氏は学生時代に早稲田大学探検部に所属し、この存在を知ってしまうのだ。そして調べれば調べるほど、その魅力のとりこになっていく。挙句の果て、彼の人生において「ツアンポー」は、必ず乗り越えなければならないひとつの通過儀礼となっていく。

ツアンポー峡谷とはいったいどんなところなのだ。その答えは、この本の中にあますことなく詰め込まれている。あまりにも急峻な絶壁に囲まれ、アメリカのグランドキャニオン(コロラド川)も真っ青、足元にも及ばないほどの水量を誇るスケール。水量ばかりではなく、高度差もあいまって生みだされる激流は、人がカヌーで下ることを拒絶する。当然泳いで渡ることはできない。

この本の最初のほうで、激流下りで有名だった日本の先鋭的なカヌーイストがとりあげられる。NHKの撮影隊とともにこの峡谷を訪れ、このツアンポー下りをカヌーで挑戦するのだが、あえなく失敗し、激流にのまれて亡くなる。挑戦する前から、失敗を予感していたカヌーイストの悲壮感は目を覆うばかりだ。それほど人を寄せ付けない人の立ち入りを拒む峡谷なのだ。だからこそ、現代にまで残った地図の空白地帯なのだ。

この本での圧巻部分は、やはり2009年に敢行したこの地での24日間にも及ぶ彼の単独探検だ。過去にツアンポーを探検したキングドン=ウォードやイアン・ベーカーらお歴々は、隊を組んでの派手派手しい探検だったに違いないが、角幡氏はたった一人でこの探検に挑んでいる。

道を特定できず行きつ戻りつしたり、ぬるぬるすべる岩場で脚を滑らせ捻挫するなど苦しい行程をたどる著者に対して、大丈夫か、がんばれ、ともう一心同体状態で応援し、この探検に引き込まれていく自分を発見する。この探検行の華々しいハイライトは、未知のホクドルンの洞穴発見だ。その界隈は地上の楽園伝説として語り継がれている「ベユル・ペマコ」なのではないかという、期待と想像を著者は膨らませていく。まさに夢いっぱいの楽しいロマンティックな話。残念ながら、ロマンティックなのは、ここまでだった。

あとは著者も苦しいが、読むほうも苦しい展開となる。土がふかふかで足場が悪く、すぐに崩れる。灌木類も、つかんで登ろうとすると根こそぎ抜け落ちる。雨がじとじとと続き湿気に悩ませられる。高度をあげていくと、難儀は雨から雪へと変わる。腰までの深い雪をラッセルで峠越え。目ざす村に着くも、廃村になっている。最後は食糧も尽きかけ、体力を使い果たし、衰弱していく自らの体に死神が宿り始めているのを感じるのだ。

ここまでやるか! と誰もが思うすさまじさだ。遭難死していても、まったくおかしくない。ただ途中で引き返すのが不能となり、エスケープルートもないとなれば、やむをえぬ仕儀といえるかもしれない。最後は幸運も手伝って命からがらの生還となるわけだけど、これじゃあ、いくら命があっても足りない。トップクライマーの半数は登山中のアクシデント、たとえば雪崩に遭ったり、落石等による滑落、転落、高山病等で衰弱して亡くなるが、この探検もそれに近い。

未踏の地に入るということは、限界に挑戦するということだ。だれも経験していないことを経験するということだ。それは限りなく死に近いところを歩くということなんだろう。

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)
クリエーター情報なし
集英社
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