目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

穴場の山も紹介されている「山渓」2018年11月号

2018-10-20 | マガジン

Dマガジンで『山と渓谷』2018年11月号「再発見 東京周辺の山100」を見た。

人気の山としてとり上げられている、甲武信ヶ岳、大菩薩、金峰山(それぞれ1位、2位、3位)をはじめとした10座は、すべて行ってしまっているから、あとは季節を変えて、ルートを変えてということだろうか。一方で、まだまだ知られていないし、訪れていない穴場の山もとり上げられていた。

これから山の神と行こうかとリストアップしたのは、以下。いずれもマイナーな山と思うけれども、どうだろうか。

【展望の山】
御飯山 群馬・長野県境
大小山 栃木

【豊かな自然の山】
生瀬富士 奥久慈(茨城)
奥久慈男体山 奥久慈(茨城)

【歴史と信仰の山】
若御子山 秩父周辺
釜伏山 秩父周辺
城峯山 秩父周辺
猪狩山 秩父周辺

【まだある! 東京周辺の山】
天上山 神津島

とくに展望の山というのは、そそる。山登りの醍醐味の一つは、もちろんこれだから。ただ晴れていないとまったく登る意味がないけどね。

山と溪谷 2018年11月号「再発見 東京周辺の山100」
クリエーター情報なし
山と渓谷社
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古峰ヶ原高原ヒュッテの強盗連れ去り事件

2018-10-14 | 山雑記

去る10月8日(月・祝)に古峰ヶ原(こぶがはら)高原へ赴いた際に地元の方から聞いた古峰ヶ原高原ヒュッテ殺人事件!の裏をとるべくネット検索してみた。結果、それはどうやら殺人事件ではなく、強盗事件のようだった。

毎日新聞の記事をブログにあげていた方の孫引きだが、2006年4月30日午前0時頃に事件は起きた。50代の夫婦が古峰ヶ原高原ヒュッテに泊まっていたところへ男が現れ、15センチほどのナイフを夫の首につきつけ、「金を出せ、食べ物を出せ」と脅した。現金1万円とパンを奪い、夫婦の手足を紐で縛った。犯人は確実に逃げるために、妻を車で連れ去り、30分間じっとしていろと言い残し逃げた。

この事件には尾ひれがついていて、犯人は殺人を犯して服役し刑務所を出たばかりの男であるとの話になっていた。そこから殺人事件という話に飛躍してしまったのだろう。私は疑うことなく信じてしまい、峠には平成7年建立のお地蔵様があったから、その話と結びつけて犠牲者の供養のためにお地蔵様を安置したのだと推測までしていた。

ちなみにこの事件、犯人がつかまり解決したのかどうかはわからない。意外に続報というものはないものだ。


強盗事件のあった古峰ヶ原高原ヒュッテ

【教訓】

車道から近い山小屋に泊まるときには覚悟が必要。いつなんどき、強盗が来てもおかしくない。 


この巨岩の上に安置されているへつり地蔵

強盗事件からだいぶ遡った江戸時代、この地に伝わる怖ろしい話がある。深山巴の宿(じんぜんともえのしゅく)で修行をしていた若い僧侶が修行の厳しさに耐えかねて、逃げ出したそうな。仏道に入り、修行する僧たちは厳しい戒律のもと満行(まんぎょう)を必ず果たさなければならない。果たせない場合は自刃するほかない。それが修行僧の厳しい掟だ。

逃げ出した修行僧は、この巨岩の辺りで追っ手に捕らえられ、殺されたという。地元の人がそれを知り、供養のためにつくったのがこのへつり地蔵だ。

案内板の説明では、冬場の修行はとくに過酷で衰弱死する僧侶もいたというから、逃げ出したのも理解できる。想像を絶する状況がそこにはあったのだろう。


へつり地蔵の祠には、なぜかたぬきの置物も

人里離れた、こんな山奥で修行をしていたという事実。修行というよりは、ただのいじめだったのではないかという気さえしてくるし、この地で亡くなった修行僧たちの迷える魂がいまだ彷徨っているような気がしてくる。おおコワ。

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雨の古峰ヶ原高原

2018-10-14 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

古峰ヶ原(こぶがはら)峠 標高 1144m 栃木県

2018年10月8日(月・祝) 雨

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:50ハイキングコース入口駐車スペース8:04--へつり地蔵--8:50古峰ヶ原峠9:00--9:20深山巴の宿(じんぜんともえのしゅく)--古峰ヶ原高原ヒュッテ--9:38古峰ヶ原峠(昼食)10:13--10:45駐車スペース

台風25号の影響で7日(日)は強風が吹きそうだから、避けようということで、翌8日の体育の日に山行計画を立てた。天気は晴れの予報だ。紅葉を見たいねの山の神のひと言をきっかけにブックマークを入れていた紅葉情報に久々にアクセス。地域を関東にして検索したら、ここが「色づきはじめ」として出てきた。まったく聞いたこともない。いったいどの辺りなのだろうとGoogleマップで見てみると、鹿沼市ではあるものの中禅寺湖に近いところだった。しかも、古峰と書くのに、「こぶ」と読む。

古峯(ふるみね)神社の駐車場から延々と車道を歩くコースが一般的なようだが、車道をがっつりとカットして歩いているパーティの山行記録をたまたま見つけた。駐車スペースがあって、即登山道に入れるのだから、絶対にこのほうがいい。

 
左:ハイキングコース入口の駐車スペース 右:ハイキングコース入口

4:35フォレスターに乗り込み、自宅を出発した。東北道佐野SAに入り、朝食をとる。パンをかじっているとき、何げなくついていたテレビに視線を移すと、ちょうど天気予報をやっていた。栃木の今日の天気は曇りだという。え~、それはないよなあ、昨日は強風というから今日にしたのに。今日が曇りだって! 実際のところ、昨日は東京では風は強くなかったから、栃木も同じだったかもしれない。ツイてない。

その後、北関東道に入ってすぐの都賀ICで下りた。道すがらセブンイレブンで昼食の買出しをし、ナビに目的地古峯神社をセットする。交通量はさほどでもない。石切り場の奇観が遠くに見える。やがてたわわに実った稲穂が続く田園風景となり、山に分け入っていく。古峯神社の駐車場を越えてから、そろそろかと身構えていると、ハイキングコースの入口が出てきた。そしてカーブを曲がると10台程度は停められる駐車スペースがあった。満車だったら、古峯神社に戻るしかないなと山の神と話していたのに、ガランとしていて拍子抜けする。

山支度をして、8:04この駐車スペースを後にした。この間、誰も来ない。

 
左:橋がかかっているなど、よく整備された道 右:霧雨に濡れないようにと、ザックカバーを装着

相変わらず青空はかけらもない。クマ鈴を鳴らしながら、沢沿いの道を山の神と進んでいく。すぐに元の林道(旧道)なのか、広い道に出た。そしてまさにその場所に巨岩があり、その上にへつり地蔵が安置されていた。ぐるりと回りこんで、山行の無事を祈りまた歩き出した。

決して歩きやすい道ではないのだが、道幅が広い分見通しが効いていい。やがて危惧していた、いや考えたくもなかった雨が落ちてきた。小糠雨だ。こういう霧状の雨は油断していると濡れるので、まずはザックカバーを装着して、やり過ごすことにした。

 長い階段が続く

階段や、クネクネした急な登山道を登っていき、8:50古峰ヶ原峠に到着。ここは車道が通じているので、容易に車で上がって来られる。ただ駐車スペースはあまりなく、数台程度だ。到着したときにすでに車が1台停まっていたが、持ち主はいったいどこへ向かったのか、この後この車の持ち主に会うことはなかった。

 
左:車道に出るとともに古峰ヶ原峠 右:東屋で休憩

峠の東屋で休憩をとった後、深山巴の宿(じんぜんともえのしゅく)に向けて、山の神と車道を歩き始めた。小糠雨はちゃんとした雨粒に変わり、ザックカバーだけではもう雨はしのげない。私はレインウェアの上だけをはおり、山の神は折りたたみの傘をさした。時折車が横をすり抜けていく。日光市の看板が出てきた直後にヘアピンカーブのようにぐいんと左へ入ることになる(左下の写真)。

 
左:深山巴の宿への分岐 右:深山巴の宿

曲がった100メートル先に深山巴の宿の跡はあった。てっきり、建物があるものと思っていたから、あれっ何もないやと肩を落とすことになる。さらに間抜けなことに勝手に旅館と決めつけていたが、そうではなく、修行の場だったようだ。


古峰ヶ原湿原は霧に霞んでいた

つい先ほど後にしてきた古峰ヶ原峠に向けて歩みを進めていくと、古峰ヶ原湿原が右手に現れた。色づき始めた紅葉がきれいだ。これに青空が見えていたら、最高だったのだが。


古峰ヶ原高原ヒュッテ前は草紅葉

古峰ヶ原高原ヒュッテの前庭からの景色もなかなかよかった。後からジモティに聞いた話では、あまり県外の人には知られていない紅葉スポットなので、人が少なくて穴場ということらしい。 


古峰ヶ原峠への道

9:38古峰ヶ原峠へ戻って昼食にした。というのも雨がまったく上がる気配がないところにもってきて、腹が減ったからだ。東屋で食べているうちに雨が上がらないかな、などと淡い期待を抱いていたのだが、そうなるどころか事態はさらに悪化し、辺りは白い霧にすっぽりと包まれてしまった。こうなると諦めもつくというものだ。峠から三枚石・方塞山をピストンしようと思っていたのだが、またの機会だ。近いからまた来ればいいよと10:13峠を後にした。来た道を戻り、10:45駐車スペースに戻った。

時計を見て、このまま帰るのもなと古峯神社を少し見学し、あとは道の駅にしかたでお買い物となった。北関東道都賀ICから高速に上がり、東京にたどりついたのは、15:00を回っていた。

古峰ヶ原高原ヒュッテとへつり地蔵の怖いエピソードへつづく

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スイッチインタビューにサバイバル登山家、服部文祥氏登場。

2018-10-07 | テレビ・映画

 『サバイバル登山家』みすず書房

NHK Eテレの「SWITCHインタビュー達人達」9/16放送分を録画して、ようやくこの連休に見た。サバイバル登山家の服部文祥氏と俳優の井浦新氏の回だ。

冒頭で、なんと井浦氏側からの申し出でこの番組が実現したと紹介していた。彼がサバイバル登山家に関心があるというのは意外だけれども、番組内で若松考二監督の影響について語っていて、なるほどと思った。この監督の破天荒さ、好奇心旺盛にして猪突猛進の行動力にほれ、自らそれを実践することになったのだろう。

井浦氏は何度も若松監督の作品に出て、その謦咳に触れているのだが、監督のある発言を披露していた。「台本は週刊誌と思え!」(うそっぱちだ)。台本はいったん食って、すべて出す。そして「うそを本当にしていく」のだと。脚本家が聞いたら、卒倒しそうだ。その教えを忠実に守り、自分流の演技スタイルに昇華していった井浦氏はすごい。『止められるか、俺たちを』という若松監督を主人公にした井浦氏主演映画が10/13に封切られる。ちょっと観てみたくなった。

さて、服部文祥氏に話題を移そう。番組では、著書『サバイバル登山家』に出てくる一節をとり上げ、彼の登山家としてのスタイルや思想をまず紹介していた。20代でK2に登って、登山家としての王道(ヒマラヤの高峰に登るという)を踏み出したけれども、K2は隊長の企画に乗っただけだったとし、のちに山への向き合い方への疑問がもたげてきたという。

そして本来もともとあった登山の姿を思い浮かべるようになった。すなわちサバイバル登山だ。極力荷物を少なくし、身軽に山中を移動する。食糧をはじめ山中で調達できるものは、山中で調達する。移動はもちろん整備された登山道ではなく、バリエーションルートだ。

そんなサバイバル登山の延長線上に、自給自足があった。この番組を見るまではまったく知らなかったが、服部氏は自宅で家庭菜園を始めていた。ニワトリを飼い、ブルーベリーやトマトといった野菜を育てている。さらには自作のウッドデッキまである。山で始めたサバイバルを、実生活でもということらしい。奥さんの小雪さんがスーパーで肉を買ってくると怒るというからその徹底ぶりは半端ではない。怒るからには、そう、服部氏は自ら肉を調達してくるのだ。料理もてがけ、自らつくった猪熊カレー(イノシシとクマの肉のカレー)や、ヌートリア(大ネズミ)の肉の唐揚げなどを井浦氏にふるまっていた。

最後のほうで、井浦氏は文明の利器を避けて不便ともいえるこんな生活をなぜ始めたのかとサバイバル登山家に問うと、まるで用意周到に準備していたかのように、彼はこう答えた。

●おもしろくないから
●自分でやりたいから
●思考停止になるから

もっともらしい理由を考えて、他人になんでも理解してもらおうというのは、インテリの性(さが)であって、シンプルに「そうするのが好きだから」といわないのは、やはり服部文祥の服部文祥たるゆえんなのかもしれない。 

 

参考:当ブログサバイバル~服部文祥の世界

サバイバル登山家
クリエーター情報なし
みすず書房
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